藤岡陽子、最新作『海とジイ』を語る! 「人が人を壊すこともあれば、修復することもある。生き直そうとする人たちを一番書きたい」――3人のジイたちの強さとやさしさに癒やされる珠玉の短編集!

過疎医療、高齢者問題……重いテーマを扱いながら、読んだあとはいつもあたたかな心持ちにさせてくれる藤岡陽子さん。12月7日発売の新作『海とジイ』の裏話、「小説家になる」と衝動的に会社を辞めてからの修業時代のお話などをたっぷり語っていただきました。

最初から舞台は瀬戸内の離島、と決めていました。

――新作『海とジイ』で何より印象的だったのは、最晩年を迎えた3人の「ジイ」たちの生き様でした。今回、瀬戸内の、ちょっと離れたふたつの島が舞台ですね?

藤岡:佐柳さなぎ島と高見島ですね。たまたま、仕事で瀬戸大橋を渡る機会があって、橋の上から海に浮かぶ島が見えて……。こういうところで暮している方々は、どういう思いで、どういう生活をされているんだろうかって思ったのが始まりです。この島を舞台に何かひとつ書いてみたい、と。海に浮かぶ小さな島で暮らしていくって、けっこう過酷じゃないですか。そこで生きてこられた方たちの精神力の強さに惹かれました。なので、最初から舞台は瀬戸内の島で、離島でと決めていたんです。

――瀬戸大橋からご覧になったときの島の印象っていうのはいかがでしたか?

藤岡:ちっちゃいなあと思いました。上から見ているのですごく小さくて、台風とか、暴風雨とかに呑みこまれていきそうなもろさを感じましたね。でも、そこでずっと風雪に耐えて生きてきた人たちもいる。そのギャップに惹かれました。

――巻末のこの地図ですね。香川県から行ったほうが近いんですね。

藤岡:ええ、香川県の多度津たどつっていうところから船で行くんですよ。

――実際にいらしてみて、上から見た感じとは違いましたか?

藤岡:そうですね……高見島は人口が30人とか、本当に小さな島なんです。私は生まれも育ちも京都で、そういう人口の少ない離島には初めて行ったんですよね。上から見るよりはずっと生活感がありましたし、ここで生きていくことの過酷さを実感できました。

――人口が30人ほどですと、商店とかもそんなにはありませんよね?

藤岡:なかったですね。人よりも猫の方が数が多いくらいですから……。高見島の方は宿がひとつあるんですけど、船から降りるのは5、6人で、観光客はすぐわかるくらい。高齢の方が多い感じでした。

――佐柳島の方には?

藤岡:佐柳島の方には宿はなくて、前もって予約をすると、廃校になった昔の小学校に泊めてもらえるシステムはあるみたいなんです。でも、突然行って泊まるような宿も、食堂もありませんでした(※1)。商店もなくて、移動スーパーが船に乗ってやってくるんです。週に1回か2回、トラックに食料を積んできて、皆そこで買物する。海が荒れると船が欠航しちゃうし、本当にちょっとした自然の影響で暮らしが変わるんです。自然の中で生きているという場所でした。

※1:2017年8月、喫茶「ネコノシマ」がオープンした。

――作中でも台風で亡くなった方がいましたね。

藤岡:はい。実際に島に取材に行って、石本さんっていう、90歳の、すごくかくしゃくとしたおばあさんと出逢ったんです。仲良くなってその方のお家まで行き、いろいろ話を聞かせていただきました。そのままお話に使わせてもらったりもして。その方の息子さんが亡くなったわけじゃないんですけど、その島で生きてきた、その方の人生を作品に映し出しました。

――地元の言葉での訥々とした語りが胸を打ちます。

藤岡:実はこれ全部、その石本さんが直してくださったんです。ものすごく本を読む方だったので、こちらの意図をよく汲んでいただけて……。「ここは訳しすぎると伝わらないでしょ?」とか、さじ加減をわかっていらして、完全な方言には直さないんですよ。これくらいならわかるっていう、うまい直し方をしてくださって。出会ったのがその方だったのは、本当にラッキーでした。

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――すごいですね! ベテラン校正者のようです。

藤岡:そうでしょう? 別の短編を他の方にお願いしたら、完全に地元の言葉になったんですけど、かえってわからない感じで……。でも、たまたま船でまた石本さんに出会えて見ていただいたら、やっぱり、本にできる程度の方言に、ぴたっと収めてくれました。本当にありがたかったですね。

人が自分の弱さを受け入れる瞬間、変化の瞬間を描きたい。

――最初の「海神 わだつみ」はひいおじいちゃんとひ孫、最後の「波光 はこう」はおじいちゃんと孫の物語ですね。現役世代のお父さんとはうまく話ができないけれど、おじいちゃんたちはふわっと包んでくれる。そういった上の世代と、トラブルを抱えた若者とのつながりがとても印象的でした。

藤岡:全編を通して、何か変化する瞬間を書こうと思っていました。扉が開く瞬間、自分が、人が変わる――変わった瞬間を書きたかった。「波光」の澪二くんは「自分の弱さを受け入れた瞬間」ですね。家族の前でも友達の前でも、自分の弱さを出せずに強がる、野生動物みたいに生きてきた18歳の男の子が、自分がまだプライドとか持ってなかった小さな頃に過ごした島で、子供に帰る。おじいちゃんには自分を強く見せなくてもいい。子供のままでいいんですよね。

――「じいちゃんにはかなわない……」っていう。

藤岡:そうです(笑)。みんな、おじいちゃんってすごい人って思ってるでしょう? 自分が小さかったころから、出会ったときからおじいちゃんだったから。離れて住んでいて、ちょっと距離もあって、ゆるぎのない人間だって思ってる。そのおじいちゃんと、ちょっと成長した自分が出会って、おじいちゃんの中の「ゆらいでいた時代」に触れた。おじいちゃんが弱さを見せてくれた瞬間、自分も素直に弱さを出せたっていうことだったのかな、と私は思っています。弱さを受け入れた瞬間に、強くなっていける。おじいちゃんにしかできなかった、おじいちゃんとしか作れなかった空気を表現したかったんです。

――逆に、家族は近すぎて……

藤岡:実は家族にはなかなか弱みを出せない。お母さんはお母さんでいろいろ大変で、お父さんも大変で、それぞれのしんどさを身近で知っているから、迷惑をかけられないと思っていたりね。弱音を吐くことで家族の負担になりたくない、そういう18歳なりの自尊心が邪魔してしまう。お友達にしても、こういうアスリートの子は一番近いからこそライバルというのが、お互いにあるでしょう。だから、すごく孤独なんですよ、澪二くんは。その孤独に、おじいちゃんの甘くはないやさしさがすっと入ったんでしょうね。

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――真ん中に入っている「夕凪 ゆうなぎ」は若干異色といいますか……。

藤岡:そうですね、その話は何年か前に書いたもので、うまくこの2篇に入るようにアレンジしたものなので、確かに異色……。同じ時期に書いたものではないし、女主人公ですし。でも、これもやはり、48歳の看護師さんが、ずっと慕ってきた老医師から離れて遠くに行くことによって、もう一度人生を生き直す話なんです。

――ひとつの扉が開くわけですね。

藤岡:孤独に向き合って生き直すということですね。老医師のほうも、孤独というものを知っているからこそ、それに彼女を付き合わせない。おじいさんのダンディズムというか、なんというか。

――かっこいいですね。

藤岡:かっこいいですよね。私も、「好きになるなあ、この人は……」って思いながら書きました(笑)。

――『海とジイ』について、「短篇三つだと思ったら全部つながっていた。ひとりで生きている人なんていない。みんな少しずつつながっているんだな」という感想をネットで見ましたが、私自身、最後に三つがつながった瞬間は本当に鳥肌が立ちました。

藤岡:本当ですか? 嬉しい!

――べったりではないけれどどこかでつながっていて、少しずつ影響を与え合っていて。

藤岡:そんなふうに読んでもらえて、私も嬉しいです。人が人を壊すこともあれば、修復させることもある。「人と人」がすべてですよね。たとえ出会わなくても、その人の影響がどこかで次の世代に受け継がれていく。それが人生で、それを描けるのが物語、小説ですよね。なので「なんとなく全部が同じ世界観」と受け取ってもらえたら、一番嬉しいんです。

――この作品の人物たちもまた、会わなかったけれども影響が……

藤岡:そうですね、結局、一度も出てきてない、「海神」ではすでに亡くなっていた総領の竜生が優生くんを救ったのかなあとか……。出会ってはいないけれども、誰かが誰かの思いを引き継いで、その思いがまた次に引き継がれて……という形で、勇気だとか、心だとかがつながっていく。それを表すことができたら、成功だと思っています。

――竜生自身は35歳で亡くなったけれども、彼の人生はそのあとにも引き継がれていって、いろんな形で発展していく。

藤岡:そうですね。だから、もしかしてこの本で一番大事なのは、竜生なのかもしれない。彼が残していった石がずっとつながっていきますよね。そういうものなのかな、そういうものであったらいいなって。

――その石が高見島の博物館になってつながっていくんですね。

藤岡:この博物館は本当に高見島にあるわけではなくて……そこは架空なんです。実際には京都にありまして高田クリスタルミュージアムというんです。地学の先生が定年退職後に建てられた立派な私設の博物館で、それをそのまま高見島に持っていった感じですね。石への思いをこんなにも強く持っている方がいる、石の魅力を伝えたいと思って書いたのが、3篇目の「波光」です。

――初めて見る石の名前もたくさんありました。

藤岡:何回か通ううちに、私も石を買うようになったりと、だんだん好きになってきましたね。今まで気にも留めなかった石という存在が、こういうふうに少しずつ知っていくことで自分にとって大事なものになっていくという体験をしました。

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――お気に入りの石は何ですか?

藤岡:水晶です。作品の中でも書いたんですけど、ただ落ちている時にはわからないけれど、磨いていくうちにきれいになっていくんです。日常のなかにも、そういうことがいっぱいあるんじゃないかと。気にも留めないことでも、興味をもって磨いていくうちに次第に大事なものになっていくというのが、物語のようですよね。実は博物館には息子も連れて行ったんですけど、石にはまったらしくて何個か買ってました(笑)。

――ええっ(笑)。息子さん、おいくつですか?

藤岡:今、小5です。幾何学的な形や、多面体なところもおもしろいみたいですね。お好きな方は全国いろいろなところを回って、珍しい石を発掘したりしてるんです。そういう趣味とか人生もいいなあと、奥深さを感じました。

――今回の「夕凪」もそうですが、前作の『満天のゴール』も看護師さんが主人公で、過疎地の医療問題なども含めて書いておられました。ご自身が看護師でいらっしゃるのですね?

藤岡:はい、今も月に2、3回は勤めています。脳外科のクリニックでの看護業務ですね。採血したり、点滴したり、処置についたりとか。

――手術とか?

藤岡:手術はないんです。以前はオペ室にいたこともありましたが、ハードで……。

――ハードなんですね、やっぱり。

藤岡::きついです。神経使うのでみんながピリピリしていて、立ちっぱなしで。すごく疲れてました。でもね、オペ中でも、ドクターがフッと冗談言ったりするんですよ。

――それは意外です(笑)。

藤岡:ちょっと笑わせたりね。5時間も6時間もかかるので、ずっと怖い顔してやってるわけじゃないんです。一生懸命やりながら、フッとゆるむ瞬間ってありますよね。どれだけ過酷な状況でも、ふとした笑いや誰かのやさしさでほっこりしたりとか、そういうものを大事にして、逃さずに物語に入れていくようにしています。

作家になりたくて会社をやめ、タンザニアで1年間の修業生活に……。

――大阪の文学学校で勉強されたのですね。

藤岡:私は27から小説を書き始めたんですけど、実はそれまで書いたことがなかったんです。でも小説家になろうと思って前の会社辞めたんですよね。それで、小説ってどうやって書くのかなと思って、文学学校に入って、いきなり書きはじめるんです。みんなに読んでもらったり、「これは小説のルールとしておかしいよ」とか、そういうことを教えてもらって。朝井まかてさんとか、沼田まほかるさん、あと芥川賞作家の玄月さん、木下昌輝さん、同じ時期じゃないですけど、結構そこから出てるんですよ。

――その方たちも文学学校で勉強されて?

藤岡:そうです。他にもライトノベルの方とか、もっとたくさんおられます。小説の書き方とかルールというのは、聞いてみないとわからないこともあるので。そこで1年講義を受けて、それからもう何年かたってから1年、合計2年勉強しました。

――そういう勉強をすると、作家にならなかったとしても小説の読み方が変わってしまいそうですね。

藤岡:そうですね。たしかに、読めるようにはなっていきますね。たまに既存の売れてる本をテーマに皆で語ったりして、プロの本にいろいろ勝手に「これはこうだ」みたいなこともしました。

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――ちょっと同人誌っぽいですね。

藤岡:あ、はい、同人誌っぽい感じです。でも、自分で小説を書いてプロになりたいっていう人が多かったですね。趣味で楽しむというよりも、自分がどんどん外に出て行きたい人が多い学校でした。

――タンザニアにいらしたのは、それよりも……?

藤岡:前です。会社を辞めてすぐ、26から27までの1年間で行きました。小説家になりたくて衝動的に辞めたんですけど、このままじゃ駄目だなあと。今までの自分じゃない自分になりたい、扉を開けたい。とにかく一度一人になって、自分が何を書きたいのかとか、自分の人生だとかをもう一度自分なりに考えようと思ったんです。

――なぜタンザニアだったんですか?

藤岡:今より楽をしたくないというか、自然に近いところ、日本人が誰もいないようなところで一人やり直すというか、そういう気持ちがありました。それで、出来る限り修業になりそうなところと思って決めました。

――言葉とかは?

藤岡:最初はもう全然通じなくて、現地で必死に、毎日5時間ぐらいスワヒリ語を勉強して。最後の方は結構喋れるようになりました。スワヒリ語が喋れないと死ぬっていうか、死と隣り合わせの日々だったので。

――「死と隣り合わせ」というと穏やかでないですが……?

藤岡:たとえば……病気とかですね。マラリアに罹っても言葉が通じなかったら病院で診てもらうこともできないし、それ以前にたどり着くことさえできない。とにかく喋って人とコミュニケーション取らないと、野垂れ死にしかねない恐怖があったので、とにかく必死で言語を習得しました。英語では現地の人には通じないんです。たとえば水道管が破裂したりして水が涸れると井戸に汲みに行くんですけど、井戸の場所までバケツを持って行く――それすらも現地の人と仲良くないと、情報が入ってこない。日本にいるときはほっといても情報が入ってきたけれど、アフリカでは自分が生きようとしないと死ぬわっていう恐怖のもと、生きることに一生懸命になれた。それが今の作品すべてにつながっている気がします。

――登場人物の皆さんも逞しいというか、都会で挫折して田舎に帰って来てたりっていう人たちなんだけど、そこから折れないですよね。

藤岡:はい。そこから再生していく。本当に落ち込んだり、動けなくなるぐらい精神的に辛いことにあっても、そこからもう一度生き直そうとする人たち。それが私には一番書きたい対象、一番書きたい瞬間なんです。そういう再起みたいなものをテーマに、これからもきっと書くんだろうなと思います。

――地域医療や終末医療などについても書いていかれるのでしょうか?

藤岡:そうですね。これからどんどん「死が選べる」、逆にいうと生き方を選べるようになっていきます。一人一人が自分の中できちんと価値観をもって、最後の姿を描いていかければいけない時代になると思うので、そういう、ひとつの道しるべみたいな本を書けたらいいですね。看護師でもあるので、よけいにそういう使命感みたいなものがあります。

――医師や看護師の前では、嘘や見栄を取っ払わなくてはならない瞬間がありますね。

藤岡:本当にそうだと思います。本音で話せる関係じゃないかな、患者さんと看護師って。人の弱さを受け入れることで自分も何かを考えますし、自分がそこで発する言葉もすごく大切なので、私にとっては看護師としての自分は、社会の窓、必要なツール。そういう意味でとらえています。

プロフィール

藤岡陽子(ふじおかようこ)

1971年京都府生まれ。同志社大学文学部卒業。報知新聞社を経て、タンザニア・ダルエスサラーム大留学。慈恵看護専門学校卒業。2006年「結い言」で「第40回北日本文学賞」選奨。2009年、『いつまでも白い羽根』(光文社)でデビュー。著書は他に『手のひらの音符』(新潮社)、『満天のゴール』(小学館)、『この世界で君に逢いたい』(光文社)など。現在も看護師として勤務を続ける。

海とジイ

『海とジイ』あらすじ
舞台は、美しくもありときに恐ろしい顔を見せる海と島。3人のおじいさん=ジイの生き抜く姿と、そのジイから思いを受け取る人々の心模様をときに温かくときに激しくときに静かな筆致で描ききった、全3編の物語。

満天のゴール
『満天のゴール』あらすじ
33歳の奈緒は、10歳になる涼介を連れて、二度と戻ることはないと思っていた故郷に逃げるように帰ってきた。長年連れ添ってきた夫の裏切りに遭い、行くあてもなく戻った故郷・京都の丹後地方は、過疎化が進みゴーストタウンとなっていた……。

初出:P+D MAGAZINE(2018/12/26)

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