MM 第一回

MM 第一回

 

   まえがきみたいなもの

 

 いつか、この本を読むきみたちへ。

 

 むかし、むかし、ひとりの女の子がこの学校にいた。この「むかし」がどのくらい前なのかは、きみがいつこの本を読むかによって違ってくる。もし、ぼくがこの本を図書室の棚(伝記コーナー、『発明王エジソン』と『キューリー夫人の生涯』のあいだ)にそっと差し込んだ次の日(つまりは明日だ)に手に取ったのだとしたら、それはまだほんの五年前ってことになる。

 そう、たった五年前のことだ。でも、ぼくにはなんだか遠いむかしのように感じられてしまう。まるで、先史時代の神話だかお伽噺だかのようにね。

 そんなわけで、この物語には、ぼくが勝手につくり上げた「架空の思い出」が入り込んでいるかもしれない。

 いや、もちろん正確に書こうとはした。でも、追憶っていうのは創作みたいなもので、同じ時を生きても、みんな驚くほど違うストーリーを語るものだ。美化したり、膨らませたり、背伸びしたり。そうやってぼくらは無意識のままに記憶を脚色しながら「あの頃の思い出」ってやつをつくり上げていく。

 会話だってそうだ。いくら忠実に再現しようとしても、彼らのセリフには、どうしたっていまのぼくの語り口が紛れ込んでしまう。

 もし、彼らが妙に大人びた口をきいているように感じられたなら、それはこの「無意識の脚色」のせいだと思ってほしい(とはいっても、ぼくらは歳のわりにはずいぶんとませた子供だった。「複雑な家庭事情」ってやつが、ぼくらに飛び級的な成長を促した)。

 ついでに言い分けしておくと、なにもかも知ったあとで知る前のことを書くのって、けっこうたいへんだ。

 だいたいは知らないふりして書いているけど、ときたま、我慢しきれなくなって、予言者めいたセリフを吐いてしまうこともある。そんなときは、あまり深く考えたりせずに、さらっと読み流してもらえればいいと思う。

 

 まあ、いいや。とにかくぼくはベストを尽くした。五年も掛かってしまった理由のひとつはそこにある。なんたって、これは「仕事」だからね。手を抜くことはけっして許されない。

 どのくらい頑張ったかは、読んでもらえればわかると思う。

 ちっとも伝記っぽくないけど、ぼくにはこんな書き方しかできなかった(それに実を言うなら、これは「一般的な意味での伝記」でないばかりか、「伝記のようなもの」ですらない。そのように依頼されたけど、ほんとは違う。その一番の理由は、そもそも、これが誰のための本なのかってところにあるんだけど、それはいずれ本文で明かされると思うから、もう少し待ってほしい)。

 彼女の真実がうまく伝わってくれることを祈る。

 

     1

 

 あの日はすごく暑くて、おまけに湿度もめちゃくちゃ高かった。

 ぼくは駅前通りにある小さな本屋にいた。クーラーがホエザルの溜息のような音を立てていたけど(ときたま、痰がからんだような音もした)、店ん中の空気は外よりややましってぐらいにしか冷えてなかった。

 ぼくは頬を流れ落ちる汗をTシャツの肩で拭いながら一冊の本を立ち読みしていた。

『ハリウッドで脚本家になるための近道マップ』って翻訳本。ふざけた題名のわりにはためになることがたくさん書いてあって、ぼくは心の底からこの本が欲しかった。

 でも、これがまた600ページもあるバカみたいに高い本でさ。だからぼくは夏休みに入った最初の日から、毎日店に通って(一日三十分以内。出入り禁止にはなりたくなかったからね。店主のおじさんは、無口な頑固おやじって感じで、けっしてフレンドリーではなかったし)、全ページ読破(そしてできればすべて丸暗記)すべく本に没頭していた。

 そんなわけで、肩を叩かれたときはかなり驚いた。ちょっと声が出たかもしれない。ビクンってなったその拍子に、ほんのちょっと。

 本屋のおやじさんに注意されたかと思ったんだ。そろそろ限界かなって感じてたし。

 おそるおそる振り返ると、そこに彼女がいた。南川桃。

 それはそれで驚いた。というか困惑した。同じクラスではあったけど、口をきいたことなんて一度もなかったからね。

「ちょっと話があるんだけど」って彼女は言った。

 どことなく怒っているような口調だった。彼女は白いTシャツの上に真っ黒いブルゾンを羽織っていた(ちなみに穿いていた細身のデニムパンツも黒)。夏場にこの格好はどうなんだろう? って思ったけど、彼女は汗ひとつかかず涼しそうな顔をしていた。

「話って?」

 なにか彼女の気に障るようなことをしたんだろうか? 必死に記憶を巡らせてみる。でも、ぜんぜん思いつかない。当たり前だ。このときまで、ぼくらにはまったく接点てものがなかったんだから。

「うん、ちょっと佐々くんに頼みたいことがあって」

 頼み? なんだろう? ますます分からない。

「どんなこと?」とぼくは彼女に訊ねた。

「場所移さない?」と彼女は店の中を見回しながら言った。

「ここじゃ落ち着かない」

「うん、わかった。いいよ」

 というわけで、ぼくらは本屋の三軒隣にある喫茶店に向かった。

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