▽▷△超短編!大どんでん返し▼▶︎▲ 翔田 寛「墓石」

第13話
翔田 寛
「墓石」

「おばちゃん、元気にしているか?」

 僕が擦り切れたジャンパーを脱ぎながら言うと、丸山克也はかぶりを振った。

「二年前に、死んだよ」

「無神経なことを訊いて悪かったな。でも、五年ぶりだから、昔が懐かしくてね」

「かまわないさ、気にしないでくれ」

 克也は首を振り、コーヒーカップを口元に運んだ。濃紺の背広の袖口から、ロレックスが光る左手首が覗いている。日の暮れた新宿駅南口前の横断歩道の雑踏で、僕は克也と偶然に再会し、そのまま近くの喫茶店に入ったのだ。そばの席に客はいない。

 高校時代、横手が狭い墓地という隣同士の古い木賃アパートに、僕たちは暮らしていた。互いの部屋は二階で、磨りガラスの窓が向き合っていた。ともに母子家庭。同じ高校の同級生。親しくなったのは当然かもしれない。克也の母親は毎日、夕方から働きに出ていた。一方、僕の母は自宅で洋服の仕立てを請け負っていたから、夜遅くまで一人で過ごす克也の部屋に、しばしば遊びに行ったものだ。

「おばちゃん、いつも綺麗にお化粧していたよな」

「ああ、あんな商売だから、当然じゃないか」

 男客に酒を出す母親の仕事を、あの頃から克也は割り切って捉えていた。少し早目に遊びに行くと、台所横の六畳間で、彼女が押し入れの襖に接して置かれた昔風の鏡台に向かい、化粧していたものだ。《いらっしゃい》鏡の中の僕に、おばちゃんはいつも愛想よく声を掛けてくれた。僕は、密かに友達の母親に憧れていた。

「そういえば、克也が引っ越す直前、おまえの隣の部屋に住んでいた女子大生が首を絞められて殺される事件があったよな」

 その女子大生はかなり派手な顔立ちで、むしろそっちの方が夜の仕事をしているような印象があったのだ。事件は、僕たちが三年生の夏休みに起きた。

「ああ。でも、あのことはもう言うなよ」

 視線を逸らして、克也はむっつりと言った。むろん、警察がずいぶんと調べていたし、僕もアリバイを訊かれたが、別の友達と長電話していたことが幸いした。克也のアリバイは、当時付き合っていた同級生の水野美智子が証明したという。殺された女子大生は、頻繁に違う男を部屋に引き入れていたらしい。現場の部屋の玄関錠が開いていたことから、すぐに結論が出た。自宅に上げた男と痴話喧嘩になり、殺害された、と。あのアパートはいまも建っているし、犯人は捕まっていない。

「でも、あのとき、聞き込みに来た刑事さんに話さなかったことが、一つだけあるんだ」

「刑事に話さなかったこと?」

 コーヒーカップを手にしたまま、克也が掬い上げるような目で僕を見た。

「ああ、事件の起きた晩、たまたま窓を開けて、おまえの真っ暗な部屋の窓を見たんだ。そうしたら、おまえの部屋の磨りガラスに、墓石のシルエットが浮かび上がっていたのさ」

「そんな、怪談噺みたいなことを言うなよ」

「克也もそう思うだろう。だから、刑事にも話さなかったんだ。でも、本当に見たんだぜ」

 克也の部屋は、二畳の台所と六畳の部屋が二間で、台所横の玄関戸に明かり取りの菱形の曇りガラスが嵌め込まれていた。夜、室内燈が消えると、外廊下の電燈の光が、その曇りガラスを通して台所と手前の六畳間を抜けて、こっちに向かい合う磨りガラスに映る。

「そんなこと、もうどうでもいいじゃないか」

「いいや、どうでもよくない」

「何を言いたいんだ」

「この格好を見れば、僕の経済状態が芳しくないのは分かるだろう。実は、半年前に勤めていた会社からリストラされて、ここのところ、ずっとハローワーク通いなんだ」

「それは、大変だな」

「それに、娘がまだ二歳でね。ちなみに、母親は旧姓水野美智子だよ。──あの晩、彼女と一緒だったというのは、おまえから頼まれた偽のアリバイだったそうじゃないか。でも、どうして、そんなことをする必要があったんだろう」

 克也の手にしたコーヒーカップがかすかに震えている。僕は続けた。

「昔風の鏡台って、引き出しのある四角い台に細長い鏡が載っているだろう。だから、背後から光が当たると、シルエットは墓石そっくりだ。しかし、押し入れの襖に接して置かれていた鏡台が、なぜ部屋の中央にずらされていたのか。その理由は、鏡台をずらし、襖を開けて押し入れに入ったおまえが、天井裏を伝って隣の女子大生の部屋に忍び込んだからじゃないかな。木賃アパートの天井裏は、埃が堆積しているから、おまえの部屋の押し入れから、隣の部屋の押し入れまで、人が這った痕跡がいまもはっきり残っていると思うよ」

 僕は、ぬるくなったコーヒーに口をつけた。

翔田 寛(しょうだ・かん)

一九五八年東京生まれ。二〇〇〇年「影踏み鬼」で第二二回小説推理新人賞を受賞しデビュー。〇八年『誘拐児』で第五四回江戸川乱歩賞受賞。他の著書に『過去を盗んだ男』『築地ファントムホテル』『探偵工女 富岡製糸場の密室』『真犯人』(第一九回大藪春彦賞候補作)『冤罪犯』『人さらい』など。