朝井まかてさん 『雲上雲下』

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何を信じて生きるか

著者近影(写真)
asaisan

イントロ

樋口一葉の歌の師として知られる中島歌子の苛烈な生涯を描いた『恋歌』で朝井まかては第一五〇回直木賞を受賞し歴史・時代小説家として確かな礎を築いた。最新長編『雲上雲下』は、最大のトライアルとなった一作だ。民話を題材にした和風ファンタジーという印象が、終盤でがらっと変貌を遂げる。

 本作は二〇一六年四月から一年間、「日本農業新聞」で連載された。新聞社からの依頼内容は、今まで経験したことがない種類のものだったと言う。

「専門紙なので、読者は農業に従事してらっしゃる方が多いです。農業は大変な仕事ですから、朝からきつい物語を読むのはしんどい。NHKの朝ドラのような明るいテイストのものを、というご希望をいただきました。でも、私は作品のテイストを先に決めて書くことができないんですよ。テーマすらも、書きながら見出していくことがほとんどなんです」

 だが、一番最初に届けるべき読者の顔をくっきりと思い描けたことが、進むべき道を照らし出すことに繋がった。

「土に近いものを書いてみよう、と思いました。その流れから、いろいろな土地の風景や方言、土地に根付いている民話を盛り込んだものを書いてみたくなったんです。編集者さんと一緒に日本各地を回り、民話を"体の中に入れて"おられるお年寄りの方々からお話を伺いました。でも、実は民話って先人が尽力したおかげでほとんど文字化されて後世まで残っています。だから、私が魅了されたのは語り部さんの話術の方でした。その語りを小説にも反映できたらなと思いましたし、旅の道中で見つけた、湖に突き出している桜の一本道の風景だとか、田んぼのはしっこにある小さなお地蔵さんなどからも、お話の種をたくさんもらいました」

 物語は、ある春の日、深い山中にぽっかりと開いた草原で、草丈二丈(約六メートル)を超える名も無き草が思慮をこねているシーンから始まる。 〈わしは、枯れることのできぬ草である。(中略)幾千もの葉は常世の緑を保ちながら花を咲かせず、種を吐かず、実もつけぬ。/ゆえに誰も、有難がらぬ〉。すると、どこからか尻尾のちぎれた子狐がやって来て、「草どん」と声をかけてきた。「遊んでおくれ」。夜になってもやかましい子狐にお話をせがまれた「草どん」は、「とんと昔の、さる昔」と口にすると、なぜだか続きがスラスラと出てくる。それは、誰もが知るおとぎ話「おむすびころりん」と似ているけれど、ちょっと違う物語で──。第一章は、この草どんを語り部に、子狐とのちに登場する山姥を聞き手に据え、さまざまなアレンジを施した民話やおとぎ話が現れていく構成だ。

リアリティよりも民話のドライブ感

「普段、歴史・時代小説を書いている時は、フィクションを支えるのはリアリティだという意識があるんです。細かなところまで史実のチェックが必要で、登場人物達の言動も嘘くさくはないかと神経を張り巡らせている。でも、"団子を追いかけて穴の中に吸い込まれたら、喋るお地蔵さんがいた""嫁が田螺を産んだ"という発端の理由を説明するのは、むしろ物語の邪魔になるんですよ。リアリティをどんどんすっ飛ばしていくことで出てくる物語のドライブ感が、書いていてとても気持ちよかったです」

 とはいえ「浦島太郎」とその他いくつかの民話を組み合わせてリメイクした一篇では、〈ひとたび亀の甲羅の上にまたがれば、その者は溺れることも息が苦しくなることもない。亀甲にその力が宿っているらしい〉と、舞台装置を成立させるための説明が付加されている。

「乙姫が病気になって、それで病気に効くとされている猿の活き肝を手に入れるために、地上の猿を騙して龍宮城に連れて来るのが原話です。でも、その思惑が猿にうっかりバレてしまったところで、"活き肝を木の枝に干し忘れてきたんで、取りに戻ってくるわ"と、まんまと逃げられてしまう。小説の場合、"いやいや、その頓智には騙されないでしょ!"となるじゃないですか」

 そこで猿を逃がすことなく、別のユニークな展開を考えた。

「ところどころで、リアリティを求めたがる私の癖が出ています(笑)」

 竜宮内の政争に巻き込まれた亀、という設定も現代的で面白い。ミステリーとしての仕掛けや演出も、決まっている。

「この作品を書き始めた頃は"原話をいかに残すか"という意識が強くて、つまり長い時をかけて日本人が語り継いできたものを壊してはいけない、と。でもある時、"私は小説家なんだから、小説を書けばいいんだ!"と腹が据わって、自由に想像を膨らませて書くようになった。するとその頃から、新聞読者の皆さんの反響も大きくなっていったんです」

 第二章では、母を探して旅する少年・小太郎がフィーチャーされている。元になった民話は、長野県に伝わる民話「小泉小太郎伝説」だ。テレビアニメ『まんが日本昔ばなし』のオープニングで、龍に乗る「坊や」のモデルでもある。

「もともとこの民話は農耕文化以降に語られるようになったものなので、農業にまつわるエピソードが数多く出てきます。この作品で絶対採り上げたかった民話のひとつなんですが、今回一番苦しんだ話でもあるんです。というのも農耕って、自然の側に立って見てみると自然破壊なんですよね。今、そのテーマを無視して書くことはできないなと思いました。そして自然災害についても、避けては通れませんでした。その苦しみ、悲しみを乗り越えるために日本人が紡いできた民話があるわけですから。小太郎は、人間の父親と龍の母親との間に生まれた、いわば人間と自然の"ハーフ"です。そんな彼の視点だからこそ、人間と自然のせめぎ合い、共存についてアプローチすることができました。批判だけではなく、少しでも未来につながる何かを、ほぼ丸一章使って考え続けたような気がします」

世の中は不条理であり残酷なことも存在する

 再び草どんを語り部に据えた最終第三章では、個々の物語が意外なかたちで集結し、大きな物語へと変貌を遂げる。きっかけとなったのは、草どんに対する作家の疑問だったという。

「草どんは何者なのか、私自身も分からずに書き始めたんです。もっと言うと、子狐が何者で、どうして山姥や小太郎までもが草どんの前に現れるのか、書いている自分にとっても謎でした(笑)」

 そこを探っていくうちに、「物語(る)とは何か?」というテーマが立ち上がってきたのだ。

「語り部さん達がおっしゃっていて印象的だったのは、幼稚園や小学校で民話を語ってくださいという依頼が来るとき、先生方や保護者から"残酷な表現、汚い表現はやめてください"と言われること。でも、そこも剥き出しになっているところが民話の素晴らしさじゃないですか。世の中は不条理であり、残酷なことも存在する、と伝えるのが民話や昔話、物語の持つ重要な役割ですよね」

私たちは何を信じて生きているんだろう

 誰も見ていないからといって悪いことをしてはいけない、お天道様が空から見ているよ。お米の一粒一粒には神様が宿っているんだよ、だから最後の一粒まで美味しくいただかなくちゃ。論理では決して証明できない先人達の教えを、少しも信じることができない世の中は、息苦しく狭量なものとなるだろう。

「単行本のための原稿直しをしながらふと"私たちは何を信じて生きているんだろう?"という問いかけをこの小説でしたかったのかな、と気付いた瞬間がありました」

 もしかしたら今、信じるものの範囲がとても狭くなっているのかもしれない。そう危機感を覚えたという。

「私は、フィクションや想像の力を信じたい。小説家ですから」

 朝井は今年の一〇月で、デビューから丸一〇年を迎える。

「もともと植物が好きで、江戸の園芸に興味を惹かれて書いた初めての小説で賞を頂き、作家デビューしました。『雲上雲下』で再び自然の中に分け入ったわけですが、見た風景はやはり全然違っていて、本作では"自然"そのものの意志を強く感じていました。それは民話を扱ったことの作用だし、草どんという物語の大先輩が"ここからがお前の新しい出発だ"と、背中を押してくれたおかげもあるでしょうね。いえ、本気でそう思っているんです(笑)」

著者名(読みがな付き)
朝井まかて(あさい・まかて)

著者プロフィール

1959年大阪府生まれ。甲南女子大学文学部卒業。2008年、第三回小説現代長編新人賞奨励賞を受賞し『実さえ花さえ』でデビュー。『恋歌』で第一五〇回直木賞を受賞。他にも数々の文学賞を受賞している。著書に『先生のお庭番』『落陽』『福袋』など。

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