若松英輔「光であることば」第7回

若松英輔「光であることば」第7回

できないと感じるとき、人は何か得体の知れないものと向き合っている。書けなかった15年間について若松さんが思うこととは──


 
孤独のちから

 多くの人が、何でもなさそうにやっていることができなかった。そんな経験をしたことはないだろうか。

 たとえば、幼い頃、どうしても靴のひもが結べなかったとか、どうしても忘れ物をしてしまうとか、あるいは、学校から親に渡すように伝えられた書類をどこかに失くしてしまうとか。私は、このほかでも多くのことで、不如意な経験を積み重ねてきた。

 今も印象が鮮やかなのは、小学生のとき、4÷2が2であることが、どうしても合点がいかなかったときのことだ。あのときの孤独感は忘れられない。孤独というよりも孤立といった方がよい。

 人は、選んで孤独の時間を作ることがある。独りでいなくてはできないことも少なくない。

 今、私がこうして文章を書くことも、じつは孤独が基盤になっている。本を読むためにも、そして祈るときにも孤独が必要だ。だが、孤立を選ぶ人はいない。むしろ、意図的に選んだ時点で、それは孤独と呼ぶべきなのだろう。孤立の経験は、突然やってくることもある。

 割り算ができない自分に気がついたとき、自分の世界とほかの人の世界が、異なる色の時空のように感じられた。私だけが青く冷たいものに包まれ、ほかの人は暖かな、文字通りの暖色の場にいるように思われたのを今でも鮮明に覚えている。

 孤立の世界は冷たい。人を長くその世界にいさせてはいけない。

 今では靴のひもも結べるし、割り算もできる。ただ、人がすぐにできることに数倍のエネルギーを費やさねばならないことが少なくないのである。サラリーマン時代の上司にそれに類することを言われた。

「お前は、ときどき面白いことをするが、どうしてみんなができることができないんだ」

 上司は笑いながら、半分、諦めたような様子でそう言った。

「諦める」は「明らめる」とも書く。「諦」と「明」は似て非なるものではなく、むしろ、極めて近しい意味を持つ。

 現代人は何かを途中で止めることを諦めるという。だが、「諦」は真理を意味する。仏教でいう「四諦」は四つの真理を指す。

 できないことが多いから、いろんな人に助けてもらった。助けを求められて嫌な顔をする人は意外と少ない。できることを人に話す、あるいは人を助けることによろこびを感じる人は少なからずいる。

 だが、それとは別な側面も見てきた。じつは、多くの人が大きな問題を抱えている。しかし、それを口にするのを恐れ、何事もないかのように業務を遂行する。そんな場合が少なくない。端的にいえば、ほとんど意味がない業務でも、そのことを誰も指摘しないために延々と続くのである。

 こうした組織がどうなるかは改めていうまでもない。問題だけが潜在的に山積みになるだけでなく、表面をとりつくろい、互いに欠点を隠すようになるから信頼も生まれない。当然のことながら結束が弱くなる。そこにどんなに優秀な人間がそろっていても、である。

 今では文章を書くことを生業にしているが、十五年間以上、文字通りの意味で書けなかった。一文字も書かないというのではないが、わが身を賭すような作品を生み出すことはできなかった。

 書いたものが初めて雑誌に掲載されたのは一九九一年の春、二十二歳のときだった。その次──二、三の書評は別にして──に作品が掲載されたのは二〇〇七年の春だった。

 いつか書けなくなるのではないかという思いは、今も消えない。しかし、そのいっぽうで、書けない、と感じたときは書ける、という奇妙な手応えもある。

 だが、書けなかった十五年間、私はずっと書けると思っていた。そう信じ込もうとしていたし、近しい人にもそう語ってきた。

 書けないという潜在的な恐怖に飲み込まれると人は、それに耐えきれず、書けると思い込もうとする。しかし、その試みが成功しても、作品の主題がどこかから浮上してくるわけではない。書けるような気がしているだけだから、本質的な進展はまったくない。

 いっぽう、書くことだけではないようにも感じているが、できないと感じるとき、人は何か得体の知れないものと向き合っている。だからこそ、その場所から逃げさえしなければ、道は自ずと開けてくることが少なくない。それは、毎日、夜が明けていくように自然なことのように感じられることすらある。

 このとき人が求められているのは、何かを「する」ことではなく「待つ」ことだ。言葉と自分とのあいだにつながりが生まれるのを待つ。私の場合、それに十五年という歳月が必要だったのではない。書けないという自分を認めることさえできれば、翌日からペンを握れたのかもしれないのである。ただ、書けない自分を受容するのに十五年という短くない歳月が必要だった。

 できないことを認めるのは、恥ずかしいことではない。それは、ありのままの自分と対話することであり、むしろ、自然なことなのだ。このときも人は、孤独であらねばならない。

 日記体の創作という様式を確立したメイ・サートンという作家がいる。『独り居の日記』で彼女は、できないことをめぐって次のように書いている。
 

こうして私がひとりいる時こそ、花々はほんとうに見られている。心を注いでやれる。存在するものとして感じられている。花なしに、私は生きられまいと思う。

(武田尚子訳)

 
 見つめるという素朴な営みでも、それが真に行われるときには独りでなくてはならない。サートンは、花と対峙するときに孤独のちからというべきものに出会った。

 言葉に「葉」の文字が用いられているように、言葉はじつによく植物と似た働きを持つ。

 書けなかったあの十五年間、私は、独りで、己れの心中にある言葉を見つめることがなかった。言葉に向かって、どうかちからを貸してほしいと懇願するのを忘れていたのである。
 


 
愛の対義語

 現代では、いくつかの重要な言葉が用いにくくなっている。「神」は別にしても「愛」、「涙」あるいは「祈り」さえもそうかもしれない。

 かつては「死者」もそうだった。百人百様の意見があるだろうが、よいことのはずがない。言葉には誕生の歴史がある。その言葉を封印するということは、誕生に至る連綿とした人間の営みに封をすることにほかならない。

 ある文章を書いていたとき、誤解されるのを恐れて、愛という表現をほかの言葉に変えようとしている自分に気がついた。比喩や隠喩で記した方がよい場合もある。だが、そのときは違った。何ともいえない違和感があり、言葉を裏切っているような心地がした。

 愛とは何かを語るのは容易ではない。この問題は古代ギリシアから今日まで哲学の最重要の問題であり続けている。『新約聖書』は、イエスの生涯と言葉を導きの光にしながら、愛とは何かを問うている書物だといってもよい。

 仁愛という言葉がある。「仁」も「愛」もともに、孔子とその弟子たちの言行録である『論語』にある言葉で、前者が原理で、後者がはたらきを意味する。仁なき愛は存在しない。ただ、人は愛によって仁を知る。

『論語』には仁の対義語として不仁という言葉が出てくる。仁を宿した人が仁者で、仁を見失った人は不仁者と呼ばれる。

 不仁者になる理由はさまざまあるが、その一つが「利」に溺れることだ。ここでの「利」は、いわゆる私利私欲だけでなく、何であれ自分だけに都合がよく、他者が見えていない状態を指す。

 ただ「利」は「愛」の対義語ではない。「愛」のはたらきは「利」をはるかに凌駕する。愛の書である『新約聖書』を読んでいても、愛の対義語は明示されていない。愛がなければ虚しいということ、愛が究極のはたらきであることは述べられるが、その真逆になにがあるのかは容易には分からない。

 日本語には愛憎という言葉があるように、ある人は憎しみだというかもしれない。しかし愛憎という言葉は、愛と憎しみは併存し得る、という人間の心の不思議さをいう言葉であって、対義語ではない。哲学者の池田晶子は、愛とは、何かを分かろうとすることだと書いていたが、彼女にとって愛の対義語は無関心かもしれない。だが、ある人は、狭隘な自負心だというかもしれない。ここで想起しているのはドストエフスキーである。

 自負心が方向を見失うとき、人は自分を特別視するようになる。それは同時にある人たちを軽視することにつながる。ドストエフスキーの小説『罪と罰』の主人公ラスコーリニコフは、そうした狭隘な自負心と愛のあわいで生きた若者だった。

 あるときまで彼にとって、生きるとは、狭隘な自負心を満足させることと同義だった。それだけが望みだった。それゆえ、ある老婆を殺し、彼女が持っていた財布を奪って逃げた。

 この青年にとって重要だったのは、自分が正しいと思い込むことだった。自分は価値ある存在で、病気がちな老婆はそうではない。彼には夢ともいえない空想があった。そこでは彼はいつも世界に何かを貢献できる存在だった。

 狭く、貧しい自負心は世界に高低差を見る。だが、中世の神秘家マイスター・エックハルトはそれとは正反対のことをいう。
 

等しさということは愛されるということである。愛の愛するものはつねに等しきものである。

(『エックハルト説教集』田島照久訳)

 
「いのち」が神の前に等しくあることなど、ラスコーリニコフは考えてもみなかった。すべてのものを等しくするはたらきが決定的に見失われていたのである。だが、それは見失われたのであって、失われていたのではない。愛は消えない。肥大化した自尊心が、愛のはたらく場所を奪っていたのである。

 自負心の闇にいたラスコーリニコフに光がもたらされたのは、ソーニャという女性との出会いだった。貧しい家に生まれ、家族を養うためにわが身を売らねばならなかった女性。彼女はその身が世間の垢にまみれても、たましいの無垢を深めることのできた人だった。

 小説の終わり近く、この男が罪を告白し、法で裁かれ、獄舎でソーニャと出会う場面をドストエフスキーはこう描き出している。
 

二人は何か言おうと思ったが、何も言えなかった。涙が目にいっぱいたまっていた。二人とも蒼ざめて、痩せていた。だがそのやつれた蒼白い顔にはもう新生活への更生、訪れようとする完全な復活の曙光が輝いていた。愛が二人をよみがえらせた。二人の心の中には互いに相手をよみがえらせる生命の限りない泉が秘められていたのだった。
 二人はしんぼう強く待つことをきめた。

(『罪と罰』工藤精一郎訳)

 
 愛とは、自己を新生させるものであるのかもしれないが、何よりも、他者の眠れるいのちの泉を照らし出すものであるらしい。

『罪と罰』は、翻訳で優に千ページを超える大長編だが、その最後になって、読者の前に置かれたのは、沈黙と涙と愛だった。この小説を真の意味で「読む」とは、登場人物の営みに沈黙と涙と愛という無音の三つの、言葉を超えたコトバを読むことだといってよい。

 愛の対義語は、何であるかはよく分からない。ただ、言葉なき愛しみを生きるとき、人はそれを強く経験するのかもしれない。

 


「光であることば」連載一覧

若松英輔(わかまつ・えいすけ)
批評家、随筆家、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。1968年新潟県生まれ。慶應義塾大学文学部仏文科卒。2007年「越知保夫とその時代 求道の文学」で三田文学新人賞評論部門当選、16年『叡知の詩学 小林秀雄と井筒俊彦』で西脇順三郎学術賞受賞、18年『詩集 見えない涙』で詩歌文学館賞詩部門受賞、『小林秀雄 美しい花』で角川財団学芸賞、蓮如賞受賞。他の著書に『イエス伝』『悲しみの秘義』『詩集 愛について』『霧の彼方 須賀敦子』など多数。最新刊は『「生きがい」と出会うために 神谷美恵子のいのちの哲学』。

「本の窓」2021年8月号掲載〉

渡辺 優『アヤとあや』
週末は書店へ行こう! 目利き書店員のブックガイド vol.2 啓文社西条店 三島政幸さん