ロスねこ日記 ◈ 北大路公子

第3回 種です(前篇)

○十月二十一日

 昨日、初雪が降ったという噂を耳にしたが、もちろん私は認めていない。あれはまだ霙である。そしてこの「ロスねこ日記」は前回、十月二十五日に二度目の椎茸の収穫をしたところで終わっていて、実は日付が戻っているのだが、それについても気にしていない。物事の細部に囚われ過ぎると、大局を見失うことになるからである。

 また、この連載についても、「猫を飼う代わりに植物を育てるといっておきながら、最初が椎茸とはどういうことだ。あれは菌類ではないか」との声も聞こえてくるが、だからそういうことばかり気にしては出世しないよ、という話である。

 私を見なさい。私はNHKの朝ドラで、ヒロインが掛け布団を踏んで歩くのはけしからんとか、明治生まれの人が現代的な言葉を駆使しているとか、昭和四十年代の病院がバリアフリーだとか、細かいことに異様にこだわるため「テレビ小姑」と呼ばれているが、案の定まったく出世していない。本当につらいことだ。

 そんなわけで初雪ではないものが降ったこともあり、ここからは気温も気分も下がるばかりである。唯一、威勢がいいのが椎茸の「けめたけ」で、今のところ二度目の発育が順調だ。三度目はあまり生えてこないと説明書にはあったので、おそらく今回が収穫のピークなのだろうと思う。

 一方、まいたけの「きせのさこ」は、来年の九月までじっとプランターの土の中である。きせのさこは本当におとなしい。ここだけの話だが、あまりにおとなし過ぎて、最近水やりが億劫になってきている。設置場所が屋外なうえに、見た目が単なる土だからだ。「飼い猫が死んだことによって心にぽっかり空いた猫穴をほかの生き物で埋める」との初心に返り、水をやりながら、

「大きくなってくだちゃいねー」

 と気持ちを盛り上げようとしても、茶色い土の表面がただしんみりと湿っていくだけ。きせのさこが中で眠っているという実感がなかなか湧かず、張り合いというものがないのだ。やはり猫はじゃれてこそである。

 しかも、このきせのさこ、冬の北海道でも外で越冬させてかまわないというが、どうにも信じきれないものがある。そもそも雨のあたらない屋外に置いて、でも遮光ネットの下の土はいつも湿らせておいて、などということが可能とは思えない。だって雪積もるでしょ? あと私が面倒くさがるでしょ? っつう話だ。どうしてくれるんだ。

 

 

 ……寒さで気分がやさぐれ始めている。それを察したかのように、K嬢から新しい栽培キットが届いた。今回はなんと「スプラウト」である。何だろう、スプラウト。よく知らないが、草っぽいものであるのは間違いない。ついに本物の植物がやってきたのだ。

 緑は人を癒やすという。確かになんとなくではあるが気分が明るくなり、開封の儀も若干テンション高く執り行われた。

「こんにちはー! 今度はどんなめんこちゃんかなー」

「種です」

 まあ、種である。

 袋分けされた種が六種類、専用の栽培容器とともに入っていた。

 

 かいわれブロッコリー

 マスタード(からし菜)

 豆苗 白ごま(セサミ)

 大豆もやし(姫大豆)

 そばの芽

 

 種であるからビジュアル的には、けめたけやきせのさこの時のような衝撃はない。というか、実際は袋に入っているため、この段階では素顔を見ることができない。そこで一つ一つ袋を開け、改めて覗いてみることにする。

「こんにちはー! どんなお顔かなー」

「種です」

 だから、種だ。

 似たような姿形の種が六種類、それぞれの袋に詰められていた。が、私に理解できるのはそこまでである。色や形の違いはあるものの、正直、誰が誰だか区別がつかない。たとえばテーブルの上にすべてが混ざり合って置かれていた場合、駆け寄っていって、

「マスタード! こんなところにいたのか! 捜したんだぞ!」

「そばの芽ったら! どこに行ってたの? 電話の一本くらい寄越しなさい。心配するじゃないの」

 などとは決してならないのである。

 もちろん、種には種なりの違いというものがあるだろう。昔、飼っていた猫には一緒に生まれた兄弟姉妹がたくさんいて、その子猫たちが毛糸玉のように重なり合ってみゃあみゃあ鳴いている中から、妹が一匹選んで貰い受けてきたのだが、「あんなにたくさんいる中で、間違いなくうちの猫が一番めんこかった。眩しいくらい光り輝いていた」と言っており、私もそれはそうであろうと納得しているので、種に関しても、そういった個性のようなものがあるはずだとは思う。しかし素人の悲しさか、どれもが同じように見えてしまうのだ。仕方がないとはいえ、これでは育ての親としての示しがつかないではないか。

 そこで、とりあえず成長後の姿で区別をつけることにした。それぞれの袋には一人前になった大人の姿が印刷されているので、それを見て個性を把握するのだ。六枚の袋をカードのように並べてじっくりと見比べる。

 うむ、主にかいわれ。

 どこからどう見ても、ほぼかいわれである。正確には、白ごまと大豆もやしだけが多少ビジュアルを異にするが、それでもスプラウトとして流れる血は同じである。ましてや残りの四つ(かいわれブロッコリー、マスタード、豆苗、そばの 芽)は、ほぼ同じであるといっていいだろう。

 我が家に六つ子が来てしまった。

 そう覚悟するしかないことがわかった。突然の子沢山である。何の心の準備も出来ていないうえに、頼るべき夫もいない身の上で、いきなり六つ子の母となってしまった。一瞬、不安がよぎるが、しかしうろたえている暇はない。私が子供たちを育てていかねばならないのだ。そう、この女の細腕で。というか、先日、母親から「どうしたの? 腕、腫れてるんじゃない?」と真顔で心配されたほどの太腕で。

 

(つづく)

 

(「STORY BOX」2018年3月号掲載)