武田綾乃「おはようおかえり 京は猫日和」 第2回「文豪の猫」(下)

武田綾乃「おはようおかえり 京は猫日和」 第2回「文豪の猫」(下)
大注目作家のエッセイ連載、
はやくも大反響!!
いつも執筆の傍らにいた「文豪の猫」が──


 私が次に帰省するまで、バロンは生きていた。やはり餌を食べるようになったのが大きかったらしく、以前に帰省した時より元気になっているように見えた。バロンの為に、私は一月の中旬まで京都にいるつもりだった。今度こそバロンを看取ろうと思っていた。あまり外に出ず、ずっとバロンの傍にいた。私が近くにいると、バロンはずっと喉を鳴らしていた。弱ったバロンは昔より甘えたがりになっていた。

 バロンは私の前では見栄を張りたがった。こたつに飛び乗ろうとしたり、階段を上がろうとしたり。出来ないヤツと思われたくなかったようだが、弱り切った身体ではそれも難しかった。もしかすると、私がいるせいでバロンは死ねないのかもしれないな、とも思った。苦しくても、私が泣いていると無理して応えようとする。私にだけは心配を掛けまいとする。やはり、バロンの中で私は子供で、面倒をみてやらなければならない相手なのかもしれなかった。結局、私が東京に戻る日が来てもバロンは生きていた。よたよたと歩き、帰る私を玄関まで見送ってくれた。

 東京に戻っても一月の間は毎日母親にビデオ電話を掛けた。バロンの様子を見るためだ。バロンは確実に衰弱しており、ついにはほとんど同じ場所で寝て過ごすようになった。私は東京でやらなければいけない仕事があり、これが終わったら京都に帰ると母親に言っていた。母親は無理しなくていいと曖昧に笑った。弱ったバロンは目が見えていたのかも怪しかったが、私の声には反応した。通話越しに呼び掛けるとうっすらと尻尾を振って応えてくれた。毎日、今日が最後かもしれないと思った。バロンはお気に入りの毛布の上で丸まっていた。自分でトイレもできなくなり、昔に比べて随分と痩せ細った。これが生き物の死なんだ、と漠然と思った。人間の死もこうやって訪れるのだろうか。

 その日の晩も、私は仕事をしていた。原稿に追われていたが、気分は最高だった。お昼にとても良い知らせがあったからだ。吉川英治文学新人賞にノミネートされたという知らせだ。これまで小説賞とは無縁の人生だったので、候補に上がったという事実だけで嬉しかった。電話で報告すると、母は「やっぱりバロンは文豪の猫やったな」と大袈裟な喜び方をした。自分は文豪なんてものには程遠いが、バロンに幸運を引き寄せる力があるのは本当かもしれないとは思った。バロンは私の喜ぶ声を、じっと耳を澄ませて聞いていた。「あと二日で京都に帰れるからね」と私はバロンに声を掛けた。

 それから三時間後、母から再び電話が掛かってきた。バロンが死んだという知らせだった。

 母は私の帰省に合わせ、ペット霊園で葬儀を行うことにした。あの後、母はバロンの亡骸を綺麗に洗い、小さな箱に綺麗な花と一緒に収めた。「もしかすると、アンタの嬉しそうな声を聞いて安心したのかもね」バロンの亡骸にようやく会った私に、母はそう微笑み掛けた。

 バロンの遺体を燃やすのは不思議な感覚だった。人間と同じように骨を拾い、骨壺に収めた。霊園からの帰り道、私はずっと骨壺を撫でていた。骨になってすらバロンは可愛いかった。人間の遺骨を食べた人の話を聞いたことがあったけれど、今ならその気持ちが分かると思った。

 長い峠を車で下りながら、母は桜が咲く時期になったらまた手を合わせに行こうと言った。思い出話をぽつぽつと語りながら、私は明日からはまた小説を書こうと心に決めた。そうでないときっと、バロンが心配してしまうから。

 あれから桜の季節はとうに過ぎ、バロンが死んで一年が経った。現在の飼い猫であるムタは暗闇が嫌いなので、絶対に布団の中には入らない。それでも私は実家に帰ると、つい癖で布団の隙間を空けてしまう。私の傍にやって来たバロンがこっそりと入ってきてくれるのではないかと、心のどこかで期待している。

(つづく)
(文中絵/武田綾乃)
次回更新予定日
2020-09-30

「響け!ユーフォニアム」を語る

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「おはようおかえり 京は猫日和」アーカイヴ

武田綾乃(たけだ・あやの)
1992年、京都府生まれ。2013年、第8回日本ラブストーリー大賞隠し玉作品「今日、きみと息をする。」(宝島社文庫)でデビュー。2作目となる「響け!ユーフォニアム」シリーズが累計159万部の大ヒットとなる。他の著書に『石黒くんに春は来ない』『青い春を数えて』『その日、朱音は空を飛んだ』『君と漕ぐ ながとろ高校カヌー部』がある。
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