ロスねこ日記 ◈ 北大路公子

第4回 母の心(前篇)

○十月二十二日

 いつもどおり起床。六つ子スプラウトの母になって初めての朝である。昨夜、台所のシンク下で一人で寝かせた長男「われ松(かいわれブロッコリー)」の種が、夜中に寂しくなって部屋を訪ねてくるかと覚悟していたが、そういうことはなかった。やはり猫とは違う。

 昔飼っていた猫は、初めて会った日の夜、私の部屋へやって来て、ぐっすり眠る私の布団にぽとりと横たわったものである。

 初対面で! ひとの! 布団に! ぽとりと! 横たわる!

 字面だけでもこれだけかわいらしいのだから、実際のかわいらしさは想像を絶するほどであったはずだ。残念なことに私は眠っていたため目撃できなかったが、もしテレビ中継されていたら視聴率が五千%くらいあっただろうと考えられる。ただ、そうなった場合、猫がいるとは知らずに寝返りを打った私が、猫を一瞬下敷きにしてしまったところまで放送され、今ならあっという間にネットで炎上するであろう。

 本当に、あれは今思い出しても不幸な出来事であった。むにゅ、という慣れない感触に目を覚ました私は、すぐに事態を把握して飛び起き、そのまま土下座をして謝ったが、猫は天使のような真顔で、

「にゃ!」

 と一言告げ、部屋を出て行ってしまったのである。その「にゃ!」が、「覚えとけ! 金輪際お前とは一緒に寝てやらにゃいぞ!」「お母さんや小さい姉ちゃん(妹)とは寝てやるぞ!」「でもお父さんとは絶対寝ないし、部屋にはおしっこするぞ!」の意味だったことを、その後、十数年かけて私は理解することとなる。まったくもって猫の記憶力は素晴らしく、そして父は一体何をやらかしたのか。

 そんな過去を持つ私であるから、われ松を受け入れる心づもりは出来ていた。種として蒔かれた初めての夜、真っ暗なシンク下で一夜を明かすのはさぞかし心細かろう。人恋しくなってシンク下を抜け出し、私の部屋の戸を叩いたとしても無理はない。その時は、今夜だけと言い聞かせて泊めてあげようと決めていた。私は中村玉緒にはなれないのだ。

 なぜ突然の中村玉緒かというと、昭和のドラマ『あかんたれ』である。『あかんたれ』では、主人公の秀松が、奉公先の呉服問屋の成田屋でひどいいじめを受ける。まだ幼い秀松は母を恋しがり、ある日、町でばったり会った母親に「帰りたい」と縋りつくのだ。しかし、母親は息子を突き放す。心を鬼にして奉公先へ戻るように諭すのだ。その母親が中村玉緒である。

 それを見ながら、「いくら複雑な事情があるとはいえ、あれはいささかかわいそうだ」と、私は思っていたのである。複雑な事情とは、中村玉緒が呉服問屋の死んだ主人のかつての許嫁で、さらに秀松はその主人との間に生まれた息子だということである。つまり秀松は本妻や腹違いの兄姉のいる店で丁稚働きをさせられ、「てかけの子」として店中から非常につらく当たられ……いや、『あかんたれ』の話はもういいか。

 とにかく私が中村玉緒と同じ立場だったら、秀松を奉公先に帰すなどとてもできそうになかった。もういっそ引き取ってしまえばいいではないかと、ずっと思っていた。そもそも秀松は、本妻の長男である安造より明らかに出来がいいのだ。成田屋なんて放っておいても、いずれ安造が潰す。秀松は秀松でさっさと新たな商売でも始めればよかったのだ。

 まことに理不尽というか、秀松が気の毒というか、『あかんたれ』の話はもういいというか、とにかく私は中村玉緒にはなれないので、われ松が望むなら甘やかしてやろうと決意していたのである。

 しかし、親の心子知らず。結局、われ松が夜中に訪ねて来ることはなかった。ここまで延々書いてきて今さら何をと思うだろうが、まあ、そりゃそうであろうとは思う。来るはずがない。

 こちらから台所へ行き、シンク下をそっと覗いてみる。すると、いくつかの種からは早くも白い髭のような芽がちょろりと生え始めていた。われ松の本体であろう。昨日、私がテーブルに容器ごとぶつけたせいで、「種が重ならないように」「まんべんなく蒔く」との注意を結果的に無視する形になったのだが、そんなことは関係ないようだ。なんというたくましい子であろうか。

 容器の水を取り替え、さらに霧吹きで上からも掛けた。そして再び暗所であるシンク下の物入れへ。暗く寒いところへ一人置き去りにするのはかわいそうだが、これも成長に必要なことなのだから仕方がない。

「われ松よ、親を恨んでくれるな。いつかきっとわかる日が来る」

 切ない気持ちで物入れの扉を閉めながら、ふと中村玉緒もこんな思いを抱いていたのかもしれないと考える。今の鬼のような仕打ちがいつかはきっと我が子のためになる。そう信じての鬼である。わかる、わかるよ玉緒。まあ実際には最終回まで見ても、成田屋なんてとっとと見捨てて別の人生を歩んでいた方が、秀松の将来のためであったとしか思えないが、そういう問題ではないのだ。初めて中村玉緒とわかりあえた。しかし別段嬉しくはない。

 ちなみに『あかんたれ』の秀松は「松」がついているけれども、六つ子ではないので注意が必要である。

 

○十月二十三日

 部屋の中がキノコ臭い。気のせいではない。椎茸の「けめたけ」が二度目の収穫期を迎えて、大豊作の気配を見せているのだ。大きく育った傘が、椎茸の素を中心にぎゅうぎゅうに重なり合っている。圧巻である。あまりにキノコの存在感が強く、部屋の中に胞子が舞うのが見える気さえする。いや、実際舞っているのだろう。条件が揃えば、来年あたり椎茸が自然発生するかもしれない。いろいろ調べてみたところ、

 広葉樹の倒木があり、
 直射日光が当たらず、
 かといって完全な日陰ではなく、
 風通しがよくて、
 気温は十度~二十度、
 日に一度は雨が降る。

 という部屋ならば、椎茸の自然発生も不可能ではないかもしれないことがわかった。今現在、倒木はなく雨も降らないが、現代社会の急激な環境変化がいつ私の部屋にまで及んでくるかわからない。心の準備だけは怠らないようにしたい。そういえば学生時代、友人宅というか下宿の台所の壁からキノコが生えていて、「皆で観賞用に栽培している」と言い張っていたが、あれ、壁の中が黴びていたんじゃないだろうか。

 われ松は今日も元気である。昨日は髭のようだった芽から薄緑の葉っぱが生えはじめ、にょろにょろ感が増してきた。これがさらに伸びて五~六センチになったところで、外に出して陽に当てるのだそうだ。公園デビュー的なことだろうか。

 

(つづく)

(「STORY BOX」2018年4月号掲載)