◎編集者コラム◎『オシム 終わりなき闘い』木村元彦

◎編集者コラム◎

『オシム 終わりなき闘い』木村元彦


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「これでは、海外の監督はもう怖くて日本に来られませんよね……」

 4月27日、日本代表監督を解任されたハリルホジッチ監督の会見会場を後にした道すがら、ジャーナリストの木村元彦さんが呟いた。

 昨年末、木村さんから『オシム 終わりなき闘い』(2015年、NHK出版刊)の文庫化の話を頂いた。6月のサッカーW杯のタイミングで刊行したいという。木村さんのベストセラー『オシムの言葉』でイビツァ・オシムという人物の奥深さに触れ、ジェフ千葉や日本代表での「考えて走るサッカー」に驚かされたサッカーファンとしては、オシムの本に携われる喜びとそれ以上の緊張感のなか、単にW杯開催時期だからというのでなく、2018年の今この本を出すことの意味を自問自答しながらの編集作業となった。

 本書は、祖国ボスニアが2014年ブラジルW杯出場を決めるまでのオシムの尽力を追ったレポートであり、同時にサッカーを通して憎しみを乗り越えようとする人々の声を拾った貴重な記録だ。内戦終結20年後も民族分断が続いていたボスニアのサッカー協会は、当時3人の会長が存在するという異常な状態で、「1国家1競技団体1会長」というFIFAの原則に反することから加盟資格を剥奪され、W杯の出場も危ぶまれていた。その窮地を救ったのがオシムだ。FIFA、UEFAからの依頼で「正常化委員会」を立ち上げその委員長に就き、脳梗塞の後遺症を抱える身体を引きずって互いに敵対する民族のリーダーたちを説得して回り会長一元化を成功、ついにはボスニアのブラジルW杯出場まで実現させた。

 そのオシムのサッカー愛と人間力に心を揺さぶられると同時に、内戦を生き延びた選手や家族、サポーター、そしてストイコビッチを始めとする当時第一線で活躍していた人物たちの話に胸を打たれた。もともとは平和な多民族国家だった旧ユーゴの人々が、ナショナリストの声に煽られてあっという間に憎しみ合い、隣人同士が殺し合うようになる様子がつぶさに語られ、平和や民族融和というものがいかにあっけなく壊されるかをまざまざと実感した。と同時に、ナショナリストやレイシストの声が大きくなってしまったこの数年の日本を重ねたりもした。

 ハリルの解任は、加筆原稿の取材のため木村さんがベオグラードに飛んだ日に発表された。理由は「選手とのコミュニケーションと信頼が薄まった」という曖昧なもの。帰国後木村さんに誘われ、オシムと同じ旧ユーゴ出身ながら全くキャラクターの異なるハリルが何を語るのか、興味本位で会見に足を運んだのだが、「なぜ問題があるならサッカー協会は事前に私に直接話してくれなかったのか」と不信感を露わにする彼の言葉からは、日本人の内向きな姿勢を痛感させられた。同時に、かつてオシムが提唱した「日本サッカーの日本化」という言葉の意味を考えてしまった。協会は西野朗監督就任時に「オールジャパンで」とくり返しており、それは「日本人だけで勝てる」という傲慢さにも見えた。オシムの言う「日本化」は、サッカー先進国の戦い方を真似ようとする日本人に対し、「外国人以上に上手に外国人になれるわけはない。それよりも、己の長所に目を向けよう」という考え方で、それは実は当時、第三者である外国人のオシムにしか気づけなかったことだったのだ。そのオシムに、「オールジャパンで」という今の日本の姿はどう映るのだろう。

 本書の帯にも引用したが、オシムは木村さんにサッカーの可能性を問われて、こう答えている。「一緒に生きられるということ。一緒に遊び、プレーすること。それで戦争を忘れられる。またここの民族は一緒にやれる」。

 文庫化に際しての加筆章は、サッカーの持つ力を信じ続けるオシムが日本に残してくれたもの、そして日本サッカーの問題点を改めて問う内容となっている。本書を通してオシムと著者の思いを感じていただければ編集者としてこれほど嬉しいことはない。

──『オシム 終わりなき闘い』担当者より

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『オシム 終わりなき闘い』
木村元彦

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