◇自著を語る◇ 今村翔吾『てらこや青義堂 師匠、走る』

◇自著を語る◇ 今村翔吾『てらこや青義堂 師匠、走る』
きれいごとだと解っているが

 本作の主人公、坂入十蔵は寺子屋の師匠である。彼が開く「青義堂」は、いかなる子でも受け入れるというのが方針。故に他の寺子屋を何らかの訳で追い出されたような、いわゆる「落ちこぼれ」も多く集まっている。十蔵は一癖も二癖もある子どもたちを相手に、奔走する日々を過ごしている。

 そんな十蔵には、子どもたちに隠している過去がある。泰平の世、すっかり消えたと思われている忍者、元公儀隠密なのだ。では十蔵は何故公儀隠密を辞め、寺子屋という全く共通点のない道に進んだのか。それは本編を読んでのお楽しみとして頂きたい。

 私にとってこの題材は必然といえるものだった。私は作家になる以前、世間から不良と呼ばれたり、何年も引き籠ったり、いわゆるドロップアウトした子どもたちにダンスを教え、それを通じて再び生き直しに導くという団体で、十数年間インストラクターを務めていた。教えた数は延べ千人以上、その経験を基にこの作品を書いた。成功譚を思い浮かべる方も多いかもしれないが、実際はそうではない。何度話しても思いが通じず諦めかけたこともあるし、反発を恐れて声を掛けるのさえ躊躇った時もある。喜びの涙を流した数以上に、自分が不甲斐なく悔し涙を流した。教える側も日々迷い、葛藤している。美談だけでなく、その辺りの情けない感情も恥ずかしがることなく記していきたいと思った。

 本作のもう一つのテーマは「やり直す」ということ。「生き直す」と表してもよい。十蔵は公儀隠密の半生、生まれた家を捨て、寺子屋の師匠として生きる。江戸時代としてはすでにいい大人と言われる、二十代半ばのことである。ふむ、よく似ている。

 そう私も三十歳の時、どうしても夢を諦められずに、小説家を目指すと宣言して仕事を辞めたのだ。周囲の人々の中には「いやいや、いい歳をした大人が」「どうせすぐに投げ出すだろう」と、腹の内で思っていた人もいただろう。その冷ややかな感情というのは、私にもしっかりと届いていた。客観的に見れば至極真っ当な意見だと思うし、私自身もそんなに甘くないと考えていた。だが私が恵まれていたのは、たった一人、身近に私を信じてくれた人がいたことだった。「あなたは小説家になる。私には解る」その人は、そう断言した。読書家でもないし、何より私はまだ一作も生み出していなかった。根拠は何かと尋ねても直感だと言い放つ。そんな無責任なことがあるかと、思わず笑ってしまったものである。けれども不思議と勇気が湧いてきて、私はようやくそこで作家を志す決意を固めた。

 今思えば私は進む道を決めていた。それを誰かに信じて欲しかったし、背中を押して貰いたかったのだ。その人は私の臆病心を見抜いていたのだろう。そして本作の十蔵もたった一人、生き直せると信じてくれる者の力で、踏み出すことを決めることになる。

 よく読者の方に小説の主人公は私を投影しているかと聞かれる。答えは肯であり否である。私が生み出すのだから似ている部分はあろうが、全てがそうではないとも言い切れる。だがここまで書いてきたように、今回の主人公の十蔵は、自身でも最も私に似ている気がする。今までの作品の中で、最も自身を剥き出しにして書いたかもしれない。

 こうして書いてくると何やら難しい話のように思えるが、ご安心頂きたい。私の作品をご存じの方ならばご理解頂けるだろうが、本作も"ザ・エンタメ"である。楽しんで頂けるのが一番、その上で何か一つでも皆さんの心に残ればこれに勝る幸せはない。

 最後に、この作品をあの頃の私のように、あと一歩の勇気が出せないでいる全ての人に捧げたい。たとえきれいごとと罵られても、人は何度でもやり直せると私は信じている。

今村翔吾(いまむら・しょうご)

二〇一七年『火喰鳥 羽州ぼろ鳶組』でデビュー。一八年、同作で歴史時代作家クラブ賞・文庫書き下ろし新人賞受賞。「羽州ぼろ鳶組」シリーズは大ヒットし、第四回吉川英治文庫賞候補。同年、第十回角川春樹小説賞を受賞した『童の神』を刊行。同作は第百六十回直木賞候補となる。他の著書に「くらまし屋稼業」シリーズ、『ひゃっか! 全国高校生花いけバトル』がある。

書影
てらこや青義堂
〈「本の窓」2019年3・4月合併号掲載〉
◇自著を語る◇ 周防柳『とまり木』
◇自著を語る◇ 夏川草介『新章 神様のカルテ』