ゲスト/メレ山メレ子さん◇書店員が気になった本!の著者と本のテーマについて語りまくって日々のモヤモヤを解きほぐしながらこれからの生き方と社会について考える対談◇第2回

ゲスト/メレ山メレ子◇書店員が気になった本!の著者と本のテーマについて語りまくって日々のモヤモヤを解きほぐしながらこれからの生き方と社会について考える対談◇第2回

中年女子、これからの恋愛を考える

 人生100年時代を迎え、中年でも恋をすることが当たり前になった。ひと昔前には、映画や漫画の中に存在していた〝恋愛のサンプル〟が消滅した今、惹かれ合う人間同士はどのように関係を築いていけばいいのか。結婚や出産を目指さないならば、何をゴールにすればいいのか──。文筆業を始めマルチに活動するメレ山メレ子さんをゲストに、これからの恋愛について語り尽くしました。


世間一般の「恋愛」に反発してきた私たち

花田
こいわずらわしい』とても面白かったです!
 今回は恋愛についてのエッセイということで、共感する部分も多く、自分と似ている方だなあとつくづく感じました。恋愛のそもそもの構造に疑問を感じていたりとか、これっていったい何なんだ? って思っているところとか。特に男尊女卑的な謎ルールに対して、メレ山さんもすごく反発を感じてらっしゃいますよね。

メレ山
 そうそう。『であすす』を読ませていただいて、私も似ているな~と感じました。でも花田さんは私よりももっと知らない人へのハードルが低いですよね。本をすすめるという行為って、すごい内面のぶつかり合いっていうか、恋愛より恋愛っぽいところがあるなってご著書を読んでいて感じたんですよね。自分もこんなふうに関係を築けたらいいのになあって思いました。

花田
 ありがとうございます。
 私もメレ山さんも、現在の状況としてともに、バツイチ、自分の子どもナシ、現在は特定のパートナーがいるけれど結婚はしていない、というところが共通してますよね。世代もいっしょで。
 10~20代の頃というのは、映画や漫画の中に恋愛のサンプルがたくさんあって、まず好きになったらどうやって近づくか、二人で飲みに行ったりして距離を詰めて、そこから交際に発展させるには──ということを疑いなくゴールとして捉えていたのですが、この2021年を中年として生きるときに、恋愛のサンプルが少ないなあと思っていて。結婚・出産も特に目指さず、好きになった人に家庭があるケースも考えると、そもそも付き合うことを目指すのが正解なのかもわからないなあ、って。

メレ山
 今までは世間一般の恋愛って、あらすじというか、3回目のデートで交際を申し込む、みたいな大体の流れがあったじゃないですか。それも意外と歴史が浅いルールだとは思いますが、そういう世間一般の恋愛に反発したい気持ちがかつてはありました。でも、それって王道があるから反発できるのであって、逆に教科書的なものがなくなると、どうしていいかわからなくなりますね。
 今のパートナーとも結婚とか出産を目指さないとなると、この恋愛ってどこにいくんだろうな、みたいな気持ちは正直あるんですよね。なんか最近、ひとりだと人生すごく長いな! って思いはじめて。

花田
 そうなんですよ、めちゃくちゃ長いですよね~。

メレ山
 家族を作ったり子育てをしたりして強制的に他者と関わるイベントがあると、人生がすごく早回しになるっていうか。そういう快速列車に乗りたい気持ちも、ちょっとわかるようになってきました。子育てみたいな共通のプロジェクトがあるとパートナーとも絆が深まるし。
 戦友みたいになるっていうのはひとつの理想形じゃないですか。

花田
 たしかに。「こうあるべき」をやれと言われると反発するくせに、道がなかったらないで迷いますよね(笑)。

メレ山
 そうなんですよね。ただ、恋愛の「こうあるべき」っていうのはどんどん解体していく一方で、家族の「こうあるべき」っていうのはより強固になっているっていうか、どんどん保守的なほうにいっているような感じもして。

花田
 あ、そうですか? たとえば?

メレ山
「男はこうだ、女はこうだ」っていうのを取り払っていった結果、「まともな人間とまともな人間が出会ってまともな関係を築いていきましょう」「相互に助け合っていきましょう」みたいな話をよくネットとかで見るんですけど。でも、実際はみんなそんなに人間できてないじゃないですか。

花田
 ああ、わかります。男らしさや女らしさを期待されることのかわりに、今度は無害でまっとうな善人であることを期待されているような圧はたしかにあるかも。

メレ山
 たとえば子どもを二人で協力して育てるというけど、片方、あるいはどっちもが子育てが上手じゃなかったときにどうするのかという部分にはあまり回答がないと思っていて。子育てに主体的に参加しない夫のエピソードとかを見ると、ひどいなあと憤慨する一方で「わたしはたぶん、こういうことをやらかしてしまう側の人間だな……」とも思います。

花田
 シェアハウスやゆるいつながり的な新しい夢が急速に広まっているけど、その夢の先で起こりうる問題点はまだふわっとしてますよね。いっしょに暮らす中で見えてくるそれぞれのダメさとかデメリットをどうやって計算式に入れていくか、というか。難しいですね。

恋愛から「ベタな男女感」をなくせるか

花田
 著書でご自身のミソジニー的な黒歴史について書かれていましたが、私も若い頃はミソジニー的な社会に参加してみたくて、その世界観の「いい女」として、たとえば風俗に行く男の人について「男っていうのはそういう生きものだからさあ」みたいな態度をとったりしてましたね。これはほんとうに、メレ山さん同様に自分にとっても恥ずかしい過去というか。

メレ山
 黒歴史になりますよね(笑)。

花田
 苦しい言い訳ですが、あの時代は「女の子はやさしい彼氏に愛されて結婚を申し込まれるのがいちばんの幸せ」派が主流で、そういうのつまんないなあ、って思って反旗を翻したい場合はやさぐれた感じで「私は全部わかってるから」っていう名誉男性的なほうにいくしかなかったんですよ!
 いや……私が浅はかだっただけか……。

メレ山
 いやいや(笑)。

花田
 そういうミソジニー社会は絶滅してほしいと思う一方で、これからの男女の恋愛ってどうなっていくんだろうなって……よけいな心配かもですが。男女で役割の決められた台本があったときの方が恋愛することが楽だったと思うんですよね。それがなくなっていくと性欲のトリガーが発動しにくくなるんじゃないかな、って。

メレ山
 たしかに。「男らしさ・女らしさから脱しないと」って言いつつ、頼りになる男の人に何かしてもらってうれしいとか、それこそ「背が高くて素敵」と思う気持ちは私の中にもあるので、そこがなくなったら、性欲のトリガーを見失っちゃうかもしれない。人として尊敬してます、みたいなフラットな感じだと、それって友達と何が違うんだ、ということになるし。

花田
 性差別的なトリガーに頼らずとも性欲は発動するとは思うんですよ。でもメレ山さんが著書で書いていた「フサヒゲサシガメ」みたいに自分が持っているフサフサのヒゲで人を魅了して、「この人と接触したい」って思わせることって、理想だけど、「いやそれめちゃ難しそう!!」って思って。

メレ山
 そうなんですよね。それって結局才能に惹かれるゲームみたいになって、通常の恋愛より傷つく危険性が高まる。全部の恋愛がそうなるとものすごいハードな世界になるよな、っていうのは感じてますね。それこそ就活みたいになっちゃうかもしれない。

花田
 性的魅力って、これからどう変化していくんでしょうね。

メレ山
 自分の頭の中では、性的に惹かれる基準っていうのは、自分が生きているうちは変えられないかもしれないですね。世間的にはこうだってわかっているし好ましいと感じているけれど、自分の嗜好には古い基準の影響が残っていると感じながらやっていくんだろうなって思ってます。

花田
 私は本とかメディアの影響を受けやすいという自覚があって。なので、中学生くらいの頃は世相を反映して「ゲイはいいけどレズビアンはダメ」というような差別感情がありましたね。でも最近はレズビアンの素敵なコンテンツが目に入ってくるからまんまと影響を受けて、女の人いいな、と思っている自分もいて。そうやってメディアが変わると、自分も、まわりも、けっこう安直に変わってしまえるかもしれないって。

「わかる/わからない」「アリ/ナシ」で語られがちな恋愛論

花田
「恋愛のことを書くと、『わかる』という感想が多くなるのはなぜ? ちょっとつまらない」と書かれていましたね。たしかに恋愛の話ってなぜか「わかる/わからない」の二択で語られがちというか。で、私がすごく嫌いなパターンが、双方に分かれて「どこからが浮気か」みたいなアリナシの議論をするやつで、クソさむいな~っていつも思ってるんですけど。

メレ山
 ほんと意味ないですよね。「男女の友情は成立するのか」みたいな。

花田
 いちばん嫌いなテーマです(笑)。この話題は必ずナシ派が持ちかけてくるんですよ。で、必ず、「それは結局下心なんだよね」って言い聞かせようとしてくるんです。《俺は、》ならいいじゃないですか。「俺は女の人は性欲でしか見られない」っていう最低のカミングアウトとしてその話は聞きますけど。そうじゃないなら「男ってみんなそうなの」「だからあなたたち女の感じた友情ってただのまやかしなの」って一般化する。何なんですかね、あれ。

メレ山
 あれ全然わかんないですよね。だってその二人にもう友情がある事実を否定しに来る意味がわかんないじゃないですか。お前なんかに下心なしで寄って来る奴はいないんだよっていうことをそのまま言ったら失礼だけど、男女の友情は成立しないんだよ、みたいに一般論にしたら偉そうな感じでいられるから。
 著書に登場した、ミソジニー強めの男「ハシダ」も最後はそんな捨て台詞を言ってました。いわゆる遊び人みたいな人がそれを主張することが多いですよね。世の中は俺のゲームなんだよって言いたいんだろうな。

花田
 違うルールが存在すると不都合なんですね。しかも自分の理解できないところにいいものがあるなんて許せない。

メレ山
 人のグラウンドに乱入してるのお前だろって思うんですけど。

花田
 たぶんホモソ社会全体がずっと温存してきた問題ですよね。「女を使い捨てしちゃう俺」的な話で結束を固めるゲームを続けることって、女が迷惑するだけじゃなくて自分たちのこともどんどん苦しくしているんですけどね。

メレ山
 あと、「不倫はアリかナシか」とか。そんなの当事者たちにとって「許せるか許せないか」しかないだろう、と。

花田
 男女の友情問題と同じで、不倫について、アリかナシかという議論をしたい人は多いですね。
 芸能人含めて、他人の関係についてそんなことを判断できるわけがないと思うんですが。少し前にもお笑い芸人の方が多目的トイレで不倫をしていたことが異様に盛り上がっていましたね。

メレ山
 あの件って、遊びの相手だからといって自尊心をわざわざ踏みにじるような扱いをしていたところがひどいと思うんですけど、もし独身のただ遊んでる芸能人だったら、ちょっと武勇伝みたいになる場合もありそうですよね。そこに腹が立ちましたね。「あんなに綺麗な奥さんがいるのに」みたいなコメントも的外れだなあと。

花田
 醜い配偶者ならいいのか? と。でも、もし「あんなに綺麗な奥さんがいるのに」が封じられたら今度は「売れない時代も支えてきた」とかって持ち出してくるじゃないですか。結局そうやってかわいそうだと言いやすい美談のフォーマットに落とし込んで、攻撃できるストーリーを作ってワクワクしているというか。嬉々として正義を振りかざす現象は見ていてしんどいですね。

メレ山
 ですね。だから結局恋バナも、芸能人の話題よりは身の回りの人の話を聞いてるほうが楽しくて。

メレ山メレ子さん
新しい世代の人たちが恋愛をどういうふうに書くのか早く読みたいな──って思います。(メレ山)

若い世代に新しい恋愛を教えてもらおう

花田
 ミソジニーと正義感の問題はいったん置いておいて、恋愛の話がなぜ「わかる/わからない」で盛り上がってしまうかというと、恋愛にはなぜかほんとうにその人だけの感覚みたいなものが多くて、みんなも自分と同じルールでやってると思ってたのに他の人は違ったんだ、という発見があるんですよね。その世界の不思議を知ることが面白いから盛り上がるのかな、とも思います。

メレ山
 たしかに、世界の形を知りたいっていうのはすごくありますね。

花田
 同じ時代、同じ国に生まれながら自分と全く異なる恋愛観の人に出会うたび、どこでその分岐が行われたのだろうという不思議さをいつも感じてました。

メレ山
 そうですね。

花田
 若い頃は自分を「恋愛好き」と自認していたのですが、今振り返ると、別に恋愛じゃなくてもよくて、誰かを深く知るということに面白さを感じていたんだと思います。ただそれが恋愛以外の枠では難しかったというか。べつに異性じゃなくてもよかったし、ほどよい距離感でも独自の関係性を切り拓けるし、それでいいんだ、ということにやっと気づけたのが30歳過ぎだったので……。

メレ山
 その時期的なところも含めて、すごく、「私もやったな」って思います(笑)。人と近づいてよく知るためのフォーマットが恋愛しかなかった。別にそんなガーッていかなくても仲良くなれるんだってことを知ったのが最近(笑)。

花田
 まったくいっしょですね。

メレ山
 好きになったらガーッていっちゃうのは変わらないです、そうじゃなくても、その人を知ったり、わかり合えるんだって実感としてわかったのは30代になってからですね。

花田
 矛盾するようですが、そういう恋愛でボロボロになるのも楽しかったです。楽しいというか、相手が自分の描いた夢の通りに動いてくれないことを知って、「なんでこうしてくれないの!?」って、恋愛を盾にして人とぶつかり合うことができたというか。それは性欲や独占欲というブーストの乗った恋愛ならではの体験だと思うので、これから若い人たちの恋愛がそういうものであったらいいなって、もうおばあちゃんみたいに思ってるんですけど(笑)。
 今の若い人たちの恋愛は、どんな感じなんでしょうね?

メレ山
 私の周りには若者のサンプルがないのですが、先日対談した桃山商事の清田隆之さんが、10代の男女恋愛リアリティーショー番組で時代の変化を感じたと言われていましたよ。女子から告白された男子も「僕はほかに気になってる子がいるんだけど、でも君次第で僕の気持ちが変わるかもしれないから、頑張ってみたらいいと思うよ」って真面目に言うんですって。私もその番組を見てみたいなって思いました。

花田
 勝手な願望ですけど、若い人たちの恋愛がどう変わっていくのかを見てみたい。

メレ山
 新しい世代の人たちが恋愛をどういうふうに書くのかなっていうところも、フィクション・ノンフィクション問わず、早く読みたいなーって思いますよね。

花田
 40代になって、新しい価値観やセンス、流行を若い人から学ぼうというのは日々当たり前にしていることなので、同じように恋愛も、この時代のネイティブである若い人の感覚を通して学ぶことで、自分たちの答えが見つかるのかも、という気がしています。

メレ山
 ですね。若さに期待しましょう!(笑)

血のつながった子どもじゃなきゃダメですか?

花田
 若い頃って、「子育てをする人生or子育てをしない人生」の二択なのかなと思ってたんですけど、子育てってけっこうすぐ終わるなと思っていて。世話をしたりずっとそばにいないとならないのは実質10年ぐらいというか。「子どもの成人まで」20年と考えると、若い頃は人生のほとんどのように見えていたんですが、10年のイベントだったんならもうちょっと気軽な気持ちでやってもよかったかもな、って(笑)。

メレ山
(笑)。中学生くらいになるともうそれくらいひとり立ち感があるんですね。あの、友人が4人目を作るか~って言っていて、その理由が「もう子育てが趣味みたいになっているから、もうちょっと子育ての期間を作りたい」って。「他に特に趣味がないから」みたいな。

花田
 あはは。趣味がわりなんですね。

メレ山
 子どもがいない身からすると、「子育てという大業を成し遂げてやっとひと息ついた感じなのかな? 」って勝手に思っていたので、そういう発想もあるんだってびっくりしたんですけど。言われてみれば、ぎゅっと濃密な時間っていうのは意外と短いのかもしれないですね。

花田
 とはいえ、まだ目の前にいない時点で10年契約を結ばされるってすごいことじゃないですか?

メレ山
 すごく怖いですよね。

花田
 まだ買ってないし見てもないのにキャンセル不可とは、って思っちゃいますよね。

メレ山
 そうそう、子育て以外のことだったら普通踏み切れないでしょって。

花田
 難しいですよね。たしかに実際、無責任に妊娠・出産して虐待につながったり、自分が後悔するっていうケースもあるのかもしれないですけど、あんまりそこを脅しすぎても、というか。

メレ山
 それこそめちゃくちゃ覚悟して万全の環境を整えたつもりでも、うまくいかないことってあるじゃないですか。そういうときに、公共や周囲の手助けとか、うまくいかなかった場合のセーフティネットが充実していることのほうがよっぽど大事かなって思うんですけどね。

花田
 ほんとうに。日本が特にそうなのかもしれないですが、やっぱり母親っていうものが最終的な決定権や責任を全部背負っていて、どんなに貧しくてもどんなにつらくても、一人で成し遂げなきゃいけない、みたいな圧はありますよね。

メレ山
 そうですよね。血縁をものすごく重視するとかも。あの、花田さんが著書で映画『そして父になる』を観たときに、「病院で子どもが取り違えられていて、数年育ててきた子どもが実は自分の血のつながった子どもではなかった」っていう苦悩が全く共感できなくて、映画として全然入ってこなかった、って書かれていましたけど、私も同じことを思ってました。だってもう何年も育てて自分の子どもになってるんだからいいじゃん、って。すごく軽い感想になっちゃいますけど。何でこんな悩んでるんだろうって思っちゃったんですよね。

花田
 あ、うれしい、同じ感想の人がいて(笑)。そう、あれ、ほんとうにわかんなくて。でもきっとあれを観て、「わかる」って思う人がたくさんいたってことじゃないですか。

メレ山
 そうですよね。子どもがいなくても「これは大変なことだ」ってなる人のほうが圧倒的に多いんでしょうね。

花田
 きっと子育ての初期のつらいときに「血がつながっている子どもだ」と思うことで自分を奮い立たせるというか、特別愛すべき存在なんだということを拠りどころにしてきたから、それが奪われたときに何を愛していたのか見失ってしまうということなんでしょうか。

メレ山
 そこが実感としてわかりにくいですよね。

花田
 1ミリもわからなくて。自分と似ているから可愛いんだとしたら、他人の、顔がそっくりな子どもでもいいんですかね? 多分違いますよね?

メレ山
 自分の血が後世に残ることを重視してるってことなのかな。でも子どもは存在してるわけですもんね、とりあえず。取り違えだけど。

花田
 映画では遺伝子も残っているし、自分が可愛がっている子どもは手元にいるし、全然オッケーじゃない? って思っちゃうんですけど、多分めちゃくちゃ少数派なんでしょうね。

メレ山
 そうですよね。根底が揺らぐみたいな感じで描かれていましたもんね。

花田
 そういえば私が子どもの頃、「お前はほんとうは橋の下で拾ってきたんだよ」みたいなことを子どもに言って脅す文化みたいなものが全国的にあったのですが。

メレ山
 ああ、冗談で?

花田
 冗談でもあり、子どもを叱るときの口上というか。子どもに不安を与えて「血がつながってないなんて嫌だ!」って子どもに泣きついてもらうための親の「試し行動」だったんでしょうかね。当時は親の空気を読んで乗っかりつつ、寝る前にひとり布団の中で「ほんとうは芸能人か大金持ちの子どもかもしれない」とワクワクしていました(笑)。

メレ山
 そういうポジティブな妄想のほうに、無限の可能性を感じますもんね(笑)。

花田
 夢が膨らんでしまって。

メレ山
 私、少し歳の離れた姉がいて。姉は子ども好きなんですけど結婚はしなかったので、子ども欲しかったなー、とたまに言うんですよね。で、数年前、私は産むのはちょっとやってみたいけど育てたくはないから、産んで姉に育ててもらったらいいんじゃないか、っていうのをわりと真剣に妄想していた時期があって。

花田
 それはそれでほんとうによさそうですよね。でもなんか……それをやるって言ったときに、世間的には「そんなふうに子どもを気軽に扱うな」みたいに怒られそうですよね。逆にそうでなければ感動的な泣ける話にされそう。

メレ山
 そうなんですよねー。なんかめちゃめちゃ怒られたりしそうだなって。いちおうネットで検索したら、知恵袋で「妹の子どもをもらうのはアリでしょうか」みたいなことを書いている人が鬼のように怒られていました(笑)。

花田
(笑)。でも不思議だなって思うのは、里親もですが、シングルマザーで子どもを産みたいっていう人にはすごく覚悟を問うのに、結婚している男女にはそんなふうに覚悟を問わないじゃないですか。離婚率は上がっているし、既婚男性の育児放棄は当たり前のように起きているのに、そこに対してはすごく無責任に、子どもを持つっていいことだよとか、結婚したんだから次は子どもだね、っていうのは謎だなって。その人たちにも同じくらい覚悟を問いなさいよって思うんですよね。

メレ山
 そうですよね。「結婚している男女」「血のつながった子ども」というレールの外にいる人にはいきなり厳しいですよね。
 結局自分のその画策は、もし自分が産んで姉の子にする手続きをできたとしても、姉が何か勘繰られたり、周りに怒られたりしたときに自分が支えられないなら、やっぱり今の状況では難しいのかなーというのもあって、思いつきの域を出なかったんですけど。

花田
 子どものことになるとすごく……そういう執念というか、みんなが信じている特別な《宗教》がありますよね。これも家父長制の呪いですかね。結局どこまでいっても「女が自分の産んだ子を特別に愛する」という幻想が追いかけてきて、メレ山さんのケースについても後年に「私の子どもだからやっぱり返して」というようなケースを心配されるのかも。もちろん実際にそう感じる女性もいるのでしょうけど。

メレ山
 たしかにね。そうなったらそうなったで、「じゃあいっしょに育てようか」ってなったり、そういう選択が妙に浮かない世の中のほうが過ごしやすそうだなと思うんですけど。

花田
 少子化が困るというけど、今の時代に合わせて多様なかたちで子どもを持ち、育てることを邪魔しているのは社会通念と国の制度って感じがしますよね。変わっていってほしいです。本日はありがとうございました。


こいわずらわしい

『こいわずらわしい』
亜紀書房


メレ山メレ子(めれやま・めれこ)
1983年大分県別府市生まれ。平日は会社員として勤務。2021年から、昆虫研究者やアーティストが集う新感覚昆虫イベント「昆虫大学」の企画・運営を手がける。 著書に『メレンゲが腐るほど旅したい メレ子の日本おでかけ日記』、『ときめき昆虫学』、『メメントモリ・ジャーニー』がある。

(構成/花田菜々子)
〈「STORY BOX」2021年7月号掲載〉

井上真偽 ◈ 作家のおすすめどんでん返し 02
【著者インタビュー】日高トモキチ『レオノーラの卵 日高トモキチ小説集』/エンタテイメントの神髄が味わえる自由で豊かな物語世界