武田綾乃「おはようおかえり 京は猫日和」 第2回「文豪の猫」(下)

武田綾乃「おはようおかえり 京は猫日和」 第2回「文豪の猫」(下)
大注目作家のエッセイ連載、
はやくも大反響!!
いつも執筆の傍らにいた「文豪の猫」が──

 東京でイラストレーターの友達とルームシェアすることになったのは、大学卒業のタイミングだった。デビュー時からお世話になっている編集さんの勧めで、ノリで上京した。東京での暮らしは楽しかったが、バロンと離れ離れになってしまうことは悲しかった。猫は忘れっぽいというから、私のことなんてすぐに忘れてしまうのではないかと心配で仕方なかった。

 だが、母親からの電話でそれが杞憂であることを知った。「バロンが今日、玄関にダッシュしてたのよ」と電話越しに母は言った。「ヤクルトのお姉さんがうちに営業に来たんやけど、声が高いからアンタやと思ったんやろね。お姉さんの顔を見てめちゃくちゃガッカリして、リビングにトボトボ戻って行ったで。可哀想やったわ」やけにしんみりと言われ、私もすぐさまバロンに会いたくなった。人間とは電話でいつでも喋れるのに、動物には電話であることが通じないのが悲しい。私の声を探して家の中を彷徨うバロンを想像し、胸が痛んだ。私はすぐに新幹線のチケットを買い、京都へと向かうことにした。専業作家はしがらみがない分、フットワークが軽いのだ。

 玄関の扉を開けた途端、バロンは私をじっと見て「にゃー」と鳴いた。バロンは滅多に鳴かない猫だったから、「どこ行ってたんや」と文句を言っていたのかもしれない。バロンは私の脚に頭を一度だけ擦りつけ、それからしばらく私がどんなに声を掛けても無視を決め込んでいた。「私のこと待ってたんちゃうん?」とちょっとだけ思った。どうやらバロンは「怒ってるんやぞ」とアピールしているようだった。バロンが私の鼻に自身の鼻を押し当てて挨拶してくれるまでには、それから三時間ほど掛かった。

 その後も定期的に実家に帰っていたので、バロンは私のことをたまに帰って来るヤツとして認識してくれるようになった。バロンは私が帰宅するとやたらと喜び、ずっと脚に纏わりついていた。

 バロンには妙な癖があった。私の家は二階に洗濯物を干す部屋があるのだが、そこから毎回、私の服をくわえて一階へと降りてくるのだ。母親の服でも弟の服でもなく、絶対に私の服だった。Tシャツなんて可愛い方で、時には自分の身体の数倍あるワンピースを引きずっていた。そして寝ている私の前に服を置き、「獲物や」と誇らしげな顔をするのだ。多分、バロンは私のことを自分の子供か弟分だと思っていた。

バロン

 バロンのガンを見付けたのは私だった。上京して一年後だ。弟が私に送ってくれたバロンの写真に、奇妙な違和感を覚えたのだ。「猫背」という言葉があるくらい、猫の背中は元々丸い。そしてその丸い背中に、こぶのようなものが張り付いていた。母が動物病院に連れて行ったら、切ってみないと分からないが恐らく悪性の腫瘍だと言われた。なんで気付かないんだと当時は家族に対して腹を立てていたが、毎日徐々に大きくなったのだとしたら気付かないのも仕方ないのかもしれなかった。嫌なアハ体験だ。バロンはすぐに手術を受け、アイスをスプーンでくり抜くみたいに腫瘍のある部分の筋肉を削り取った。縫合痕は痛々しかったが、手術後のバロンは元気だった。刈った毛も次第に生え揃い、全てが元通りになったと思った。

 バロンが再び体調を崩したのは、それから二年程経ってからだった。十月に母親から電話が掛かって来た。急激にバロンの体調が悪化したという知らせだった。ガンだったから、元々身体が弱っていたのかもしれない。「年を越えられないと思ってください」とお医者さんは言っていたらしい。

次回更新予定日
2020-09-30

「響け!ユーフォニアム」を語る

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「おはようおかえり 京は猫日和」アーカイヴ

武田綾乃(たけだ・あやの)
1992年、京都府生まれ。2013年、第8回日本ラブストーリー大賞隠し玉作品「今日、きみと息をする。」(宝島社文庫)でデビュー。2作目となる「響け!ユーフォニアム」シリーズが累計159万部の大ヒットとなる。他の著書に『石黒くんに春は来ない』『青い春を数えて』『その日、朱音は空を飛んだ』『君と漕ぐ ながとろ高校カヌー部』がある。
本の妖精 夫久山徳三郎 Book.72
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第98回