▽▷△超短編!大どんでん返し▼▶︎▲ 下村敦史「人を憎んで罪を憎まず」

第14話
下村敦史
「人を憎んで罪を憎まず」

「公共の場から出て行け!」

 張詠晴は、突然浴びせかけられた罵倒に絶句した。

「お前みたいな男が気持ち悪いんだよ! 犯罪者予備軍め!」

 誰かや何かを攻撃したこともなく、今まで誰とでも平和に仲良くしてきたから、こんなふうに他者から悪意を向けられるのは初めての経験で、心臓が凍りついた。

 一人の罵声を皮切りに、何人もの糾弾者たちが集まってきた。女性も半数以上いた。キモイ、存在が迷惑、私たちの目の前から消えて──。

「お前仲間は何人も残酷な性犯罪事件を起こしてる。責任を感じろ!」

 寝耳に水だった。何の話をしているのだろう。

「仲間って何ですか」

 恐る恐る訊くと、罵詈雑言が襲いかかってきた。感情的で差別的な言葉が無数の槍となり、突き刺さってくる。

 ようやく理解した。赤の他人の犯罪行為で自分は一纏めにされて責任を問われ、排斥されそうになっているのだ。今の世の中、特定の国の外国人が何人も他国で事件を起こしたら、無関係の人間も国籍で一括りにされ、出て行けと罵倒される。

 張詠晴は感情的にならないよう、努めて冷静に返事した。

「私は誰も傷つけたりしていません。特定の集団の中で事件を起こした人間がいたとしても、全員が犯罪者ではないんです。他の大多数は平和的に生きているんです。性犯罪なら私たちよりも、教師やスポーツ選手、市の職員、有名大学の学生、強豪校の部員なんかのほうがよっぽど多いし、大半は家族や親族や友人知人による犯行なのに、なぜ無関係の私たちが攻撃されるんですか」

 憤激と憎悪に囚われた集団は聞く耳をもってくれなかった。

「お前さえ消えれば性犯罪はなくなるんだよ!」

「お前は目立たないところでひっそり生きていけばいいんだ」

「一部の犯罪行為で全般を悪人視してしまうのは、人間の感情だろ。何が悪い!」

 日本でしばしば社会問題になる人種排斥デモを連想した。まるで暴言を書き殴ったプラカードが無数に掲げられているようだった。

 最近は、同じ罪でも"敵"が犯せば苛烈に糾弾し、"自陣側"が犯せば都合のいい屁理屈で擁護する者が多い。相手によって自分の論理や倫理を適用するかどうかを選ぶ。

 日本には"罪を憎んで人を憎まず"という理想があるが、誰の罪かによって平然と態度を変えるのは、"人を憎んで罪を憎まず"だと思う。それこそ、厚顔なダブルスタンダードの無自覚な差別ではないか。

 浴びせられた信じがたい暴言の数々に自殺も考えた。二十七年生きてきてこれほどの悪意を向けられた経験がなく、ただただ嵐が過ぎ去るのを待つしかなかった。

 平和的にただ存在しているだけで中傷される世の中は恐ろしいと思った。自分が気に入らない誰かや何かに不寛容な人間が、人種やその他の属性に心底寛容であるとはとても思えない。

 張詠晴は外出すると、都内の駅に入った。一カ月前は夢と希望と喜びにあふれていた壁面は、今や無機質なタイルに戻っていた。

 母国台湾では"KAWAII"が人気で、その発祥地である日本に憧れて留学した。イラストレーターとしての頑張りが認められ、徐々に仕事が増えていき、ついに壁面パネルの大仕事を貰えた。キャラクターに最大限の愛情を込め、イラストを描いた。自分が一番可愛いと思う美少女だ。

 だが──。

 それがニュースになるや、イラストの絵柄はもちろん、キャラクターのデザイン、イラストレーターの人間性までこきおろされ、その絵を愛好するファンは、目を覆うほどの中傷を受けた。その手の漫画やアニメの愛好者が過去に事件を起こしたという理由で、性犯罪者予備軍扱いされた。絵を罪として、性犯罪を助長している、性的搾取だ、と非難された。

 人種差別を正当化する論理そっくりそのままだ。

 無慈悲で一方的な攻撃は永遠に続くかと思われた。しかし、イラストレーターの素性が判明したとたん、流れは一変した。

 罵倒の数々は、性別を曖昧にした日本人名のハンドルネームを使っているSNSで浴びせられたコメントだった。

 アニメ的な絵を描いたのが日本人の男性ではなく、張詠晴という台湾人留学生の女性による仕事だと知れたとたん、一部の狂信的な過激派を残して誹謗中傷はぴたりとおさまった。絵を誰が描いたかで糾弾者たちの態度が変わったのだ。それこそまさに"人を憎んで罪を憎まず"だった。

 張詠晴は傷だらけの心でSNSのアカウントを削除した。

下村敦史(しもむら・あつし)

一九八一年京都府生まれ。二〇一四年『闇に香る嘘』で第六〇回江戸川乱歩賞を受賞。『生還者』で第六九回日本推理作家協会賞長編及び連作短編集部門候補、『黙過』で第二一回大藪春彦賞候補に選出される。他の著書に『難民調査官』『叛徒』『サハラの薔薇』など。最新刊『悲願花』が絶賛発売中。