インタビュー 池上永一さん 『ヒストリア』

第111回
池上永一さん
ヒストリア
歴史には語られるものと黙殺されるものがある。
ボリビア移民はまさに黙殺されてきた歴史なんです。
池上永一さん

戦後まもなくボリビアに逃れた女性が、持ち前の商才と大胆さによって、波乱万丈の人生を乗り越えていく。池上永一さんの新作『ヒストリア』は主人公のたくましさがなんとも痛快な大作だ。構想20年の背景には何があったのか。

知らなかったボリビア移民の歴史

 

 池上永一さんといえばさまざまなエンターテインメント作品を発表するなかで、石垣島を舞台にしたマジックリアリズム的小説『風車祭(カジマヤー)』や、琉球王朝時代に男性になりすまして行政官となった少女が活躍する『テンペスト』など、出身地である沖縄を題材にした小説でもよく知られている。最新作『ヒストリア』も沖縄の女性が主人公。だが、本作のメイン舞台となるのは、南米のボリビアだ。

「20年前、27歳の頃、石垣島にいた時にNHKの番組が目に留まったんです。小学生たちがサンシンを弾いて元気いっぱいに話している。離島の短信かなと思ったんですが、それにしては海が映らない。しかも違和感があったのは、彼らがみんな、僕の曾祖母世代が使っていた首里方言を完璧に話していること。僕ですら声調が難しくて発音できないのに。あれっと思ったら“以上、ボリビアからでした”と言って番組が終わったんです。沖縄からボリビアに移民として渡った人たちがいるんだと思い、周囲の大人に訊いてみたらいい反応をされない。“やめとけ”とすら言われました。その時に、これは絶対に書く、と決めたんです」

 沖縄の歴史、民族史、生活史などに詳しい池上さんですら知らなかったボリビア移民。

「調べていくうちに、沖縄戦の後、米軍基地の建設のために土地が必要になった琉球政府が、地元民のボリビア移住政策を進めたと分かりました。しかも向こうで与えられたのはひどい土地だった。彼らはいわば見放されたんです。それが後ろめたいから、大人たちは下の世代に対して、移民については巧みに隠してきた。歴史には語られるものと黙殺されるものがある。沖縄戦が近代史という正史の中で語られてきたものである一方、ボリビア移民はまさに黙殺されてきた歴史なんです」

 沖縄戦で家族を喪い、マブイ(魂)も落とした知花煉が、気の強さと聡明さで戦後の混乱のなか商売で成功を収めるが予期せぬ出来事で追われる身となり、ボリビアへ逃亡。混沌とした国家の未開拓の地で、次々に試練にさらされる煉の冒険に満ちた人生を描くこの大作。書くと決意してすぐに取り掛かれたわけではなかった。

「当時出版社の人たちに“ボリビアについて書きたい”と言っても“まあ、そのうちね”と取り合ってもらえなかった。それにテーマが大きすぎるし、もっと自分の身体の中に情報を深く取り込んで、自由自在に書けるまでに消化しなければ書けない。それには時間がかかるだろうから、このテーマは自分の人生の“ラスボス”として、晩年に書こうと思っていました」

 だが、2014年、思いもよらない出会いがあった。

「家の近所のクリーニング店で新規登録するために本名を書いていたら、“沖縄の人ですね”と店の女性に声をかけられて。ネームプレートに“新垣”とある。新垣も沖縄に多い苗字なので“あなたも沖縄ですか?”と聞いたらボリビアだと言うんです。“コロニア・オキナワ?”と聞いたら“トレス”って。ボリビアの第三移住地出身の人だったんですよ。時間が止まったかと思うほど衝撃を受けました。それで、取材させてほしいとお願いしました」

 まるで運命のよう。

「僕も運命かと思ったけれど、受け身の考え方は好きじゃないんです(笑)。自分の選択によってこれを運命にする、と思いました」

 聞けばかの地の日系人は日本とボリビアの二重国籍を持つため、日本に“デカセギ”に来る人は多いという。また、他国への移民の多くが日本語を捨てスペイン語を第一言語とした一方、ボリビアへの移民たちは第一言語を日本語とし、スペイン語は中学卒業後に習っていたため、

「彼女はスペイン語が苦手だったそうです。それでバブル期に“デカセギ”で日本に来たら、街の表示も周囲が話している言葉も全部自分が知っている日本語であることに感激したそうです。それで居心地がよくなって、こちらに定住したというんです」

 もちろん彼女に取材しただけで小説が書けるわけではない。「これを運命にする」ために、2015年5月、1週間のボリビア取材を敢行。

「ただ漫然と観光旅行をしても仕方ない。どんなフィルターで何を見るかを確定していないと見えてこないものはある。それで、まずガイドに日系一世の人たちを紹介してもらいました。でも彼らはもう晩年に入って、自分の人生を意義のあるものだと整理しはじめていて、“辛い思い出も含めて人生さ”と語る。僕が書きたいのはそのフィルターではないなと思った。それで二世を紹介してもらったら、彼らにはルサンチマンがある。親が途上国に移民なんかしなければ自分たちは今頃日本で豊かな暮らしを送っていたはずなのに、という。次に三世に会ったら、ボリビアのことも日本のことも、めちゃくちゃ愛しているんですよ。中立なんです。ボリビア製品の粗悪さをネタにして笑ったりしているのを見て、あ、この子たちの目を通したものこそ僕が書きたかったものだな、って」

 明るくて優しくて前向きで、でもちょっとルーズで駄目な部分もある第三世代。それはまさに作中に登場する、煉と親しくなる日系人の兄弟、カルロスとセーザルの姿と重なる。

「そう、カルロス・イノウエたちは実在しますよ。本名もそのままです。帰国後もずっとLINEでやりとりしています。小説に君たちを登場させてもいいかと訊いたら“デビューだ!”と言って喜んでいました(笑)。実際のカルロスたちが見ている風景と、小説内の彼らがいる風景を一致させるように書けば間違いなかった。でも“こんなふうに書いて”と頼まれるのは嫌だったので、煉にはじめて会った時に最初に発するスペイン語だけは好きな台詞を言っていいよと伝え、戻って来た言葉をそのまま作中に使いました。作中の兄弟は彼らがモデルというわけではないけれど、カルロスとセーザルは煉を助けるだけでなく、書き手の僕をリアルに助けてくれた存在でした」

 それにしても、街や人々の描写や風俗、料理など多岐にわたる生き生きとした描写を読むと、とても1週間で吸収したとは思えない。

「いえ、自分のリミットを外して1回見聞きしたものは絶対忘れないくらいの状態にしておくのは、情報が過剰すぎて、1週間が限度」

 

タフでビッチで、魅力的なヒロイン

 

 帰国後、満を持して執筆に取り掛かった。主人公を女性にしたのは、ある思いがある。

「たとえばひめゆりの塔の話は、うら若き乙女たちが散っていく悲劇として語られますが、戦争の犠牲者は無垢で善良で純粋な人だけだとは限りません。だから主人公の女性はビッチでがーじゅー(沖縄の言葉で“我が強い”といった意味)で、半分野蛮人のような人物にしようと思って。とてもお洒落で洋服を自分で作る子にしたのは、“戦争できれいなものが着られなくて……”と嘆くのではなく、“だったら自分で作る”という子にしたかったから。成功もするけれど、次から次へと痛い目に遭うし傷つきもする。煉は負けが多い。それでも立ち上がる。人間味があって僕はとても好きです」

 書き始めてしばらくした頃、休憩して再び原稿に取り掛かった時、はっとしたことがあった。

「一人称で書いていることに気づいたんです。もともと自分は三人称多視点が得意だと思っていたのに、無意識のうちに、挑戦したことのない文体で書いていた。今なら最初から書き直せると思ったけれど、でもどうしても、知花煉の声が好きでした。一人称だとどの場面にも煉を登場させないといけないから本当は三人称多視点のほうが楽ですが、このまま書き進めることにしました。それで考えたのが、煉がマブイを落としてふたつに分裂する、ということ」

 マブイとは魂のことで、沖縄では衝撃的なことが起きるとマブイを落とす、と言われている。知花煉は沖縄戦の時の衝撃でマブイを落としたうえ、しかもそのマブイがボリビアまで飛ばされていた。つまり肉体を持つ知花煉がボリビアに渡ったのは、すでにその地に飛んでいたマブイに導かれたという面もあったのだ。そして肉体を持つ煉とマブイになったもう一方の煉が身体を奪い合うことに……。

 やがて煉の片割れは意外な人物と出会い、恋に落ちる。それが革命家、チェ・ゲバラだ。

「チェ・ゲバラについては書こうと決めていました。出せばこの人のスター性、ヒーロー性にすべて持っていかれると予想もついていましたが、主人公をゲバラに捨てられる女として書くのは嫌だった。ゲバラをキリキリ舞いさせるくらいのタフな女にしたかった。女性版『007』くらいにタフで、ボンドガールくらい魅力的な女性にしようと思ったことも、煉がああいう性格であること、一人二役であることに繋がったのかもしれません」

 読み進めていくうちに、意外とゲバラのスター性が弱いと感じずにはいられないが、

「取材旅行でずい分印象が変わったんです。行くまではゲバラを持ち上げる気満々でしたが、現地であちこち行くたびに、がっかりさせられるんですよ。半日かけて遠出した博物館でも、日本でも見られる資料の孫引きのような写真や情報しかない。しかも旧石器時代のやじりと並べて陳列されていて、大事にされていない。館の芳名帳を見たら、みんなアメリカ人やヨーロッパ人ら観光客。ボリビア人がいないんです。この国の人は誰もゲバラを愛してないじゃん、って。それで結局残念なゲバラ像を書くことになりました。確かにゲバラってボリビア人のために赤化革命を起こそうとしたわけでなく、手っ取り早く政権を倒せそうな国としてボリビアを選んだ節があるんですよね。本を読んでも、カストロなんかはキューバ国民の命を背負って、各論をきっちり押さえて論じているのに対し、ゲバラって総論ばかり。だから人々の心に響いてない」

 実はキューバ危機の裏にも煉の存在が? という裏歴史が明かされるなどダイナミックな展開の末、煉がたどり着くのは……。

「僕は沖縄の復帰世代ですが、年上の当事者たちが沖縄戦を悲惨なものとして語るのを聞く時、“あなたたちにはこの苦しみが分からない”と言われたら何も言えないという、腰がひける思いがあったんです。僕が沖縄を書く時、そうした体験者の話を受け売りで書くわけにもいかなかった。ボリビアという一軸を足せば、自己検証も可能なエンタメが書けると同時に、100%被害者の立場から語られるのではない、忘れ去られようとしていた歴史が書けると思いました。だからこそ、最後は見放された移民が、もう一度沖縄を見て、自分たちが何をどう感じるかを書きたかった」

 そう、最後に再び物語に沖縄が現れ、煉は自分の居場所を知る。そこには、著者自身の、沖縄への思いも詰まっているのだ。

池上永一(いけがみ・えいいち)

1970年、沖縄県那覇市生まれ、のち石垣島へ。94年、早稲田大学在学中に「バガージマヌパナス」で第6回日本ファンタジーノベル大賞受賞。98年、『風車祭(カジマヤー)』が注目され、沖縄の伝承と現代社会を融和させた独特の世界を確立。2008年刊行の『テンペスト』はベストセラーとなり、2011年の舞台化をはじめ、連続テレビドラマ、映画にもなった。他の著書に『夏化粧』『ぼくのキャノン』『シャングリ・ラ』『レキオス』『やどかりとペットボトル』『統ばる島』『トロイメライ』『トロイメライ 唄う都は雨のち晴れ』『黙示録』などがある。

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