武田綾乃「おはようおかえり 京は猫日和」 第1回「文豪の猫」(上)

武田綾乃さん初のエッセイ連載が始まります。
作家と「文豪の猫」の歩みとは。
エッセイの連載が始まった。こういう連載は初めてなので何を書くか悩んでいたが、そういえば大学生作家時代のことなんかはあまり文字にしたことがなかったな、と今更ながら思った。なので学生時代の思い出なんかを振り返って書こうかと思っている。
私は二十歳の時に本を出版し、今年で七周年になる。京都の宇治で生まれ育ち、宇治で生涯を終える気満々だったのに、流れに身を任せてなんとなく生きていたら何故だか上京することになっていた。大学生作家とちやほやされた期間はとっくに過ぎ、気付けばアラサーだ。その割に、大した社会経験を積んだわけでもなく、運よく得られた仕事に生活の大半の時間を費やし、ダラダラと生きている。実際問題どうなんだろうな~、こういう人生って。なんて考えたりもしつつ、実家の猫に会うために三か月に一度は京都に帰っている。そしてお気に入りの茶屋で京番茶とほうじ茶をしこたま買い込み、また東京で働く日々だ。
実は前々からエッセイ連載を始めたら絶対に書こうと決めていたことが一つある。実家で飼っていた猫のことだ。現在飼っている猫はマンチカンの「ムタ」。ジブリ映画の『猫の恩返し』に出てくる猫の名前からとっている。ムタはアホみたいに身体が長い。とにかく伸びる。抱っこしていたらちょっとでかめのサコッシュみたいに見える。
そんなムタの前に飼っていた先代の猫が、アメリカンショートヘアの「バロン」だ。コイツの名前も同じ映画からとっている。アメリカンショートヘアです! と言い張るような顔つきをしていたが、毛の色的にそこら辺のトラ猫とほとんど大差なかった。丸まっていると巨大なナメクジみたいな柄をしていて、まぁ、飼い主的にはそういうところも可愛かった。というか、猫は生きているだけでなんでも可愛い。
我が家でのバロンのあだ名は、文豪の猫だ。母親が勝手に言い出した。確かに、「吾輩は猫である」なんて言いたげなふてぶてしい顔をしていた。
バロンは2019年の一月に天国に行ってしまった。彼の「猫生」と私の作家としての歩みは、なかなかに分かちがたい。
\NEW!!/

(講談社)