若松英輔「光であることば」第10回

若松英輔「光であることば」第10回

キリスト教における「貧しさ」とは。そして牧師を目指していたゴッホが画家として探求した「貧しさ」とは──


 
ありのままの世界

 ありのままの姿を描くこと、それが芸術家たちの悲願だといってよい。ただ、ありのままといってもそれを認識する主体が何になるかによって世界のありようはまったく違ったものになる。

「ありのまま」というと通常、写真で撮影した風景や物体のように、誰の目にも明らかな様子をいうのだろう。だが、じつは、そうした世にいう客観的なものが存在するか否かは一考を要する問題なのである。

 もちろん、画家が描く林檎もコップも存在する。しかし、そこに何を見ているかはおなじではない。そもそも誰の目にも明らかなものを撮ることが可能であれば、写真家や画家などという職業は必要なくなるだろう。むしろ、誰の目にも映っていながら、容易に認識されない実像を世に顕現させようと格闘している者たちだといった方がよいのかもしれない。

 たとえば、モネ(一八四〇~一九二六)とゴッホ(一八五三~一八九〇)の画風は著しく異なる。しかし、ゴッホにとって、あの糸杉は「ありのまま」の姿だったに違いなく、モネにとってもあの睡蓮の連作は、「ありのまま」を探究する軌跡だったといってよい。

 作品を見て明らかなように、二人にとっての「ありのまま」は、それぞれのものとして顕れている。ただ、ゴッホやモネの絵を見て、私たちが感じるのは、この画家たちの恣意であるよりは自由であり、個性であるよりは無私の精神ではないだろうか。

 絵筆を握っているときか否かは別にして、画家ゴッホと人間ゴッホは同じものを見ていたとはいいがたい。もちろん、フィンセント・ファン・ゴッホという人間は、世に一人しか存在しない。しかし、彼のなかでどの人格が開花するかによって世界のありようはまったく異なったものになる。モネにおいてもことは同じだ。

 モネは人間を超えた何かに強く促されるようにして、あるモチーフを描き続けた。睡蓮の連作はよく知られているが、そのほかにも「サン゠ラザール駅」や「積みわら」にも複数の作品がある。モネにとって描くとは、「もの」を通じて光そのものを顕現させることだった。彼にとって「ありのまま」であるのは、事物や事象ではなく光そのものだった。

 画家としてのゴッホの生涯は十年しかない。その間に彼は二千点を超える作品を描いた。そのなかにはいくつか繰り返し描いている主題がある。ゴッホにはさまざまな自画像が知られている。そのほかにも「馬鈴薯を食べる人々」や「ひまわり」のように同じモチーフで複数の作品が残されている。

 二人の画家による反復は、単なる繰り返しではない。それは創造的反復とよぶべき営みで、むしろ、画家たちがはっきりと感じていたのは、同じ光景は二度経験することはできないという厳粛な事実だった。

「ありのまま」とは、いつでも誰もが、同じように感覚できるものではなく、ある人が、一瞬のうちに認識する出来事だといった方がよいのかもしれない。同質のことは聖者によっても経験されている。リジュの聖テレジアの名で知られる二十四歳で亡くなったフランスの聖女は、神の愛の経験をめぐって、死の床で次のように語った。
 

それは私の闇の中に差し込んだ一条の光線、と言うより稲妻のようです。でもそれは、稲妻のように一瞬だけ!

(『私はいのちに入ります リジュの聖テレジア・最後の会話』リジュのカルメル修道院編・伊庭昭子訳)

 
 テレジアにとって神と神の愛は同義だったといってよい。神の愛を感じるというよりも、愛である神とともにある、というのが彼女の実感だった。愛である神がかいま見させる世界、それを彼女は一瞬のうちに経験する。しかし、それは同時に消えていく刹那的なものではなく、永遠の出来事でもあった。

 一瞬でありながら永遠、文字の上では矛盾することが現実となる地平、ここに芸術家も聖者たちも連なっている。そこには叡知の人である哲学者もいるだろう。だからこそ、西田幾多郎は、「ありのまま」を「絶対矛盾的自己同一」と呼ぶのである。

「自己同一」とは、真実の異名である。真実は、絶対的に矛盾した姿をしている。それが、哲学者西田幾多郎の逢着した場所だった。

 神もその愛も、目に見えず、それを計測することもできない。しかし、実在する。そればかりか、神のはたらきによって万物は存在している。論文「絶対矛盾的自己同一」で西田は「神」のはたらきをめぐってこう書き記している。西田が書く「個物的多」は万物、「超越的一」は神に置き換えてかまわない。
 

この世界が絶対に超越的なるものにおいて自己同一を有つということは、個物的多が何処までも超越的一に対するということでなければならない、個物が何処までも超越的なるものに対することによって個物となるということでなければならない。我々は神に対することによって人格となるのである。

 

 一見すると難解に映るが、語られていることは素朴だ。この世界が、超越的なるものとともにあることによって「真実」であるということは、万物がどこまでも神とともにある、ということでなければならない。私たちは神とともにあるとき、はじめて人になる、というのである。

 西田の語っていることは複雑ではない。世界がこうして存在していること、私たちがこうしてここに存在しているという事実こそ、もっとも端的な神の証明である。そう考えた西田にとって「ありのまま」とは、神とともにある世界を意味したのはいうまでもない。それはゴッホやテレジアの認識とも極めて近しいのである。

 


 
貧しさについて

 二〇二一年、東京で、オランダにあるクレラー゠ミュラー美術館に所蔵されているゴッホの作品による展覧会が行われた。クレラー゠ミュラー美術館の創設者ヘレーネ・クレラー゠ミュラーは、個人としては最大のゴッホコレクターで、彼女がゴッホの作品の蒐集を始めたことが、この画家の評価を決定的なものにした。

 そのとき、もうゴッホはこの世を後にしている。言い古された事実でもあるが、優れた芸術家はしばしば、早くこの世を訪れ、早く世を去るものらしい。あるいは、多くの人の目にはふれない同時代の真実こそ、もっとも深く隠れているといってもよい。

 ヘレーネの夫は、成功した実業家で、その収益によってヘレーネは、絵画を買い始めた。ゴッホの作品に出会うのにはさほど時間はかからなかった。彼女が最初に買ったのは「森のはずれ」と題する作品で、今回の展覧会で見ることができた。一八八三年に描かれたもので、何の知識もないまま見せられ、ゴッホの名を挙げられる人は決して多くあるまい、と思われる一枚である。カミーユ・コローをはじめとしたバルビゾン派への敬意を感じさせる一枚なのだが、モチーフこそ似ているが、画風は著しくことなる。ゴッホはコローに学ぼうとしたのだろうが、絵筆を持つと、どこからか打ち消しがたい個性が浮かび上がる。

 文章家の文体が結実するように、あるときを境に画家の画風も定まってくる。ゴッホにとってそうした出来事が起こったのは一八八八年、亡くなる二年ほど前のことだった。誰の真似もできないという自覚が訪れたとき、ほかの誰にも描けない作品が生まれてきた。

 それまでのゴッホは、かつてコローに学んだように、印象派をはじめとしたパリの画壇をにぎわせていた、さまざまな流れにも学ぼうとした。だが、ここでもコローとのあいだに生じたのと同質の現象が起きる。真摯に学んでいる分だけ、独自性が現れるのだが、十分には開花しないという状態が生まれていたのである。

 今回の展覧会ではゴーギャンと短い共同生活をした「黄色い家」(一八八八)も展示されていた。悲劇的な決別に終わった二人の生活のことは知っていたが、「黄色い家」がその拠点であることは知らなかった。それを確かめたのは、展覧会の後、久しぶりに小林秀雄の『ゴッホの手紙』を読み直したときだった。この一枚には、誰にも似ていないゴッホの画風が躍動していた。このときのゴッホはもう他者には学んでいない。誤解を恐れずにいえば、彼のなかに生きている「内なる画家」に師事しているのがはっきりと分かる。

 いつからか絵を見るとき、会場では、説明は読まなくなった。描かれた年代と様式を確かめることはあっても、いわゆる解説は読まない。強く動かされた作品をあとから調べることはある。感動の後に読む図録の解説は、じつに味わい深い。しかし、解説を先に読むと、事前に絵について、詳しく知ることはできるのだろうが、絵に直接ふれるのは難しくなる。誤解を恐れずにいえば、「あたま」ではなく、「たましい」で絵と出会うのが困難になるのである。

 今回の展覧会は、作品によってゴッホの生涯を追体験できるように企画されていた。それが実現できたのは、ゴッホの秀作だけでなく、習作も愛し、蒐められたからだった。ヘレーネは、今日私たちがゴッホらしいと感じる画風とは異なる魅力をもこの画家に感じていたのだろう。彼女が愛したのは、画家ゴッホであるだけでなく、画家になりつつあるゴッホでもあった。

 ゴッホは牧師の息子で、彼自身もあるときまでは自分が牧師になることに疑いを持たなかった。むしろ、それを天職にするためにどう生きるべきかを模索する、それが、彼にとって生きるということだった。それは「貧しさ」の意味を探究することでもあった。しかし、その過剰な熱情が牧師への道を阻むことになる。見習い牧師以上にはなれなかった。この挫折こそ、画家ゴッホ誕生の契機でもあった。その道程を小林秀雄は次のように描いている。
 

 彼は、自分のうちに目覚めた大きな飢渇を癒すものは、聖書より他にないと次第に信じ込む様になる。何ものかが牧師という天職に向って自分を駆りたてると感ずる。だが、彼の手紙を読む人は、彼の熱狂の背後に画家が静かに眠っているのをはっきりと感ずる。聖書を研究し乍ら、彼の手は本能的に砂漠のエリヤを素描し、教理問答を読んで想像に浮ぶものは、レンブラントの様々な作品である。

(『ゴッホの手紙』)

 
 牧師になろうとした志は、そのまま画家になるときに燃え盛った。画家としてもゴッホは「貧しさ」を探究した。

 キリスト教における「貧しさ」は、金銭的困窮のみを意味しない。貧しさにはさまざまな姿がある。目に見え、明らかに感覚できる貧しさもあるが、不可視な、人の目に隠れている貧しさもある。その人自身が、気が付いていない貧しさもある。だが、『新約聖書』にもあるようにイエスは「貧しい人は幸いである」という。イエスにとって「貧しさ」の自覚とはそのまま、神のくにへと通じる扉の発見を意味した。神の前で「貧しく」あるとは、人間の「ありのまま」の姿を自覚することにほかならなかった。

 ここに人がいる。出会ったことのない、しかし、「ありのまま」の人間がいる。展覧会を見ながら、胸の内から言葉ともいえないおもいが湧き上がってくる。「ああ」と嘆息したのをはっきりと覚えている。それは嘆きの息ではない。著しい感嘆の顕れにほかならなかった。

 


「光であることば」連載一覧

若松英輔(わかまつ・えいすけ)
批評家、随筆家、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。1968年新潟県生まれ。慶應義塾大学文学部仏文科卒。2007年「越知保夫とその時代 求道の文学」で三田文学新人賞評論部門当選、16年『叡知の詩学 小林秀雄と井筒俊彦』で西脇順三郎学術賞受賞、18年『詩集 見えない涙』で詩歌文学館賞詩部門受賞、『小林秀雄 美しい花』で角川財団学芸賞、蓮如賞受賞。他の著書に『イエス伝』『悲しみの秘義』『詩集 愛について』『霧の彼方 須賀敦子』など多数。最新刊は『神秘の夜の旅──越知保夫とその時代【増補新版】』。

「本の窓」2022年2月号掲載〉

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