武田綾乃「おはようおかえり 京は猫日和」 第1回「文豪の猫」(上)

おはようおかえり 京は猫日和 武田綾乃 第1回「文豪の猫」(上)
いま大注目の若手作家、
武田綾乃さん初のエッセイ連載が始まります。
作家と「文豪の猫」の歩みとは。


 私は普段ラブストーリーなんて全く読まないくせに、日本ラブストーリー大賞から選考委員の推薦という形でデビューした。その小説賞に応募するため原稿を綴じる道具を買いにホームセンターに行った日に、バロンが我が家へやってくることが決まった。それが十九歳の夏の日のことだ。

 我が家と動物の縁は深い。母方の実家は代々農家で、牛や鶏なんかも飼っていた。そういえば、小さい頃に寝ている黒毛和牛の背中に乗り、めちゃくちゃ叱られたことがある。大人になってから振り返ると子供が牛の背中によじ登るなんてありえないくらい危険なのだけれど、幼い私は妙な万能感に満ちていた。動物は私のことを絶対に好いているという謎の自信があったのだ。目撃した祖母はさぞ肝が冷えたことだろう、二十数年前の話だけれどあの時の祖母の顔は度々思い出す。

 そういうわけで、私は動物に対して人一倍好かれる自信があった。全くもって根拠のない自信だ。バロンが初めて家に来る日、私は塾講師のアルバイトの予定が入っていた。時計と睨めっこしながら、早く来ないかとソワソワしていると、車から母親が猫の入った段ボールを持ってきた。当時は中学生だった六歳下の弟も、反抗期であることを忘れて興奮していた。段ボールの中で、生後八か月のバロンはそれはもう可愛い声で鳴いていた。環境が変わって不安だったのだろう。「開けるよ」と母親が言い、箱の蓋を開けた。バロンは大興奮で、いそいそと段ボール箱から飛び出した。「わいやで! 猫やで!」と言わんばかりの態度だった。私が恐る恐る手を出すと、バロンは私の膝に乗った。しかもそのまま、喉をゴロゴロと鳴らし始めたのだ。なにこれ可愛い……と私は思った。歩いていても座っていても、そっぽを向いていてもとにかく可愛い。永遠に見ていられるわ~、と心の底から思った。だがしかし、アルバイトの時間が迫っている。私は泣く泣くバロンと別れ、その日は上の空で授業をした。

 家に帰ると、バロンは既に我が家に馴染み、落ちているペットボトルの蓋で元気よく遊んでいた。順応が早すぎない? とちょっと思った。子供が初めて立ったところを見逃した親のような気分だった。ペットボトルの蓋は大抵冷蔵庫と床の隙間に入って行ってしまうので、我が家の冷蔵庫の下は大変なことになっている。

バロン

次回更新予定日
2020-09-30

「響け!ユーフォニアム」を語る

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「おはようおかえり 京は猫日和」アーカイヴ

武田綾乃(たけだ・あやの)
1992年、京都府生まれ。2013年、第8回日本ラブストーリー大賞隠し玉作品「今日、きみと息をする。」(宝島社文庫)でデビュー。2作目となる「響け!ユーフォニアム」シリーズが累計159万部の大ヒットとなる。他の著書に『石黒くんに春は来ない』『青い春を数えて』『その日、朱音は空を飛んだ』『君と漕ぐ ながとろ高校カヌー部』がある。
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