ゲスト/大前粟生さん◇書店員が気になった本!の著者と本のテーマについて語りまくって日々のモヤモヤを解きほぐしながらこれからの生き方と社会について考える対談◇第13回

ゲスト/大前粟生さん◇書店員が気になった本!の著者と本のテーマについて語りまくって日々のモヤモヤを解きほぐしながらこれからの生き方と社会について考える対談◇第13回
  今月のモヤ  
恋愛って何?

 
 コロナ禍で人と人との関わりが減少している今、みんな、どんな恋愛をしているのだろう。恋愛関係になることで、相手を想い大切にしようという感情が芽生える一方、その想いが時に暴力的になり加害性を帯びてしまうこともある。時代の変化とともに新しい形の恋愛や人間関係も生まれているが、そもそも私たちが「恋愛」だと思っていたことの本質はいったい何だったのか。今作で「書けば書くほどわからなくなった」という大前粟生さんとじっくり語りました。


「やさしい主人公」は作者と同一ではない

花田
きみだからさびしい』とても面白く読ませていただきました。私の中では、ほんとうに10年に1冊くらいの素晴らしい恋愛小説でした。コロナ禍で変わった世の中と、ポリアモリーのような新しい時代の恋愛観をふんだんにちりばめながら、人を好きになる気持ちがとてもフレッシュに描かれているなと思いました。

大前
 ありがとうございます。

花田
 大前さんは『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』など、以前の作品でも、男性の加害性──恋愛の場で女性に加害してしまうこと──を恐れている男性の主人公をたびたび書いていますよね。大前さんがこのテーマを意識するきっかけが何か特別にあったのでしょうか?

大前
 何年か前に、東京医大の不正入試とかジェンダーの不均衡に起因する事件が立て続けにあった時期に、松田青子さんの『女が死ぬ』を読んだんです。『女が死ぬ』はドラマや小説、いろいろな物語の中で、女性キャラクターが男性優位の展開のためにいかに勝手に殺されたり妊娠させられたりしているかということを暴いていくような小説なんですが、それを読んだときにすごく身につまされて。自分がそういうことにいかに無自覚に生きてきたかを自覚しました。で、ちょうどその頃にフェミニズム関連の本も、それまで関心のなかった人にも受け取りやすいようなものが次々翻訳されて、それで一気にばーっと集中して読んで。

花田
 なるほど。じゃあ子どもの頃から自身の問題として悩んでいて……という感じではないんですね。

大前
 そうですね。作家になってから本を読んでいく中で、がーっとのめり込むような感じで共感していきました。それは加害者側の環境の中で生きてきた男性への共感でもあり、自由や尊厳を一方的に奪われる女性の側への共感でもあり。で、その頃に『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』の編集の方から「女性差別に傷つく男性を主人公に小説を書きませんか」と声をかけていただいて、いったん書いてみたんですが、これからもこういう問題に悩む男性はどんどん増えていくのかなと思ったので、まだまだこのことについては書けそうだなと。

花田
 大前さんが繰り返しこのテーマを書かれることで「自身の加害性に悩む主人公=作者自身」と考える読者も多いのではないかなと思うのですが、今のお話を聞くと、ご自身の中ではちょっと主人公とは距離があるというか、あえてこういう人物を描いている、という感覚なんでしょうか?

大前
 そうですね。まあまあ距離があります。人の弱さとか臆病さを、非難すべきものとか生きづらい要素とかという意味ではなく、そのままに書きたいというのがすごくあって、それでそういう問題に悩んでいる主人公を設定することが多いです。でもたしかにいただいた感想とかを読むと、僕自身がやさしい人だと思われていたりすることもあります。違和感もありますが、そういうふうに作者がキャラクターづけられたほうが売れやすかったりするんだろうな、とかも思ってしまう。

花田
 ふふふ。じゃあ、大前さんからはこの物語の主人公、圭吾のことはどう見えますか?

大前
 あんまり好きじゃないです(笑)。

花田
 そんな……(笑)!

大前
 エヴァンゲリオンの碇シンジみたいにずっと悩み続ける人を主人公にしようと思ってたんですよ。面と向かって気持ちを吐き出したり、正面から喧嘩したりできたらいいのに、なかなかそれができない。好きではないけど、そういうふうに悩んでしまう気持ちはわかるなあ、と思いながら書きましたね。

花田
 作者と主人公はそんな関係なんですね。面白いです。
 私自身も大前さんの作品を紹介するときに「今っぽい」という言葉をつい使ってしまうのですが、文学界・カルチャー界でも大前さんの作品は「今の若者の価値観」とか「世代の声を代表している」というような評価がなされることが多いのではないかと思います。でも大前さんはおそらく「今っぽくしよう」とか「世代を代表しよう」とかいう気持ちでは書いていらっしゃらないだろうなあと思うので、そのように言われることには違和感や戸惑いがあったりするのでしょうか?

大前
 自分としては、世の中にある直近で出た作品を全部「今っぽいじゃん」とか思うんですけど。でもわりと積極的に「現在」のことを書こうとはしています。今って、いろいろな価値観や考え方が出てきている過渡期だと思うんです。そういう過渡期だからこそ生まれた悩みとか葛藤の内容は、将来的に折り合いがついていくと忘れられてしまうかもしれないけど、悩んだり葛藤すること自体が面白いと思うので、それを小説にして残しておきたいというのがありますね。

今の時代、恋愛小説を書くことは難しい?

花田
 この作品は「コロナ」「ポリアモリー」「お片付けサークル」という、一見つながりがないような3つのキーワードが奇跡的に組み合わさってできている物語だなと感じました。なぜこの3つを組み合わせようと思ったのですか?

大前
 コロナと恋愛と片付けっていうのは自分の中ではけっこう重なっていて。コロナ禍でステイホームになって人との雑多な出会いがそもそも減って、それで誰しも人恋しさが刺激されて、そのことによって、ほんとうは違うけど恋愛の状態と錯覚してしまうことが起こりうるのではないかと思ったんです。あと、片付けは、こんまりさんが動画の番組で、毎回片付けを始める前に家のいちばん広いところで家の神にお祈りするんですよね。そうやってものを捨てる人の罪悪感ややましさを減らそうとしていて、ものを捨てたり手に入れたりすることはメンタルヘルスとすごく関係があるんだろうなと思って。誰かを想うとか遠くを想うということ自体が恋愛というものとちょっと重なりうるというか。恋愛ってよくわからないものですけど、そういうあいまいなものだからいろんなものを入れ込めるなと思ったんです。

花田
 なるほど。

大前
 ポリアモリーについては、それ自体というよりは恋愛でのすれ違いを書きたかった。考え方の違いとか、そもそも人と人は違うということの中で、それでもなお残るものが愛情とかだったりするのかなと思って。

花田
 たしかに、ポリアモリーに関しては、ポリアモリーでなくても成り立つ小説かもしれないです。

大前
 そうですね。

花田
 私個人としては、この10〜20年くらいで日本での「恋愛」の扱いが大きく変化している気がしているんです。大前さんは私の10歳ほど年下ですが、私が20歳くらいの2000年頃はみんなが恋愛至上主義で、クリスマスイブに恋人とデートしていなくてバイトのシフトが入っているのは恥ずかしいことだという考え方が蔓延していましたし、長期間恋人がいない人をからかうことも日常的でした。
 けれどリアルでも小説や映画の世界でも、異性愛の成就を目指さなくてもいいよね、という価値観が広がってきていて、対象が同性でもいいし、友人関係やひとりでいることを優先してもいいよねというメッセージのほうが多くなっていると思うんです。
 なので恋愛小説にとっては厳しい時代であり、時代の最先端を行くような大前さんが今あえてストレートな恋愛小説を成功させていることがすごいなと思ったのですが。

大前
 僕の感覚としては花田さんとは真逆で、メッセージが増えても、それが実際に受け入れられているかというと、正直どうなのかな、という思いがあります。コンテンツに関しても、まだまだジェンダーの不均衡に則った恋愛ものがめちゃくちゃ多いなという印象です。しかもティーン向けとかになればなるほど多いように感じます。お互いの寂しさにつけ込んだり、依存関係にあることを恋愛と呼んでいるコンテンツが多いなと。一方でたしかに時代の変化を感じ取った作品も増えていて、コロナ禍でさらに二極化していくのかなという感覚があったんですね。そのあいだを埋めるというか、どっちにも行き来できるような、どっちのことも否定しないというか、どっちのことも描きながら従来通りの恋愛が好きな人のことも肯定できるような作品を描きたいというのはありました。

大前粟生さん

花田
 今おっしゃっていたとおりで、あらゆる価値観の人への肯定があって、ただ尖っているのではないところが大前作品のよさなのかもしれないです。私自身も、若い世代に向けて「恋愛しなくてもいいんだよ」と伝えるだけでは不十分だなと思っていて、恋愛したい人や今恋愛で苦しんでいる若い人に何を伝えられるだろうと悩んでいたので、自信をもって「推せる」小説ができたな、とうれしく思っています。
 一方で、たとえば中高年の男性が「何を言ってもセクハラになっちゃうからもう恋愛なんてできないよ」と嘆いたりしますが、その嘆きもわかる気がするんです。もちろん女性を酔わせて無理やり連れ帰ってセックスすることを恋愛と考えるような人には滅んでほしいですが、フェミニズムが進むことで人のプライベートな領域に踏み込みづらくなって恋愛しづらくなる、という側面もあるのかな? と。大前さんはどう思いますか?

大前
 そもそもそういう人たちが名残惜しく思う「恋愛」ってほんとうに恋愛だったのかみたいなことも思ったりしますね。職場で恋愛せんでもええやん、とか(笑)。まあ、そうですね、いろいろな価値観が取り上げられていくこととほんとうに浸透していくことはまた別なのかなと思います。自分のまわりには、作家さんだったり編集者さんだったり、いろいろな価値観について「解像度を高く保っておこう」と意識している人が多くいるんですね。でもそういった環境にいることで、僕自身、感覚が麻痺している部分もあるのかな、と。身の回りは、いわゆる「やさしい世界」かもしれないけれど、その外側では、いろいろな価値観や多様性などについての話って、けっこう他人事だったりするんじゃないかな、って。でも、だからこそ、自分の小説が、そういう人たちから遠く離れてしまっていないだろうかということはすごく気にします。だから作品でも登場人物のモヤモヤした気持ちとか、戸惑いとか、新しい価値観に乗れているわけではない人とか、矛盾した気持ちを書こうとしています。

なぜ恋愛は契約になってしまうのか

花田
 恋愛のことを考えるときに不可解だなと感じる決まりごとってたくさんあります。例えばこの小説の中だと、圭吾に告白してふられている金井くんが、自分の想いが叶わないことに対してちょっと被害者的な気持ちでいて、「俺のことを好きでもないくせに」って圭吾の言動に逆ギレするような現象とか。自分は相手を好きになったことで傷ついているのだから多少相手を責めてもかまわない、みたいな現象ってありますよね。

大前
 そうですよね。最近だと、例えばユーチューバーに恋人がいた疑惑が出て炎上するとか。なぜか「まなざす側」がまなざすことで「まなざされる側」を所有したような気分になっているというか。何でしょうね。期待が裏切られたときに、自分の心を守りたくてそうするのかなと思います。誰かを攻撃するっていうのは。

花田
 自分のまわりの恋愛結婚している人たちを見ていても、男女問わず、配偶者や元配偶者にものすごい憎しみを燃やしている人ってたくさんいます。恋愛の要素がなければそこまで遠慮のない憎み方をしていないのではないかと思ったんですよね。恋愛関係が成立していた相手には剥き出しの感情をぶつける権利があると考えている人が多いのかなと。

大前
 何でなんですかね。恋愛関係になると、それぞれが自分の時間を双方にとっての「良きもの」になるように形成すべきだ、という前提があるんですかね。それが裏切られたような感覚になるのかな。

花田
 私は「恋人に浮気されて悲しい」は理解できるし、相手の浮気によって自分の今後の位置づけはどうなるのか、これから関係性が変わるのか、と不安になることも理解できるのですが、そこに「自分が常に最優先される立場なはずだ」と権利を主張するふるまいというのが昔から理解できないんです。

大前
 なるほど。一般的には恋人という関係になることで「約束を結んだ」というようなことになってるんですよね。

花田
 契約なんですよね。

大前
 僕もそういう、関係性に契約を要請するノリみたいなのはあまり理解できなくて、この小説も書けば書くほど恋愛って何なのかと思ったし、何が「やさしい」のかもわからないです。だからこそ興味があるし、書けてしまうというところもあるのですが。

花田
 自分もどちらかというとそうなのですが、大前さんの書く「やさしい」は、ともすれば相手の領域に勝手に踏み込めない臆病さでもあると思うんです。その人を尊重するあまりに強引になれない。私は「俺といっしょにアメリカに来いよ」とは言えないけど、恋愛の場面でそう言ってほしい人もいるし、恋愛きっかけの他者の踏み込みで自分が変われることもある。

大前
 そうですよね。いっしょにアメリカに行くことがやさしさだったりする場合もありますしね。

花田
「俺とアメリカに来たらあなたは幸せになれるよ」って言われたい人もたくさんいると思います。

大前
 誰かにそう言われるとラクですよね。

花田
 この人ひとりをずっと愛すると宣言して、家族を作って実際にその人が死ぬまで添い遂げるというストーリーも素敵だし、それが結果的にうまくいったのであればいいと思います。でも、そうでなければならないと社会や恋愛相手に言われるのは嫌だし、私自身は契約によって相手を失わずにすむ、と思う安心よりは、契約を結ばされることなく自由でいたい気持ちのほうが強いです。でもその二つの間で揺れている人が多いのかなと思います。

大前
 どうなんだろう。契約は多分わかりやすい「物語」で、自分でも納得しやすいし他人にも納得させやすい。だから個人も世の中も、疲れていくとどうしてもそっちを求めてしまうのかな、という感じはします。

あいまいな恋愛小説だからできること

花田
 大前さんはこの小説を読者にどんなふうに読んでほしいですか?

大前
 いろんな考え方のいろんな恋愛をしている登場人物が出てきて、それぞれがそれぞれにぐるぐる悩んでいるので、もしかしたらリアルタイムで恋愛に悩んでいる読者の悩みと被るかもしれないし、同じ悩みがそこにあることでちょっと気が楽になることもあるかもしれないし、逆に自分にまったくない考えが書かれてるかもしれない。「読者といっしょに悩んでる」というと言い過ぎなのかもしれないですけど、まあ、「悩んだらいいよね」と(笑)。人間、悩むのは悪いことじゃないし、今ここで悩んでいることが将来何かの役に立ったりするかもしれない。だからどんどん悩んだらいいし、もし誰かに相談できるようなら相談したらいいかなと思います。

花田
 大前さんの小説って、いろんな人やいろんな生き方を肯定してくれるのですが、悩むことも肯定してくれているような気がします。

大前
 そうですね。世の中のだいたいのことは答えがないと思うし、悩んだり矛盾してたり一貫性がなかったりするのが当たり前だと思うんです。SNSや人間関係で病んでしまう人が多いのって、はっきりした答えを求められたり一貫性を求められたりすることが多いからというのもあるんじゃないでしょうか。そういうとき、本や小説が、あいまいなものとしてその人のそばにあったらいいのかなと思ったりします。

花田
 SNSは特にそうだし、あるいは対面でのおしゃべりでも「そんな彼氏とは別れたほうがいい」とか「誰々が悪い」というような白黒のはっきりした結論に陥りがちなところはありますね。小説ってそれをせずに数時間ぐるぐるさせてくれる装置なのかもしれないです。「別れるべきか、続けるべきか」という二者択一ではなくて、いろいろなところに光を当ててくれる。だから私たちには小説が必要なんだなと改めて思いました。

「僕自身はまったくエピソード記憶がない」

大前
 実は僕自身は、どうもエピソード記憶がないんですよ。エピソードとして何かを覚えてるっていうことがあんまりなくて。だから今日みたいな対談でも人間全般に当てはめようとして話してしまっていて、あまり自分の話というものがないんです。

花田
 えっ、そうなんですね。ちょっと想像しづらいです。記憶がないんですか?

大前
 何なんですかね。記憶がないというか、エピソードを覚えていない。

花田
 うーん……自分の身に起きたことを概念単位で抽出していて、エピソード単位では保管しないということなんですかね。

大前
 そうですね。エピソードを話すという回路がないというか、そこに興味がない。だからこういう対談の場で話をさせてもらっていても、登場人物だったり出来事を分析するみたいにしか話せなくて。だから相手からご自身のエピソードを話してもらったときに自分もエピソードで返したいと思うんですけど、何もないので、だからいつもどうしたもんかなと思うんですよね。

花田
 あまりそういう人に会ったことがないので、興味深いです。そうすると、たとえば「何でもいいのでご自身の恋愛のエピソードを聞かせてください」とお願いしても何もないんですか?

大前
 恋愛の経験はあるんですけど、このときにこういうことがありました、というような話が出てこない。自分自身についての言葉があまり出てこないし、何というか、困ってしまう。だからもしかしたら、自分には過去というものがないのかなと……いや、わからないです。きっとネガティブな感じではなく自分のことに興味がないし、自分のことを人に話そうというのもあまりない。

花田
 一般的には作家さんって、自意識とエゴのかたまりというか、「俺の話を聞け」の人だと思うんです。だけど実体験をそのまま書くのでは直接的すぎるので、アレンジしたり膨らませたり……という人が多いのかなと思っていましたが。

花田菜々子さん

大前
 僕も以前はそういうイメージがありました。でも自分に関して言えば、当初は少しはありましたが、小説を書けば書くほど自分のことを表現したい気持ちがどんどんなくなっていく。ジェンダーについても自分がこう考えたからそれを登場人物にフィードバックするとかではなく、登場人物がこうだからこう行動するんだろうな、というような書き進め方です。だから自分のこの空っぽさはなんなんだろう、と思いますね。

花田
「空っぽ」と言ってしまうとよくないことみたいになってしまいますけどね。作家になるべくして生まれた特別な才能なのかもと思います。もちろん大前さんがそのことで苦しんでいるとしたら別ですが。

大前
 いや、なんかどうでもいいんですね。

花田
 小説を書くことが苦しいときってありますか?

大前
 いや、パソコンを開いたらそれまで自分が書いていた文章があるから、そこからどんどん続けていけるんです。ただただ連想で書いているみたいな感じかもしれないです。何ていうのかな。「今、文章を書いたから、そのことによって次の文章が書ける」みたいな。当たり前のことのような気もするんですが、生まれた言葉に対して反射的に小説を書いているのかもしれない。反射だけで。

花田
 バドミントンで飛んできた羽根を打つような。

大前
 ああ、そうです、そうです。そういう感じで書いてますね。

花田
 大前さんにとっては、小説を書くことが「さあ仕事するぞ、面倒だけど書かなくちゃ」というオンオフのあるものではないんですね。小説を書くことで生きているというのか、生きる中に小説が組み込まれているというのか。

大前
 そうかもしれないです。それがもしかしたら、中年男性がなりがちな鬱というか、外からの動機づけがなくなることで自分が空っぽだったと気づく、というようなパターンがよくあると思うのですが、そういうものと紙一重なのかなと思ったりもするし。

花田
 小説がなくなってしまうと、ただの自分は空っぽだったって、行き先がなくなってしまうというようなことですか。

大前
 そうですね。すみません。なんか不思議な話で。

わからないからこそ書ける「恋愛」

花田
「自分の空っぽさ」というようなものが実人生での恋愛において、特異になってしまったりしないですか?

大前
 お付き合いしている人がいても、普通にその人との関係があって、その人のことが好きだけれど、それが「恋愛」という大きな言葉に回収されることにモヤモヤがある。ふわふわしてる言葉に、あまり自分を委ねることができない。自分はアロマンティック気味なのかなと思ったりもするんですけど、そういう、自分をどういうネーミングで定義するかということもわりとどうでもよかったりするので。

花田
 そうすると、世間一般で語られるような、きらびやかでせつなくて、大きく心が動くような「恋愛」というものへの違和感とか、そこからの「自分は普通ではないのではないか」というような悩みはなかったですか?

大前
 ああ、でも違和感はありましたね。恋愛って「みんながするもの」みたいな空気感になっているからみんなしているだけなんじゃないの? と思うことはけっこうあって。ほんとうに恋愛感情を持っている人っているのかな、とか、自分の恋愛感情のわからなさゆえにそんなふうに思ったりします。

花田
 大前さんが思う「ほんとうの恋愛」の条件って何ですか?

大前
 えー……、何ですかね。わからないです。

花田
 そうですよね、私もわからないんですが……。ドキドキする気持ちや独占欲も、ほとんどは性欲由来であるように思いますし、逆に性欲由来のドキドキとか興奮とか「何とかこの人と近づきたい」というものをすべて取り払っていくと、最終的には人間的なリスペクトや信頼やその人が存在していることへの感謝、みたいになってしまって、それもまた恋愛とは呼べないのではないかと思います。

大前
 そうですよね、言葉で分解していくとそうなりますよね。

花田
 でも『きみだからさびしい』に書かれているものは確実に、これ以上ないくらいに「恋愛」と呼んでいいような気がするんですよね。

大前
 おお。登場人物の恋愛を書いたという感覚はすごくあります。だから、自分がもし読者として『きみだからさびしい』を読んだとしても、「へえ」としか思わないかもしれない。

花田
 そんな(笑)。でも、先ほども「わからないからこそ興味があるし、書くことができる」とおっしゃっていましたが、不思議ですがそういうものなのかもしれないとも思います。幽霊や透明人間のような人だけが見える世界があるというか、舞台の外にいるからこそ舞台の上にいる人たちを俯瞰で切り取れるのかもしれない。これからも大前さんの特別な視点から生まれる作品を楽しみにしています。


きみだからさびしい書影

『きみだからさびしい』
文藝春秋

好きな人は複数の人とオープンな恋愛関係を持つ、ポリアモリーだった──。恋がしづらい私たちのための、100%の恋愛小説。


 
大前粟生(おおまえ・あお)
1992年、兵庫県生まれ。2016年、「彼女をバスタブに入れて燃やす」が「GRANTA JAPAN with 早稲田文学」公募プロジェクト最優秀作に選出され小説家デビュー。著書に『回転草』『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』『おもろい以外いらんねん』など。

(構成/花田菜々子 撮影/横田紋子)
〈「STORY BOX」2022年6月号掲載〉

◎編集者コラム◎ 『臨床の砦』夏川草介
◎編集者コラム◎ 『十津川警部 仙山線〈秘境駅〉の少女』西村京太郎