ゲスト/岸 政彦さん◇書店員が気になった本!の著者と本のテーマについて語りまくって日々のモヤモヤを解きほぐしながらこれからの生き方と社会について考える対談◇第8回

ゲスト/岸 政彦さん◇書店員が気になった本!の著者と本のテーマについて語りまくって日々のモヤモヤを解きほぐしながらこれからの生き方と社会について考える対談◇第8回
  今月のモヤ  
「聞く」ってむずかしい

 
 沖縄でのフィールドワークを長年続けている社会学者の岸政彦さん。岸さんのツイートから始動したという『東京の生活史』は、一般から公募した150人の聞き手が、東京で暮らした経験がある150人の語り手の人生を聞く、かつてない規模のインタビュー集だ。カウンセリングとも傾聴とも異なる、ただ「聞く」という行為は何なのか。そして、そこから見えてくる人々の「生活史」とは──。


目次だけで16ページある異例の本

花田
『東京の生活史』4刷と伺いました。すごく売れてますね。発売前から私のまわりを含め一部では話題になっていましたが、値段も4000円を超えていて、あのぶ厚さもあって、元から興味を持っていたわけではない人がどれくらい購入するものなのかなあと思っていたのですが、予想以上に注目されているなと感じています。


 よくエゴサするんですが、衝動買いした、って人も何人かいました。知らずに店で見かけて、何だろうって手にとって、コンセプト面白そうだし買っちゃった、みたいな人、けっこういます。

花田
 150人の聞き手がそれぞれ東京に何らかの関わりがある150人から人生の話を聞いて書き起こしたものを一冊の本にする、という今までにないコンセプトが興味深いのはもちろんなのですが、まず目次が異常で。読んでてすっごく面白いんですよね。これは確信犯というか、狙ってやってますよね?


 最初に担当編集者は目次に「20代・OL」「50代・自由業」みたいなカテゴリつけようって言ってたんですけどね、強硬に反対して。だって「20代・OL」なんて人はどこにもいないから。ゲイの人もたくさん出てくるんですが、結婚して子どもできて、それが人生の最大のトラウマ、みたいな人もいて。でもゲイなんですよ。だからカテゴリをつけなくてもいいんじゃないかって。それだったらもう、語りの中のものすごい印象的なフレーズを目次に使おう、と言って並べたんですよ。

花田
 私は発売前に書店員用にいただいた冊子でその目次を読んで……、ほんとうに「読む」という表現がふさわしいと思うんですが、とにかく長いんですよね。営業時間前にチラッと読むつもりがぜんぜん読み終わらなくて。読み切るには10分くらいかかりますね。


 面白いですよね。目次が長すぎて1人目が始まるのが21ページからだし(笑)。また、ええとこ(言葉)ひっぱってくるんですわ。

花田
 いや、でもあれはほんとうに上手だと思う。買う気なく店頭で本を開いた人も、目次を見たらあの、人の人生の言葉が次々にわーっと降りかかってくる感覚に圧倒されて、買いたくなってしまうと思います。あの目次の魅力はあの本の魅力そのものでもありますね。
 目次に使うフレーズは編集者さんが選んだということですか?


 聞き手におまかせしました。書き手への説明会でも例えばね、「あなたにとって東京とは何ですか?」みたいなことを聞かないでください、と伝えました。なんかまとめられたくないんですよ。でね、人って2〜3時間語ると6万字くらいになるんで、それを1万字に削ってもらうんですけど、それも要約して削るんじゃなくて、語り口は全部残して段落単位で消してください、って。途中で話が飛んでもいいし。だから基本的に全部の話が途中から始まって途中で終わってるんですよ。だからタイトルもね、「タイトルっぽいものつけなくてもいいです」って言って。前後の文脈がわからなくてもいいし、意味がパッと見てわからなくてもいいから、特徴的な、いちばん刺さったフレーズを一文抜き出してください、って。

花田
 なるほど、そういう経緯で生まれた目次なんですね。


 みんな聞き取りよりも本文を1万字にするのがとにかく大変で、そっちが最大の悩みやったみたい。ただ言ったんです。使うのはどこでもいい、ランダムでもいいくらいですよと。これまでの経験上、本人チェックのときにも「ヤクザが」とか「離婚して」とか、読み手としていちばん面白いところに限ってここは消してくださいって言ってくるんです。でもそこで絶対、「どうしても使いたいんで使わせてください」って粘らないで、無条件で語り手の言いなりになって全部消してくださいと。なぜかというと、これ不思議なんですけどね、エキセントリックに突出した部分を削ってもその語りの面白さって変わらないんですよ。

岸 政彦さん

花田
 不思議ですね。そこが面白いですね。


 大鍋に味噌汁作って、そこから一杯だけ出しても味は全然変わらないでしょ? って。これいい例えやなって思ってるんですけど(笑)。

花田
 でもそうなんですよね、聞き手の方はたしかに語り手の波乱万丈さに惹かれてその方を選んだんだと思うんですが、実際に読んでみるとその人の人生が派手でも地味でも同じように面白いですね。あと、「今後はどうしていきたいですか」というような終わり方をしないところにかえって心を掴まれます。あの、ホームレスの方の語りで最後が子どもの頃の記憶、冬の狩猟の銃声のエピソードで終わるやつとか、余韻がすごいですよね。


 あれすごいですよね……。

花田
 この対談の連載でも「今後の抱負は」とか「あなたにとって◯◯とは」で締めてはいけない、というのがすごくわかって、勉強になります(笑)。

新幹線で隣り合った人からの、突然の生活史


 そうそう、昨日新幹線で東京に向かってるときに人身事故があって、6時間ぐらい止まってて。えらい目にあいました……。で、1本前の車両が浜松駅までバックして、乗客全員を降ろして車庫行きになって。その1本後ろの僕の乗ってたやつに、その人たちがみんな乗ってくることになって。

花田
  大変でしたね。じゃあ2台分のお客さんが。


 うん。でもお互い様やし、僕も荷物片付けてたら、隣に70歳くらいの男性の方が乗ってきて、お互い「どうもどうも」「大変でしたねえ」って言いあって。僕がぽろっと「お仕事ですか?」って言ったら、豊橋から品川までその方の生活史を聞くことになった(笑)。

花田
 そんな展開になるんですか。すごいですね。


 京都で会社をやってるお金持ちのおっちゃんやって。生い立ちとか、一族の相続にまつわる話とか。そのほかにも、個人情報だから言えないけど、びっくりするような話ばっかりで。

花田
 やっぱり岸さんが「持っている」人なんですかね。いや、違うな、たまたまそういう人が隣に乗っても、岸さんだから聞き出せるのかな。


 なんかそういうこと多いんですよね……。でも「どうやって人の本音を引き出しているんですか、どういう技術なんですか」とかよく聞かれるんだけど、「あるわけないじゃん、そんなの」って思う。頷いてるだけです、「へえええ」って。文字起こししてると自分の唸り声がうるさいってくらいずっと唸ってる。

花田
 その話を聞けるルートと聞けないルートが分岐していると思うんですよ。さっき「あなたにとって東京とは何ですか」という質問をしないでほしいと聞き手の方に伝えたという話がありましたけど、例えばそういう質問で閉じていくルートってありますよね。


 ああ、閉じますねえ。

花田
 それに、ただ聞くといっても、黙っていて向こうから「実は俺ね」って話が始まることもまずないですし。


 僕もそんなめっちゃオープンでフレンドリーなわけじゃないんですけどね。何だろうな。でも、そうだなあ、女性同士のほうがそういうの得意かもしれんね。かわいらしい鞄ですね、とか。

花田
 最初のきっかけは警戒を解いて親しみを伝えるための、無難な声かけなんですね。接客にも似てるかも。


 そこから意外に話がすっと始まるというのはある。しゃべりたくないときもありますけどね。

花田
 そう、岸さんでも、しゃべるの面倒くさいなって思うときもあるのかなって。


 めちゃくちゃありますよ(笑)。俺はひとりで飲みたいねん、って思う(笑)。

花田
 どこかで飽きたり、いいところで切り上げたりするものですか?


 なんかね、聞かなあかん感じはいつもあって。那覇のよく行くスナックなんかでもそうだけど、やっぱりね、となりのおっちゃんやママとの会話が始まると、最後まで聞いちゃうんですよ。多分そういうスイッチが長年のあいだにできてて。

花田
 職業病みたいな。


 そう。もう徹底的に、相手が帰るまで聞く。こっちから切り上げないっていうのが構えとしてできているのは、ありますね。

生活史と酒場のトークはどう違うのか

花田
 水商売のアルバイトをしていたことがあるんですけど、そういうところに来るお客さんの話がつまらないっていうのは世の常識じゃないですか。自慢話や苦労話、自分語りをずっと聞かされるというのは基本的に退屈であり、苦痛であると。でもそれって、生活史と何が違うんだろう、って。


 一緒じゃないかなあ。僕が何でスナックでもどこでも聞いてるかっていうと、社会学の世界で生活史をやってきて、論文書いて就職して、教授にもなったんで、生活史を聞くってことは僕にとっては労働だから。

花田
 でも、だとしたらなんで『東京の生活史』は面白いんですかね? だからあの当時、自分も生活史という概念を知っていて貴重な生活史を今聞いているんだと思ったら面白かったのかな、と考えてみたり。


 いやあ、どうやろな(笑)。でもひとりの人だけ3時間接客とかできないでしょ。

花田
 たまにあったんですよ。長く在籍していたのが小さい店だったのもあるし、大きい店でもずっとひとりの人といいかんじに話し込んでるなと判断されると放っておかれたり。それでがっつり2人でしゃべって、ということがあると、普段はつまらない「客の話を聞く」ということが楽しく感じられるときもあって、特別な時間だったなと感じることはありました。


 そうか。やっぱり、花田さんがそのとき聞いたような、「まとまった話」ってやっぱり面白いんだと思いますよ、どこで聞いても。
 でも逆に、「酒場のトーク」っていうものもまたありますよね。だからスナックで働く子が「お客さんの自分語りも生活史だと思って聞けば面白いかも」と思って話を聞いてみたとしても、やっぱりそれは「なんかおもんないな」って思うんちゃうかな?(笑)
 前に、別の社会学者に生活史全体に嫌味を言われたことがあって(笑)。「改まったインタビューで本音なんか出てこない。私は居酒屋で隣のおっちゃんがポロッと漏らした本音のほうが好きだ」みたいなことを言われて。あー調査やったことないんだな、この人、って思った。

花田
 ああ、わかります。酒場などの「本音トーク」に見えるものって、本音っぽく聞こえる様式美をなぞっているだけで、本音から遠いこともありますね。真偽を問わず「あの人を尊敬している」よりは「あの人ちょっとどうかと思う」というほうが本音っぽく感じられるから。居酒屋ウケするサイズのトークにして話す、というパターンは多々あると思います。


 酒場の話はしょせん酒場の話なんですよね。本音でも何でもない。逆にシラフで初対面でも、昨日の新幹線みたいに何時間もじっくり生活史聞けるときもあるし。

花田
 それにつながる話かわからないですけど、用意された語りってつまらなくて。パッケージングされている語りって、つるっとしていて、あ、もうこれ完成されてる話だなと思うんですよね。カラオケでこの人この曲歌い慣れてる、というのがわかる感じというか。


 そういうことなんですよ。面白い語りって、「そういえば」とか「今思い出したけど」から始まるの。沖縄戦の研究でも最近トラウマっていう視点から入る人が多くて、僕ちょっとそれが嫌いなんです。トラウマとか、アダルトチルドレンとか、毒親とか、ケアとか、レジリエンスとか、そういうものに還元したがる人の話法っていうのはあるなあ。パターン化されて作られてるのが見えちゃう。

花田
 ああ、そうか、その人が自分でパッケージしたというよりは既製のパッケージに入れた語りだから。もちろん、いったんそのパッケージに入れて自分を捉えてみることにもその人にとっては意味があるのだと思いますが。


 だからまあ、生活史の調査って特殊なセッティングなんだなって改めて思いますよ。インタビューってみんなやっていることだから誰でもできることなんだけど、3時間徹底的に自分の生い立ちをしゃべる経験もそれを徹底的に聞く経験も、普通の人生にはなかなかないわけですよね。カウンセラーの人も、僕のやり方はカウンセリングとも違うし、傾聴とも全然違うって言ってた。

花田
 そうなんですね。


 カウンセリングは、たしかに相互行為的にというか、聞き手と語り手が協働しておこなう作業なんですけど、それでもやっぱり、たとえば家族歴とか、その人の抱えてる心的な問題の「原因」を探ろうとしますよね。何かのゴールなり目標なりに向かって進んでる。これに対して僕の聞き取りは質問しないんです。僕らはそもそも役に立たないし、どこにも向かわないんですよ。だからやっぱり他の何とも違うなと思う。でも昨日の新幹線の話は、あれは生活史だったな……生活史っていうのは、何かすごい特殊な、特有の実践なんだと思います。

15分の曲を3行に要約することはできない

花田
 岸さんは「生活史は役に立たない」と言いますが、これを読んで癒やしのようなものを感じる人は多いのではないかと思います。


 いやあ、それはよく言われるとこでもあるんですが、やっぱりあくまでも結果の話なんですよね、それは。

花田
 だからカウンセリングが効かない人にもこの本の効用はあるんじゃないか、とか。いや、役に立つからいい本だ、とは言いたくないんですけど。


 そうでしょう?

花田
 私が感じたのは、例えば自分の気持ちがすごく荒んでるときにショッピングモールのフードコートなんかに行くと、この世で自分だけがつらくて他のみんなは全員幸せそうに見える。すごく世界への視力が弱まっている状態で、昔のネット上のジョークじゃないですが、「リア充爆発しろ」みたいな感覚ってあるのかなと思うんです。


 銃乱射するパターンやな(笑)。

花田
 そうそう、その感覚の行き着く先に通り魔殺人とかがある。「誰でもいいから殺す」っていうのは実の親や同級生や総理大臣ではダメで、何か顔のないモブのようなものを次々殺したいという状態じゃないですか。でも、だからその対極にあるのがこの本だなと。どんどん視力が良くなる。


 そうですねえ。銃を乱射しなくてすむ本。

花田
 銃乱射しなくなるし、あとは自殺防止的でもあるなと思います。「死にたい」と言っている人に何と声をかけるか、という普遍的な議題がありますが、「生きていればいいことがあるよ」は確かにそうなんですが、ただやっぱり死にたくなっている人に言ってもなかなか効かないかもしれない。だから「最後にこの本読んで」って、そういう効き方はあるんじゃないかと。実際のところ、それくらい苦しい方が本を開けるかどうかというのは難しいところかもしれませんが。そういう種類の本だと思います。


 いやー、この本で思いとどまるかな……。それはちょっとあれだけど(笑)。でもこの本の良さは伝えたいなと思うんですよね。僕はひさしぶりに、心からいい本作れた、って言える本ができたなと思ってます。「癒やされる」か……うーん、なんか純粋に「面白い」でいいと思う。なんか、役に立たないはずの社会学者が役に立とうとして「これ癒やしになりますよ」みたいなことを自分で言っちゃうことに、強い嫌悪感があるんです。

花田
 この本の良さを人に伝えるのはほんとうに難しくて。書店員をやっていることもあって、普段は「この本を読むと、こういう気持ちになります」とか「こういう感動があります」とか……さすがに「泣けます」は言わないですけど(笑)、そういうプレゼンを日々しているわけです。そういう言葉が見つかるんですよ。ただほんとうにこの本だけは難しい。「何も起こらないのがいい」と言いたいけど「いや、起きてる」って思うし、「いろんな人の人生がある」とかでもないし、岸さんもよく否定されてますけど「どれもかけがえのない人生」みたいなこととも違って。

花田菜々子さん


 うん、違う違う。

花田
 だから結局この本の面白さをずっと言い表せないでいるんですけど、それでもやっぱり開いてみると、なぜかずっと読んでしまう面白さというか。


 ラジオとか音楽とかって、こういう感じじゃない? だからこれって時間的な表現、というのかな。
 僕、シュノーケルで素潜りしたりとか、行き先を決めずに散歩するのがすごい好きで。だんだん迷っていくわけです。で、気がつくとすごいところまで来てる、みたいなのが昔から好きで。

花田
 私もそれ、すごい好きです。何もないときもあるじゃないですか。すごいいいとこに出るんじゃないかと思って歩いていったら、「いや、何にもなかった……」みたいな(笑)。


 普通に歩いて帰ってくるだけとか(笑)。東京とか大阪の街って基本住宅地なんで、別にそんなにドラマチックな場所じゃないんですよね。だから何やろな、なんかね、例えば15分の曲があったとして、15分の曲って15分かけないとわかんないじゃないですか。

花田
 ああ、なるほど。なんかつながってきたような。


 本って視覚的な表現だと思われがちだけど実は音楽に近くて、一文字一文字が音符なんですよね。それが1本の線でつながっているんですよ。本って楽譜やなと思っていて。音楽と一緒で、いい本って要約できないし、その全部を味わうしかない。
 15分の曲を3行の文章で表現するとかも、そもそもできないですよね。時間的表現っていうのは、映画でもそうだし、音楽は特にそうなんやけど、15分の曲は15分かけないとわからない。時間的展開を追っていく作品っていうのは、こっちの人生の時間も消費していくわけですよね。こっちの人生の中の15分をそれに使うという、何かそういうのが好きなんですよ。まとめて図式化するよりも、15分の曲を一緒に聴くみたいな感じ。
 時間をかけて味わうしかないっていうのは生活史もそうだし、人生がそうですよね。80年生きるっていうのは。

自分を語ってみたくなる

花田
 人に会いたくなる本でもありますよね。自分も岸さんに解説を書いていただいた『出会い系サイトで70人と〜』で書いたあの頃はほんとうによく関わりの薄い他者に会い続けていたのですが、それこそコロナ禍で人と会わない生活になって。


 あれもすごい本だよなー。名著ですよね。

花田
 いやいやそんな、ありがとうございます。で、ずっとそんな感じで突っ走ってたんで、この1年半の凪のような生活は今までになかったもので、これはこれでいいな、と感じていたんです。だけど、この本を読むと「やっぱり、人と会うっていいな」って。


 いやあ、そうですよ。コロナがこの本にどう影響してるかは僕にもよくわからないけど、でもやっぱり直接人と会うほうがいいよねっていう話ではありますね。
 人と会うっていうか、「会話」というものには、独自の価値があると思うんです。自分自身は会話は苦手ですが(笑)。
 生活史の聞き取りも結局ね、会話を書いてるんですよね。モノローグではなくて、聞き手の語りを絶対入れてくださいとはお願いした。会話の形にしてくださいと。
 でも面白いのは、聞き手がしゃべりすぎてるとそれはそれで読みづらくなる(笑)。

花田
 ああ、読んでいてそれを感じた文章はたしかにありました。この人うるさいなあ、って(笑)。それはそれでまた面白いんですけどね。


 聞き手がしゃべりすぎると自分とは違う他者なんだっていうのが浮かんできて聞き手に感情移入できなくなるんですよ。関係ない2人がしゃべってるだけになる。
 生活史を書くとき、自分は何を文字化しているんだろう、っていうことをずっと考えてたんですけど。よく社会学とか人類学の中で「聞き取り調査は当事者の語りの搾取ではないか」という議論があるんですが、僕はそれがすごい嫌いで。語り手になりかわって書いてるつもりは全然ないよな、っていうのが前からあって。で、じゃあ何なのかというと、つまりこれは聞き手の「聞いた」という経験を再現してるんじゃないかと思うのね。だから読者は聞き手になって、聞き手に感情移入するんじゃないかと。読み手は聞き手と一緒になって語り手の語りを聞いている。

花田
 そうですね、目の前でその人がしゃべっている感じがします。自伝を読むのとは違う感覚ですね。


 うん。違う。

花田
 それで、「人に会いたくなる本だな」というのもそうですし、あと、「自分もそれをやってみたくなる」というのもいい本の特徴のひとつだと思うんです。
 カラオケ欲というか、音楽でもすごくいい歌を聴くと「この歌を聴けてよかった」と思うだけでなく「自分もこんなふうに歌ってみたい」「こんなふうに演奏できたら楽しいだろうな」と思いますよね。そういう力がこの本にはある。だからこんなふうに聞いてみたくなるし話してみたくなる。私も誰にも聞かれてないけど捏造で、誰かに聞いてもらっているていで自分のことを書いてみようかな、って思いました。自分の人生をこんな静かな語りにして読んでみたいな、って。


 花田さんの生活史、僕聞きますよ(笑)。

花田
 そんな! 恐れ多いです(笑)。


 でも、僕めちゃくちゃうれしいのが、みんな自分の話をするんですよ。
断片的なものの社会学』のときもそうだったんですが、この『東京の生活史』でも、「あの、私もこんなことがあってね……」って、自分の体験を語り出す。

花田
 ああ、わかります。私も『出会い系〜』を書いてから、「読みました」って話しかけてくる人、本の感想を話すのかなと思って聞いているとなぜか自分のことを語り出す人がけっこういます。
「お前の話かい!」って思うんですけど(笑)、でも自分の人生のことを語りたくなるような引き金になれたんだと思うとうれしいですね。


 そうだよね。あと自分でやってみようかなっていう人もすごく多くて、自分でやってくださいっていろんなとこでも言ってるんです。
 生活史を「自分でやってみよう」っていう新書も今年書く予定なんですよ。

花田
 それは読みたいです。


 僕、この本ほとんど何にもしていなくて、Zoom で説明会と相談会やっただけなんです。ただこの本作るのに20年かけてきたんだということについては自負があります。僕がいろいろ書くようになる前だったらこの企画は通らなかっただろうし、コンセプトも理解してもらえなかったと思う。
 生活史自体は社会学では普通の調査法で珍しいものではなかったけど、これだけ面白いんだよというとこまで持ってきたのは俺だ、っていう自負があるんですよ。それは若いときから強力な確信があって。絶対これおもろいやろ、って。

ホワイトノイズを聴くように読む


 僕、夜、薬がないと眠れないんですよ。眠れないときにホワイトノイズかけたりもする。ざーって流れてるだけの。ホワイトノイズって、全周波数が混ざってる雑音で、あらゆる周波数が混ざるとあのホワイトノイズになる。あれに「ホワイト」って名前つけた人すごいよね。

花田
 すごいいいネーミングですよね。いろんな色の光が混ざると白になる、というのと似てる。


 変な話ですが、田舎が嫌いなんですよね、僕、なんか。海は大好きなんですけど。あの波音は落ち着くんですけどね。静かな田舎とか自然のなかって、人がいない。人がいないと自分の存在が際立つでしょう。自分の脳がうるさいんですよ。自分の存在がすごいうるさくて。俺がうるさい(笑)。で、それが紛れるのはやっぱり周りにある程度人がいるときで、ほとんどの仕事はカフェとか、コワーキングスペースとか、電車とかでしてる。人がざわざわしてるほうが集中できる。多分この本もそういうことだと思うんですよね。読んでるとなんか落ち着く。読むホワイトノイズみたいな。
 NHKのディレクターが「これ読み終わったあと寂しくなりました、ざわざわざわって通り過ぎて、閉じるとひとりになっちゃう感じがあるから」って言ってて。

花田
 誰かを感じられるんですよね。それが近くも遠くもなくて、寂しいようで、でもその寂しさが心地いい。


 生活史自体寂しいですけどね。80歳90歳のおじいちゃんおばあちゃんに話を聞くと、今は孫やひ孫に囲まれて幸せに暮らしてる人でも、やっぱり生活史って別れの歴史なんですよ。親も死んでるし、子どもの頃住んでいた場所から離れてまた引っ越して、会社も辞めて、全部別れの連鎖なんですよ。出会って別れて出会って別れて。で、結局何か最後に残ってるのはこの人ひとりだなっていうのは思う。沖縄の研究というと普通は共同体の研究になるんですけど、僕はなんか個人の研究ばっかりしてる。ひとりで生まれてひとりで死ぬ話を小説でも書いてるし。

花田
 はい。


 だから多分、俺はこういうの好きなんだなって。全部通り過ぎて最後ひとりやな、って感じのやつが。

花田
 結局ずっとひとり、って言われると、なぜかうれしくなります。うれしいと言うと言い過ぎですが、腑に落ちる感じというか。


 みんなひとりなんだな。自分だけじゃなくてみんなひとりなんだな。って感じになりますよね。


東京の生活史

『東京の生活史』
筑摩書房

いまを生きる人びとの膨大な語りを1,216頁に織り込んだ、150万字の生活史。


 
岸 政彦(きし・まさひこ)
社会学者、作家。1967年生まれ。立命館大学大学院先端総合学術研究科教授。専門は沖縄、生活史、社会調査方法論。著書に『同化と他者化』『街の人生』『断片的なものの社会学』『マンゴーと手榴弾』『ビニール傘』『リリアン』、『地元を生きる』(共著)などがある。

(撮影/五十嵐美弥  構成/花田菜々子)
〈「STORY BOX」2022年1月号掲載〉

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