▽▷△超短編!大どんでん返し▼▶︎▲ 蘇部健一「トカレフとスタンウェイとダルエスサラーム」

第2回
蘇部健一
「トカレフとスタンウェイとダルエスサラーム」

 長年勤めていたクラブでのピアノ弾きの仕事を失った。オーナーの話によると、今月で店を閉めるのだという。

 それを聞いても、麻倉純也は不思議とショックを受けなかった。少し前から、夢をあきらめるには、そろそろ潮時だと思っていたからかもしれない。

 夢に破れたといっても、そう悪いことばかりだったわけでもない。純也は、カシューナッツをロックのウィスキーで喉に流し込みながら、自分の半生をふり返った。

 音大を出て、仲間たちとジャズバンドを結成。しばらくは、バイトをしながら、メジャー・デビューを夢見ていたが、五年もしないうちに解散。その後、たまにありつけるピアノの仕事とバイトをかけもちしながら、十年近い月日が流れた。

 転機が訪れたのは、三十五歳のときだった。これを最後に、夢をきっぱりあきらめ、まともな仕事につこうと、それまで書き溜めていた曲のデモテープを、七つのレコード会社に送ったのだ。

 すると、そのうちの一社から、CDを出さないかと返答があった。レコーディングには、一流のジャズミュージシャンが集められ、彼にはスタンウェイのピアノが用意された。

 完成したアルバムは評判も上々で、純也は天にも昇る気持ちだった。しかし、これでようやく音楽で飯が食えると思ったのは、大きなまちがいだった。新人のジャズ・アルバムがそう簡単に売れるわけもなく、彼はすぐに業界から忘れられた存在となった。

 あとはまた酔って夢を見るだけのダラダラとした生活がつづき、ついに二十年という長い月日が流れた。

 いまにして思えば、あのとき、レコーディングの話などなければ、まともな仕事につき、いまとはまったくちがう生活を送っていたかもしれない。しかし、生涯で唯一作ったアルバムはとても気に入っていたし、いまさら過ぎてしまったことを言ってもしかたがない。

 純也は、カシューナッツを食べ終えると、きのう手に入れた拳銃を手元に引き寄せた。

 一昨日の晩、新宿のゴールデン街で飲んでいると、隣の席に明らかにカタギではない男が坐ったので、酔いも手伝い、彼は男に声をかけた。

「拳銃を手に入れる方法をしらないか?」

 すると男は、表情を変えずに言った。

「あすの晩、十万用意して、またここに来い」

 翌日、純也は、十二万円しかない預金を全額おろし、ふたたび店へと向かった。預金など、どうせ残しておいたところで、もう何の役にも立たない。

 テーブルの下で、ハンカチにくるんだ銃を純也に渡すと、男は声を潜めて言った。

「弾は八発全部入ってる。トカレフだから、安全装置はない。つまり、引き金を引きさえすれば、あんたが殺したい相手は楽にあの世へ行けるってわけさ」

 

 

「ありがたい……」

 純也はそうつぶやくと、拳銃を取り上げ、右のこめかみにあてた。

 酔生夢死。

 ただ夢を見ているだけの、いい人生だった。

 彼はためらわずに引き金を引いた。

 

 

 タンザニアのダルエスサラームのバーで、ラリー・モスは甘ったるいカクテルを飲んでいた。

 去年プロデュースしたアルバムが初めてグラミー賞にノミネートされた。惜しくも受賞は逃したが、アフリカ旅行は自分へのご褒美だった。べつに、黒人としての自分のルーツをさぐりたかったわけではない。ただ、大地を駆け回る野生の動物が見たかっただけだ。

 先ほどから、店内には、心地のいいジャズが流れている。しかし、彼がいつも聴くジャズとはちがい、とても洗練されていて、それにおそろしくメロディが美しい。

 彼は、カウンターの向こうでグラスを磨いている小太りの男に声をかけた。

「英語は?」

「ちょっとなら」

「この曲は?」

「日本のジャスさ。お気に入りでね」

「日本の? なんで日本のCDがここに?」

「こう見えても、二十年前、日本にマラソン留学しててね。そのときのみやげさ」

「このCD、売ってくれないか? 金はいくらでも出す」

 すると店主は、ニコッと白い歯を見せた。

「いいとも。コピーはとってあるから」

 

 

 新大久保の韓国人が経営する焼き肉屋で、頬に傷のある坊主頭の若い男が、特上カルビを裏返しながら、向かいの男に笑顔で言った。
 

「それにしても、兄貴もワルだなあ。弾の出ない銃を、十万で売りつけるなんて」

 

 

蘇部健一(そぶ・けんいち)

一九六一年東京生まれ。早稲田大学教育学部英語英文学科卒業。九七年『六枚のとんかつ』で第三回メフィスト賞を受賞しデビュー。著書に『木乃伊男』『届かぬ想い』『赤い糸』『運命しか信じない!』など。一般読者からタイトルを募集して話題となった最新作『小説X あなたをずっと、さがしてた』が好評発売中。