essay

思い出の味 第4回 「僕の病気ご飯」 今村昌弘さん

 毎年インフルエンザが流行する時期になると両親から、ワクチンは受けたのか、と尋ねられます。というのも、僕はとても体の弱い幼児期を過ごしたのです。別に先天的な疾患を持っていたわけではなく、ただただ病気がちで、すぐ高熱を出しては入院するような子供でした。


 そんな僕は、病中の食事のことを強く憶えています。あの頃の僕にとって、熱を出して病院に“泊まる”のはままあることだったのですが、辛かったのは食事でした。当時の病院食は味のしない、子供には物足りないもの。特におかゆなんてベチャベチャしていて、美味しいとは思えなかった。


 そこで僕は親にふりかけを買ってきてもらって、それをアテにおかゆを克服したのです。シャリシャリという食感と濃い味がついただけで苦手意識がなくなるのですから、子供というのは単純なものです。これが僕の“病気ご飯”の始まりでした。


 僕の病気癖は小学校に上がってからも治らず、一年生時には年間で三十六日も病欠してしまいました。それとともに“病気ご飯”も変化していくことになります。

思い出の味 第3回 「甘党のファシスト」 古谷田奈月さん

 運転中、セブン-イレブンの看板が目に入ると、父は必ず「メロンシェイク飲むか?」と言った。私と兄が子どもの頃、セブン-イレブンがカウンターでシェイクを売っていた頃のことで、飲む、と私たちも必ずそう答えた。すると父は上機嫌になり、そうかそうか、お前たちが飲みたいんじゃあしょうがない、という感じでハンドルを切り、少しも億劫がることなく寄り道を決行した。

 車を停めると、お前たちは待っていろ、と言い置いて、父はいそいそと降りていく。そうしてしばらくの後、三つのメロンシェイクとともに戻ってくる。父から手渡されたカップにストローを通し、キュウキュウと吸い上げると、ひんやり冷たくほんのり甘い、思ったよりも緑色の薄いシェイクが、それでもたっぷりとメロンの香りを漂わせて口の中に入ってくる。私たち三人はしばらく黙々とシェイクを飲み続けるが、やがて父がストローから口を離し、「お父さんはな」と大事な教えを授けるような口調で言う。「このシェイクが大好きなんだ」

 そんなこと知ってるよ、と私と兄は言わなかった。つまらない返事で興醒めさせるより、最高だよね、と調子を合わせ、父を自動メロンシェイク供給マシーンとして利用し続けるほうを選んだのだ。

思い出の味 第2回 「私のさくらんぼ」 阿部智里さん

 もう、あのさくらんぼは食べられないのか。

 そう思った時、古くからの友人をなくしてしまったかのような喪失感を覚えた。

 我が家には、さくらんぼの木がある。畑で一番大きな木で、実が鈴なりとなると、まるで花が咲いているかのような鮮やかさだ。熟したさくらんぼはみずみずしく、赤い宝石そのものである。幼い頃は、木に登り食べごろとなったものを下の人に落とすのが私の役目だった。しかし最高に美味しいのは、生っている実を洗いもせず樹上で食べ、ぷっと種だけ吐き出した時だろう。スーパーで売っている大きなアメリカンチェリーよりも、家族や友達と一緒に収穫した、野趣あふれる小粒のさくらんぼの方が、私にとってはごちそうだった。

 しかし部活や受験で忙しくなるにつれ、徐々にさくらんぼ狩りの機会は減っていってしまった。上京して数年が経った頃、ようやく食べごろの時期に帰省することが出来た。久しぶりのさくらんぼだ、とわくわくしながら口にして、ぎょっとした。

 味が、前と全然違う!

 サラリーマンの父が素人なりに面倒を見てくれていたが、とうとう木に限界が来たのだ。よくよく見れば、かつて木登りで使っていた大枝はすっかり枯れ果て、実の数も少ない。がっかりする私を見て、しかし父はニヤリと笑い、木の反対側へと私を連れて行った。

思い出の味 第1回 「花の嵐を呼ぶ早弁」 月村了衛さん

「思い出の味」というお題を頂戴して、即座に様々な記憶が呼び覚まされた。いずれも自分にとっては大切な記憶であり、味である。しかし、それらについて記した文章が読者にとって面白いものになるかどうか、今ひとつ確信が持てない。かの池波正太郎なら別であろうが、今さら我が身の非才を嘆いてもしょうがない。

 おそらく最も適切と思われる題材は所謂「おふくろの味」という奴であろう。

 小学校では給食だったが、中学、高校では弁当だった。厳密には高校では学食での食事やパンの購買もあった。弁当はずっと母が作ってくれていた。何しろ母親なので馬鹿息子の好き嫌いは知っている。苦手な食材は入っていないから箸が進む。特にトンカツや豚肉とキクラゲの卵炒め(どちらも夕食の残り物だ)なんかが入っていたりすると嬉しかった。そんなことの有り難さをこの歳になってしみじみと想ったりするわけだが、さて、高校生とはやたらと腹が減るものである。とても昼まで我慢できない。そこで二時間目と三時間目の間に早弁をする。休み時間はたちまち過ぎ、教師が入ってきて授業が始まってしまった。いつもはそこで弁当をしまうのだが、その日はなぜか、黙々と弁当を食べ続けていた。