ゲスト/山崎ナオコーラさん◇書店員が気になった本!の著者と本のテーマについて語りまくって日々のモヤモヤを解きほぐしながらこれからの生き方と社会について考える対談◇第3回

ゲスト/山崎ナオコーラさん◇書店員が気になった本!の著者と本のテーマについて語りまくって日々のモヤモヤを解きほぐしながらこれからの生き方と社会について考える対談◇第3回

「時短」が時代のキーワードとなった今、私たちは家事を効率的に片付けることを目指せば本当に豊かな生活を送れるようになるのか。一家の経済を支えるために働きながら二児を育て、家事の大半を担っている山崎ナオコーラさんと、「家事」を通してこれからの人間らしい生き方を模索しました。


家事は社会参加だ!

花田
むしろ、考える家事』読ませていただきました。お子さんが生まれて育児のことを書かれる方は多いですが、そこで家事に焦点を当てるというのが新鮮で。ナオコーラさんの「家事をやっていて外とつながる仕事をしていないと自分だけが取り残されてしまって損に感じる。けれど家事を減らすことを考えたり無駄だと捉えるのではなく、家事をがっつり考えることで取り返してやる」という復讐のような視点を見つけられただけで、もうすでにこの1冊を買った価値があったように感じました。

山崎
 復讐というか、革命というか。よく、「女性の社会参加」とか「育児後の社会復帰」という言葉を聞きますが、おかしいと感じていて。休職中の家事や育児も社会なんじゃないかと。

花田
 うんうん。

山崎
 主婦も主夫も介護者もニートも社会人ですから。だから社会参加とか社会復帰って言葉を使うのはおかしいなって思っています。

花田
 たしかに、今まで何も考えずにその言葉を使っていましたが、ほんとうにそうですね。

山崎
 家事が社会から外れてるものではなくて、社会を作ってるものだと考える世の中にしたいし、自分もそういう自覚を持ちたい。私自身も、この本の執筆を通してそう思えるようになったので、復讐を果たす、という意味では果たせたと思います。

花田
 なるほど。家事を、「時短」「なるべく減らす」という視点でなく、かつ「ていねいな暮らし」の文脈でもなく、「考えてみる」というのは新しいですよね。

山崎
 家事について考え始めたのは親になってからですが、単純に今までより負担が大きくなったんですよね。この重い家事は何なんだ、この無駄に思える一時間は何なんだ、っていうことをすごく考えました。でも「時短」というような方向性で、家事の時間が損という考え方を続ける限りは、外に出て仕事しているもうひとりの親や他の作家友達への悔しさがなくなることはない。この悔しさをなんとかするには、もう価値観を変えるっていう大変革がないとできないなって気がついて。

花田
 悔しさ、がまずあったんですね。家事をしているあいだに自分の収入が減ってしまう、というような経済的な問題からの焦りや怒りもあったんですか?

山崎
 以前より収入は減っていますが仕事は休まず続けていまして、もうひとりの親と比べると多く稼いでいるんですね。それで、家事は私の方が多くやっていると思うので「分業」じゃない。買ったマンションの名義はもうひとりの親にしまして、自分がずっと多く出して来た食費とか生活費は何の資産ともカウントされずに消えていくんで、面白い関係だなって。

花田
 それは不公平だとは感じませんでしたか?

山崎
 いや、不公平でいいんです。20~30年前まで成り立っていた、家庭を会社のように、働く人/家事をする人、と分業して運営していくという考え方がもう成り立たなくて、そう考えることをやめなきゃいけないんだって思ってます。パートナーじゃないただの人間関係なんだと。

花田
 ナオコーラさんはどこかの時点で「自分のお金はもういい」と覚悟が決まったのでしょうか?

山崎
 お金の時代はもう終わって、今の子どもが大きくなる頃にはAIとかロボットとかが発達して、新しい職業がどんどん出てきたり、ベーシックインカムの導入で仕事の概念が変わって、趣味中心の生活になっていくのかもしれないし。大きく変わっていってると思うんですよ。そうすると、お金を誰が稼いでるかっていうのを重要視したり、自分の家事を労働としてお金に換算しようとか、そういう考え方は廃れていくんじゃないかなって思ったから。

花田
 みんながそう思えたらいいのかもしれないですけど、たとえば家に入れるお金の割合が1対9で、さらに家事分担がお金をたくさん出してる人に偏っている状態だと、納得がいかなかったり、怒りを感じる人も多いのではないでしょうか?

山崎
 だから今うまくいかないという人が多いと思います。でもお金とか仕事とかのイメージを変えていかなきゃいけないと思う。

花田
 なるほどなあ。でも、私はやっぱりお金を自分が稼いでないと不安だし、家族というものをそこまで信じられないかも。そんなふうに達観できるのがうらやましくもありますが、いつでも自分が1人で生きていけるだけのお金を確保しておきたい。

山崎
 ああ、はい。

花田
 ナオコーラさんは今、収入もあって家事能力も高いから、そういう……仙人のような、ある種の達観というか、譲るような視点で、「会社みたいに考えなくていいんじゃないか」っていうことを発言できる立場に逆にあるのかもしれないんですけど、私は自分がお金もなくて生活能力もない立場だったら、やっぱり苦しいな。

山崎
 えーと、そうですね……私が思っているのは、その社会システムに問題があるってことですね。いちばんの問題は、労働時間が長いことだと思うんです。日本の今の社会で基準とされてる労働時間がすごく長いから。特に乳幼児がいる人は、基準とされている労働時間をこなした上で家事をやるのは無理。大人が二人いてもこなせないんですよ。

花田
 それはほんとうにそうですね。個人の力量や努力でどうにかできるレベルじゃない。

山崎
「仕事する」人は誰かに家事をやってもらえる前提になってしまってると思うんです。それをなくさない限り、不平等感とか家事のストレスはなくならないと思う。基本の労働時間が少なくなったり、他のことをやりながら生きていくイメージが社会に浸透したりしたら、ストレスが少なくなっていくんじゃないかなあ。

花田
 たしかに。実際に、コロナ禍でみんながちょっと働き方をセーブするようになったと思うんです。自営の飲食店の方などはそれとは違う深刻な問題に直面していますが、企業は、たとえば書店でも今までは昨年度との売上比が、目標数値が……という世界だったのですが、もう頑張ってもしょうがないな~って、企業の中にいてもその空気を感じるというか。

山崎
 ああ、もうそういう数字の意味がない、と。

花田
「もうなるようにしかならない」という空気というか。「残業をたくさんしたほうが偉い」的な価値観はどんどん弱まってはいましたが、この1年で決定的にひっくり返された感じはありますね。

山崎
 企業自体も、基本の仕事へのイメージが変わっていくんじゃないか、ってことですか?

花田
 コロナ禍収束後も企業は当然利益を出すことを掲げるとは思うんですが、社員の人たちは前みたいにそこに乗っていけるのかな、って。他人事みたいですが、もう売上や利益にモチベーションを持てなくなってしまうかも、と思っています。歩みを止めたり、消費する以外の良さを知ってしまって。

山崎
 そうですね。環境破壊も進んでいるから、大量生産・大量消費をやめようっていうムードになってきているし。どんどん作って、新しい広告を出して、どんどん売る、みたいなやり方もなくなっていくのかな。

家事とスマホゲームの効果は同じ?

花田
 エッセイの中の「つくろいもので癒される」に特に共感しました。私も繕い物をするのがすごく楽しくて。

山崎
 いいですよね。今ダーニングというものにハマってるんですけど。

花田
 服の擦り切れや破れをあえてカラフルな糸で補修する、最近のムーブメントですよね。私もパートナーの子どものズボンがよく破けていて、その破れを繕っているうちに、これすっごい楽しいな~! って思えてきて。もっとどこかに穴があいてる服はないかって探すようになりました(笑)。

山崎
 穴があいてるものを見つけるとうれしいっていう感覚はすごくわかります。破れたところを糸で縫うのを自分のセンスでいろんな色でやっていると、より可愛くなったんじゃないか、と思えて。

花田
 私はダーニングはやったことがないのですが、楽しそうですね。

山崎
 楽しいです。でも、まあまあ時間もかかるんです、穴を繕うのに30分とか……。エッセイ書いてお金稼いだほうがよっぽどいい服買えるし、意義があるんですよ(笑)。エッセイより縫い物のほうが絶対に下手だし、なのにそれをやってるっていうのが不思議なんですけど、これが人間なのかなって。

花田
 たしかに。人間らしさがありますね。

山崎
 あと、なんでダーニングみたいなことを急に始めたかっていうと、SDGsとかにすごいかぶれて(笑)あれこれ考え始めて。でも企業だけじゃなくて、消費者も頑張っているし、企業努力よりも主婦や主夫の努力のほうが、環境問題を変えられるんじゃないかって思うんです。だからやっぱりこれも社会活動ではあるんじゃないかな。

花田
 それはすごく共感します。「家事で社会を変える」っていうワードだけだと抽象的な気がしてしまうけど、そうやって企業の壮大なポリシーよりも、自分が針と糸を動かすことが社会を変えるのだ、と考えると腑に落ちます。それに、そういう手仕事には心が落ち着いたりアイディアが浮かんだりする効果もありますね。

山崎
 そうですね。

花田
 料理の献立を考えるのはスマホのパズルゲームみたいなものだとエッセイで書かれていましたが、私は、やっぱり料理や縫い物という家事にはスマホのゲームだと得られない効果があるんじゃないかなと思っています。

山崎
 私はスマホのゲームと同じだと思ってます。どのあたりが違うと思いました?

花田
 実は最近、スマホのパズルゲームにハマって中毒みたいになってしまったんですけど、ほんとうに虚無の極みなんですよ。特にやりたくない仕事から逃避するために連続で6時間ぐらいやっていたときは、もう自分が嫌になってしまって……。

山崎
(笑)

花田
 ダーニングをする時間は自分のことを嫌いにならないと思うんです。スマホのパズルゲームは生きることにつながっていないからじゃないかなって思ったんですよね。だからこそ、逃避行動としてはすごく効果的なんですけど。

山崎
 そう聞くと、逆にスマホゲームって素晴らしいんじゃないかって思えてきました。なんでそこまで、というくらい大勢の人がやっているわけだから、ほんとうに人間に必要なんじゃないかって気がします。

花田
 いやいやいや(笑)。でもたしかにパズルゲームが素晴らしい可能性はあって、気がかりなことがあるときに皿洗いなら手を動かしながら考えが進むけど、ゲームは6時間やったらただ6時間が消えるだけなので、たとえばほんとうに考えたくないつらい出来事とかがあったときに、ゲームだけができることっていうのもあるんじゃないかなって思って。

山崎
 ああ。そうかもしれないです。

花田
 つらすぎて根本的な解決を目指す気力がなかったりする瞬間に、とにかく一時停止したいっていうときには有効かも。

山崎
 大学の後輩が仕事を辞めた時期に、ずっと酒浸りだったらしいんですけど、お酒があったから生きてこられたと言っていたんです。その後普通にまた仕事を始めて、そんなにお酒も飲まなくなったんですけどね。依存は怖いものだということは忘れちゃいけないんだけど、無為に過ごす時間を要するときって、人生にはあるのかもしれなくて。そういうときはやっぱり家事じゃないほうがいいのかもしれない。

花田
 鬱のときに女性アイドルグループに出会って死なずに済んだとか、そんな話もよく聞きます。でもしっかり自分の人生を生きていくことを考えたときに、アイドルと酒とスマホゲームだけだとやっぱりダメで、何かそこには、料理をしたり服を繕ったりお皿を洗ったり、そういうことも必要というか、生活という栄養が必要なときもあると思うんです。

山崎
 そうですね。要はタイミングなのかもしれないです。鬱のときって本が好きな人でも漫画しか読めなくなったり、重い話が読めない時期があったりするじゃないですか。でもずっとそれでいいわけでもなくて、違うタイミングが数年後には来るから。

花田
 それはありますよね。

山崎
 だから……全部タイミングなんだって思うと、何だろう……私が乳幼児の世話と家事に追われている5年が、もしかしたら無為に過ぎたとしても、それはほんとうに、完全な無為なものでもいいのかもしれないですね。私は家事をすごく有意義にしようとしてたけど、もしかしたら完全に無意味でもいいのかもしれない。っていうのを、ちょっと今、思いましたね。

花田
 そんな、作品のテーマを根本から覆すようなことを……!?(笑)
 でも、そもそも家事に追われていない気楽な立場の自分からすると、家事・育児に追われる5年っていうのは、無駄にならなそうに思えてしまいます。それはもしかしたら「家事をやってる人は偉い」というような憧れが乗っかっちゃっているからかもしれないんですけど。

山崎
 そうなのかな。でも、たしかに自分でも不思議なのは、私は高齢出産でして、家事や育児をしている人に対して何か負い目のようなものを感じていた時期が長くあったような記憶があるんですけど、今はむしろ『一人暮らしのライフスタイル』とか『仕事で人と出会う』とかの本の方がキラキラして見えるんですよね。

花田
 面白いですね。自分に欠けているものを渇望する、ということなんでしょうか。

雑談が足りない、余白が足りない

山崎
 もうひとりの親から「今日は職場でこういう人と会って雑談した」「同僚とこういう雑談をした」みたいな話題が出てくるんですけど、正直すごくうらやましいんですよ。

花田
 うんうん。

山崎
 今はコロナ禍だから、仕事の打ち合わせも激減して、大人同士の会話っていうのがあまりなくて。だから、「うわー! ちょっとした雑談とか、やってるんだ!」みたいな(笑)。すごいうらやましいし、雑談が人を人たらしめるんだ、と思ったりして。

花田
 それまではよく友達や仕事仲間と飲みに行っておしゃべりする生活をしていた人でも、今は雑談の機会がないというケースがすごく増えてますよね。それで何でもないような雑談っていうものにすごくみんな飢えている気がして。たとえば自分も、たまに何人かでご飯に行ったりすると、異常なテンションで盛り上がっているというか。飢えてますね。

山崎
 ほんとそうです。すごく、今、私楽しい。

花田
 えっ! よかった~!(笑)

山崎
 ひとりでいると、この対談を始めたときみたいに、ロボットとかAIとか、社会がどうの……みたいなことをガツガツ考えているんですけど、しゃべっているうちに……こう……考えが柔らかくなっていったというか。なんかやっぱり人としゃべるっていいなと。

花田
 小さいお子さんがいる方から、社会から自分が遮断されてるように感じる、子どもとだけしか関わってなくてしんどい、というような話ってすごくよく聞くんですよね。だから、家事の問題とは別で、何かそういうのを解消できるシステムというか、何かがあればいいんですが。

山崎
 そうですね。そうかも。家事の中には雑談がないっていう問題はけっこう大きいですね。大人との雑談がない。

花田
 ママ友とか……? となると、今度はそこが過剰になって、ママ友との関係性がつらい、みたいな問題も出そうですね。雑談で済めばすごくいい関係なんだろうけど、自分で選べる関係性じゃないから、ときにはしんどさを感じることもあったりするのかなあ。

山崎
 でもそれは会社もそうですよね。

花田
 たしかに……。でも友人や家族より、それくらい距離のある人との雑談のほうが心地いいときもありますね。がっつり本音で話すこととは別に、好きなものや価値観が全然違う人と、ちょっと軽くしゃべったりするのもいいですよね。最近よくラジオを聴くんですけど、お笑い芸人さんがやってるような深夜の2時間くらいの番組って、聴き終わったらもう忘れてるような内容なんだけど、でも重要な話を2時間聴くよりもその余白のようなものが心地いいのかもって思って。

山崎
 ああ、それって、リアルの本屋さんに行くと、自分が思ってもないものが目に入ってきたりだとか、何か全然違う気分になって、買おうと思ってた本と違う本を買っちゃったりだとか。ちょっとそれにも似てますよね。

花田
 たしかに。自分の予定してないものが入ってくる楽しさというか。そういえばこの対談の担当編集者さんとも「この本は余白があるのがいいですよね」とちょうど話していたんです。「こう考えろ」と促されるわけではなくて、自分の気持ちがいろんなところに入っていく余地があるというか。自分の場合はこうだなって考えを広げてみたり、本のエピソードから全然関係ないことを思いついて、そういえばこれってどうなんだろうと考えが本の外に飛んだり。何かそういう余白を感じさせてくれる魅力がありました。

山崎
 それはすごくうれしいです。

花田
 自分の感覚が開かれたというか、家事について語ってもいいんだなって。しかも時短とか、こうやったら楽だよっていう語り方じゃなくて、何の家事が好き? とか、この家事のときの、このパズルみたいな感覚面白いよね、みたいな話で盛り上がれたら楽しいですよね。今までは仕事の話、配偶者や家族の話、あとは趣味だったり好きなコンテンツの話とかで盛り上がるというのが定番でしたが、そういうふうに家事の話で盛り上がってもいいよなって。

山崎
 そうそうそう。家事って、どうしても何か愚痴とか、どうやったらうまくできるかという話しかできない分野という雰囲気があるじゃないですか。ほんとうはもっと情緒のある話とか、人間らしさの話もできる分野なんじゃないかなと。

花田
 そんなことを考えてやってみようって思うだけで、何かちょっと楽しくなってくる気がします。この10年後の家事がどうなってるのかも、すごく楽しみです。

山崎
 そうですね、ほんとうに。いい時代が来そうで楽しみです。

花田
 自分たちでもその時代を作っていく、というか進めていかなくちゃっていう気持ちもありますし、そういう意味でもナオコーラさんのこの本は効くんじゃないかなと思います。
 家事というよりは育児の話になってしまうかもしれませんが、著書の「子どもに何かしてやったときに『ありがとう』を求めてはいけないと思う」というところもとても共感しましたし、面白かったです。私も実の家族ではない関係性ゆえに、パートナーの子どもに「ありがとうと言え!」と教育したほうがいいのかどうか悩んでしまうので。

山崎
 作家の仕事でも、読者からの感謝とか読者からの感想を求めて書いたらだめと思うからそれと同じで、家事でもありがとうと言われることを求めちゃいけないんじゃないかと思うんですよね。でもやっぱりそのことと教育は別だから、言えるようになってほしい気持ちもあるし。

花田
 うんうん。挨拶についても書かれていましたね。

山崎
 挨拶については私も悩んでいて、うちにいる子どもも挨拶がうまくできないことが多くて、「挨拶って何なんだろう」ということをよく考えます。ありがとう、っていうのも変な言葉ですよね。「障害」のある子に特にありがとうをきちんと言えるように教えよう、という話をときどき聞きますよね。にっこりとありがとうを言えるようになると、みんなが助けてくれるから、と……。

花田
 なるほど。それは……うーん。

山崎
 それでいいのかなって。ありがとう、という言葉は言われるほうは絶対ものすごくうれしいけど、ありがとうを言う回数がかなり多くて言われることが少ないと、それは負担なんじゃないかと思うときもあって。だからほんとうは慎重になったほうがいい言葉ですよね。言えば言うほどいい言葉なわけじゃなくて。どう扱えばいいんだろうって、まだ自分も考えの途中ですね。

花田
 たしかに。障害のある方のことで言えば、生活保護などもそうですが、そもそもどんなに性格が悪い人でも助けるのが当たり前、という社会にしていかないといけないじゃないですか。愛想がいい人やへりくだる人だけを「助けてやる」という態度であってはならない。ただ、もし自分が障害のある子どもの親だったら、その子がうまくやっていくためのライフハックとしてそういうことを教えなくちゃいけないかもしれないですよね。でもそれは深い意味ではその子を否定することになってしまう、ということですよね。

山崎
 そうですね。ほんとうに。

花田
 難しいですね。その理想の社会に、少なくともこの10~20年でならないだろうなって思っちゃうから。何が正しいのかってすごく難しいなって。その難しいままを子どもにも伝えられたらいちばんいいのかもしれないですけど。

山崎
 うんうん。

花田
 子どもがありがとうを言わないときに、言いたくない理由というか、感覚がわかるんですよ。でも、その共感ベースになってしまっていいのか、そこをわかってしまわずに「言いなさい」と鈍感に押し通してしまうのが大人としての仕事なのか。悶々としてしまいます。

山崎
 これは完璧に同じ葛藤があります。教育的に考えれば、ありがとうと言える子ほどうまく生きていける。それはもう確実じゃないですか。「障害」のある子でもそうでない子でも、ありがとうって言える子ほど、良い教育が受けられるし、いい仕事ができるから、そうなってほしい気持ちは確実にあるんだけど、それを言っていいのかみたいな。

花田
 そうなんですよね。難しいです。

山崎
 社会としては、花田さんの言うとおり性格の悪い人にも優しくしなきゃいけないっていう社会にしたいですよね。

花田
 でも、この葛藤を共有できただけでもうれしいです。

山崎
 私も。

花田
 これもまた社会がいいほうに変わっていけばいいんですが……。ナオコーラさんの別の本ですが、『ブスの自信の持ち方』、この本もとても好きな本です。その中で「これからの時代、顔の価値は下がる」ということを書かれていましたが、今ほんとうにそうなってきていますよね。今、YouTube でも顔を出さずに自分をアニメの動くアイコンで表現する VTuber というものがひとつのジャンルになっていて人気があるのですが、ご存じですか?

山崎
 いえ、知らないです。

花田
 その世界では昔のように「ほんとうはブスだからアニメの顔で隠す、ごまかす」という感覚ではなく、アニメの顔で自分を表現したい、それが自分にとって自然である、ということがもう揶揄なしに普通に通っているみたいです。だから、肉体の顔ってべつに大事じゃないというか、ちゃんとそういう時代になったんだなあ、と思って。

山崎
 すごく面白いですね。時代は変わってるんですね。希望が持てます。

花田
 ナオコーラさんの予言が当たったぞ、ってちょっと思ったりしてるんです。

山崎
 いや、でもその『ブスの自信の持ち方』を書いていたときから、もうすごい時代が変わった気がして。2年、3年でどんどん変わりますね。思ってもない未来が来るかもしれない。

花田
 だから家事も、このあとどう社会が変わっていくんだろう、ナオコーラさんの予言当たるかな、って思いながらこの先の変化を見るのを楽しみにしています。

山崎
 そう言っていただけるとうれしいです、はい。


むしろ、考える家事

『むしろ、考える家事』
KADOKAWA


山崎ナオコーラ(やまざき・ナオコーラ)
作家。性別非公表。2004年に「人のセックスを笑うな」でデビュー。著書に、『母ではなくて、親になる』『肉体のジェンダーを笑うな』など。目標は、「誰にでもわかる言葉で、誰にも書けない文章を書きたい」。

(構成/花田菜々子)
〈「STORY BOX」2021年8月号掲載〉

翔田 寛 ◈ 作家のおすすめどんでん返し 06
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第150回