若松英輔「光であることば」第8回

若松英輔「光であることば」第8回

長く続く危機の時代だからこそはたらかせなければならない「たましい」とは何か? 言葉では語りえないその本性について考察します。


 
たましいの燈火――たましいとは何か Ⅰ

「たましい」とは何か。そんなことをずっと考えている。答えがでないことは分かっているのだが、長く続く危機の時代にあって、「たましい」をはたらかせなければならない、そう感じることが多いからかもしれない。

 ここでいう「たましい」は、先の戦争で叫ばれた大和魂とはまったく関係ない。また、どこかに浮遊するように語られることがある霊魂でもない。これから考えてみたいのは生きている者にとっての「たましい」である。

「たましい」ではなく心なら分かる、という人も少なくないだろう。だが、心と「たましい」を同一視はできない。ここでいう「たましい」は身体と心をつなぐものでもあるからだ。

 いくら頭で考えてもうまくいかない。心が固くなって、身動きも取れなくなってしまった。でも、覚悟を決めて動いてみたら、事が前に進んだ。そんな経験は誰にもあるのではないだろうか。

 考えるのを止めて、身体を動かしたのだ、ともいえるが、それは表層の説明に過ぎない。考えるのを止めても身体が動かないことは珍しくない。やはり「たましい」が身体を動かしたという方が自然なのではないだろうか。

 覚悟というのは「たましい」が関係しているように感じる。自分とは誰かに目覚めるのも、自分とは何者かを悟るのも、「たましい」の営みなのではあるまいか。

 祈念、念仏、あるいは念力というときの「念」は、意識ではない。やはり「たましい」だといった方がしっくりくる。

 むしろ、「念」がはたらくとき、意識はあまり激しく動かない。ある静けさの中にある。

「たましい」のはたらきが弱くなると自分が見えにくくなるようにも感じる。逆に、「たましい」の力がよみがえったとき自分への信頼を取り戻せる。私たちはそれを自信と呼ぶ。

 さまざまな顔を持つ私を一個の「わたし」に束ねているもの、人がその人である主体、それを「たましい」だといってもよいのかもしれない。主体性のない態度、主体性のない言葉などは「たましい」がはたらいていない状態である可能性がある。

「たましい」などない、ということもできるが、やはり「たましい」がなければ、けっして起こらないこともあるように思われる。

 

 大学で教鞭をとるようになったことも「たましい」とは何かを考える契機になった。学びの現場から「たましい」が追放されているように感じたからである。

 今日の日本の大学で「たましい」とは何かを語るようなことは、あまり起こらない。「たましい」についての諸説を語ることはできる。だが、それは「たましい」を実感するところにまではいかない。

 また、講義は教師が考えていることを話せば成立するわけではなく、受け止める学生、あるいは大学の空気がそれを受け容れていなければ実現しない。

「たましい」がはたらくのに特別な空間はいらない。だが、ある気の流れのようなものは必要なのかもしれない。聖堂と呼ばれる場所や芸術が演じられる場は、こうした気が整えられているようにも感じることがある。

 また、「たましい」は「あたま」だけでは理解できない。それは人と人が共振し合うところに浮かび上がる。「たましい」は共鳴を本性とする。自信の回復とは、自分という存在と共鳴を取り戻すことなのかもしれない。

 学ぶとは、二つの「たましい」のあいだに共鳴の火を灯すことである。哲学の祖プラトンはそう感じていた。彼は、政敵によって殺された愛弟子の遺族に宛てた手紙で、哲学の精髄は言葉によっては表現し得ず、「たましい」から「たましい」に伝わるほかないと書き送っている。

「そもそもそれは、ほかの学問のようには、言葉で語りえないものであって」、とプラトンは述べ、こう続けた。「それ」こそ、哲学の精髄にほかならない。
 

 むしろ、〔教える者と学ぶ者とが〕生活を共にしながら、その問題の事柄を直接に取り上げて、数多く話し合いを重ねてゆくうちに、そこから、突如として、いわば飛び火によって点ぜられた燈火のように、〔学ぶ者の〕魂のうちに生じ、以後は、生じたそれ自身がそれ自体を養い育ててゆくという、そういう性質のものなのです。

(「第七書簡」長坂公一訳『プラトン全集14』)

 
 プラトンの書簡によると、「たましい」と「たましい」がつながるには、ある種の真摯さと信頼が不可欠のようだ。生活を共にし、話し合いを重ねていくというのも、そうした関係の樹立を準備することを指すのだろう。

 そして、「たましい」の目覚めは突然起こる。それは、暗がりに火が灯るように生起し、その燈火は消えることなく、その人の「たましい」を照らし続ける、というのである。

 先の一節に記されていたのは、プラトンと弟子たちとのあいだのことだったかもしれないが、同時にプラトンが、師ソクラテスから何かを受け継いだときの実感でもあったのだろう。

 ソクラテスは亡くなったあともプラトンの「たましい」で不滅の燈火として存在し続けていたのである。そうでなければ、プラトンの「対話篇」であれほどありありとソクラテスが語ることもなかっただろう。私にも同様の経験はある。私が愚かだからだろうが、「たましい」に火を注がれていたことを四半世紀も見過ごしていた。これを書きながら、胸のうちで師の言葉、師の姿、師の生涯を思い直している。

 師とは井上洋治というカトリックの司祭である。

 


 
もう一つの視線――たましいとは何か Ⅱ

「たましい」の本質を見極めようとする営みは、プラトンにとっては最重要の問題の一つだった。この問題は、二千数百年を経て、現代にも受け継がれている。そして現代に至ってそれはようやく一つの学問になった。心理学である。

 少なくとも語源からいえば、心理学は「たましい」の学である。心理学 psychology の語源であるギリシア語の psyche は、「たましい」を意味するからだ。

 もしも、心理学が「たましい」の学であるなら、世界の各所で「たましい」は講じられ、研究されているはずである。だが、必ずしもそうとはいえない。「たましい」の存在を認めない心理学者も、日本には少なくないのかもしれない。

 もちろん、賢明な知性がこの名称と実際の矛盾に気がつかないわけがない。ある人たちは意識の学になってしまった心理学を再び「たましい」の学に立ち戻らせようとした。その試みによって、もっともよく知られているのがユング心理学の祖カール・グスタフ・ユングだ。ある意味ではユングにとって、人間の意識を研究するとは、「たましい」の現象を探究することにほかならなかった。

 日本に本格的にユング心理学が紹介されたのは、一九六七年に刊行された河合隼雄の『ユング心理学入門』が契機になった。河合隼雄はすでにこの最初の著作で、意識とも心とも異なるものを「たましい」と呼んでいる。ただ、彼が「たましい」と頻繁に書くようになるのは、一九八〇年代の中頃以降である。『宗教と科学の接点』(一九八六)の第一章が「たましいについて」であることがそれを象徴している。

『ユング心理学入門』から二十年を経て、やっと正面から「たましい」とは何かを論じられるようになった。

『宗教と科学の接点』には、そうした河合の感慨にも似た内面の吐露に一度ならず遭遇する。先の大戦で「魂」という言葉が乱発され、多くのいのちが戦いの渦に飲み込まれていった。河合もその経験を決して見過ごさない。むしろ、強く警戒していた。「たましい」をめぐる二十年間の沈黙はそうした彼の思いを証ししている。この本で河合は、「たましい」は定義できないが、と断りながら、さまざまな主題を取り上げつつ、次のように「たましい」を考えるときの基盤にふれる。
 

たましいはもちろん実体概念ではない。それは時間、空間によって定位できない。しかし人間はたましいの作用、あるいは、はたらきは体験する。

(『宗教と科学の接点』)

 河合によれば、私たちが現実と呼ぶ世界において、「たましい」はどこにあるのか、という問いは成り立たない。しかし、そのはたらきは、さまざまなところに確認できる。「たましい」とは実証的な事実ではなく、経験的事実であるというのである。

「事実」と「真実」を使い分け、自らの心情をしばしば語ったのが遠藤周作だった。遠藤と河合は、一九八〇年代から親しく交流し、互いに影響を受け、そして、与えた。遠藤の表現を借りれば「たましい」の出来事は「事実」として立証するのは困難だが、打ち消しがたい強度をもって「真実」として経験されることがある、といえるのではないかと思う。

 河合がたずさわった心理療法の現場は「たましい」と「たましい」が対峙する現場だった。別ないい方をすれば、「たましい」を問題にできたところに河合隼雄の心理学の「いのち」があった。

 河合は心理療法家になったときから、真の意味で心理療法が行われるためには意識の変化だけでは不十分な場合があることに気がついていた。そこにはどうしても「たましい」の関与、あるいは参与が不可欠になる。『心理療法序説』という著作で河合は、その現場における「たましい」のはたらきをめぐって、印象的な言葉を残している。
 

その方〔クライアント、来談者〕によると、最初の面接が非常に印象的だった。「先生は私の顔にも服装にも全然注意を払っておられなかった」、「私の話の内容にさえ注意しておられなかった」と言うのである。それでは、いったい何に注目していたのですと問うと、「私の話していることではなく、私の一番深いところ、まあ言ってみれば、たましいとでもいうようなところだけを見ておられました」。

(『心理療法序説』)

 
 カウンセリングに来た来談者は、話を聞く河合が、自分の言葉を聞いていたのではなく、ずっと「たましい」を凝視していた。何を語ったかではなく、言葉がどこから出てきていて、出てきたところがどのように動いているのかを見つめ続けた、という。

 興味深いのは、このとき来談者が、「たましい」に注がれた、目でなく、心眼というときの「眼」による、もう一つの視線というべきものをはっきりと感じていることだ。

 日常生活でも、私たちは見られている、と感じる場合がある。それよりもずっと直接的な、確かな感覚が、この来談者を貫いている。そして、そのことはこの人物を不安にするのではなく、ある深い安堵を与えている。

 この人物は、おそらく、他の専門家に話をしたこともあったのだろう。だが、そのときは自分の心しか視てもらえなかったのかもしれない。苦しみは、心の奥にある。河合はそのことを見過ごさなかった、というのだろう。

 先に引いた一節には、明示されていない謝意がある。こうしたとき人は自らの「たましい」を感じ直し、その眠れるちからを呼びさますのではあるまいか。信頼できる人がそばにいるとき、私たちの身体や心が目覚めるように、である。

 


「光であることば」連載一覧

若松英輔(わかまつ・えいすけ)
批評家、随筆家、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。1968年新潟県生まれ。慶應義塾大学文学部仏文科卒。2007年「越知保夫とその時代 求道の文学」で三田文学新人賞評論部門当選、16年『叡知の詩学 小林秀雄と井筒俊彦』で西脇順三郎学術賞受賞、18年『詩集 見えない涙』で詩歌文学館賞詩部門受賞、『小林秀雄 美しい花』で角川財団学芸賞、蓮如賞受賞。他の著書に『イエス伝』『悲しみの秘義』『詩集 愛について』『霧の彼方 須賀敦子』など多数。最新刊は『「生きがい」と出会うために 神谷美恵子のいのちの哲学』。

「本の窓」2021年9・10月合併号掲載〉

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