ゲスト/宇多丸さん◇書店員が気になった本!の著者と本のテーマについて語りまくって日々のモヤモヤを解きほぐしながらこれからの生き方と社会について考える対談◇最終回

人生相談に正解はない
人生に悩みはつきものだ。そして、その悩みを誰に聞いてもらうか、相談されたときにどう答えるかもまた悩みどころだ。家族でも、友人でもない、全く知らない女性たちのさまざまな悩みを、ラジオ番組を通して10年間も聞いてきた宇多丸さんは、彼女たちにどう寄り添い、一緒に悩んできたのだろうか。当事者にしかわからない痛みや苦しみに真摯に向き合うという行為の中には、私たちが人間社会で生きていく上でのヒントがたくさんあった。
くどくどといっしょに悩む「お悩み相談本」
花田
宇多丸さんは以前にも『ライムスター宇多丸の映画カウンセリング』という本を出されていましたよね。ただ、今回ご出版された『ライムスター宇多丸のお悩み相談室』は、宇多丸さんの得意ジャンルである〝映画〟の要素も取り払われた、タイトルもそのままのまっすぐな「お悩み相談本」です。
宇多丸
はい。ついにまったくオブラートを被せない、『モロ』の人生相談本です。
花田
Web サイト『女子部 JAPAN』という媒体での長期連載なんですね。
宇多丸
担当編集者の小林さんとは以前から色んな媒体で人生相談企画みたいなことをやってきたんですが、今の『女子部 JAPAN』の前身となるサイトで始めてからは、10年くらいかな?
花田
ものすごい長さですね。1冊を読むだけでも長年の歴史の重みを感じます。連載をあらためて振り返ってみていかがですか。
宇多丸
いろんな年齢、いろんな立場の女性の素の悩みを、ひとりの50代の男性が聞くことってなかなかないと思うんですよ。人の悩みに対してこう言っちゃいけないんだけど、それはすごく収穫だったというか、得がたい話を聞かせていただいたと思います。逆にここで聞いたことのすべてを知らずに生きていたとしたら、と思うとゾッとします。理解の回路をもらったという気がしていますね。
花田
なるほど。「学び」と言ってしまうとよくないかもしれないですけど、答える側の宇多丸さんにとってもそれくらいの収穫になったんですね。
宇多丸
自分が答える側にいることで、「この悩みは何なのか」をまずちゃんと理解しなきゃいけないというか、ほんとうは何を言おうとしているんだ、というのを読み込まないとならない。だからこそ悩みの問題点が自分にも刺さってくるというところはあったかなと思います。
花田
「これが問題、だからこうするべきですよ」と指摘して具体的な解決の道を示すのではなく、とにかくいっしょに、ああでもないこうでもないと、宇多丸さん自身も悩んでいる雰囲気がとても印象的でした。
宇多丸
お悩みのメールを読み込んで、こちらがいくら寄り添って頑張って理解しようと思っても、完全に理解できるわけではないし、でも何らかの答えを出すしかなくて。先日、精神科医の星野概念さんが対談のなかでおっしゃっていたことでなるほどと思ったのは、たとえば猪木の闘魂注入みたいなもので、言ってみれば「ビンタされたい」相談者がいて、回答者がその期待に沿うパターンの中で答えを出す──それで成り立っているタイプの人生相談の連載もあると思うんです。それですっきりするんだったらそれは全然いいけど、この連載に関してはそうじゃなくて、まあとにかく、くどくどくどくどと、どういうことだろうね、こうかな、それともこうかな、ってたくさん意見を出して、その中のどれかが役に立てばいいんですけどね、っていうスタンスですね。
花田
その回り道の感じこそが大きな魅力だなと思います。
宇多丸
だったらいいんですけどねえ。
花田
『ほんとうの答え』って、やっぱりぐだぐだしたものであることが多いと思うんです。悩みも「これで解決!」とズバッと言えることなんてほとんどなくて、こうかもだし、こうかもだし、こうとも言えるかもしれないし、というのが結局いちばん真実に近いような気がします。
宇多丸
はい。こうかな、こうかな、っていう中で、その人がいちばんしっくりくるものを選べばいいというか、いくつか出すのでいいと思うものがあったら使って、という感じですね。タレント連載でもあるから、「宇多丸がどう思うか」ということを言うのも必要ではあると思うし、それもひとつの考え方としては参考になるかもしれないけど、逆にそこを盲信されても責任は取れないしなあと。
花田
「ただの連載なんだから、エンタメなんだから」という態度には決してならず、いつも相談者さん本人のことをすごく誠実に考えているなあ、と。
宇多丸
まあ、切れ味が悪いだけかもしれないけど(笑)。
花田
いやいや。それから、あとがき的に、かつてお悩み相談された方の「その後」が掲載されていたのがすごくよかったです。web の長期連載だからこそできることなのでしょうが、その人が一瞬の通りすがりのたたき台ではなくて、ちゃんと人生があって生き続けている人間なんだなあということを、他の悩み相談の読みものではあまり実感したことがなかったので。
宇多丸
よく「人生相談の名手」とか言うけど、結果を見てないのに何が名手だ、ともぶっちゃけ思うんですよ(笑)。ほんとうに役に立ったのか検証しないとわかんないじゃん、って。その意味でもその後の報告を送ってくれるのはうれしいですね。これから悩みを送ろうという人のモチベーションにもなるしね。
「炎上」よりも怖いこと
花田
この何年かでフェミニズムの問題が盛り上がったり、女性を取り巻く環境も大きく変わったと思うのですが、連載を長く続ける中で時代の変化を感じることはありましたか? 「配偶者がこうで悩んでいる」「男性上司のここに悩んでいる」というような個人の問題に見えていたものが、実は社会全体の問題だったということに男女が自覚的になったのもこの数年のことではないかと思います。
宇多丸
確かにそうですね。ミクロな問題に見えていたものが実はマクロの問題にもつながっていた、というのが可視化されやすくなったというのはあると思います。あとは、例えば性被害のことなどは、一回扱うとやっぱり「ああ、それをやってくれるんだ」と思っていただけて、よりそういう悩み相談が増えてくる、ということもありました。
花田
恋愛をしなくなった時代、とメディアなどで言われることもありますが、実際の悩み相談の現場では、恋愛相談は減っているんですか?
宇多丸
恋愛の悩みが減っているというよりは、他の悩み相談の割合が増えているという印象です。恋愛の悩みは継続的に来るし、これってどんな時代でもみんなが感じたり悩んだりするものなんだな、と思うような普遍的な悩みもいまだに多いですよ。
花田
なるほど。恋愛の悩みというのがいちばんモヤモヤしやすくて、誰かに相談したいものなのかもしれないですね。よくないとわかっていても感情がコントロールできなかったりとか。
宇多丸
恋愛の悩みって正解がないですからね。
花田
恋愛相談に限らず、宇多丸さんの回答はいつもやさしいなあと感じるのですが、でもやさしいって、適当に「大丈夫」と言ってあげるというものとは全く違いますよね。
宇多丸
そうですね。
花田
他の方の人生相談などで、あえて辛辣に「あなたが間違っている」と糾弾するような回答がウケていると感じることもあります。でも、宇多丸さんは自分の意見ははっきり言うけれど、決して「キツい回答」にはならない。このような話し方は普段のラジオでのトークに通じる部分でもあります。宇多丸さんは自分の語りがどうあるように心がけているのですか?
宇多丸
実は元の連載自体、僕らが話した内容をそのまま書き起こしているように見えるかもしれませんが、実際は全体にめちゃくちゃ加筆修正してるんですよ。特にシリアスな話の回は他の編集部の方にも読んでいただいたり、本書の聞き手の小林さんにも相談したりと、何重にもチェックしています。単行本化の際にはさらに校閲部の指摘を受けて調整を繰り返しましたし。やっぱりいちばん恐れているのは、せっかくこうやって悩みを送ってくれたのに、それに対して返した言葉でその人にネガティブな思いをさせてしまうこと。それは本意じゃないから。もちろんどれだけ気を遣ってもその可能性をゼロにはできないんだけど。
花田
それはたとえば、表現を変えるというようなことですか?
宇多丸
そう。チューニングですよね。具体的に、この本の中であったところで言うと「どうせこういうことなんだろうから、下手に期待なんかすんな」というようなきつい言い方で言ったところを「最悪、こうかもしれないよ」ぐらいにしたり。言ってることは同じなんだけど、最後の最後までけっこうご指摘をいただいていました。だからやっぱり怖いですよね。
花田
怖いと言うのは、「炎上」が怖い、というようなこととはまったく違う意味ですよね?
宇多丸
まあもちろん炎上だって嫌だけど、それより怖いのは、相談してくれたその人の状況がよくなってほしくて答えているのに、逆によろしくないエフェクトを与えてしまわないか、ということですね。それこそ昔は「エッジィな物言い」みたいなところを押し出してたときもあるんだけど、読み返すと、やっぱりそのくだりはいらないなと思うし。要するにそれは「俺って面白いだろ」アピールの部分なんですよ。だからそういう余計なのを削っていって。連載の最初の頃は、自分自身も一刀両断系の回答スタイルをイメージしていたところもあったんですが、自分の意識が変わっていったのは、シリアスな悩みが送られてくるようになってからでしょうかね。

花田
ああ、なるほど。
宇多丸
転機としてものすごく覚えているのは、先ほども少し触れましたが、セクハラの相談が来たときです。しかもそれは御多分に洩れず、「私が悪いんでしょうか」「私も悪かったんですが」みたいになってしまっていて。これはもうちゃんとやるしかないというか、「あなたは悪くないです、そいつがどうかしてます。何なら社会が問題化すべきことなんだけど、あなたがそれをやるのもエネルギーがいるから〜」みたいなことをゼエゼエしながら答えて。そこからだんだん、ですかね。
僕らは間違う権利だってある
花田
自分を知らない〝赤の他人〟に気楽に相談できるのもメディアの人生相談コーナーならではの持ち味ですが、一方で公の場でもあり、そのバランスが難しそうです。
宇多丸
匿名とはいえ、みんなに見られる場で悩みをさらしている人がいるわけで、その切実さをそこでばっさり否定するというのは、やっぱり暴力的な構造だと思うんです。
花田
たしかにそうですね。
宇多丸
でもまあ、関係ない人だからこそ、まわりの人には相談できないことを言えるっていうのは絶対にありますよ。友達とか親は、言ってしまえば、とりあえず正しいことしか言わない、っていうのはあるじゃないですか。要はクソ男と付き合おうとしている人に対して「そんな男やめておけ」とかね。まわりの人はほんとうに心配してるからこそ、そうやって危険を取り去ってあげようとするわけだけど、同時に、人には「間違う権利」もある、ってことは大事だと思っていて。痛い目から学ぶという、その人固有の経験の機会をあらかじめ奪ってしまうのもどうなんだ、という。
花田
身内だと「傷ついてほしくない」とか「守りたい」という気持ちが悪い方向に出てしまうことってあります。
宇多丸
もちろんそれ自体は悪くはないのかもしれないけど、間違わないように「先回り」してしまうんですよね。でも、悩み相談の場ではそんなことは言いたくないな、って。
花田
そうすると、悩み相談の回答としてはどう言ってあげるのがいいんでしょうか。
宇多丸
大前提として「好きじゃしょうがねえよな」っていうのがあると思うんですよ。あと「あなたが何をしようと勝手ですけど」っていうこと。客観的に見ればそいつはクソ男だけど、その上で付き合うのも傷つくのもあなたの勝手だから、あとは知りませんって言ってあげる。答えを出すのはあなただからね、っていうのが最後の一線としてあるべき。そのほうがその人も納得できるだろうし。
花田
傷つくこともその人の自由、と言っても、「どんどん行っちゃえよ」と言うのがいい回答ではないですしね。
宇多丸
そうですね。まあでも、恋愛とはそもそも理不尽なものであって、理性でコントロールできりゃ誰も苦労してないわけだから、やはり「正しい」忠告だけではあまり意味がない。あと、最近ようやくはっきりわかってきたことがあって、恋愛相談の根本的な問題として、回答している僕らは、相談者が恋している相手のことを別に好きじゃない(笑)っていうのがあるな、って。
花田
本書の中でもその問題について語られていましたね。すごく面白かったです。
宇多丸
メールを送られている時点でこちらにはネガティブな情報だけを頭に叩き込まれているので、もう構造的に、嫌いにしかならない。でもその人が最初に好きになった理由はあるんだから、そこをすっ飛ばしていろいろ言うのはほんとうは不毛なのかもしれないな、と思う。たとえばこんなクソ男だけど、でも取り逃したくないくらい美しい、その美しさの前に破滅してもいい、ってことだってあるかもしれないしね。だから僕らも最も美しい男を頭に思い浮かべながら、じゃあしょうがないね、って言うしかないのかなって(笑)。
花田
そうなんですよね。嫌なところばかり聞かされて「そもそもなんでそんな人と付き合ってるの?」って思うんですけど、それを聞いても腑に落ちる答えはなかなか返ってこない。「すごく話も合うし、いい人で〜」って言われても、そんなのは全然加点にならなくて(笑)。
宇多丸
そう。それがだからやっぱり、「好き」という、すべてをチャラにしてしまう魔法の力なんでしょうね。
花田
90%はよくて、残りの10%についての悩みだということなんですよね。
宇多丸
こっちはその10を100として見るから「クソ野郎だ!」ってなっちゃう。それは僕らがジャッジされる側のときだってそうじゃないですか。この部分だけ見たらそう見えるかもしれないけど、他にもいろいろあるのにな、みたいな。だからその根本のズレに気づいたときに、これは面白いなと思ったんですよね。俺も他の人を見たらそう思うから、お互いに他人の見方が浅いことなんてフィフティー・フィフティー、お互いさまなんですよ。
花田
これは私たちが恋愛相談に乗るときはもちろん、物事を判断するときにも意識したほうがいい視点かもしれないですね。お互いに自分は全体を客観的に見れていると思ってしまうことが、ネットの論争などでも「お前はわかってない!」という諍いの始点になっているのかもしれないです。
「面白くなくなっちゃう問題」を考える
花田
先ほど宇多丸さんが強く言いすぎたと思う箇所については慎重に調整されるという話がありましたが、必ずその問題のときに、調整をすることで「面白くなくなっちゃう」という言い方をする人がいますよね。難しい問題だなと感じています。
宇多丸
まあね。でもその、「配慮すると面白くなくなっちゃう問題」に関しては……多数派が少数派のことをバカにするとか、強者が弱者を笑うようなギャグとか、要するに無神経な暴力性、抑圧性を帯びた言動って、そもそもそんな必死に守らなきゃいけないほど、面白かったですかね? と思うんですよね。だから、もともとたいして面白くなかったものが切り捨てられただけのことだと思いますけどね。
花田
何でそれが面白いことになっていたのか、逆に今となっては不思議です。保毛尾田保毛男で笑えてた文化ってすごいなって。
宇多丸
そうそう。だから今見ると普通にドン引きだわ、どうかしてた、っていうね。それが面白いとされる文化的コードに毒されてただけで、面白いことなんか他にいくらでもあるし……というか僕は、それで毒気のある物言いが無効になったとは、まったく思ってなくて。多数派が少数派をバカにするのは面白くないけど、威張りくさった権力者とか、のさばってそれが当然と思っている多数派の膝をカックンしてすっ転ばすのは面白いし、それが本来の笑いの構造でしょう。一方、弱い立場の人たちに配慮すると「面白くなくなっちゃう」って言っている人の理屈って、例えば「いじめを肯定的な思い出として語っている」みたいになっちゃってるよ、と思うんです。
花田
そのとおりですね。でもこれって、時代のせいにしたいところですけど、じゃあ今はきちんと判断できてるのかっていうと自信がないな。
宇多丸
まあ、何をもって抑圧的か、暴力的か、というのは誰ひとりとして時代の感覚の制約からは自由じゃないんだから、今のこの感覚だって、わからないっちゃわからない。そういう意味では、ダメなものはダメということはもちろん言うべきだけど、同時に今の感覚だってあてにはならんというように、全員謙虚であれば済む話だから、簡単じゃないですか。誰だって、神じゃないんだから。
花田
たしかに、そう聞くとそれほど難しい問題ではなく、すごく簡単なことに感じられます。この問題、ずっと同じところをぐるぐるしている気がして。
宇多丸
そうね。それこそ「人種差別、性差別はダメ」なんてのはいちいち議論したりする必要がない大前提中の大前提、ということでいいんですけど、大枠の中では少数派、被差別側にいる人も、例えばシスジェンダーの異性愛者という意味では多数派、みたいに、同じ人がある面では抑圧者たりうるし、ある面では抑圧される側たりうる、という構造というのはどんな局面にも必ずあるもので……それは一見複雑に見えるけど、でもその複雑さ自体はみんな共通しているんだから、誰もがまずは謙虚におそれを持って他者と接するべき、って点では、シンプルでもあるわけじゃないですか。つまり、それって「礼儀」みたいなことだと思うんだけど。
花田
なるほど。
宇多丸
お互い他人だらけのなかで生きてるんだから、あらゆることをおそるおそる、すり合わせし続けてゆくしかない。そこにイライラさせられることもたしかに多いですけど。
花田
他人と自分が違うということは、経験や学びを重ねていかないと理解できないというのもありますよね。私自身、昔はよく、他人が「私はこのことで傷ついた」と発言しているのに対して、「気にしすぎじゃない? 私なら全然気にしないけどね」と、他者の思いを自分に置き換えて勝手にジャッジし、あなたも私のように考えるべきだ、とその人の感覚を尊重せずに否定することをやっていたなと猛省しています。宇多丸さんがおっしゃる「礼儀」って、こうやって勝手に自分の物差しでジャッジするような態度をやめる、というようなことですよね。

宇多丸
おっしゃるとおりで。「自分の物差し」という言葉があること自体がもう、それはよくないものだという知恵がみんなあるっていうことなのにね。でもまあ、それが難しいのも事実ですけどね。相談の回答の中でも僕の経験バイアスが入ってないとはとても言えないし。
花田
でも全部のバイアスを排除したら無色透明な人になってしまうし。そんな人はいないですもんね。
宇多丸
まあだから、僕の場合はこうですが、って断って、お互いの話をするというくらいがいい。それこそが面白いわけだしね。だから悩み相談の僕の回答に納得してもいいし、同意できなくても、そういう考えもあるのかと思ってもらえたらそれでいい。
花田
宇多丸さんの回答のことだけでなく、友人と話したりするときでも、その考えに同意はしなくても「こんな考え方もありなんだ!」と知ることが気づきになるし、自分の思考の扉になっていきますからね。
宇多丸
そうですね。悩み相談に限らずで、僕が映画評論を好きなのはまさにそれ。一般的に「こう褒めるもの」となっている作品をこんなふうにけなす人がいるのか、とか、逆も然りで、同意できなくても面白い。いろんな考えがあること自体がすごく開放につながるというのは、映画評論もそうだし、何でもそうかな。
花田
宇多丸さんが酷評する映画の話を聞いて面白いと感じる人が多いのは、みんな映画の悪口を聞きたいわけじゃないんですよね。宇多丸さんの批評はオリジナルな思考の道筋をたどることができて、「そんなふうにも見れるんだ!」という脳の回路が開かれるような発見ができるからだと思います。まさに開放を感じられるんです。
ゲストの満足を最優先に
花田
この連載は、実は今回が最終回なんです。毎回大好きな本の著者に直接その本のことを聞けるなんて、とんでもなくありがたいことな反面、自分の話し下手さ、聞き下手さにいつも「もっとうまく聞けたんじゃないか」と落ち込んでいました。なので「人の話を聞く」ことのプロである宇多丸さんに、聞くことの秘訣をお伺いできたらと思っているんですが。
宇多丸
いや、僕なんか、話を聞くことの上手下手があるとしたら、全然ランク下のほうだと思いますよ。まったくうまくない。
花田
えーっ、そんなことはないですよ。どういうところがうまくないと思うんですか。
宇多丸
黙って聞いていればいいものを黙っていられなくなっちゃって、自分の考えを言い出しちゃう、とかね。
花田
私も対談をやっていて思うのですが、自分ばっかりしゃべりすぎてもダメだし、延々と相槌ばかりでもダメだし、難しいです。ただ、原稿はあとでいくらでも書き直しができますが、ラジオの場合は特に、ゲストの方が話し慣れていない方だったり、生放送という緊張もあって、話が弾まないような場面もあると思うんです。そんなとき、宇多丸さんはどんなことを考えてやっていらっしゃるんですか。
宇多丸
これはもう、聞いている人も一通りじゃないから、正解っていうのはないので、あんまり聞き手にとっての正解を考えても意味ないと思ってるんですよ。それより、リスナーの皆さんにはちょっと失礼に聞こえる話かもしれないけど、僕は、来てもらったゲストの方が楽しく話せたとか、自分の伝えたいと思っていることを言えたとか、ここがいちばん優先すべきところだと思ってます。だって、まずはわざわざご足労いただいて、その方が蓄積してきたものを図々しくも部分的にお借りして、こちら側のコンテンツを作らせてもらっているわけじゃないですか。それをリスナーに楽しんでもらえるかどうかは、あくまでその先にある問題だから。だから特集のゲストでも、ミュージシャンのようなゲストでも、まずはその人にいい気持ちになって満足してもらう、ってことを考えてる。
花田
えっ、そうなんですね。
宇多丸
傍から見たらそのゲストのことを「すげえヨイショしてる」って思われるかもしれないけど、それこそが僕のいちばん大事な仕事だから。こっちが「いやもうほんとうに最高でした!」って言って、むこうが「そんなに言ってもらえるならうれしいです」っていう、それが成り立ってれば最低ラインはクリアだと思ってるんですよ。逆に、出た人に「なんか……出るんじゃなかったな」って思われたらすべてが失敗だって。
花田
宇多丸さんと同じ立場に立って話すのもおこがましいですが、私はこの連載がただの対談だとしたら、憧れの人に会えるうれしさは実はあんまりなくて、緊張とプレッシャーばかりでしんどいので全然やりたくないんです(笑)。でも「この対談を読んだ人にこの本のよさを伝えたい、こんな面白い本があるということを知ってほしい」というモチベーションがあるので、それのみでなんとか突っ走ってきたように思います。もしかしたら私の連載も宇多丸さんの考えといっしょかもしれないです。
宇多丸
この対談だって、そのベースがあったら著者が嫌な思いをするわけがないよ。
花田
そ、そうかな。そうだといいんですけど。
宇多丸
だから、ラジオの場合で言えば、ゲストの人が話してる時間はもうその人の時間なんだから、たとえばしゃべり出すのに時間がかかったとしても全然いいんです。待っていれば。っていうのは僕の前が荻上チキさんの番組なんでそれをちょくちょく耳にする機会があって、それで勉強させてもらった部分でもあるんです。ゲストに学者さんが来られることも多いから、普通に間とか、全然空くんですよ。でも聞き手としては全然気にならないの。
花田
ああ、わかります。自分も初めてラジオに出させていただいたときは、とにかくなめらかにつっかえずに話さなきゃ! って背負いこんで臨んだんですが、実際には全然そんなことはないんですね。緊張しながらたどたどしく一生懸命話している人もすてきだなと思えるものだったんだ、って。
宇多丸
ベラベラしゃべる人じゃないというのはこっちもトーンでわかるし、それでいいんです。もちろん、あなたむちゃくちゃしゃべるじゃないですか、みたいな瞬間もいい。みんな違ってみんないい(笑)。
花田
ラジオってそのライブ感を愛せるものだし、リスナーがそれを愛せるようになるのは進行してくれる人に委ねられる安心感があるからなんですね。宇多丸さんが「それでいいよ」って思っているのが伝わっているから、私たちも大丈夫、って。
宇多丸
そうなんですよね。
花田
だからそこで、仮に宇多丸さんが「リスナーのみなさん、ゲストの方が黙っちゃってすみませんね」というような態度だとしたら……。
宇多丸
それはまずいね。でも、これは難しいんです。場合によってはこちらが1個、「それって、こういうことですかね」と添え木を入れるだけで、そう、そう、そう! って、ざーっと行くこともあるから、ここは見極めなんですよ。
花田
うわあ、たしかにそういう面もありますね。めちゃ難しい。待てばいいという問題でもないのか。
宇多丸
だからやっぱり対面のほうがいいですよね。ラジオもリモート出演ではそこの機微がわかりづらい。今、詰まってるんじゃなくて、考えてるのか、それとも言葉が出そうで出ないのか、もしくはただ台本を見失ってるだけなのか、というのが対面だと伝わるので。
花田
なるほどなあ。
宇多丸
でもそういういろいろはあるけど、最終的にラジオで伝わるのは熱だから。何を言ってるかわからないけどとにかく熱心にしゃべってる、それだけでもういいんじゃないかなって思います。
会話は上手になんてならなくていい
宇多丸
僕らって、日常生活でいろいろ人と話しているつもりですけど、だいたいちゃんと聞いてないし、ちゃんと答えてる人もあんまりいない。カフェの店員さんとの会話なんか顕著ですが、「エスプレッソのMをください」と言ったら「はいエスプレッソですね。サイズはSですか、Mですか」みたいなのってあるでしょ(笑)。みんなそれくらい話を聞いてないんです。
花田
そうですね。聞くって何なのか。聞くことをうまくなりたいと思っていたけど、何を目指したかったのかな。聞くことは話すことと必ず対になっているから、どちらかだけが上手、ということもありえないですしね。
宇多丸
おっしゃるとおり、聞くっていうことはその相手が言っていることを理解して、咀嚼して、考えることっていうか。だから「聞く」とは「考える」だし、聞いてますよってことを示すためにも「こういうことですよね」と一回吐き出したり、あるいはちょっと違うと思ったら「こうじゃないですか」と返したりするわけですよね。だから「聞く」「考える」「話す」って完全に一体の作業なのであって。かんたんに見えてほんとうはけっこう体力がいるというか、カロリーを使う作業ですよ。
花田
一方的に話し続けている人は会話をしているとは言えないですしね。それってテープを再生しているだけのようなもので。
宇多丸
相手の発言に対してもともとある自分の引き出しから「はいこれ」って出して置いてるだけとかね。会話がうまく見える人っていうのは、その引き出しから何か取り出してそこに置くのが早いだけって気がするんだけどな。ばしっと決めているように見えるけど、もともとある答えを出しているだけならそれは会話と言えるのか。
花田
たしかに。スムーズな会話がいい会話、ではないですね。
宇多丸
さっきのカフェの例じゃないけど、日常会話レベルだとこういうことも多いし、それで済んでるってことなのかもしれない。だから第三者が聞いてると、「うわあ、全然会話してねえ」みたいなことはある。べつに全部が意味のある会話である必要もないんだけど、みんな意外と聞いてないということは言っておきたい。
花田
ふふふ(笑)。言っておきたいんですね。
宇多丸
あと、みんな自分の話ばっかりしてるということもすごく言っておきたい(笑)。飲み屋とかで聞いてると、あれ、ほんとに面白いんだよな。みんな自分の話ばっかりしてる。で、そうそうそう、わかる〜、私もさあ、って言って、でも聞いてると全然さっきの話とつながってない、とか。まあ、それでもお互い満足ならべつにそれでいいんだけどね。
花田
もしかしたら「今日はいろいろ話せてよかった」とお互いが本気で思いながら帰ってるかもしれないですよね。
宇多丸
そうそう、それで楽しくやってるんだから。あと、これも本の中でも言及したことなんですけど、プロじゃないんだからテレビに出てくる人みたいに話せる必要はないでしょう。なのにそういう「うまさ」を日常に持ち込んで、「今噛んだ」とか、人に言ったりするのはどうなのかなと思いますね。日常で噛んでも何の問題もないし。ほんとうにあれは悪しき風潮だと思いますよ。
花田
ほんとうにそうですね。みんながメディアになりうる時代の弊害というか。
宇多丸
「オチは?」みたいなさ。
花田
しますよね、そういう言い方。芸人さんに憧れているふうの。
宇多丸
オチはねえよ!(笑) だって普通の会話だから。
花田
そういうノリの対極にほんとうの「会話」があるんだと思います。
宇多丸
そうそうそう。会話がどこに行くかなんて、ねえ? オチって何だよって話。最初から着地が決まってるってどういうこと? って思うし。
花田
無理やりつなげるようですが、最後まで着地が決まらないのが宇多丸さんのお悩み相談の本の素晴らしさですから。
宇多丸
いやあ、でも、それゆえに切れ味があんまり……切れ味がな。……もっと切れ味がいいほうがいいんですかね?
花田
いやいやいや。たしかに切れ味はないかもしれませんが(笑)。でも、この本はとにかく最高だったということは私も言っておきたいです!
宇多丸(うたまる)
1969年東京都生まれ。早稲田大学在学中に Mummy-D と出会いヒップホップ・グループ「RHYMESTER(ライムスター)」を結成。2007年TBSラジオで「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」がスタート。09年に「ギャラクシー賞」ラジオ部門DJパーソナリティ賞受賞。18年4月から同局で生放送ワイド番組「アフター6ジャンクション」でメインパーソナリティを務める。著書に『森田芳光全映画(宇多丸、三沢和子)』『ライムスター宇多丸の映画カウンセリング』などがある。
(構成/花田菜々子 撮影/浅野剛)
〈「STORY BOX」2023年1月号掲載〉