ゲスト/ジェーン・スーさん◇書店員が気になった本!の著者と本のテーマについて語りまくって日々のモヤモヤを解きほぐしながらこれからの生き方と社会について考える対談◇第14回

ゲスト/ジェーン・スーさん◇書店員が気になった本!の著者と本のテーマについて語りまくって日々のモヤモヤを解きほぐしながらこれからの生き方と社会について考える対談◇第14回
  今月のモヤ  
おばさんを楽しむ

 
 二〇一三年にコラムニストとして鮮烈なデビューを飾って以来、中年女子のリーダーとして発信を続け、共感と憧れをもって圧倒的に支持されているジェーン・スーさん。そんなスーさんも、以前は〝美魔女〟と呼ばれる自分の欲望に忠実に生きる女性たちを馬鹿にしていたのだという。「年甲斐もなく」という社会の呪縛から解き放たれ、自分らしく歳を重ねるにはどうしたらいいのだろう。新しい時代の〝おばさん〟を楽しむ方法を探ります。


「美魔女」を馬鹿にしていた時代があった

花田
 今回立て続けに出された『ひとまず上出来』『きれいになりたい気がしてきた』、どちらも楽しく読ませていただきました。私はスーさんの6歳年下ですが、中年女性が楽しく生きるための心構えや自分自身を肯定するためのヒントがいっぱいで、アロマディフューザーのように部屋中にこの本のエッセンスをずっと漂わせておくことができたらいいのに、と思ったくらいです。ユーモアや共感はもちろん大きな魅力なのですが、その根底に知性というものがひたひたと満ちているように感じました。

ジェーン・スー(以下、スー)
 うれしいです。『ひとまず上出来』は「CREA」、『きれいになりたい気がしてきた』は「美ST」の連載をまとめたものです。どちらも女性誌ですが、両方の雑誌を読んでいる人はあんまりいないと思うんですよね。で、どちらの層にも「ああそうか」とか「私もそうだな」と思ってもらえることを書こうと取り組んでいました。ただ基本的には私が自分で本当に思ったことや感じたことじゃないと説得力もないし、書いていてつまらないので、それを毎月探すのがけっこう大変でしたね。

花田
 自分自身は「CREA」よりも「美ST」のほうが遠いし、美容についてのトピックは知らないことも多いですが、スーさんの文章を通してだとふだん関心を持っていないそちらの世界に橋をつないでもらえるので、新しい発見ができて楽しいです。

スー
 ありがとうございます。

花田
『きれいになりたい気がしてきた』の冒頭で、昔「美魔女」に対してミソジニーを抱いていたことを振り返って書かれていたのが印象的でした。その嫌悪はかつて自分自身にもあったもので、男性だけでなく、彼女たちより若かった自分のような女も、彼女たちを「ああはなりたくないよね」と嘲笑していたと思います。今となっては自分を恥じるばかりですが、このような嘲笑はかつての「スイーツ(笑)」というようなネット用語にも近く、また昨今の「インスタ映え」も、女性には中身がないと嘲笑するニュアンスで使われていることがたびたびあるなと感じています。当時の自分も含め、なぜ私たちは誰かを馬鹿にしようとせずにはいられないのでしょうか?

スー
 うらやましいんじゃないですかね。本当に興味がなければ多分目にも入らないから、自分の中にも同じ欲望があることに気づいて嫌悪するんだと思います。嫌悪したり嘲笑する気持ちを延々濾過していくと、最終的に残るのはうらやましいという感情じゃないかという気がします。

花田
 なるほど。エッセイの中でもちょっと上の世代の方が「ディスコ復活」的なイベントでとても楽しんでいるのを目撃したときに、自分たちの世代が「年甲斐もなく」「はしゃぐ」ということに対して大きな恐怖心を感じていると気づいたと書かれていましたね。そうやって人をジャッジしてきたし、自分がジャッジされることへの怖さもあります。

スー
「大人はこうあるべき」というものを教わってきているしね。
 私たちが10代、20代の頃の30代、40代ってもっと大人然としていたんですよ。長渕剛が浮気したときに志穂美悦子がレポーターに突っ込まれる動画が YouTube に残っていて、そのときの志穂美悦子は30代ですが、今の55歳くらいの貫禄がある。30代の若さで55歳の貫禄をやると妖艶ですごく綺麗なんですよね。なるほど、これはこれでかっこいいな、と思いました。今はこなれと抜けとカジュアル感と若さ、みたいなのが尊ばれていて、「凄み」を目指す人は誰もいないでしょう(笑)。まあ当時も凄みを目指していたわけではないだろうけど、若さを潔く捨てることで得られるものもあったんですよね、きっと。

花田
 たしかにそうですね。

スー
 自分も昔ははしゃいでいるおばさんが嫌だと思っていました。それは多分「はしゃいでるおばさんはみっともない」っていう刷り込みがあったからで、全部を社会の刷り込みのせいにするのも違うけど、自分がゼロから思いついたことでもないと思います。まあ、はしゃぐことに関して言えば国民性というか、和を乱したり空気を壊したりすることに対しての恐怖感があるのかもしれないですね。

「おばさん」像はどう変化した?

花田
 ところで、今の時代に合った中年の生き方の見本が足りないなと常々思っています。時代が変わりすぎてしまって、親世代の当時のふるまいがまったく見本にならないというか、自分の親が40歳くらいの頃を思い返してみると、自分自身の人生を楽しむということに対してとても禁欲的で、大人らしい「大人」をやっていたなあと思いますね。

スー
 そうですね。

花田
 だからそういう意味では、スーさんが新しい時代の中年女子たちのリーダーとして私たちを引っ張っていってくれる存在だと感じているんです。

スー
 そんな大げさなものじゃないですが(笑)、でも私より少し前のバブル世代の女性が本当に元気なんですよ。最初はそれが疎ましかったんですが、今になると松明のようでありがたい。野宮真貴さん、甘糟りり子さん、酒井順子さん……と、いろいろなタイプの人がいますしね。でもその世代の人たちに聞くとユーミンという松明があるから元気なんだと言います。そうやってやっぱり、わーっと楽しくやることが下の世代にとっての松明になるんだというのが大きな学びだったので、楽しくしていようとは心がけています。それで下の世代の子たちが「あれでいいんだな」って思ってくれたらいい。

ジェーン・スーさん

花田
 遠くではなくて、ちょっと先にいる人が必要なんです。自分としても、尊敬する、憧れる女性、という意味では、たとえば樹木希林さんとか小泉今日子さんとか、いるにはいるのですが、特異すぎて自分がそこへ行けるとは思えない。オピニオンとかふるまいも含めて、スーさんがちょうど今より少しいい自分を目指させてくれているように思います。

スー
 ありがとう。

花田
 スーさんがコラムニストとして初の著書を出されたのが2013年ですよね。その頃からある種、「若くない女性」の代表として発信し続けているかと思うのですが、この10年でおばさんというものの捉えられ方もだいぶ変わったのではないですか。

スー
 そうですね。まあでも、その頃には YOU とかキョンキョンとかが出てきていて、そのあたりから、かつての「おばさん」は崩壊してきてましたね。10年というと私が38のときだけど、自分について言えば、そのときのほうが今よりもおばさんだった気がしますね。って、この常套句、おばさんあるあるですけど(笑)。もうすぐ40、どうしよう、みたいなおばさんビビりをしていました。

花田
 たしかに、30代になったら、40代になったらあれもこれも失うぞとさんざん脅されてきているので、30も40も、なる前よりなった後のほうが元気になれる現象はありますね。

スー
 そうそう。来年50になるんですけど、今、健康という観点から初めて「加齢が怖い」と感じるようになった。今までの加齢への怖さなんてオプションみたいなものでしかなかったな、って(笑)。この先確実に死があると認識するようになったのが40代だったので、50代はもっとそれをひしひしと感じるんだろうなと思います。「歳を重ねることは怖くない」はよくおばさんが若い人たちに言う言葉だけど、あれはもうちょっと咀嚼すると「君たちの怖さなんて、怖さのうちに入らんわ」ということなんじゃないかと思って。

花田
 シワが増えるとかそんなレベルじゃなくて。

スー
 そんなのは命に関係ないから(笑)。でも、自分の「おばさん」を楽しくいじれるようになってきたのはここ数年ですね。

花田
 自分の感覚としても、ひと昔前は自分の加齢について話すときにはもう少し自虐を入れるほうが自然な気がしていました。「私、おばさんだけど、こういう服を着るのもいいかなと思って」と一応ひとこと入れておくというか。今は前置きなしで言うほうがかえってスムーズな感じがします。おばさん周辺の問題に限らず、ルッキズムの意識が行き渡って他人にも自分にも「ブス」とか「ババア」とか言わない社会になってきたこともあると思いますが。

スー
 そうですね。我々も解像度が低かったというか……解像度っていう言葉、手垢がつきすぎていてあまり使いたくないんだけど(笑)。昔は男性に対してひとくくりに「どうせ若い女が好きなんでしょ」「どうせおばさんのことなんて人間だと思ってないんでしょ」と考えていたのが、おばさんになってきて「いや、そうでもないな」とわかる。安易に性的対象の箱に入れられないからこそ腹を割って話せたり、そういうことに関係なく近づいてくる人もたくさんいて、自分も先入観で世間を見ていたことに気づきました。

自分をいい環境に置くことがいちばん大事

花田
 スーさんの文章を通じて常に語られているのは、美容のジャンルだけでなく、恋愛、仕事、趣味、とすべてにおいて「こうでなければならない」という考えを「やってもいい」「やったら楽しい」「頑張ってもいい」に書き換えてくれるようなメッセージだと思います。油断するとすぐ「やらないとやばいかも?」「他の人に比べて自分はどうだろう?」という考えに取り憑かれてしまう。だからそういう考えに冒されないために、メンテナンスをするように繰り返しこういう文章に触れ続けたいなと思いました。

スー
「べき」という言葉は自分が言われるのが嫌なので、意識的に使わないようにしています。それと、私自身もひとりでいたら多分どんどん考えが凝り固まっちゃうし、古くなっていくと思うんです。世代関係なくいろんな人と話すことで気づくことがたくさんある。私という人間は友達の集合知、AIのようなものだと思っているので、常に情報を更新していきたいんですよ。それによって自分がいいほうに、自分の好きなほうに変わっていくというのを体感としてわかっているので、そのインプットは続けていきたいですね。

花田
 どこにいても周囲に左右されず「いい自分」でいられたらいいのですが、実際のところ影響は受けてしまうもので、自分が集合知だと考えるとどんな環境に身を置くかという取捨選択はとても大事になりますね。

スー
 うん、絶対そうです。だから自分の嫌なことをやらずに済んで、自分の会いたい人に会える環境にいられるように自分でしていますね。

花田
 たとえばですが、ネガティブなことばかり言ってくる人たちの環境からどうやって遠ざかるべきでしょうか?

スー
 そこからいなくなる(笑)。それしかないです。それができないと言う人もいるけど、ほんとうにできないというのはたとえば身動きの取れない病気をしているとか、究極的にはそれくらいだと思うんです。出産したばかりとか介護があるとかいろいろあっても、やっちゃう人ってやっちゃうんですよ。だから「それはできないのですが、どうしたらいいですか」というお悩みに関しては「私はできる、と自分で自分を説得する」という回答しかないのではないかと思いますね。

花田
 なるほど。それで言うと、おそらくは私もわりと「やっちゃえる」側なんですよね。だからそういう悩みに共感できないときもあるし、そういう人に対してなんて言ってあげたらいいかわからなくて悩みます。

スー
 自分で説得する、信じる、ということしかないと思いますよ。「そうは言ってもあなたは特別だから」って言われてしまったらもう閉店ガラガラなんですけど(笑)。

ラジオで「本当のこと」を言うために

花田
 ラジオは特に、いろいろな立場の方が聴いている媒体じゃないですか。必ずしも先進的な考え方の人ばかりではない。その中でのスーさんの言葉の強さと寛容さのバランスというものが、ほんとうにすごいなと思うんです。しっかりと主張があってなあなあにはしないのだけど、それを押し付けないやさしさがありますよね。

スー
  だってね、ラジオは嘘をつくと全部ばれるんです。書く仕事も嘘をついているとすごくわかりますが、ラジオは声だけだからもっとわかっちゃう。0.5秒の間とか、「わあ」っていうひとことの言い方でばれちゃうんですよ。演技だとできないんですね。だから本当のことを絶対に言わなきゃいけない。
 でも聴いている人と自分の間には感覚のズレがあったり、許容範囲のズレがあったり、日照時間のズレがあったりするんですよね。そういうことをラジオを始めるまで知らなくて、最初の頃は大失敗していました。それで自分が嘘をつかずに、かつ環境の異なる人を傷つけることなく言葉を伝えるとしたらどういう方法があるのかというのを模索しましたね。

花田
 模索した結果というのは、どういうものだったのですか。

スー
 まず、意図がちゃんと伝わるように丁寧に説明するということですね。それから相談コーナーは、ラジオ放送ではあるんですが、リスナーではなく相談者に向けて答えるようにしています。まわりにやんややんや言われたとしてもそこは腹をくくる。
 たとえば今日の相談コーナーでも娘が学校に行かないことに悩む母親からのメールを取り上げたんですが、最初にまず「親のあなたとそっくりなんじゃないの?」って思ったんですね。でもそれを言ったら相談者も傷つくし、リスナーの中には親から虐待を受けていた人もいるかもしれない。だから話す順番を変えたり、「こういう場合は違うよ」と前提条件を説明したり、そういうことを重ねて本当のことを言えるようになってきましたね。

花田
 それはラジオパーソナリティを長く続けているからこそ培われたテクニックだと思うのですが、そのテクニックのベースにスーさんの嘘をつきたくないという意志と、相手を思う気持ちとがあってこそのものですよね。それが「こういうときはこうするといいよ」というテクニックの羅列だと意味をなさないというか。

スー
 絶対なさないですね。ポッドキャスト番組の「OVER THE SUN」はあまり気を遣わないで全部吹っ飛ばしてしゃべれるので楽しいですけど、ラジオは違いますからね。別物です。精肉店や美容室の店頭など自分から聴きにきたわけではない人がたくさんいるので、そこで不快な思いをさせるというのは不本意です。ポッドキャストは自分で聴きにきているだろうという前提があるので、そこの配慮がいちばんの大きな違いですね。

花田
 それだけを聞くとポッドキャストのほうがより面白そうに思えますが、実際にはどちらも同じようにスーさんの魅力を感じられます。

スー
 単純に法定速度が違うというだけですね。

世界はあなたを傷つけないようにデザインされていない

花田
 エッセイの中でも『ひとまず上出来』に収録されていた「頑張れたっていいじゃない」という一編が特に好きです。ブラック労働で徹夜で頑張ったりすることが当たり前だったからこそ「頑張らなくてもいいじゃない」という言葉が生まれて、それが新鮮に効いた時代があったんですよね。だけど、今はそちらが強くなりすぎたというか、「頑張らなくていいじゃない」ばかりになりすぎて、頑張っている人がちょっと肩身が狭いような空気があります。だから「頑張れたっていいじゃない」という視点にとてもハッとさせられました。

スー
 今の時代は、言葉を選ばずに言えば「弱者のターン」だと思います。それはそうなってよかったし、そうなってしかるべき時代なのでいいのですが、それによって誰かの可能性が潰されたり、頑張ることが卑しいと思われたり、自分が頑張ることが誰かを傷つけることにもなってしまうという弊害もありますね。それと、「頑張らないほうがいい」というようなSNSの同調圧力には慎重になってほしいと思います。その風潮はSNSの中にしかなくて、気にしない人は気にせずに虎視眈々と自分だけ頑張って、次の場所へ抜けていくんです。だから馬鹿正直な人が「頑張らない」という風潮に合わせてしまって結果的に自分の可能性を潰してしまわないといいなと思っています。

花田
 一冊のエッセイ集になるまでの期間の中で、ダイエットがうまくいっている時期もあれば、サボって元に戻ってしまったと書かれている回もありますよね。努力していない側から読むと、失敗を読んでいるほうがラクだし楽しいし、「頑張ってます、うまくいきました」ばかりを読むと自分に照らし合わせて、できていない自分が責められているように感じてしまうこともあると思います。でも、意地悪な気持ちで受け止めないトレーニングが必要だなと思うんです。頑張る楽しさもいいものだし、自分はこれを頑張れない、と挫折を自覚することもまたいいものだと思うんですよね。

花田菜々子さん

スー
 そうですね。そのときに、自分に向けて書かれたものでもないのに「あなたが頑張っていると私を傷つけるのでここで頑張らないでください」と言う人がいるけど、《世界はあなたを傷つけないようにデザインされていない》というのが大前提で、そこを知っているか知らないかで受けるショックの量は全然違う。そこを理解すれば「傷つけられている」という錯覚は減るんじゃないかなと思います。「傷ついた」と「傷つけられた」はまったく別物です。

花田
 それは大事かもしれないですね。自分中心のカメラしかないと「この人の発言が自分を傷つけてきた」と感じられる。実際には、その人はあなたのことなんて見てもいない……。

スー
 頑張る頑張らない、に関しては、ちょっと議論が本質からはずれてきているような気がしています。子育てや介護、あるいは自身の健康の問題で公正なチャンスを得られない人がいる現状を是正していくことが「頑張りすぎなくてもいい」社会ということ。一生懸命やっている人が迷惑、というのはズレていますよね。

花田
 ダイエットが題材だと「あなたが頑張っていると私が傷つく」がいかに馬鹿馬鹿しい言いがかりかということは明快なのですが。

スー
 本当ですよね。それはわがまますぎる。

花田
 そうですね。ただ、それが出産や仕事のことになるとその論旨が通ってしまう危うさがある。自分が辛い状況にあるときほどポジティブな人を攻撃することで、なんとかならないかと思ってしまうという心の動きがあるのかなと思います。

スー
 あと、SNSのせいでテンプレができてしまって、すべての人がだいたい同じことを言っているなと感じます。フェミニズムに関しても他の社会運動に関しても、なんでみんな同じことを言ってるの? 自分の言葉で言いたいことってないのかな、と思ってしまいますね、そこは。

花田
 たしかに。何を議論していても三択で自分の考えに近いものに○をつけているような印象があります。

みっともなさを、なかったことにしない

花田
 女性の40代、50代を語るとき、更年期障害のことは避けては通れないのかなと思うのですが、実際のところどうですか? 感情のコントロールができなくなったりするものでしょうか?

スー
 私は逆に感情がとても外に出るようになってめっちゃ楽しいです。

花田
 楽しいんですか?

スー
 第2の思春期みたいなものですよ。突然泣いたり、落ち込んだり、「もう私なんて生きている価値がない」と思ったり、48歳でまた14歳が来たようで楽しいですね。それこそ一生懸命働いてきたりすると、とにかく精神に日常をブラされてはいけないと軍人のように心を鍛えてきたじゃないですか。ちょっとやそっとのことでは傷つかないし泣きもしないし、やけどをしたらもっと熱いお湯をかけることで治すような生き方をしてきた。それが、雨が降っただけでも悲しい、と思うようになるんです。

花田
 そう聞くとなんだかいいものに思えます。

スー
 人間としての私のシナプスが戻ってきた、という感じ。

花田
 思春期といえば、山田ズーニーさんという方が『17歳は2回くる』というタイトルの本を書かれていましたが、それは社会人として慣れて仕事のことを悩み考えるようになる34歳くらいにもう一度思春期がある、という内容でした。我々は一生なんだかんだと理由をつけながら「思春期」をやるつもりかもしれないですね。70歳の頃には「今が本当の青春」とか言ってそう。

スー
 あるでしょうね。「何年ぶり何度目」でいいんじゃないですかね。

花田
 そうですね。そうやってやっていくんだと思います。それも大人になりきろうとしない我々の時代の生き方というか。

スー
 この歳になって特に思うのですが、みっともない感情や辻褄の合わないこと、それから欲望を「なかったことにしない」、というのを心に決めているんです。というか、それをなかったことにすると最終的にもっともっと辻褄の合わないことになって自分の居場所をなくしていく。

花田
 自分のみっともなさを見つめるとかそれを書くということって、とても大事だし、読者からしても読んでいて心を動かされますよね。ただ、読者は読んで「この人恥ずかしいな」とは思っていないとしても、書く側は勇気がいりませんか?

スー
 それは大丈夫。逆に、そこを意に介さないで書いて提出することのほうが恥ずかしい。心臓に悪い。

花田
 なるほど。でもたしかに、それを書ける人のほうが信頼できるかも。

スー
 やっぱり世の中には露悪的な人とそうでない人がいて、花田さんも私も完全に露悪的な人ですよ。

花田
 え? 私?(笑)

スー
 完全に露悪側です。今日、これだけはしっかり伝えておきますけど。

花田
 何のことを言われてるんですか、私は。

スー
 いやいや、書く仕事をしている人は基本的に露悪ですよ。で、露悪を娯楽にできる人とそうでない人に分かれていて、できる人のほうが禁忌事項が少なくて生きやすいと思うんです。私もやっぱりだんだん、露悪な人じゃないと面白くないと思うようになってきているので。

花田
 禁忌といえば、とてもオーガニックで素敵な暮らしをしているイメージの知人が「本当はファストフードも好きだけど、インスタではそんな自分は出せない」と言っていて、セルフイメージをコントロールしていることに驚きました。でもたしかに自分もまんまとそのイメージに騙されていた。

スー
 そういう人、いっぱいいますよ。鍵アカで友人しか見られない場所でも自分の顔写真は上げないとか。そうそう、花田さんの著書『出会い系サイトで70人と〜』なんて超露悪じゃない。

花田
 いや、あれも書く前は「このことは恥ずかしいから書きたくないな〜」ってそうとう逡巡しましたよ。嬉々として書いたわけではない……ですが、恥を捨てて書いてみたらけっこう楽しいし、大丈夫なんだなあ、って思いました。

スー
 人がどこを楽しむかをわかっているということでもあるし、そのあたりはとても微妙なバランスなんですが、エッセイなんかを書いている人がいちばん露悪的だなと思います。私も一応、コラムニストと名乗っていますが、コラムは時事ネタだったり批評性があるんです。でもエッセイというのは超露悪。私はたまたま、自分が持っている欲望と露悪精神が中年期と重なって、読んでいる人に楽しんでもらえているんだろうなという気がします。たまたま今、中年でよかったな、って。

楽しいことを最優先して生きよう

花田
 スーさんには今後も少し先を歩く先輩として、私たちの時代の楽しいあり方を見せ続けてほしいなと思っていますが、ご自身としては目前にある50代、さらにその後の60代、70代に向けて、何か展望をお持ちですか?

スー
 ないです(笑)。期待は全部すかしていく心意気だし、誰の期待も背負いたくないので、何を書くかもわからない。誰の言うことも聞かないぞと思っています。

花田
 不良ですね、いいですね。今日いちばんのいいメッセージかもしれないです。

スー
 そう、不良です。しかもBADの不良じゃなくて、不良品のほうのね。検品でパッとよけられる感じでいきたい。

花田
 ラジオを続けたいとか、文筆で、とか、そういうのもないですか?

スー
 マジで全然ない。飽きたらやめます。

花田
 いろいろな人の期待を背負わないことや期待に応えないことも、意外と大変じゃないですか? 誰かに必要とされたいと思ってしまう気持ちとの葛藤というか。それをはねのけて、ということなんだと思いますが。

スー
 神輿の音が聞こえたら走って逃げるから(笑)。

花田
 そうすると第一に優先すべきは何ですか? 飽きないことですか? 楽しさ?

スー
 そうです、楽しいことです。楽しいことしかしたくないですね。でも私は何をやるにしてもその中に楽しさを見つけるのはうまいんです。そして楽しくないことはやらないことですね。


きれいになりたい気がしてきた

『きれいになりたい気がしてきた』
光文社

40代を迎えて改めて考える、美の楽しみ方と向き合い方とは。お年頃セカンドシーズンが楽しくなるエッセイ44本!


 
ジェーン・スー
1973年東京生まれ東京育ちの日本人。作詞家、コラムニスト、ラジオパーソナリティ。『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』で講談社エッセイ賞を受賞。他の著書に『女の甲冑、着たり脱いだり毎日が戦なり。』『揉まれて、ゆるんで、癒されて』『女のお悩み動物園』『きれいになりたい気がしてきた』などがある。

(構成/花田菜々子 撮影/五十嵐美弥)
〈「STORY BOX」2022年7月号掲載〉

週末は書店へ行こう! 目利き書店員のブックガイド vol.49 丸善お茶の水店 沢田史郎さん
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第198回