ゲスト/飯間浩明さん◇書店員が気になった本!の著者と本のテーマについて語りまくって日々のモヤモヤを解きほぐしながらこれからの生き方と社会について考える対談◇第12回

ゲスト/飯間浩明さん◇書店員が気になった本!の著者と本のテーマについて語りまくって日々のモヤモヤを解きほぐしながらこれからの生き方と社会について考える対談◇第12回
  今月のモヤ  
言葉との付き合い方

 
 ビジネスの場で、プライベートで、メールのやり取りで……〝正しい〟言葉遣いをしなければと悩むあまり、本来相手に伝えたかったことが正確に伝えられなかった経験はありませんか? 日本語に不安や怖さを感じている人も多いけれど、「言葉は○×ではない」と言うのは〝言葉ハンター〟として現代語の用例を採集し続けている飯間浩明さん。もっとカジュアルに自分らしく言葉を楽しむ秘訣を教えていただきました。


言葉を「正しい/正しくない」で判断しない

花田
 以前から飯間さんが扱われているような言葉についてのあれこれがとても好きなのですが、一般的に「言葉が好き」というと文学や詩が好きというようにとられてしまって伝わりづらいなと感じています。飯間さんはご自身の仕事や興味について普段どのように説明されているんですか?

飯間
 簡単に言うと日本語の研究をやっているということになりますが、私自身は自分を研究者とは思っていないんです。ちょっと突飛な例えですが、魚の研究をして分類するのが魚類の研究者だとすると、こっちは魚を獲る方なんですね。沖に出て漁をする。そうするとこの海にはこういう魚がいるとか、この季節はこうだということがわかってくる。言葉ハンターなんていう呼び名をいただくこともあるんですが、言葉を狩る「言葉警察」ではなく、あくまで言葉を獲る。現場に出て自分の中に経験を蓄えていく。それを喜びとする人間です。

花田
 言葉を採集しているんですね。その例え、すごくよくわかります。

飯間
 それと、その魚を獲ったあとに三枚におろして料理をしてお客様の前に出す。そこまでやると、これは辞書を作る仕事ですね。

花田
 なるほど。面白いです。
 今回刊行された本の『日本語はこわくない』というタイトル、とても飯間さんらしいなと思いました。内容もタイトルどおり、多くの人が抱く言葉遣いの不安に研究者としての正解を示しながら、そこにとどまらない、言葉への向き合い方のヒントや工夫をやさしく紹介してくださっている本ですね。
 現実世界でもネットでも、言葉遣いや敬語が正しい・正しくないという判断をする「警察」が溢れています。言葉の問題だけでなくさまざまな不寛容やマウンティング、誤っている人を冷笑する態度は見ていると嫌な気持ちになるものですが、逆に飯間さんもご著書の中で書かれていたように、「フェイクマナー」という言葉が誕生したことで彼らに反撃できるようになったようにも思います。

飯間
 私は言葉を「正しい・正しくない」で判断したくないとたびたび発言しています。ですが決して言葉をいいかげんに届けたいとは思ってないんです。むしろ厳密に届けたい。何がいちばん大切かというと、相手に伝えたい自分の考えや情報を確実に相手に届けるということですね。そこに集中したい。となるとその伝えるための道具である言葉が世間的に間違いとされているかどうかということは、枝葉末節のことなんですよ。

花田
「ご苦労さまです」という言葉なんて、その最たる例かもしれないですね。ねぎらいを伝えたくて差し出される言葉だったのに「失礼派」の人たちの迫害を受けて、今ではほとんど使うことができなくなってしまいました。

飯間
 例えば朝から町内の掃除をしている人に「ああ、どうもご苦労さまです」と言おうとする。ところがマナーの本で「ご苦労さまは失礼」と書いてあったら、あ、これは言っちゃいけないか、じゃあどう言おう……となって、伝えたいことが伝わるかどうかということとは別のところで悩まなければならなくなってしまった。これは不幸なことだと思います。
 例えるならば、待ち合わせ場所に早く行きたいのに「この服にしようか、それともこっちの服か」「財布は持っただろうか」と別のことに気を取られてなかなか出かけられないようなものです。

花田
 さきほど「厳密に届けたい」とおっしゃっていましたが、この「正しい・正しくない」という問いは逆に言葉に対して雑なんですよね。その雑さが嫌だなと思います。

飯間
 あるマナー本で◯とされている言葉を使えばあらゆる場面で◯なのかというと、そんなことはなくて、相手がカチンとくることもあります。反対に、×とされている言葉を聞いてうれしく感じることもあります。○×で二分するというのは、おっしゃるように雑なんです。

受験とクイズが日本語を減点主義にした

花田
 一律の正誤を求める人というのは、なぜそうなってしまうんでしょうか?
 例えば「ら抜き言葉」や「超ウケる」というワードは私が若い頃からよく使っていましたが、当時から言葉を崩したり乱暴な表現をすることで楽しみ、価値観を共有するという遊びを「あえてやっている」という自覚がありました。そちらが先だったので、怒ったり正そうとしている人を見て逆にびっくりして。「え? このギャグがわからない?」というのに近い感覚というか。まあ、言葉の問題に限らずファッションにしろ文化にしろ、おしなべて大人というのは若者のやることにケチをつけたがるものなのかもしれませんが。

飯間
 ええ、不思議ですよね。見た目なんかも、若い世代のファッションはだらしないとか上品じゃないとか批判されがちです。ただ、「好きじゃない」とは言われても「間違ってます」とまでは言われない。ファッションの分野がうらやましいと思います(笑)。で、どうして〇×という考え方が広がったのかですね。これは戦後の学校教育に主な原因があると見ています。高度経済成長期に進学率が上がり、受験競争が激化しました。現場の先生は、漢字のトメ・ハネ・線の出る出ないに至るまで厳密に採点しはじめた。その考え方が国民的に共有されているんですね。
 それから、戦後に日本語ブームが何度も起こって、これも原因になったと考えています。雑誌やテレビで日本語クイズのたぐいが非常に多く出されるようになります。それが商業的に成功するわけです。そうすると、「言葉には〇×というものがはっきりあるんだな」という考え方が、人々の頭に深く刻みつけられる。こうして言葉が断罪される手はずが整ったんです。

飯間浩明さん

花田
 断罪(笑)。そうですね。きっと、日本語を楽しむという感覚がないんですよね。常に間違わないように気をつけなければいけないという気持ちが強いから、他者に対しても「あ、あなた間違ってますよ」という思考になってしまうんですね。

飯間
 怖がっている人が多いんだろうと思います。そう怖がらないで、ということを今回、タイトルに込めたんですけどね。言葉というものは不用意に話すと批判されたりする怖いもので、言葉を好きに使って楽しんだりしたら何を言われるかわからん、それよりも何も言われないように、なんとか無難に世の中を渡っていくための無難な言葉遣いが知りたい──と、これが多くの人の気持ちじゃないでしょうかね。

花田
 そうかもしれない。まるで厳しい宗教みたいに禁欲的ですよね。マナー本の悪口ばかりになってしまいますが(笑)、例えばお礼の手紙を書くシーンでも、どうやって自分の気持ちを豊かに表現するかということよりも、季節の挨拶から始まり、末尾はこう……と、失礼にならないための方法、減点を回避する方法ばかりが書かれている。喜びはこう書いてもいいし、こう書いてもいい、ということには興味がないのかなって思ってしまいます。

飯間
 いみじくも減点とおっしゃいましたが、ほんとうに「あれはダメ、これはダメ」という減点主義なんですよ。減点されない日本語がいい日本語であって、それが書けたらOKという。でもそれだとつまらないですよね。基本的には自由に書いていい、とにかくあなたが思っていることが100パーセント伝わればその経路はなんでもいいんだ、と強調したいです。東京から大阪に行こうと思ったら、鈍行でも新幹線でも飛行機でも何でもいいので、とにかくうまく大阪に着けたら万歳だって、そういう考え方をするといいんじゃないでしょうかね。

花田
 ほんとうにそう思います。

言葉の面白さは細部に宿る

花田
 本書の中でも細かい言葉遣いで好きだなあと思うところがたくさんあって。例えば笑いに関する言葉の説明の項で、
〈ひと頃、クイズ番組などで「爆笑」の意味が出題されることがよくありました。解説によると、「大勢が一度にどっと笑うのが爆笑。ひとりでは爆笑はできません。」とあるのです。不審に思って調べると――〉
 と記述されていましたよね。ここの「不審に思って」の使い方なんて、普通に読んだら読み流してしまいそうなんですが、まるで探偵になったかのような表現が異質で、じわじわきました。

飯間
 ああ、うれしいな。それはある程度意識的に書いてますね。そういう読み方をしてくださると著者冥利につきます。

花田
 そういう、さらっと読めてしまうけどすごくユニークな使い方をしている言葉がこの本の中にはいっぱい詰まってますよね。

飯間
 そこがおそらく、言葉オタクの精神が出ているところだと思うんです。ひとつひとつの言葉を愛でながら読んでいただけるとうれしいですね。私自身も、ある作家の特定の語句の使い方にやたら注意がいくことってありますよ。

花田
 ほんとうにさりげない言葉遣いで「うわあ、この作家さんめっちゃ好きかも」と思うこともあれば、「この表現は飽き飽きだなあ」と醒めてしまうこともあります。これはあくまでも私個人の好みの問題なのですが、例えば「ひどく寂しい」等の「ひどく」、実際の口語ではほとんど使われないのに小説では乱用されすぎじゃないか?とか。

飯間
 自動化されてるという感じがするんでしょうかね。まあ、少し弁護しますと、程度を表す言葉って少ないんですよね。

花田
 ああ、なるほど。

飯間
 程度が大きいことを表すときに使える言葉というと「非常に」「とても」「すごく」あたりでしょうか。「非常に」はまあ客観的。「とても」は大正あたりからの言葉で、歴史が浅くてちょっと口語的。それから「すごく」というのはもともと「凄惨で目も当てられない」という意味があるので、私はニュートラルな文脈で使いにくいところがあります。で、他に何があるかっていうと、程度の大きさを単純に表す副詞ってほとんどないんですよ。用意された語彙が多ければ、その中から見繕うことができるんですけど、どうもない。今の三つでなければ「ひどく」とか、あとは何だ、って考えているうちに締め切りが来るんで、まあいいわ、「ひどく」でいいわ、みたいな感じで(笑)。少ない中から選ばざるを得ないという事情はあるんです。

花田
 ふふ。わかりました。これからは「ひどく」に寛容になろうと思います。そういう意味では英語で言うところの「very」に当たる言葉は不遇というか、あまりいい言葉が発明されないので、代わりに若者言葉や賞味期限の短い言葉が生まれ続けるのかもしれないですね。「超」「激」とか、ひと昔前は「鬼」なんていうのもありました。「マジ」もそうかな?

飯間
 程度を強調するためには、変わったことばで引きつけるというやり方が合うんですね。それで次々に俗語が生まれる。「マジ」っていうのは「ほんとうに」の意味ですが、「めっちゃ」とか「くっそ」とか、そういうのがどんどん出てくる。でも、日常会話ならともかく、一般的な文章には使いにくいので、いわゆる「文章を豊かにする」ところに行かないんですよ。そこが難しい問題です。って、べつに私はその問題を担当しているわけじゃないですけど、なにかいい方法があればいいなと。

花田
 いつも日本語の立場になって考えてらっしゃるんですね。日本語サイドを代表して。

飯間
 いや、代表じゃないんですが、日本語を擬人化して考えてしまうというところはありますね。

花田
 ああ、擬人化。そうか。だから飯間さんの文章はなにかユーモアがあってチャーミングに感じられるのかもしれないです。

言葉をファッションのように考えてみる

花田
 先ほどもファッションの例えをしましたが、言葉遣いのセンスはファッションセンスと似ている部分があります。ファッションが好きな人どうしだと「あのジャケットにあえてスニーカーを合わせているのがかっこいい」とか「あのワンピースにあのバッグはバランスがいい」とか、そういう感覚が共有されて、盛り上がって楽しめるんだと思うんですよね。
 同じように言葉についても、例えば私は「出会い」を「出逢い」と書いたり、「豆腐」を「豆豊」と書いたりする美意識は好きじゃない、自分とは趣味が合わないと感じます。逆に、「させていただく」の乱発は悪文として指摘されがちですが、自分はついやってしまうので、これはダサくても好きということなのかもしれない。ファッションでもそういうことってありますよね。ダサいと言われるかもしれないけど自分は好き、という着こなしとか。

飯間
 ああ、私も「させていただく」は好きですね。

花田
 ほんとですか。うれしい。ふだん喫茶店に行って「させていただくって意外といいよね〜」なんて話で盛り上がるなんてことはなかなかないけど、できたら楽しいのにな。まあ、そういう楽しみは読書や文章を書くときにみんなでやっていて共有しているのだ、とも言えるのかもしれないです。
 好みもあるし、時代の変化とか、自分の年齢の変化……ファッション同様に自分がどの言葉を使うかを考える上ではさまざまな観点がありますね。自分はずっと「ほんとうに」はひらがなで書いていたのですが、「本当に」にするべきか、最近迷っているんです。ひらがなだと少し子どもっぽいのかな? と……。逆に「ことば」はしばらくひらがなで書いていたのですが、最近は「言葉」と漢字で書くようになりました。ファッション雑誌の考え方のように、もう40代だからこの書き方は似合わないかな、とか、今シーズンはもうこういうの流行ってないからやめようかな、というような感覚もあります。

飯間
 私は「言葉」はひらがなで「ことば」と書いています。ファッションのように、他の人がどうこうではなく、自分なりのこだわりというものもありますね。私の場合は「ことば」と書くのがこだわりです。語源的に「ことば」は「葉っぱ」に関係ないようです。ことばの「は」は切れっ端の「は」なんです。だから「言葉」と漢字で書くといちいち「葉っぱじゃないけど葉っぱだね」と思いながら書かないといけない(笑)。ならば、ひらがなにしようと。

花田
 なるほど(笑)。ああ、面白いです。そういう、時代や流行とは関係のないこだわりも大事ですね。

飯間
 一般の人が聞き慣れない言葉は避けるにしても、わかってもらえる範囲で、自分の方式にこだわりたいんですね。方式といっても変わらないものではなく、いつの間にか使うのをやめた言葉もあります。

花田
 流行語とか、すごく目立つ言葉、例えば今なら「ぴえん」とか、そういうものだけ賞味期限を追われがちですが、普通の言葉の中にも終焉はけっこうあるのかもしれないですね。

飯間
 そうですよ。知らない間に使わなくなっている言葉もあれば、ひっそりと新たに浸透する使い方もあります。例えば「ほぼわからなかった」なんて、今は普通に新聞記事にも出てきますね。昔は「ほぼ」は「ほぼわかった」「ほぼ完全だ」という使い方が多かったのですが、今は不足がある場合や不十分な場合でも「ほぼ理解できなかった」というように使われています。すでに誰もが使っているし、ご存分にお使いいただいていいのですが、私が意地の悪い著者だったら「昔はこんな使い方はしなかった。この使い方は×です」などとネタにするかもしれません。やりませんけど。

花田
 つまりそれくらい、咎められてもいいのに咎められずにバレていない言葉がたくさんあると。

飯間
 もう、こんなに(手を大きく広げて)あります。というか、だいたい日本語は全部変わっています。

花田
 じゃあ、その中でも特にスター性が高くて目立ってしまった「ら抜き言葉」などの特定の言葉だけが運が悪かったということなんですね。

飯間
 そうそう。たまたま根性の悪い評論家の目に留まった言葉だけが代表して叩かれています。その他の、知られずに音もなく変わった言葉たちは「ああ、俺が標的にならなくてよかった」って。

花田
 きっとみんなで集まってそう言い合ってますね(笑)。

過激な言い回しへの「言葉狩り」、どう考える?

花田
 ネット上でしばしば問題として取り上げられる過激な言語表現についてもお伺いしたいです。
 例えば「ネット難民」とか「飯テロ」というような表現が、本来であればとても深刻な事象なので不謹慎だと批判されることがあります。私個人としては基本的には「アリ」だと考えています。最近だと若い世代のゲーム用語で、相対的に弱いキャラクターなどについて「人権がない」と表現することが軽く流行っていて、それを初めて聞いたときには「え、そのワード、大丈夫?」と、ちょっとドキッとしたのですが、ドキッとすることはもちろん不快さとイコールではないし、その用法を「けしからん」とか「やめさせよう」というのは、どこまで言っていいのかなと戸惑います。すでに「死」や「戦争」はだいぶ昔からカジュアルな用法も許されていますよね。ただ、基本的に「アリ」と考えている自分でも「これはちょっとやりすぎでは?」と感じることもあります。飯間さんはどのように考えていらっしゃいますか。

花田菜々子さん

飯間
「受験戦争」なんて普通に言いますからね。「戦争」以外にもどぎつい言葉を比喩として日常的に使うことがありますよね。
 例えば、「大雪で高速道路で多くの車が立ち往生した」とニュースで言います。「弁慶の立ち往生」と言うように、「立ち往生」とは本来、立ったまま死ぬことです。弁慶が義経を守るために敵の前に立ちはだかった。敵がいっせいに矢を射る。針山のようになった弁慶は立ちながら壮絶な死を遂げた、と、これが立ち往生ですね。今、元の意味を引き合いに出して「高速道路のニュースにそんな言葉を使うなんて!」と怒る人はいないです。こんな例はいくらでもあります。
 表現が適切かどうかは、その状況によって判断すればよく、「あの表現はきつい」とか「私は違和感があった」とかいう意見表明はどんどんすればいいと思うんです。ただ、そこから一歩踏み込んで「その言葉はあらゆる場面で失礼ですよ」「あらゆる場面で不適切です」っていうふうになると話が混乱してくる。

花田
 特にアニメや広告などの性的蔑視表現などについても同じことが起きやすいですが、「私は不快だ」「良くない表現だと思う」と発言するだけで「表現を取り下げるように追い込もうとしている」と歪曲して捉えられることも多いですね。

飯間
 私は「表現を取り下げよ」と言うのも自由だと思うんです。「やめてほしい人、みんなで署名しましょう」と運動する権利は誰にもあります。ただ、抗議を受けた側が、その抗議が正当かどうかにかかわらず、「めんどくさいからこの表現やめよう」と考えるのは無責任だと思います。あるいは、何が適切な表現かを権力のある側が判断して、それを人々に押しつけるのは危険です。そういうことに関しては、私は抵抗したいと思います。

花田
 なるほど。たしかにそうですね。

若い世代の造語力

花田
 ところで、私のパートナーの子どもが中学生で、彼らが友達と話すときの言葉は基本的に乱暴なのですが、いろいろ発見があるので聞いていないふりをして聞き集めているんです。

飯間
 おっ、いわゆる用例採集ですね。

花田
 はい。それで最近採集した言葉の中でいちばん好きな言葉を今日はひとつ飯間さんにご紹介できたらと思いまして。「床ペロ」という言葉なんですが、すでにご存じでしょうか?

飯間
 いえ、知らないです。

花田
 ああ、よかった(笑)。こちらもごく狭い範囲でのゲーム用語なのですが、今のゲームはオンラインが主流で、他のプレイヤーと競い合って、ゲーム内の自分の実力がランクづけされるわけです。それでこのランクが一度上がると下がらないシステムなこともあって、たとえば「プラチナ」のランクに一応いるけど、その底辺にいるので同ランクの中ではいちばん弱いんです、ということをやや自虐的に他人に伝えるための言葉のようです。
 こういった内輪のワードというものはそれぞれの界隈で無限にあるかと思いますが、なぜこの言葉に注目したかというと、まずは語感が「テヘペロ」にも似ていてキャッチーで、使ってみたくなること。ランクの下位にいることを、這いつくばって床を舐めるという屈辱的な、かつユーモラスな動作と紐づけていること。そして男子中学生は同級生との関係の中で自慢しすぎない、という作法を重要視していて、けれど自分はまあまあ強いこのランクには一応いるんだ、でもやっぱり上を見るとまだまだかなあ、という自虐と自慢と謙虚のバランスが一気に取れる言葉なのかなと思うんですね。

飯間
 面白いですね。謙遜のことばとして使ってるんですか。

花田
 混じってる感じですね。

飯間
 自慢を生のままで出さないようにするということですよね。中学生の頃から、あまり出すぎてはいけないという社会的ルールが身についているような気がしますね。

花田
 そうですね、「おまえは上のランクだろ、すごいな」って言われるのに対して「いや、オレ床ペロだから」というような使い方がメインだと思います。

飯間
 若い世代はほんとうに自由にことばを作り出します。大人になるとそういう力は衰えていくんですね。だから若い世代にたくさん言葉を作ってもらわないと、日本語は痩せていくと思います。「テヘペロ」や「壁ドン」もそうですが、特殊なシチュエーションを短い言葉で表現できるというのはすごい造語能力だと思うんです。それはうらやましいほどです。私は、自分でことばを作るということはあまりないので。

花田
 流行語ができるときって、誰が最初に言ったんだろう、という話になりますよね。

飯間
 言葉にもインフルエンサーはたしかにいて、その人によってぱっと広まることもあります。ただ、だいたい多くの言葉っていうのは誰が作ったかわからないまま、知らない間にみんなが使っている。むしろそっちの方が多いですよ。

花田
 そうなんですか。辿れないんですね。

飯間
 例えば「黒歴史」という言葉は、「∀(ターンエー)ガンダム」という作品から広まったと言われています。じゃあガンダムがそのことばの始まりかというとそうでもないらしく、詳しい人に言わせると「いやこれは富野由悠季監督が◯◯からインスパイアされて……」と、いろいろ前史があるらしいんです。もうそこまで行くと面倒を見切れない(笑)。誰それのことばと言われているものも、さかのぼっていくと、実はそのお母さんがふと漏らした一言かもしれない。

花田
 誕生の瞬間はきっとささやかなものなんでしょうね。何にせよ、私はまだ「若者の言葉はけしからん」の境地には行かずに済んでいるので、新しく生まれる言葉の動きに引き続き注目していきたいです。

メッセージのもう半分は

花田
 飯間さんが本の最後に書かれていた《「正しい日本語」の基準は分からず、私には指摘しようがない。/自分の考えや思いを一番うまく表せる言葉こそ「正しい」。/自分自身の「正しい」を決め、相手に届く表現を目指そう。》というまとめは、まさにこの本の趣旨そのものですね。一冊を通してそのことを丁寧に届けてくださったように思います。どうしても言葉を◯×で考えてしまったり、言葉の間違いや失礼さが気になってしまう人にはとても大切なヒントになるのではないでしょうか。それから他者の言葉に違和感があったときにも「違う人の感覚を尊重しよう」と書いていらして、これもとても大切なことだと思いました。

飯間
 ありがとうございます。ネットでも感想を書いてくださる方がありますが、この本を読んで気持ちが楽になったと書いてくださる方もいて、それは著者としてとてもうれしいことですね。
 ただ、今日の話の「言葉は◯×じゃないんだよ」というメッセージはまだメッセージとして半分でしかありません。その先が大事なんです。言葉を◯×で判断するよりももっと大事なことがある。それは、あなたが伝えたいと思っていることを何とかして相手に伝えることなんです。この本ではそこまではちょっと書ききれませんでした。この対談をお読みくださっている方には、このことをお伝えしたいですね。

花田
 この本は邪魔なものを脱ぎ捨てさせてくれる本だと思いますが、さらに、じゃあ「言葉はほんとうはどういうものなのか?」ということをさらに言いたいと。

飯間
 はい。それを言うためにまた別の本を書かなければいけなくなりました(笑)。

花田
 いちファンとしては遊び心ある言葉オタク的なツイートやエッセイも楽しみですが、より言葉の本質にせまってくれる本もぜひ読みたいです。楽しみにしております!


日本語はこわくない

『日本語はこわくない』
PHP研究所

「ご苦労さま」と「お疲れさま」、どっちを使う? 「よろしかったでしょうか」は間違い? 誰もが一度は戸惑う日本語の問題をすっきりと理解できる、ことばを楽しむ41編。


 
飯間浩明(いいま・ひろあき)
1967年香川県高松市生まれ。早稲田大学第一文学部卒業、同大学院博士課程単位取得。2005年『三省堂国語辞典』編集委員に就任。著書に『日本語をつかまえろ!』『知っておくと役立つ街の変な日本語』『辞書を編む』など。Twitter ▷ @IIMA_Hiroaki

(構成/花田菜々子 撮影/横田紋子)
〈「STORY BOX」2022年5月号掲載〉

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