若松英輔「光であることば」第6回

若松英輔「光であることば」第6回

「自由」という言葉が持つ別の地平とは──


 
知ると──自由について Ⅰ

 自由とは何かを明言するのはむずかしい。たとえば、自由の定義とは何かとたずねられても、答えに窮する人も少なくないだろう。

 状況は思想家と呼ばれる人たちにおいても同じで、自由論は、古くから、そして今もなお、探究され続けている永遠の主題の一つになっている。

 だが、不自由とは何かと聞かれたらどうだろう。状況はまったく異なってくるのは容易に想像できる。多くの人が、一晩を費やしても語り尽くせないほどの経験を胸に宿しているのではないだろうか。奇妙なことだが、自由とは何かを語ることに消極的な人も、じつに積極的に自らの不自由を語る。そして、いかに自分にとって自由が重要かを語る。それが現実なのである。

 この状況が示しているのは、語り得ないことも、私たちはそれを深く経験しているという厳粛な事実だ。不自由の経験は自由とは何かを認識する、もう一つの道なのである。より精確にいえば、不自由とは、自由とは何かを考える、重要な契機にほかならない。鈴木大拙が『無心ということ』のなかで、不自由と自由との関係をめぐって興味深いことを書いている。「ある哲人」の書にあったと述べつつ、こう続けた。
 

……大人になると、あちらに気兼ねをし、こちらに気兼ねをして、いわゆる社会的制裁というか人間的拘束というか、そういう鎖や手枷足枷の中に閉じ込められてしまう。それで天から与えられた、ほんとうの自由の気分で、ものをつくってゆく心持というものが年々に消耗してしまう。つまり人間としてもっているところの力が、ますます擦りへらされてゆくということになる。いつもおじおじして、ただほかの人と同じように、つまりどん栗の背くらべをしてゆかなけれぱならないようになり、汲々としてあちらを潜り、こちらを潜って、ただ人と同じからざらんことをこれ恐れている。

  

 この一節を読みながら、自分のことが書かれていると感じる人は少なくないのではないだろうか。世にいう大人になるとは、世間の常識に縛られることであり、天与の自由を手放していくことにほかならない。そして、いつしかわが身を擦り減らし、いつしか自分と誰かを比べるようになり、そのいっぽうで、誰かと同じではないことに恐れも感じている、というのである。

 大拙のように自由とは何かをめぐって哲学書を書ける人は限られている。しかし、多くの人は哲学を生きているのである。不自由を感じるのは、自由とは何かを語り得ないとしても、知っているからである。

「知っている」というよりも「識っている」と書くべきなのかもしれない。「あたま」で知ることに対して、経験を通じて体得することを「識る」という。むしろ私たちは、経験によってこそ何かをより確かに「識る」。先日、空海の著作を読んでいたら「識る」と書いて「さとる」と読ませている箇所があり、なるほどそういうことかと深く感じいった。

「知」と「識」が一つになって「知識」になる。仏教でこの言葉は、友人、あるいは同志を指す。そして、のちに高徳の人を「善知識」と呼ぶようになった。

 たしかに、友を得るためには「知」と「識」が一つにならなくてはならない。だが、SNSが好例であるように現代社会では、友を探すことすら「知」が先行しているようにも感じられる。

 現代人は「知る」ことに忙しい。大学などで話していると、「知」の場所で汲々としていて、もう「識」の世界を忘れたのかとさえ感じることがある。しかし、学ぶとはそもそも、「知」に留まらず「識」の地平へと進もうとすることなのではないだろうか。事実、かつては逆の道を往く人がいた。「知」だけでなく「識」をこそ重んじたのである。

 江戸時代の儒学者に伊藤仁斎という人物がいる。世の人の多くが立身出世のために儒学を学ぼうとするなかで、仁斎は、市井の人に向かって、よりよく生きるために儒学を講じた。もちろん、仁斎のもとに集まった人の眼中にあるのも、立場や収入を得る方法などではない。人生とは何か、自分とは何かという謎と、真正面から向き合うために学んだのである。

 小林秀雄は仁斎を敬愛していた。小林はしばしば仁斎にふれているが、仁斎にとっての「読む」という行為をめぐって、「知」と「識」の差異をありありと描き出している印象的な一文がある。『論語』は仁斎にとって、単なる古典ではなかった。彼にとってそれは「最上至極宇宙第一」の書だった。『論語』の注釈書である『論語古義』のはじめに仁斎は、「最上至極宇宙第一」という文字を書いては消しを繰り返した。そうした仁斎の境涯にふれ、「彼の心はきっとこんな具合に動揺していたに違いない」と小林は書き、こう続けている。
 

論語が聖書である位なことは、誰でも知っている、子供でも知っている、だが、本当に知っているか。自分〔引用者注:伊藤仁斎のこと〕が、数十年来、論語を熟読して来た経験によれば、論語を「学ンデ知ル」ところと、論語を「思ツテ得ル」ところとは、まるで違った事なのである。

(「弁名」『考えるヒント2』)

 
 儒教において孔子は、聖人とされる。彼の言説だけでなく、その生涯によっても、「聖なるもの」とは何かが体現されている、というのである。あるとき孔子は語った。「君子は器ならず」、君子は「器」のような限定された存在ではない、というのである。聖人としての孔子、それは真の意味における「自由」を生きた者の姿だったといってよい。

『論語』は孔子と彼に関係する人たちの言行録だが、そこで述べられているのも「知」に留まることなく、「識」の地平で生きることの意味だった。もちろん、仁斎にとって『論語』は、「知る」対象ではなく、「識る」べきものだった。むしろ、「知ろう」とする心を鎮め、「識る」という営みが起こらねば、一文字も真に理解することは出来ない、そうした存在だった。

 仁斎にとって『論語』は、ある意味で、不自由極まりない経験を強いられるものでありながら同時に、その先にこそ、自由と呼ぶべき何かを見出せる扉のような叡智の遺産だった。
 


 
ほんとうの自分に出会う──自由について Ⅱ

「自由」という言葉には、さまざまな歴史が潜んでいる。自由に限らない。言葉とは意志伝達の手段であるだけでなく、さまざまな現象の貯蔵庫でもある。

 ある人にとって「自由」とはかけがえのないものなのだろうが、別な人にとってそれは放埓や無責任の代名詞なのかもしれない。そこにどんな意味を読むかも一様ではない。人は、それまでの経験によって言葉に意味を感じ取っている。

 今日、私たちが通常用いている「自由」は、明治時代、西洋文化との関係を深めていくなかで定着した freedom や liberty の訳語としての「新しい」日本語である。

「新しい」と括弧に入れなくてはならないのは、「自由」という言葉そのものが、明治以前、それも千年以上前から存在するからである。

 翻訳文化論で優れた仕事を遺した柳父章の『翻訳語成立事情』によると、「自由」という言葉は五世紀に記された『後漢書』にすでにあり、『徒然草』にも見え、仏教、キリシタンの文献にも見られるという。仏教辞典を調べると、鎌倉時代の僧、明恵もこの言葉を用いている事実に出会う。

 明治時代にはさまざまな翻訳語が誕生したが、「自由」はそのなかでも、もっとも力をもった言葉の一つだった。ある言葉が、特定の意味で広く用いられるようになる。すると、その言葉にもともと宿っていた意味の深みが失われて行く場合がある。「自由」という言葉もそうした時代の洗礼を受けた。柳父の仕事はそうした意味の遺産を掘りかえそうとする試みでもあった。

 さらに「自由」とは何かという哲学的問題になると、キリスト教における自由意志論やジョン・スチュワート・ミルの『自由論』、あるいは板垣退助の自由民権運動にも問題は広がってきて、語り始めれば際限がない。

 ただ、ここで改めて考えてみたいのは、現代人が、ほとんど無反省に用いている「自由」という言葉が、単なる身勝手や我がまま、あるいは無拘束な状態とはまるで違う地平を持つということなのである。

 自由とは「自らに由る」こと、自己と深くつながることでもある。それだけではない。そこには自分を超えたものともつながっていく道さえも開かれていく。生活のなかで不自由を感じることがあってもよい。しかし、そこに留まり続けることに問題があるのは、自分とは何かという生きる手応えを見失いかねないところにある。

 生きるとは、「答え」のない世界を「手応え」を頼りに歩き続けることにほかならない。しかし、不自由の境涯にあるとき人は、渇いた人が水を求めるように「答え」を欲する。たとえ、それがさらに渇きを強める塩水のようなものであったとしても、である。

 自由であるとは、制限や制約が存在しない状態を指すのではない。人は、大きな制約があっても自由であり得る。それを証明した人はいる。第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの強制収容所での生活を書いた『夜と霧』の著者ヴィクトール・フランクルはそうした人間のひとりだった。

『夜と霧』と同時期に書かれた『それでも人生にイエスと言う』という講演録で、ある女性をめぐってフランクルはある印象的な逸話を紹介している。
 

あるとき、私は、強制収容所で、以前から知っていた若い女性といっしょになりました。収容所で再会したとき、彼女はみじめな境遇にあり、重い病気で死にかかっていました。そして自分でもそれを知っていました。けれども、死ぬ数日前に、こう明かしてくれました。「私は、ここに来ることになって、運命に感謝しています。以前なに不自由のない生活を送っていたとき、たしかに、文学についていろいろと野心を抱いてはいましたが、どこか真剣になりきれないところがありました。でも、いまはどんなことがあってもしあわせです。いまはすべてが真剣になりました。それに、ほんとうの自分を確かめることができますし、そうしないではいられないのです」。

 

 ここで女性が「野心」と語っている言葉を「成功」や「評価」に置き換えてみると、より身近に感じられるかもしれない。かつて、彼女は誰かに評価され、成功することが「答え」であり、より自分を自由にすると信じて疑わなかった。しかし、強制収容所という限界状況において、死を前にしたとき、まったく別な人生の地平があることを知った。全身全霊で真剣に生きるとき、人は「ほんとうの自分」に出会う。自分に「由る」ことができる、というのである。

 この出来事、そして、この言葉に私たちが強く動かされている事実が示しているように、自己深化の経験は、次第に自分を他者にむかって開いていく。自分の深部にあるものとつながることが、他者とのつながりをより確かに感じさせるのである。『無心ということ』で大拙もまた自由をめぐって同質のことを語っている。
 

自由は人間としてのわれらがその本然に帰るとき自ら出て来るところのものである。この自由の出るようにするためには、すべてのものを払いのけ、二つの対立したものから脱け出してしまわないと手に入ることが不可能です。
 

 
 自由とは、自分と他者という二分の世界を超えたところにある。他者に起こった事象を「わがこと」のように感じるとき人は、そこに真の自由を経験する、というのである。

 世の中には、他者の目には困難にしか映らないことにわが身を投じる人がいる。ある人はそこに、ある種の義務感にかられた決断を見るのかもしれない。しかし、大拙のような人はそこに真の自由を見る。自由によって試練を選び取る者の姿を、そこにありありと見出すのである。
 


「光であることば」連載一覧

若松英輔(わかまつ・えいすけ)
批評家、随筆家、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。1968年新潟県生まれ。慶應義塾大学文学部仏文科卒。2007年「越知保夫とその時代 求道の文学」で三田文学新人賞評論部門当選、16年『叡知の詩学 小林秀雄と井筒俊彦』で西脇順三郎学術賞受賞、18年『詩集 見えない涙』で詩歌文学館賞詩部門受賞、『小林秀雄 美しい花』で角川財団学芸賞、蓮如賞受賞。他の著書に『イエス伝』『悲しみの秘義』『詩集 愛について』『霧の彼方 須賀敦子』など多数。最新刊は『「生きがい」と出会うために 神谷美恵子のいのちの哲学』。

「本の窓」2021年7月号掲載〉

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