ゲスト/ヨシタケシンスケさん◇書店員が気になった本!の著者と本のテーマについて語りまくって日々のモヤモヤを解きほぐしながらこれからの生き方と社会について考える対談◇第6回

オリジナル絵本としての第1作『りんごかもしれない』が大ヒットし、その後も多数の人気作を生み出しているヨシタケシンスケさん。何気ない日常を違った目線で捉え、想像する楽しみを与えてくれる〈ヨシタケワールド〉は、大人も子どもも惹きつけてやまない。作中に登場するのは、〝完璧〟ではなく、欠点だらけでいい加減な大人たち。死やネガティブな感情など、いままで絵本では避けられてきたテーマも正面から扱っている。ヨシタケさんの創作の原点をお聞きしながら、子どもへの向き合い方について考えました。
ヘトヘトな親を描く理由とは
花田
ヨシタケさんはたくさんの絵本を出版されていますが、「感動して泣ける」というような作品ってまったくないですよね。「努力」「友情」「成長」みたいな前向きなテーマを取り扱うこともなく、誰かを嫌うとか、大人への不満とか、あるいは死への恐怖とか、ちょっとネガティブなテーマが多いですね。
ヨシタケ
消去法なんです。基本的に僕がポジティブなテーマが非常に苦手だから、自分に描けることを探すと自然とそうなる(笑)。絵本を読んでくださった方から「自分を許してもらえたような気がした」という感想をいただくことがあるのですが、自分自身できないことが多いので、要するにそんな自分をただただ許してほしい一心で、こんなふうに言ってもらえたらうれしいということを描いてます。僕がいろんなことができるような人間だったらこうはなっていないですね。
花田
ポジティブな美談へのアンチテーゼとして描かれているというよりは、それしかできない、という感覚なんですね。
ヨシタケ
感動的な話を描いてくれって言われても僕にはそもそもできなくて。世の中で美談が必要とされる理由もよくわかるんですが、そういうものに救われてホッとできるのはだいたい7割くらいの人。自分を含めそれ以外の3割はちょっと別の物語が必要なんだと思います。疑ぐり深かったり意地悪だったりする少数派としてのできることを探していければ、という気持ちでやってます。
花田
7割って、なんかリアルな数字です(笑)。特に絵本の世界では、親や大人というものが、いつも正しくて、笑顔でやさしく子どもを見守って抱きしめてあげる存在として描かれることが多いですよね。これまで疲れていたり、言い訳をしたり、子どもの追及にしどろもどろになる「ダメな」親っていうのはあまり描かれなかったのではないですか? これはヨシタケさんの発明だと思うんです。
ヨシタケ
これに関してはわりと意識してやってますね。昔、絵本作家になる前にイラストレーターとして活動していた頃、新しく親になる方たちへの冊子のイラストの仕事をしたことがあるんです。それが国からお金の出る、出生率の向上が目的のものだったのですが、僕の描いたお父さんやお母さんが楽しくなさそうだから笑顔に直してくれって言われたんです。「それは違うんじゃないか」と思いながらもそのときは最終的に笑顔に直してしまったんです。でも、子育てがつらい人を「なんでみんなこんなにニコニコしてるんだ、なんで自分だけこんなに楽しくないんだ」って傷つけてしまったんじゃないかと思ったんです。笑顔が人を傷つけるということをその経験を通じて痛感して。
花田
なるほどなあ。
ヨシタケ
「子どもの寝顔を見ると疲れが全部吹き飛ぶって聞いてたけど、全然吹き飛ばないじゃないか!」って、自分で子育てを経験してみてわかったので。
花田
たしかにそこにも「美談」がありますね。赤ちゃん神話に苦しむ親は多いと思います。
ヨシタケ
笑顔がないわけじゃないけどあんまりたくさん出てこないよ、とか、みんないつもうまくいっているわけじゃないよ、というのはやっぱり僕自身が当時言われたかった言葉です。もちろんどちらが正解というわけじゃないし、みんなニコニコ、赤ちゃん最高、って世界もあっていい。両方あっていいと思うんですよね。単純に選択肢が少ないっていうのはよくないことで、親ヘトヘトバージョンもあっていいだろう、自分もそちら側なので、そっちを増やす役割を果たしたいな、と。
花田
絵本の世界って子どもだましの勧善懲悪ばかりではなくもっと深い普遍的な真理が描かれていることも多いのに、なぜこれまで疲れた親やダメな親は発見されていなかったのだろう、というのは不思議です。親の側にも「大人は正しくまっとうなものだぞ」と子どもに思わせたかったのかな、とか。ただ蓋を開けてみればヘトヘトでダメな親の本が大人にも子どもにもウケているわけで。親にとっても「今までは見せちゃダメだと思ってたけど見せてもいいのかも!」という発見があったのでは、と思います。
ヨシタケ
時代っていうのも大きいんですかね。20年前に同じものを描いていても、ここまで受け入れてもらえただろうかと思います。我慢が難しくなってきた世の中で、みんなキレ始めたというか。
花田
たしかにそれはあるかもしれないですね。
否定するのではなく選択肢を増やしたい
花田
絵本を描いてくださいというご依頼は多いかと思いますが、例えば出版社に提案されたけど断った、というようなテーマもありますか?
ヨシタケ
印象に残っているのは、少し昔ですが、未来を予測する──つまり、統計学的に未来はひどくなるというようなデータを正しく子どもに伝える本を描いてほしいという依頼があって。でもそれはなんか違うだろう、という思いがありました。あくまで数字上の話であって、実際の未来はそうなるとは限らない。
悪いことだけ伝えて、覚悟しておけと言う側は「教えてやった感」で気持ちいいでしょうが、受け取る側のことを考えていない。予測は外れるものだし、社会がよくなる可能性も同時に伝えないと嘘になると思ったんです。それに、社会が不幸になるということと個人が不幸になるっていうのは別の現象ですし。
花田
たしかにそうですね。
ヨシタケ
それでそのお話は断ったのですが、それがすごく気になって自分の中に残っていて、後に描いたのが『それしかないわけないでしょう』という本なんですけど。
花田
えーっ! ある種、事故的に誕生した本だったんですね。依頼への反発から名作がうまれるなんて面白いです。ヨシタケさんのひねくれというか、違和感というか、そういうものが創作の起点になっているということが具現化されたようなエピソードですね。
私自身もういい大人なのにいまだに不安を煽られやすいし、それこそ子どもの頃はみんなでノストラダムスを信じて本気で怖がっていた。自分が子どもの頃に、闇雲に煽られる不安にちゃんと反論してくれるこんな本が手元にあったらほんとうに人生変わっていたと思います。意外とそういうことをちゃんと説明してくれる大人っていないんですよね。
ヨシタケ
そうですね。やっぱり単純に大人がやるべきことのひとつとして、「選択肢を増やしてあげる」ということ。これだけじゃないはず、こういう立ち位置もある、こういう生き方もある、そういう実例をたくさん挙げることで、「あ、こっちに行かなくてもいいんだな」って選択のハードルを下げる。自分が何か選ぶときの参考例が増えるというのは僕自身が子どもの頃に欲しかったものだし、子どもの頃の僕が読んでホッとできるか、子どもの頃の僕が知りたかったことの答えになっているか、というのが本を描くときにいちばん大事にしていることです。
花田
ヨシタケさんのメッセージというものはつくづく、王道の「こうだよ」という大きな声に対して「それは違う!」と真っ向から否定するものではなく、横の方からちっちゃい声で「そうじゃない人もいますけどね」「こういう考え方もありますけどね」とちゃちゃを入れるようなあり方なんですね。
ヨシタケ
そうです、そうです。
子どもの「障害者って面白そう!」に何と答える?
花田
ヨシタケさんが絵本のテーマとして取り上げたことのある《死》や《身体障害者の方への向き合い方》というのも、大人に質問をぶつけてもしっくりくる説明をしてもらえなかったもののひとつです。まさに『このあとどうしちゃおう』『みえるとかみえないとか』は子どもの自分が読んだら「知りたかったことの答えがあった!」と感じられたと思います。
ヨシタケ
タブーとされがちなテーマって、なんでみんな嫌がるんだろうという純粋な興味もあるし、逆にどういうアプローチだったらもっとカジュアルなものになるだろうかと探してみたい自己満足的な欲求もありますね。

『それしかないわけないでしょう』/白泉社
『このあとどうしちゃおう』/ブロンズ新社
花田
目が不自由な人を扱った『みえるとかみえないとか』は1ページ目から宇宙人が地球人の主人公に対して「あの子目がふたつしかなくて背中が見られないみたいだけど、かわいそうだからその話はしないであげようね」って、もうその表現からしてしびれるというか。すごい角度で差し込んでいくなあ、って思って。
ヨシタケ
いやあ、あの本は実は形にするまでがほんとうに大変だったんです。最初は普通に健常者が障害者のことを思う内容にしようとしたんですが、白杖をついている人や車椅子に乗った人を描くと、どんなにかわいく描いても、こちらにそのつもりがなくても、かわいそうに見えてしまうんですよね。今までの社会での障害者像が強固に結びついてしまう。この本の原案となった伊藤亜紗さんの著書『目の見えない人は世界をどう見ているのか』で書かれていたような、健常者と障害者の違いを面白がるスタートに全く立てない。これは大変だぞ、といろいろ考えた結果、もう地球上の当たり前が存在しない場所──宇宙を舞台にするしかないな、と。地球人が宇宙で障害者扱いされるという状況で、初めて地球上の障害者と健常者の関係と同じ位置に立てるんじゃないかと、そこに至るまで三年ぐらいかかりましたね。
花田
そんな苦労作だったとは! 苦労の跡が感じられないくらいスッと心に入ってくる構成でした。たしかに伊藤さんの原作に宇宙人のたとえは全く出てこないですが、同じことを全く別の発想で語れるものなんだな、と、読者としては感心・感動するばかりでした。
ヨシタケ
そうそう、僕が子どもの頃、目が不自由で白杖をついて歩いている人がゲームをしているように見えて「面白そう!」って言ったら母親にめちゃめちゃ怒られたことがありました。でもこの本を作る何年か前に、自分の子どもがテレビに出てきた視覚障害者を見て同じように「面白そう!」と言っていて。
花田
すごいDNA!(笑)
ヨシタケ
「だよねえ!」って言いたいんだけど、親としてはそれだけだと足りないし、叱るというのも変だと思うし、うまく答えられなくて。そういう経験もふまえて、それに対する答えも絵本の中で提案できたらと思ったんです。これは絵本の中に書いた言葉なんですが、「とりかえられればいいのにね」っていう言葉がひとつの正解なんじゃないかなと。面白そうだよね。でもあの人は好きであの状態じゃないんだよ。あの人からしたら見えることのほうが面白いかもね。それぞれに苦労はあるんだよ、って。
子どもの発言に対して、親はとっさにはいい返し方が出ないんですよね。だからこそ、絵本というコンテンツの形でいろんな難しいテーマに対して「あの本ではこんなふうに解決していたな」と思い出して役立ててもらえるような答えを1個ずつ置いていけたらいいなという思いはあります。
花田
なるほど。私も子どもに何か聞かれたときにやっぱりすぐに100%正しい答えを返さないと、と思ってしまっているところがあります。完璧を目指してしまうというか……自分が完璧じゃないことなんて十分わかっているのに。でも、「あ、どうしよう」という戸惑いを隠すために「そんなこと聞くな」みたいに封じ込めてしまうことだけはしたくないんですが、ヨシタケさんの本を読むと、大人も迷ったり、親子で逡巡してもいいんだな、間違ってもいいんだな、と思えます。
ヨシタケ
大人が子どもに伝えるべきことの中でもいちばん大事なものとして「大人はすごくいいかげんなものである」っていうのがあるんじゃないかと。子どもはいずれどこかのタイミングで大人にだまされてたと気づくわけで、その年齢が上がれば上がるほどこじらせる(笑)。だから教育として小さい頃から、大人ってたいしたことないからね、ブレるものだからね、って伝えてあげる。そのかわり、あなたもブレてるだろう、って。お互い不完全であることを認めたところから何ができるのか。
僕は子どもに対しては、3割くらい尊敬してもらえればあとの7割は軽蔑されているくらいがちょうどいいんじゃないかと思ってて。お父さんはこれもこれもできないんだよ、でもこれならできるよ。だからお前も全部できるようになる必要はなくて、何かひとつのことで誰かを助けてあげられれば、他の部分は助けてもらえるんだよ、人間は群れて生きているんだよ、って。それがいちばん伝えたい世界観です。
大人の成功論を信じるな
ヨシタケ
僕は自分の父親とあまり仲が良くなかったのですが、親に言われたりされたりした嫌なことを絶対子どもにはしたくない、というひとつの確固たる基準ができているので、まあ限度はあるにせよ「あんなふうになりたくない」と思われる押し付けをすることもひとつの教育かなと思います。人間、何かを好きな気持ちはコロコロ変わるけど、何かを嫌いだと思う気持ちって長くその人を律し続けるんですよ。全部をどうぞ自由に、っていうのもそれはそれですごく残酷な話だと思うので、こんなことやるくらいならこれを我慢するわ、というような価値の基準を与えるというのは親のひとつの役割なんじゃないかと。
花田
なるほど……。私は子どもに対して、押し付けるということがすごく苦手というか、嫌われたくない気持ちもあいまって、なんでも自由に選んでいいんだよという態度を取りがちなので、ヨシタケさんがおっしゃっていること、とても興味深いです。対等な関係ではなく大人と子どもである以上、「いい押し付け」のようなものもたしかに絶対にありますよね。
ヨシタケ
大人として、まだ経験値の浅い子どもたちに、「俺はこうだけどね」「こうするといいよ」みたいな。ただ、やっぱり大人って自分の成功例しかおすすめしないから、例えば逃げずに戦って成功した人は「逃げちゃダメだ」とアドバイスをするでしょうけど、僕はいろんなことから逃げてきて今があるので、「逃げた方がいい」としかアドバイスできない。だから大人が言ってくることはあくまで個人の感想だよということは若い人たちにちゃんと教えてあげたいですね。
花田
(笑)。下のほうにテロップで大きく「※個人の感想です」と出さないといけないわけですね。
ヨシタケ
そう、個人の感想です、って(笑)。あくまで個人の成功例。だから何が大事かというと、いろいろな成功例と失敗例を聞いて、自分には何が向いてるのかを選ぶ、その選ぶ力を育むことですよね。「あなたのその方法はちょっと採用しないな」っていう、それがはっきりしていれば逆にいい。選択肢から1個消せるわけですから。
花田
選択肢を広げる、ということをほんとうに大切にされているんですね。でもほんとうに、「この選択肢しか選べないと思い込んでいたけど、こっちにも別のドアがあったのか」とハッと発見する瞬間というのは人生でも重要な一瞬です。ヨシタケさんの絵本の「感動」はそういう部分につながっているんですよね。
つい、子どもの悩みやぶつかっていることの話を聞くと「その悩みはこうしたら解決するよ」と言えるスーパーマンになりたい欲が出てしまいます。
ヨシタケ
人間、年とってくるとやっぱりいいこと言いたい病というか、「何か持って帰ってもらおう」といういやらしい気持ちが働くんですよ。
花田
ほんとそうなんです。
ヨシタケ
具体的な解決策っていうのはけっこう難しい。でも「うまくいかないよな」って、その気持ちに共感できるのはすごく大事で、その上で、どうすればいいのかという答えが100個あっても自分が101人目だったらどれも役に立たない、という当たり前のことを自分は言ってほしかったと思う。
花田
うんうん。「こうするべき!これで解決だ!」「ほんとだ~、ありがとう!」っていうのは絶対無理なので、ありがちな言葉になってしまうのですが「そうなんだ、それは大変だね、つらいよね」って言うくらいができればいい、って思うしかないんだろうなって。それでも「こういうやり方もあるかもね」くらいはつい言ってしまいますが。
ヨシタケ
それこそそういう、「もうちょっと力になりたいな、って言っても何にもできないんだよな」というところも含めてみんなが通る道というか。「答えが出せなくて申し訳ないんだけど、探してはいるんだよね」という誠意だけは、ゆくゆく、最終的には伝わるんですけどね。20年ぐらいかかるんですけど(笑)。
花田
なるほど。
ヨシタケ
大人側も子ども側もすぐに結果を出したがるんだけれども、「20年前に言ってたのはこのことか」「あのときすごい探そうとしてくれてたんだな」と、誠意はやっぱり伝わるんですよね。いつか。わかってくれるんですよね。それが2、3年っていうスパンじゃないっていうだけの話で。だから、もがく側のその熱意っていうのは、今思ってるほど燃費の悪いものではないとなんとなく自分もわかっていて。
父親と仲が良くなかったと言いましたが、父は表現がうまくなかったというのがすごくあって、当時は許せなかったけど、大事にされていた、愛されていたというのは今ではわかる。だからそういう意味では20年後に向かって種をまくしかないし、子どもが抱えている問題に対してできることは入口への案内までなんですよね。すごく核心に迫る部分っていうのは、逆にやっぱりほっといてくれってところでもあるかもしれないですし。あとはそれ以外の気晴らしとか箸休め的な存在になれたらな、とか。突然脇腹をこちょこちょくすぐれる相手がいるっていうだけでも、全然違うじゃないですか。
花田
そうですね。つい子どもに対して正しく素晴らしくふるまおうとしてしまうのですが、大人が楽しそうにする、ちゃんと楽しく生きるっていうことと、あとはほんとうにオロオロしたりとか、ダサいところ、こっちでもないしあっちでもないしどうしたらいいんだろうっていっしょに迷ってみる。そうあっていいんですよね。
ヨシタケ
不完全さをいかにアピールするか、ということだと思うんです。
花田
え、ダメな自分を見せてもいい、とかを超えて、もうアピールの域なんですね(笑)。具体的にいいアピールの方法って何かあるんですか?
ヨシタケ
あの、失敗談をいっぱい話してますね。お父さん、君ぐらいのときにこういう失敗したんだよ、ほんとうにあのときはダメだと思ったよ、だけど、今こうして人の親になってるんだよ、って。失敗も今となってはこうやってネタにできるんだぜって伝えることは、何よりのプレゼント、親としてできることのひとつだと思っているので。
花田
たしかに。そう言われてみると、親から自分の失敗談なんて聞いたことがないですね。
ヨシタケ
普通は「これだけ俺はすごかった、だからお前も頑張れ」っていうふうに武勇伝を語りたがるんだけども、それこそ将来的に、長いスパンで見たときに自分の価値を下げることにつながるんですよ。あんな立派なこと言ってたくせに、って。
花田
ヨシタケ式成長戦略ですね!(笑) でも、自分も自虐ネタのようなものとは違うトーンで「失敗を語る」というのはすごく大事なことのような気がしています。ちょっと意識的に心がけてみたいと思います。
ナメられる大人になる
花田
昔、インタビューでご自身の絵本をお子さんにも見せているというのを読みましたが、お子さんももうかなり大きくなられたのではないですか?
ヨシタケ
子どもは男の子が二人いて、今は中3と小4ですね。
花田
そうすると、もうヨシタケさんの本の対象からは少し年齢が上になってしまってますね。今でもお子さんたちはヨシタケさんの本を読んでるんですか?
ヨシタケ
いやー……、だからねえ、ほんとうにうちの家族、子どもも奥さんもですけど、だんだん正体がバレてきたというか、親としての僕を知ってるんで、いいことを描いても「どの口で言ってんだ」みたいな、半笑いで見てますね、今は(笑)。
花田
えー!! そんな……!! でもそれだけ作家のヨシタケさんとは別の顔があるということなんですね。
ヨシタケ
そうですね。まあでも、構造上しょうがないんですよ。もうちゃんと受け取ってほしいっていうのも無理なので。同じことでも学校の信頼できる先輩が言ったらなるほど〜ってなるけど、親が言うと急にイラッとしたりすることもあるわけで。だからね、親にできることはまあないですよ。親の発言ってだけでもう参考の対象から外れますからね。
花田
たしかに、中学生あたりの子どもってなぜか親を最下位に位置づけてきますもんね(笑)。
ヨシタケ
それこそ、僕は反抗期がなかったことがコンプレックスで。僕自身が当時も人一倍、こうあるべきという常識に縛られて生きていたので、反抗できる、これは違うと思えるということは健全なことだと思うんです。家族の季節としては大変な時期ではあるけど、どこかでまたフェーズが変わるから、だましだましやるしかないんですよね。
花田
もちろん子どものすべてを理解しようとするのは傲慢だと思いますし、仲良くやってほしいというのもこちらのエゴだな、と思ったりもするのですが。一方で観察したり話をするたびにかっこいい部分もダサい部分もあって、いろいろな発見が尽きず、面白いなあと日々感じてます。
ヨシタケさんは大人・子どもを問わず、その人のちょっと情けない瞬間やダサかわいい様子を俯瞰してスケッチするような本も数冊出されていますよね。今のご自身と関わりの深い10代向けの本や、10代が主人公の作品は描かれるご予定はないのでしょうか?
ヨシタケ
はい、描いてみたい気持ちはすごくあります。何かを初めて自分で決めていかなければならなくなるティーンエイジャーの子たちに何が言えるだろう、とかよく考えますね。まあ、「いや~、決められないよね~」しか言えないんですけどね(笑)。
花田
あはは。
ヨシタケ
でも、それを当時やっぱり言ってほしかったというか。みんなけっこう適当に決めてるもんだし、とりあえず何かやってみて、ひどい目に遭って、それで1個ずつ選択肢を減らしていくっていう作業をするしかないから。
花田
たしかに、それはそうですね。「ちゃんと考えて決めなさい」って言われても、その先を知らんしなあ、というモヤモヤはありました。
名著と言われている哲学者・池田晶子さんの『14歳の君へ どう考えどう生きるか』、装画を描かれていましたが、それこそヨシタケ式「14歳からの哲学」があったら読んでみたいです。そんな新境地もまた、楽しみにしております!
ヨシタケシンスケ
1973年、神奈川県生まれ。日常のさりげないひとコマを独特のまなざしで切り取ったスケッチ集や、児童書の挿絵、装画、イラストエッセイなど、多岐にわたり作品を発表している。主な著作に『りんごかもしれない』『りゆうがあります』『もうぬげない』などがある。二児の父。
(構成/花田菜々子)
〈「STORY BOX」2021年11月号掲載〉