武田綾乃「おはようおかえり 京は猫日和」 最終回「十年を振り返って」

好きなことやこれまでのこと。
そして、これから。
二年半ほど連載していたこのエッセイも、ついに今回で最終回を迎える。何について書こうかと悩んだが、やはり最後は自分の好きなものやこれまでについて振り返って書こうと思う。
二十歳で作家デビューした私も、ついに三十歳である。デビューしてすぐの頃、一冊目以降本が出せなくなったらどうしようと怯えていたことを考えると、現在は随分と恵まれた環境で仕事をすることが出来ている。
今は色々なジャンルの仕事をさせてもらっていて、すぐに形になるものから、世に出るまで数年単位で時間の掛かるものまである。ジャンルの違う業界の人と共に仕事をするのは学びが多く、新鮮で楽しい。私はチームで行う仕事が好きなので、他人と意見を交換しながら物を作っていくのは性に合っている。
だが、それでもやはり最終的には本を書くのは良いな~! と毎回思う。小説は基本的に作品制作に関わる人数が少ないため、作家の個性が色濃く出やすい。予算を考える必要も、技術的な限界もない。本の中では私はハリウッド映画のようなセットを作ることが出来るし、過去にも未来にも時間を飛ばすことが出来る。多くの媒体と比較して、文字は自由だ。それが私の本が好きな理由でもある。
今はそんな風潮はあまりないと思うが、私が学生の頃はラノベやアニメを好きだと大声で言うことは憚られる時代だった。オタクという言葉は悪口として使われ、学生だった私はそうしたレッテル貼りから逃れるために必死だったように思う。ニコニコ動画を見ていることを友達に話せたのは高校からで、中学時代は変なMADを夜な夜な見ていることは間違いなくトップシークレットだった。
音楽だと RADWIMPS やハチ(米津玄師)が流行していて、活舌勝負のような歌詞を iPod に入れて聞いていた。ネットではボーカロイドが流行っており、カラオケはボカロが収録されているという理由でジョイサウンドを選んでいた。友達とカラオケに行くと、『magnet』をデュエットするのがお約束だった(同世代の人間であればきっと共感してくれるだろう)。
当時、ネットは少しだけ秘密の場所だった。人間の醜さと愉快さと素晴らしさが混在していて、そのカオスさと上手く付き合える者だけがいた。現在はSNSの台頭によってネットは全ての人間に開かれた場所となったが、十代の時に感じていたアングラ感が時折懐かしくなる時がある。
当時好きだった作家は? と聞かれると、答えが無数に出て来て困る。辻村深月・綿矢りさは勿論のこと、伊坂幸太郎・小野不由美・恩田陸・東野圭吾・森絵都・森見登美彦・宮部みゆき……名前を挙げきれないほどの本を読み、それが今の私を形作っている。ラノベだと『涼宮ハルヒ』、『バイトでウィザード』、『9S』、『キノの旅』、『デュラララ!!』などのシリーズを好んで読んでいた。中学時代はラノベの表紙をクラスメイトに見られるのが少し恥ずかしくて、ブックカバーを付けていた。今時の子はどうしているのだろう? あんなにも素敵な装丁を必死に隠そうとしていた過去の自分を思い返すと、かなり切ない。好きなものを隠さなければいけないのは辛いから、堂々と表紙を見せることが普通になっているなら良いなと思う。
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(KADOKAWA)

(講談社)
1992年、京都府生まれ。2013年、第8回日本ラブストーリー大賞隠し玉作品「今日、きみと息をする。」(宝島社文庫)でデビュー。2作目となる「響け!ユーフォニアム」シリーズが累計159万部の大ヒットとなる。2021年『愛されなくても別に』で第42回吉川英治文学新人賞を受賞。他の著書に『石黒くんに春は来ない』『青い春を数えて』『その日、朱音は空を飛んだ』『君と漕ぐ ながとろ高校カヌー部』『どうぞ愛をお叫びください』『世界が青くなったら』『嘘つきなふたり』などがある。