窪美澄さん『じっと手を見る』

連載回数
第148回
著者名
窪美澄さん
3行アオリ
すべてに満たされて生きている大人なんて、いません。今回の作品も、欠落を抱えている人たちが運んでいく小説です。
著者近影(写真)
kubosan
イントロ

 ベストセラー『ふがいない僕は空を見た』『晴天の迷いクジラ』などで、女性を中心に多くのファンを集めている窪美澄さん。最新作『じっと手を見る』は、地方都市で介護士をしている男女を描いた連作小説です。主人公たちと周辺の人々の恋愛模様や、満たされない心の景色を切り取った、窪さんの人間洞察が冴える群像劇となっています。今回は紀伊國屋書店玉川髙島屋店の上野玲子さんと、青山ブックセンター本店の山下優さんが物語を通して、窪さんご本人の死生観を伺うほか、幅広い談義を交わしました。

手を動かして働いている人をリスペクト

……『じっと手を見る』は、幻冬舎の文芸誌で「官能をテーマに1編書いてほしい」と依頼があり、そこから書き続けていたものを連作の形にまとめました。
介護士の設定は、ライター時代に行った山梨県の介護現場の取材が基になっています。介護福祉士専門学校に通う、当時18歳ぐらいの若い子たちにも話を聞きました。介護士になることについて、彼らなりの思いを聞いていると、ぐっとくるものがあり、いつか小説に書いてみたいと思っていたのです。
介護士の仕事の大変さを訴えたいとか、社会的なメッセージを伝えるつもりはありません。私は『ふがいない僕は空を見た』の助産師のように、手を動かして働いている人をリスペクトしています。介護士のような手で人と関わっている仕事に目が行くし、小説で描きたくなります。いい大学を出て上場企業で、ウェーイ! と活躍しているタイプの若者には、あまり興味がわかないんです。

上野……『じっと手を見る』を読ませていただきました。個人的に、すごく好きな作品です。全編に窪さんらしさが出ていて、ラストは少し光が見える。読後感も素敵でした。
登場人物は主人公の日奈ちゃんと海斗くんほか、大人4人が中心になっています。4人とも、それぞれ頑張っているけれど何だかうまくいかない。その様子が切なくて、胸に迫りました。

……うまくいってる人の明るい話には、私はあまり惹かれないんです。私の小説は、いつも暗いと言われがちですが、根本的に、小説とはそういうものじゃないかという考えがあります。

山下……僕も、面白く読ませていただきました。連作の形で、1編ごとに年月が経ち、4人のそれぞれの視点に入れ替わります。話が変わるたび別の人物に感情移入できて、先に共感できた人の見え方なども変わっていきます。立場が違う人たちの視点が混ざり合い、物語の深みが増している。さすが、窪さんの人間の観察力はすごいです。

……ありがとうございます。

山下……あと、ふだん僕自身が考えているようなことを、文章にしていただいている部分があって、嬉しかったです。

上野……自分が若い頃の自分の恋愛を思い出したりも、しましたね。

……海斗も日奈も最初は20歳ぐらいですが、話が進むにつれて、ちゃんと年を取っていきます。若い時代だけではなく、人の時間が経過していく姿を描きました。

いびつに欠けているからこそ物語になる

きらら……年月が過ぎても海斗くんは、最初の恋人の日奈ちゃんのことが忘れられていません。何か、執着しているようにも見えます。

……彼は、初恋を引きずっているわけではないんです。困っていたり、苦しい状況の人の面倒を見ずにはいられないというか、本質的にケアしたがりな人なのだと思います。その一番の対象が、日奈ちゃんであり続けているのでしょう。一歩間違えるとストーカーになりかねませんが、彼の気持ちは、きっと無垢でしょう。私は若い男の人を書くとき、割とイノセントなものを託してしまいます。

上野……日奈ちゃんが、東京から来たデザイナーの宮澤さんに惹かれるのも、リアルだなと思いました。奥さんがいる彼のどこがいいのかわからないけど、何だかわかる気がします。

……恋愛は、相手の「ここが気になったから」と、明確には説明できないですよね。年上だろうと家族がいようと、好きだから好きになったというだけ。「声がいい」「顔がいい」、そのぐらいでも大きな理由になると思います。
宮澤は、家庭や仕事で、彼なりの欠落を抱えています。でも欠落は日奈にもあるし、海斗もそう。すべてに満たされて生きている大人なんて、いませんよね。どこかいびつに欠けている彼らだからこそ、物語になる。今回の作品も、欠落を抱えている人たちが運んでいく小説です。

いまの地方都市の景色は何年後かの東京

きらら……主人公たちが暮らしている町からは、富士山が見えます。田舎に縛られている人たちの心象や、死が散在する介護現場の風景など、いろんなものを象徴しているようです。

……書いてる側としては、特に意味をこめてはいません。でも取材に行ったとき、介護施設から見えた富士山が、かなり衝撃的だった覚えはあります。なんだか書き割りみたいだったんですね。リアリティーがないというか、景色全体がフィクションのようでした。おそらく山梨県側から眺めたからでしょう。樹海が広がっていて、ねっとりした感じ。空もくすんでいる気がしました。富士山には明るい日本の象徴という一面もありますが、私にはそのそばにある陰が印象的でした。あの記憶は、小説に少なからず影響していると思います。
あと、私は小説に、ランドマークになるようなものを描くことが多いです。例えば前作の『やめるときも、すこやかなるときも』は、松江の宍道湖とか。登場人物の側にある自然や建造物を決めて、ジオラマをつくる感覚で、物語を書いていくタイプかもしれません。
富士山の場合は、「こんなすごい景色が日常になっている彼らは、何を考えて生きているのかな?」と想像します。富士山の見える日常は、海斗と日奈の人生観に、意識せずとも何らかの関わりはあると思います。

きらら……動くことのない富士山が逆に、地方にひっそりと暮らしている若者たちの、何ともいえない閉塞感を印象づけているようでした。でもそれが悪いこととは、描かれていません。

……そうなんですよね。海斗たちの暮らしは、マイルドヤンキーとくくられてしまうかもしれませんが、マイルドヤンキーという表現には東京が上で地方が下という響きを感じるので、違和感があります。華やかな暮らしではないけれど、海斗たちの介護士生活は、都会に劣っていない。逆に、豊かです。それは取材していたときに感じていました。介護士の若い人たちは、自分を不幸だと嘆いていないし、誰かと自分を比較して、苦しんでもいませんでした。彼らなりに、すごく満たされていると感じました。
例えるなら、テラリウム。ガラス容器の中で、苔などの植物や、小動物を育てる装置です。
テラリウムの種類によっては、水もほとんどあげずに自力で緑が生い茂っていきます。閉鎖された空間で、命が生まれて完結していく豊かさは、海斗たちの環境と通じると思いました。マイルドヤンキーの空虚さとは、全然違うものです。そもそも東京と田舎なんて、あんまり景色が変わりませんよね。

上野……大きな国道沿いに、チェーン店の回転寿司屋やユニクロ、ドン・キホーテなど量販店が並んでいる、みたいな景色ですね。

……おっしゃる通りです。いま個性的でおしゃれな都内の街も、そのうちどこも似たようなつくりに整備されていきます。地方都市の景色は、何年後かの東京でしょう。
多くの小説が東京を舞台にしていること、常に小説の舞台は東京だという前提には、異を唱えたい。本作のように、地方都市を舞台にした物語を、意識的に書きたいです。

2018年にこの小説を書けてよかった

きらら……介護士の仕事では、死が当たり前のように現れます。また日奈の住む家が年数を経て傷んでくるなど、物語全体に、寿命を終えていく死が散見されます。

……介護現場の取材で、生命力あふれる若い人たちが、老いて死にゆく人たちの面倒を見ている対比的な光景に、衝撃を受けていました。介護は命の現場であると同時に、死も存在します。やはり今回の小説でも、死のことには触れざるをえませんでした。そこに官能的な性愛描写をからめ、エロスとタナトスを表現しようと試みました。
ちなみにおふたりは、どなたかたを看取られたご経験はありますか?

山下……自分は祖父と祖母を亡くしています。祖母が病院で病死して、追うように祖父が老衰で亡くなりました。ふたりを見送ったときの死の匂いは、強く記憶に残っています。今回の小説を読んでいると、端々で思い出しました。

上野……私も数年前に、会社の先輩が病気で亡くなりました。生前にお見舞いにいったときの独特な空気を、この小説にも感じました。

……辛くはあっても、きっと嫌な記憶ではないのですよね。

上野……はい。悲しかったですけれど、嫌という感じはありませんでした。

山下……僕もです。何十年かしたら、自分もこうなるんだろうなと。俯瞰して、自分の感情を見ているような感じでした。祖父や祖母に、遠い未来の避けられない道を、教えてもらったような気がしています。

……海斗も日奈も、日常的に死を見ています。他の若い人よりも「死んでしまうからこそ、いま」の気持ちは強かったのかもしれません。日奈が恋愛で、揺れ動いてしまうのは、介護士の仕事をしていたせいもあるでしょう。富士山と死を、毎日のように見つめていた彼女たちには、普通とは違う世の中が見えていたはずです。
本作では、海斗と日奈たちでなければ見えなかった、特別な何かを描き出せました。
そして「2018年に、この話を書き留めたい」という望みがありました。時代を切り取ってやろう! というポリシーはないですけど、地方都市で働く若者たちの思考や生き方を可視化するというのは、小説の役割ではないかと思ったのです。恋愛小説の形をとっていますが、「これを読むと、なんとなく2018年の日本だな」と感じ取ってもらえたら嬉しいです。

(構成/浅野智哉 撮影/浅野 剛)
著者サイン画像
kubosan
窪美澄(くぼ・みすみ)
著者プロフィール

1965年東京都生まれ。2009年『ミクマリ』で、女による女のためのR‐18文学賞大賞を受賞。受賞作を収録した『ふがいない僕は空を見た』で2011年に山本周五郎賞を受賞。2012年には『晴天の迷いクジラ』が山田風太郎賞を受賞。その他の著作に『クラウドクラスターを愛する方法』『アニバーサリー』『よるのふくらみ』『すみなれたからだで』『やめるときも、すこやかなるときも』ほか。

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