若松英輔「光であることば」第9回

若松英輔「光であることば」第9回

これまで感じたことのないような痛みと過ごす中で、若松さんに起こった「ある強度の伴う変化」とは──


 
人生の季節

 人の出会いにも似て、本との邂逅も突然にやってくる。書架にあるだけではその本と出会ったとはいえず、知り合いに会ったに過ぎない。人との関係がそうであるように本もまた、思わぬときにその秘密を語ってくれるようなことがある。

 吉田松陰(一八三〇〜一八五九)との関係もそうして生まれた。松陰自身の書物も彼をめぐって書かれた本も書架にあり、時折、読んでいたが、ある日を境に書物から彼の、無音の肉声が聞こえるようになった。むしろ、松陰にとって「書く」とは、その魂から生まれる言葉を超えたコトバを書き記すことにほかならないと実感されるようになった。

 松陰は、長州に生まれた武士で、松下村塾をつくり、人を育てたことで知られる。高杉晋作や久坂玄瑞、さらには伊藤博文や山縣有朋のように明治維新を準備し、また、牽引した人物がこの小さな私塾から生まれた。

 今日、松陰は、思想家の一人として歴史に記憶されているが、その生涯は、現代人が「思想家」という言葉から想起するようなものではない。彼の思想は書かれることによってだけでなく、生きることによって深まり、磨かれた。

 松陰は、強いられた開国には断固として否を唱えた。だが、そのいっぽうで彼は一度ならず、海外への渡航を試みている。一見すると矛盾があるようだが、松陰には彼の理があった。

 他者に学ぶべきものは学び、守るべきものは守る。松陰の信念ほどイデオロギーから遠いものはない。今日の言葉でいえば、真の自由を守るために何が必要なのかを真摯に考えただけだった。学ぶためには、異国に行かねばならない。彼はロシアの商船、アメリカの軍艦に乗り込もうとさえした。ともに成功せず、彼は自首して獄につながれる。

 このときだけでなく、松陰は一度ならず獄につながれている。だが、そのときどきが彼の転機となった。そして、獄中で語られ、つむがれた言葉が彼の思想の核をなすものになっていった。

 亡くなる前日、遺書を書く。松陰は『留魂録』と名づけられたこの文章で人生の季節をめぐって印象的な言葉を残している。
 

……人寿は定りなし。禾稼の必ず四時を経る如きに非ず。十歳にして死する者は十歳中自ら四時あり。二十は自ら二十の四時あり。三十は自ら三十の四時あり。五十、百は自ら五十、百の四時あり。

(吉田松陰『留魂録』)全訳注 古川薫

 
「禾稼」という言葉は、現代では見慣れない。「禾」は穀物、「稼」は収穫を意味する。意訳すると次のようになる。

 人の寿命には定めがない。農業における収穫のように四つの季節を経なければならないということもない。十歳で亡くなる者にはそのなかに四季がある。二十歳で亡くなる者にも四季があり、三十歳で逝く者にも自ずから四季が備わっている。五十歳、百歳を生きる者にもそれぞれの四季がある。

 十年以上も前になるのだろうか。季節感がなくなってきた、というつぶやきのような声を耳にするようになった。それは異常気象や季節外れの食べ物が日常的に買えるようになったことをめぐっての発言なのだが、それは生活上の季節だけでなく、内なる季節にも影響しているのかもしれない。

 現代人は、人はいつかというよりも、必ず死ぬことを忘れて、いかに生きるか、ということだけを考えている。いつまでも春を待ち、夏を謳歌できると信じている。

 そして、いつしか人生の季節の移り変わりを感じることができなくなり、いつまでも前を向いて走り続けるほか生きる術を失う。いつまでも「若い」ことが価値となり、それはいつまでも未熟であると同義であることを忘れるようになる。

 時熟という言葉がある。時が熟するということだが、地平を人生に置き換えたとき、それは人生の秋、そして冬を経験することにほかならない。

『死について考える』という著作で遠藤周作は、シュタイナー教育の創始者として知られるルドルフ・シュタイナーの言葉にふれながら、人生の季節を経るとはつまり、自らの魂の声を聞くことであるという。
 

 シュタイナーの言葉をここで思い出します。青年時代は肉体の季節、中年は心と知性の季節、そして老年は魂の季節。
 魂は肉体や心の奥底にあって、本当の声を──いわゆる本音をついに出しはじめるようです。

 

 時間という「量」のものさしで見れば人生には長短があるように見えるが、「質」において鑑みれば、どの人生にも四つの季節がある。人が経験しなければならないのは、時間の長さではなく、生の質だというのである。

 時計で計られる時間は、経過を待つしかない。しかし、時熟という言葉は、時間とは異なる「時」を生きるとき、人はそれを深化することができることを教えてくれている。

 松陰の生涯は、けっして長くなかった。しかし、あるときから彼にとっての人生は「時間」の世界で過ぎ行く現象ではなく、「時」の世界で深まるものとして実感されていたのではなかったか。誤解を恐れずにいえば、松陰の生は、この世を後にしてもなお、深化を続けているようにすら感じられる。

 


 
精神のちから

 夏、椎間板のヘルニアになった。「ヘルニア」という言葉は知っていたが、それが何を意味するのかを知らなかった。

 これまで感じたことのないような痛みに襲われた。激痛というよりも、予想がつかない神経の痛みで、行動の自由だけでなく、眠りが大きくそこなわれる。十二時間ベッドに身を横たえていても、眠れるのは一時間程度が四回ほどで、最後の一時間は眠るというより、疲労困憊で眠るほかない、といった様子だった。

 ヘルニアが厄介なのは、身を横たえているときに痛みがあることで、むしろ、足を引きずりながら歩いているときの方が、気もまぎれるくらいだった。当然のことながら、心は恐怖におびえ、生きる活力が奪われていく。身体の病というよりも損傷なのだが、萎えていったのは心のほうだった。

 二週間ほどこうした時間が過ぎたとき、自分のなかで小さな、しかし、ある強度の伴う変化が起きた。

 今は、どうあがいても身体は思うように動かない。どうしても時間による治癒が不可欠になる。動かないところを動かそうとすることではなく、気が付かないところで、動き続けているものに寄り添うほかない、という実感だった。このとき、改めて感じたのが「精神」のちからだった。

 ナチス・ドイツの強制収容所での体験をつづった『夜と霧』の作者ヴィクトール・フランクルは優れた哲学者でもあったが、同時に精神科医でもあった。彼はあるとき、これから医師になろうとする人たちを前にして、身体と心の奥にある「精神」のはたらきをめぐって語った。

 心理学が問題とする「心」の底に「精神」と呼ぶべき境域があり、医学は不可避的に「精神」にふれることになる。そのことをけっして忘れてはならないとフランクルは指摘する。人間は身体と心からなる、という人間観は十分ではない。その二つを支える「精神」を見過ごさないこと、それが医師の重要な責務だというのである。

 さらにフランクルは、人が病むことがあるのは「身体」と「心」であって、「精神」ではない、と語った。
 

 病気になるのは、この心身的なものであって、精神ではありません。このことはいくら強調しても、強調しすぎということはありません。なぜなら、精神病を心身的なものの「責めに帰する」のではなく、人格の責任に転嫁する者は、たやすく、「精神」病患者の人間性を否定する危険に陥るからであり、医師の倫理と矛盾してしまうからであります。

(『制約されざる人間』高根雅啓訳・山田邦男監訳)

 
 ここでフランクルがいう「精神」は、私たちが通常「精神力」というときのそれではない。ドイツ語の Geist は「精神」を指すと同時に「霊」を意味する。幽霊、心霊というときの「霊」ではない。それは鈴木大拙が「日本的霊性」というときの「霊」、人間のなかに生きている内なる超越者にほかならない。

 あの日、私を訪れた変化は、フランクルの言葉が思い浮かぶようにして起こったのではない。これまで以上に「精神/霊」とのつながりが感じられたあと、フランクルの言葉が静かに想起されたのである。

 そこなわれていたのは「身体」であり「心」であって、「精神/霊」ではない、というのはある種の目覚めだった。

 この事実は誰の身の上にも起こっている。だが、私たちはしばしば、病む身体や心を見つめ、それがその人の状態だと思い込む。もちろん、自分においても事は変わらない。つまり、「精神」のちからをくみ取る方法を忘れてしまっているのだ。

 日常生活で身体の声が聞こえてくることがある。無理を続けていると、休めといってくることもあれば、激しく落胆しているときに、まず、食べろ、と促してくることもある。生きる気力を失った人が、一つのおむすびを食べたことを契機にもう一度立ち上がることすらある。

 二〇一六年に亡くなった佐藤初女という女性がいる。青森県弘前市に「森のイスキア」という場所を開き、そこを訪れる人の声に耳を傾け、おむすびを差し出すという活動を続けていた。

 彼女のもとを訪れるのは、行き場を失った、あるいは見失った人たちだった。自分が何に困窮しているのかすら、分からないという人もいる。

 そうした人の声にならない「おもい」を彼女が、語る言葉だけでなく、沈黙のなかにも読み取ろうとした。彼女は有益な助言をするのではない。むしろ、その人のなかにある無音の声に光を当てる。『いのちをむすぶ』という著作には、苦しむ人のなかにあるちからをめぐる次のような一節がある。
 

悩んでいる人も
本当はどうすればいいかわかっています。
私は、本人が気づくのを見守るだけ。
自分で納得して答えを出せた人は
すぐ行動に移ります。 まわりが驚くほど
あっさりと変わっていきますよ。

 

 ここで述べられているのも、「精神」の声なのではあるまいか。私たちが日ごろ、身体の声と呼んでいる現象も、じつは、身体を通じて顕れる「精神」の声なのかもしれないのである。

「精神」の声は、耳に響かない。それは無音のまま、私たちの胸を動かす。そう考えてみると、古人が「胸」という言葉で表現した場所もフランクルのいう「精神」への扉のように感じられてくるのである。

 


「光であることば」連載一覧

若松英輔(わかまつ・えいすけ)
批評家、随筆家、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。1968年新潟県生まれ。慶應義塾大学文学部仏文科卒。2007年「越知保夫とその時代 求道の文学」で三田文学新人賞評論部門当選、16年『叡知の詩学 小林秀雄と井筒俊彦』で西脇順三郎学術賞受賞、18年『詩集 見えない涙』で詩歌文学館賞詩部門受賞、『小林秀雄 美しい花』で角川財団学芸賞、蓮如賞受賞。他の著書に『イエス伝』『悲しみの秘義』『詩集 愛について』『霧の彼方 須賀敦子』など多数。最新刊は『神秘の夜の旅──越知保夫とその時代【増補新版】』。

「本の窓」2022年1月号掲載〉

「推してけ! 推してけ!」第15回 ◆『かすがい食堂 あしたの色』(伽古屋圭市・著)
源流の人 第18回 ◇ 横山 剣 (クレイジーケンバンド・リーダー、作詞・作曲家)