◎編集者コラム◎

『iレイチェル』キャス・ハンター 訳/芹澤 恵


iレイチェル編集現場


 皆さんは「不気味の谷現象」という言葉をご存じでしょうか。ロボット工学に関心のある方なら、聞いたことがあるかもしれませんね。

 本書『iレイチェル』に登場する機械工学のエンジニア・ルークの台詞を引用してみます。

「見た目が人間とほとんど変わらないのに、実は人間ではないものは、われわれ人間に薄気味悪さを感じさせる、という考え方だ」

「そういう存在に対して、われわれは嫌悪感を持つ。不信感を持つんだ。だからSF映画に出てくるロボットは、たいていあとになって、実は悪者でしたってことになる」

「けど、それは技術が追いついてないからでもある。ロボットの見た目が完全に人間と同じようになるところまで、造り込むことができなかったからだ」

 確かに、テレビやイベント会場で見かける人型ロボットにどこか不気味さを感じた、という経験は誰にでもあるのではないでしょうか。一方で、日進月歩のロボット工学の世界では、日に日に動きの不自然さやぎこちなさが改善され、ふとした表情の変化まで人間と変わらないヒューマノイドが続々誕生していますよね。動きだけでなく、人間と対話の出来るAIの進化もめざましくて、「ほぼ人間」なヒューマノイドが人間に混じって世の中で活躍する日も、そう遠くなさそうと思えてしまいます。

 本作の主人公のひとり、科学者のレイチェルによって生み出された「iレイチェル」は、そうした科学の発展の末に生まれた「共感型ヒューマノイド」。見た目や声は、完全にレイチェルです。レイチェルは「iレイチェル」に自分と家族の情報を様々な形でプログラミングしているので、夫のエイダンや娘クロエ(15歳)の性格や好みも完全に理解し、さらに彼らと「対話的交流(インタラクション)」をしていくことで学習し、彼らの表情から何を望んでいるかまで察知して先んじて動くことができる……なんだかすごい。

 物語の序盤、レイチェルは急な発病で亡くなってしまい、彼女の遺志を受けてiレイチェルは家族の元へやってきます。エイダンもクロエも、突然大切な家族を亡くして喪失感から立ち直れずにいる最中。愛する妻あるいは母と瓜二つのロボットが家にやってくる……果たして彼らにも「不気味の谷現象」が起こるのでしょうか? それとも……?

 その先はぜひ本書を読んで確かめていただきたいのですが、この小説、ロボットを描くSFでありながら、実は「家族あるある」が詰まった、家族小説でもあります。家族を愛しながらも、仕事が多忙で一緒に過ごす時間が少ないことに罪悪感を抱いているレイチェル。その忙しいレイチェルに代わって、仕事はそこそこに家庭を切り盛りするエイダンは、幸せながらもどこかで自信を持てずにいます。娘クロエは、15歳という難しいお年頃に加え、優秀な科学者である母親にコンプレックスを抱いている。さらに、女手一つでエイダンを育てた母親シネイドの介護問題も描かれます。

 家族とiレイチェルの小さなエピソードの数々が丁寧に描かれ、小さいからこそ家族との別れや喪失、成長や再生というものがじわじわと胸に迫ります。それだけにラストの切なさたるや……! 限りなく人間に近づいたアンドロイド。彼らを単なる「電気製品」とするのか、あるいは「一人の大切な存在」として向き合うのか。私たちが近い将来に直面するだろう、そんな問題についても考えさせられます。

 とはいえ、難しい話ではなく、ロボット工学やAIの専門知識も要りません。「フロスト警部シリーズ」の名手・芹澤恵さんの軽やかな訳文の力であっという間に引き込まれ、くすっとさせられたりじーんとしたりしながら静かに心を揺さぶられる、AIと家族の物語です。

 ぜひ、手に取ってページをめくってみてください。

──『iレイチェル』担当者より