ゲスト/東畑開人さん◇書店員が気になった本!の著者と本のテーマについて語りまくって日々のモヤモヤを解きほぐしながらこれからの生き方と社会について考える対談◇第10回

ゲスト/東畑開人さん◇書店員が気になった本!の著者と本のテーマについて語りまくって日々のモヤモヤを解きほぐしながらこれからの生き方と社会について考える対談◇第10回
  今月のモヤ  
心を守るには

 
 誰もが〝生きづらさ〟を抱える今、心の問題をジャンル分けし、自分の取説を見つけるのがブームになっている。ひと昔前に比べると、「私ってなんだろう」と時間をかけて考える人も減っているようだ。傷つきやすく、実体をとらえることが難しい私たちの〝心〟は現在、「消滅の危機にさらされている」と東畑開人さんは言う。自分を大切にするために、私たちは〝心〟とどのように向き合っていったらいいのだろうか。


サーカスのように賑やかな心理学エッセイの誕生

花田
心はどこへ消えた?』はカウンセリングの事例を中心とした雑記的エッセイと言えると思うのですが、1冊に3冊分くらいの面白さがつまっていると感じました。本来であれば、1話1例でカウンセリングの症例だけを紹介するようなものとして書くこともできたと思うんですよ。でも東畑さんご自身のダメさの語りがあり、今という時代を俯瞰するような分析があり、三位一体の、「こういう本だよ」とひとことでは紹介できないような不思議な魅力があります。あっちに行ったりこっちに行ったりする様子は東畑さんの表現どおり、まさに「サーカス」のようですね。

東畑
 ありがとうございます。

花田
 カウンセリングのことだけでなく、ご自身の私小説的な部分や創作も交えて、という形は、どのようにして生まれたものだったのですか?

東畑
 春に連載が始まって、ゴールデンウィークあたりに、大学院時代に自分といっしょに心理学を学んでいた人たち全員に運動部の補欠をしていた過去があったというエピソードを書いたんですが、そこで何かが起きた。ブレイクスルーしたというか。

花田
 偶発的なものだったんですね。でも、たしかにあの本の方向性を決めてしまうくらい、補欠のエピソードは印象に残るお話でした。やっぱり一軍になれなかった人だからこそ生み出せるものがあるんですかね。

東畑
 というか、補欠にしか見えない世界があるのだ、と(笑)。

花田
 ふふふ。書店員もだいたい、子どもの頃友達がいなかったとか、いじめられてたとか、周囲となじめなかったって言いますよ。それで「でも本だけが自分の心を慰めてくれて……」って続くんですけどね。体感だとほぼ100%です。そうなると「そういう人しか世界にいなかったのかな?」って思ってしまう。

東畑
 補欠的な人が出版だとか書店だとかをやったりするのではないでしょうか(笑)。自分の経験についていろいろ考えちゃう人というか。

花田
 自分の話になりますが、実は今働いている店が閉店することになった、というのを数日前に聞かされたばかりで(対談日は昨年12月)、ショックを受けてもいて、つらい気持ちや不安もあるんですが、その一方で、自分で負の感情をこねくり回すのが好きなんだなあとつくづく思います。その気持ちをパン生地みたいな感じで(笑)、ずっとこねてひっぱって、折りたたんで眺めたりしている。

東畑
 そうですよね。だって、もう本にしようと思ってるでしょ?

花田
 あはは! でも、閉店と言われたその日から日記は書き始めましたね。

東畑
 そうそうそう、やっぱりね。

花田
 なんなんでしょうね。

東畑
 いやあ、これはね、僕は昔、伊集院光さんのラジオのヘビーリスナーだったんですけど、彼が「何か嫌なことが起きると、『これはラジオでしゃべれる』と考える。それが俺の健康法なんだ」みたいなことを言っていたんです。僕はなんか感動してしまって、人間そうやって生きていかなきゃいけない、というのをそのときに思って。そういう生き方ってあると思うんですよね。

花田
 そうか、そうですね。でも、たしかに東畑さんのユーモアやエッセイの流れの感覚は、ラジオ的なのかな。伊集院さんがルーツだと考えると納得がいきます。ラジオも整ったり大きく盛り上がる回だけがいいものなのではなくて、ぐだぐださや、「結局いつものオチかよ!」的なものこそ愛せるというか。そんな匂いを東畑さんの本からも感じました。

「個人」と「社会」、どっちの視点で考える?

花田
 エッセイの中で、今は「個人」から「社会」の時代になっていて、昔ほど「心理学」というものが注目されなくなってきている、とお嘆きでしたね。たしかに自分の若い頃は河合隼雄さんをはじめとする心理学の本や、心理テストなどもとても流行っていました。ただ、現在でもADHDとかHSP、繊細すぎる人、などと新たなジャンルが作られ、ブームになっているようにも思うのですが。

東畑
 昔は心理士というか臨床心理学って「みんなの話」をしてたんですよね。「みんなの中にも本当はこういう部分があるんじゃない?」というような語り口です。たとえば河合隼雄さんの「日本人の心」みたいな問題の立て方もそうだし、土居健郎さんの「甘えの構造」なんていうのも、主語は「日本人」なんですよね。ただ、それはやはり時代が変わったと思うんですね。日本人というカテゴリーで、心について語るのは難しい。ルーツにしても、国籍にしても、ジェンダーやセクシャリティにしても、あらゆる差異が刻まれているので。それでも心について語るために、なんらかのカテゴリーが必要なのではないかと思います。

花田
 例えば犯罪が起きた時に、以前は「心の闇」というような語られ方をしていたのが、今は「社会の問題」と語られることが多い、と書かれていたところが非常に興味深かったのでお伺いしたいのですが、個人と社会というのは対極にあるものではないですよね。例えば自分も、10代の頃などは「みんな『結婚して子どもを持つことが幸せだ』と言うけど自分はそうは思わない、こう考えているのは自分だけなのか」と疎外感を持ったわけですが、徐々に同じ社会を生きる同じ世代の人の何割かは同じ意見を持っていると気づく。要するにこれは突然個人で思いついたことではなく、社会全体の動きなのだと発見したときには救われるような思いになりました。一方で例えば「40代の女性はこうだ」とくくられると面白くなかったり、あるいは「私たちはつらい思いをしている」と言葉にするときに「いや、個の私自身は本当にそのつらさを感じていたかな?」と疑ってしまうこともあります。心と社会の関係性について、東畑さんはどんなふうにとらえていらっしゃいますか?

東畑
 基本的にはね、社会のせいであるものを、社会のせいにしていくことが大事だと思ってます。自分の問題だ、と考えるのと、自分の外にある問題なのだ、と考えるのでは、やはり外から始める必要があります。自分のせいじゃないことまで自分のことだと思って考えるのには無理がありますから。

花田
 なるほど。

東畑
 社会のせいであることを発見することの良さの一つは、連帯が生まれることですね。自分だけの問題じゃないことがわかると、同じ当事者性を持っている人たちと繋がることができて、そこで言葉が生まれます。それは社会や環境を変えていく力になります。

花田
 はい。

東畑
 ただし、連帯したうえで、それでもシェアできないことがあるのも重要です。その次の問題もある。同じ属性や問題を抱えていても、でも自分にしか分からない事情って、必ずありますよね。そういうときに、自分の心を考えることには意味があるのではないかなと思います。それを考えるのはしんどいんだけど、すでに仲間たちとの支えがあるならば、取り組めるときもあるのではないか、と。なので、先に社会、次に心という順番ですね。

花田
 そうか。そう考えると、どちらかに偏らずに「社会の問題として考えてみる」「個人の問題として考えてみる」、両方の視点を持っていることが非常に生きてくる感じがします。

「エピソード」がすべてである

花田
「エピソード」の重要性についても語られていましたね。「私たちはこうすべきである」というような具体性のない一般論は、なぜ人の心を動かす力が弱いのかということをちょうど自分も考えていました。エピソードになると、そこには計算外の人の動きとかセリフとか人生があって、そのほうがかえって大きなテーマを受け取ってしまう。

東畑
 クライエントさんの成育歴とかを聞くときに、例えば小学生のときのことを教えてください、って尋ねるんですね。それで「いろいろいじめられてつらい時期でした」と話してくれたりするんですけど、実はそれだけではどうつらかったのかってなかなかわかりません。

花田
 そうですね。

東畑
 だから、何か具体的に覚えてることあります? って聞いて、そこで「廊下でこういうことされて」というようなエピソードを語られると、一気にどれくらいつらかったのかが伝わってきます。エピソードが心を運んでくれる。逆にいうと、普段僕らは無防備に相手に心を伝えないようにしてトークするわけですよね。あんまり具体的なエピソードを語らないようにしてる。

花田
 うわあ、それ、よくわかります。「いじめられててつらかったです」と言うだけでは、言った側も1ミリも傷つかなくて済むということですよね。

東畑
 ただ、その具体的なエピソードを覚えてない人もけっこういます。

花田
 ああ……それは、つまりどういうことなんですか?

東畑
「先週は具合悪かったです、嫌な気持ちでした」とクライエントさんが言う。じゃあ、何が起こったの? と聞くと「いや、ちょっとよく覚えてないです」みたいな。それってつまり援助を求めることができなくなっているわけですよ。心を伝えるのが難しくなっているわけだから。助けてほしいと思ってるんだけど、でも心のもう一方のところで他人は危険、助けをくれるようなものではないと感じているのかもしれないです。

花田
 ガードして言わないようにしているわけではないんですか?

東畑
 いや、なんかね、本当に忘れてるんです。記憶がちりぢりになってるんでしょうね。そうやって、心を守っているのだと思います。

花田
 表現力がない、ということとも違うんですね。

東畑
 表現力の問題ではないと思いますね。でも、やっぱり、もやもやしている話は具体的に人に伝えられると楽になるとは思います。

花田
 そうですね。それで言うとまた自分の閉店の話になりますが(笑)。昨日も友達と話しているときに閉店のことを話すかどうか迷ったのですが、言ってみたんです。でもそうするとしんどさが減るし、心が軽くなりますね。話してみてから、あ、そんなふうに自分は考えているのかな? と思ったり。話していることが本音かどうかもわからないのですが。

東畑
 うん、閉店というのも、できごと自体は比較的シェアしやすい。でも閉店をめぐっていろんな考えが浮かんでくるわけですよ。最悪の事態が思い浮かぶかもしれないし、いろんな不安が出てきますよね。その中に人に言いやすいやつと言いがたいやつがあって、言いがたいやつのほうが基本的には頭の中でずっと回ってる。これを聴いてもらえると楽になる。

花田
 うん、そうですね。

東畑
 なんでかっていうと、多分思ってるより自分のことを責めてるからだと思うんですよね。何ていうのかな、例えば自分は役に立たないと思っていたり、自分は助けてもらえないって思ったり、自分のことを悪く言う声が僕らの中には響きがちです。あんまり人は自分がそういう罪悪感を抱えてるって気づいてないけど結構強烈に罪悪感があって、頭の中をめぐっているのではないか。だけどそういうことを話してみると案外現実はそこまででもないんですよね。でもそれは話してみないとわからない。

花田
 心の中でもやもやしているとき、罪悪感という言葉ではとらえていなかったので意外なワードです。でも話してみた瞬間に、何をこんなに悩んでいたんだろう? と思うことはよくありますね。人に言ったら大変なことになる、と思っていたのが拍子抜けするような。

東畑
 きっと想像上の他者に怯えてるんだと思います。

花田
 もやもやを言語化して具体的なエピソードにできたときに、何か、不安の渦のようなものから抜け出せる感覚があります。これからはちょっと意識的にエピソードを語ることを心がけてみようと思っています。

話を詳しく聞くために「普通」を取り入れる

花田
 出会い系で人の話を聞いて1冊すすめる、という取り組みを本に書いてから、いろいろな方に「本をすすめてほしい」と言われることが多くなりました。それが悩み相談に似てくることも多いのですが、私のゴールは悩みを解決することではなく、その人を慰めることでもなく、1冊を探すことなので、ヒントを得るために具体的に話に切り込んでいくことになるんです。

東畑
 はいはい。

花田
 大変だね、と相槌を打って共感する、という感じではなくて、「それって結局何に対して苦しいと感じているんですか?」とか「今感じているつらさをどうしたいですか? 解決したいんですか? それともつらさと向き合いたいんですか?」というような。それがはっきりしないと本を選べないので。でも本をすすめるという目的があることが、かえって人の話を聞きやすくしてくれてるんですよね。

東畑
 たしかに。ミッションがあるからね。

花田
 そうなんです。カウンセリングの場合はやっぱり、症状を解決することがゴールになるんですか?

東畑
 なんていうか、そのゴールを決めることがゴールになったりするんですよ。例えば夫婦の問題を抱えているとしても、離婚すべきなのか、結婚を続けるべきなのか、どうなっていくのがいいのかわからない、みたいな。ゴールさえわかれば、自分で努力できるっていうことは多いですよね。

花田
 うんうん。

東畑
 おそらく「詳しく話をしよう」というのがカウンセリングなんです。複雑なものを複雑に話してみる。

東畑的締め切り論&編集者論

花田
 締め切り恐怖症について書かれていた文章は、とても共感しました! 私も以前にこの対談で、原稿をやらないとと思えば思うほどスマホのどうでもいいゲームを6時間やってしまうという話をしたことがあります(笑)。

東畑
 あー、逃避ですね。

花田
 2時間で終わることのために6時間を無駄にしてしまうんです。

東畑
 僕は締め切りが恐ろしすぎて原稿を早く出しすぎてしまうんです。朝日新聞に連載をしているのですが締め切りの1ヶ月前には提出していて、朝日新聞史上、僕がいちばん早いと言われました(笑)。あるとき不安になりすぎて、締め切り2週間前に「もう今回は本当に無理かもしれない」と記者に伝えたら、わかりました、じゃあ明日打ち合わせしましょう、と言ってくれて、そうしたら打ち合わせの前に書けてしまった。

花田
 それはそれで病んでいますね(笑)。心のプロである東畑さんでもそうなってしまうというのは意外です。

東畑
 そうそう。本当にヤバいんです。だから連載に穴を開けなければ、どんなにダメな原稿だろうがなんだろうがいいんだ、と最近は自分に言い聞かせています。

花田
 実際にはあまり面白くないエッセイを1回掲載したとしても、そんなものは世に溢れていますし、それで仕事がなくなることもないのに、そういう不安に駆られてしまうんですね。
 この掲載誌の編集さんも、「締め切りがあるから書けないのだ」という作家さんに「じゃあいつでもいいから自分の定年までに何か書いてくださいね」と伝えたら翌日に原稿が届いた、と言っていました。

東畑
 結局、自分の中の他者からの目に怯えているんです。これを超自我と精神分析では呼ぶわけですが、ここで重要なのは、超自我が強くなりすぎると書けなくなるんです。しかし、超自我があるから書けてる部分もあることですね。超自我が「もうちょっといいものを書こう」「この文章はイケてない」「これはちょっと面白く書けてるよ」とか自分の中で言ってくれるからいい文章を書こうとするわけで。ただ、この声が強くなりすぎるとパニックになって破綻する。ここが難しい。

花田
 そうですね。本来だったらここで東畑さんに「そうならないためにはどうしたらいいですか」と聞きたいところなのですが、プロでも難しいわけで。

東畑
 だから編集者がいることって非常に大事です。自分の中だけで対話していると、超自我って意味不明だから、何が善くて何が悪いかがわからなくなってしまう。かといって、超自我が弱すぎると、「どうでもいいか」ってゆるくなっていくから作品は悪くなっていく。編集者がこの二つのバランスを取ってくれるんですよね。

花田
 ああ、そうか。その解決に他者を入れていいんですね。編集者はその問題を解決するためにいてくれているとも言えますね。

東畑
 編集者論ってけっこう熱いと思っていて。何かを書いている人だけじゃなくて、もうちょっと汎用的な意味があると思うんです。会社の管理職とか、チームをサポートする仕事とか、そういうものにも通じる。編集者ってパーソナルな関係でしかも2人でタッグ組んで一つのことをやるわけじゃないですか。支配してもダメだし、放置してもダメだし(笑)、面白いですね。

花田
 不思議な関係性ですよね。つらいときほど疑心暗鬼になって、褒められているのに「なんで嘘つくんだ!」みたいなときもあるし、依存してしまう部分も必ずあって、「面白いですか? 面白いんですね? じゃあ大丈夫ですよね?」みたいに、責任を負わせようとしたりもする。謎の関係です。

東畑
 その人の深い不信感と承認欲求を向けられる、辛い仕事だと思います(笑)。

花田
 締め切りの話に編集者の話。出版業界の人に興味深く読んでもらえそうなテーマですね(笑)。東畑さんにこのテーマで1冊書いてほしいくらいです。

ウザくなって、人に助けてもらおう

花田
 チック症状が出ている男性の話も印象的でした。身体から「助けて」という悲鳴がサインとして出ているのに「俺は別に悩んでない。うまくやれている。この症状だけ治してほしい」という……。これは自分かもしれないと思いました。ストレスやつらいことがあってもポジティブに捉えようと言い聞かせてしまって、自分自身もつらさに気づけないんです。

東畑
 やっぱりつらさに気づいて、それを表現して、周りから心配されたほうがいいですね。

花田
「助けを求める」ということよりは「心配されるような行動をする」というほうがハードルが低そうですね。誰かに何らかの形で伝えることが大切なんですね。

東畑
 そうそう。だから「聞かれる技術」みたいなものを身につけていったらいいんじゃないかと。例えば人前で薬を飲む、とか。なんかちょっと心配されるじゃないですか。

花田
 あはは(笑)。でも例えばよくある物言いで「昨日2時間しか寝てない」って自慢してくるやつウザい、みたいなのあるじゃないですか。そうなっちゃいません?

東畑
 それ、でもね、僕はそういうのであんまり嫌いになったことないな。みんなちょっとね、ウザくなってしまうことを恐れすぎてるって思ってて。ある程度ウザいほうがいいのではないかと。臆面もなくウザい奴のほうがヘルプを得やすいんですよ。

花田
 そういえばそんなエピソードも本の中に書かれていらっしゃいましたね。人当たりがいい人でずっと素直に振る舞っていた人が、時間をかけてカウンセリングを積み重ねてやっと初めて「不快な自分」を人前で出せるようになるという。

東畑
 そうです。嫌な奴になる。

花田
 自分もそうですが、「ウザいと思われたくない」と思っている人は多いと思います。迷惑をかけたくない、心配をかけたくない、という言葉とも似たトーンですね。でも自分も人に迷惑をかけることはとても大事だと思っていて、これは知らない人がたくさん集まるような場によく一人で出向いていたときに身につけた技術なんですが、他の人たちは知り合いなどと話していて自分の居場所がないときってありますよね。そういうときにスマホを見たりして「やることあるんで大丈夫です困ってません」というように振る舞うと、傷つかずに済むけど開かれないんですよね。だから明らかに困り顔で突っ立ってたほうがいい。

東畑
 たしかに「スマホを見ない」は「聞かれる技術」ですね。

花田
 ただ、一人でぽつんとするというのはけっこう胆力がいる。鋼の心が必要です(笑)。

東畑
 そうですね。誰かが来てくれるだろうと信じる心。

花田
 それまでは無表情で溜めておいて、話しかけてもらった瞬間に、ニコ~~! って。

東畑
 可愛いじゃないですか!(笑)

花田
 いやいや。でも困りをオープンにしていくと、人と繋がったりもするし、助けてもらえることが多いと思います。

東畑
 そうですね、けっこう助けてくれますよね。


心はどこへ消えた?

『心はどこへ消えた?』
文藝春秋

『居るのはつらいよ』の筆者が「心とは何か」という直球の問いに迫る、渾身のエッセイ。


 
東畑開人(とうはた・かいと)
専門は精神分析・医療人類学。十文字学園女子大学准教授。白金高輪カウンセリングルーム主宰。著書に『野の医者は笑う─心の治療とは何か?』など。大佛次郎論壇賞、紀伊國屋じんぶん大賞受賞。

(構成/花田菜々子)
〈「STORY BOX」2022年3月号掲載〉

『スモールワールズ』一穂ミチ/著▷「2022年本屋大賞」ノミネート作を担当編集者が全力PR
◎編集者コラム◎ 『警部ヴィスティング 悪意』ヨルン・リーエル・ホルスト 訳/吉田 薫