▽▷△超短編!大どんでん返し▼▶︎▲ 白井智之「首の皮一枚」

第16話
白井智之
「首の皮一枚」

「やあ木偶の坊。気分はどうだ?」

 パーシーが重たい目蓋を開けると、社長のアンドルーが嬉しそうにカメラを構えていた。

 アロヨ工務店の倉庫棟の一角。金属製の椅子に胸と腰を縛り付けられているせいで身動きが取れない。全身が泥のような倦怠感に覆われ、数分前のことを考えるだけで赤ん坊の頃の記憶を引き摺りだすような気分になった。

「なんの真似だ。あんたの愛娘がポルノ動画に出てんのを社内にバラした腹いせか?」

「そんなんじゃない」アンドルーは娼婦に説教する実業家みたいな顔をした。「奇跡が起きたのさ。お前みたいなぼんくらにはもったいない奇跡だ」

「社長の脳に腫瘍でも見つかったか?」

「そういう減らず口を叩ける幸運を感謝しろ。お前はダイヤモンドカッターで首をちょん切ったんだからな」

 自分の顔からスッと血の気が引くのが分かった。

 不意にその瞬間の記憶が甦る。パーシーは椅子に座って大理石を切断している最中、作業着のポケットからライターを落としたのだ。半年前に同僚のバカが作業場で煙草をふかし、粉塵爆発で天井を吹っ飛ばして以来、作業場へのライターの持ち込みは禁じられている。パーシーは四歳の夏にフェリーから落ちて生死をさまよって以来、なぜか物をよく落とすクセがあった。慌ててライターを拾おうとした瞬間、グラインダーの安全装置がパチンと外れる音がした。おそるおそる首を上げると、カッターがくるくる回りながら飛び出してきた。死ぬ。全身の毛穴から汗が噴き出たところで記憶が途切れた。

「カッターはお前の首を貫通して壁にぶっ刺さっていた。お前の首はちょん切れてるのに、ドタマが首に乗っかったままで、血の一滴も流れていなかった。これは奇跡だ。お前は糸の切れたケンダマだ。一秒でも長く生きたけりゃ身体を動かさないことだな」

 アンドルーはハンディカメラを覗き込んで品のない笑みを浮かべた。なるほどそいつは奇跡だ。四歳の夏から変わらず、パーシーは死神に嫌われているらしい。

「良いアイデアがあるんだ。首が落っこちる瞬間が撮れたら、お前の母ちゃんに動画をプレゼントしてやろうと思う」

「二十年前に死んだよ」パーシーは鼻を鳴らした。「クレジットカードの支払いに追われて腎臓を売った挙句、感染症にかかって熱に浮かされて死んだ」

「そいつは残念だな。どうせなら息子の腎臓を売ればよかったのに」

 まったくその通りで、母親がパーシーの臓器を売る前に死んでくれたのは不幸中の幸いだった。三十まで運良く生き延びたのに、こんな男の酒のサカナになって死ぬのは納得できない。パーシーは首を動かさないように、ゆっくりと唇を開いた。

「おい社長、地獄って知ってるか。あんたは金を借りるために娘を売った人間の最底辺だ。そのうえ従業員を見殺しにしたら地獄へ真っ逆さまだぞ」

「もっと命乞いをしろ。いくらでも聞いてやる」

 アンドルーはカメラを三脚に固定すると、ソファに座ってうまそうに煙草を咥えた。大丈夫、作戦はここからだ。

「おれにはマーガレットって伯母がいる。頭の出来がべらぼうに良くて、日本の大学で頭部移植の研究をしてるんだ。頭と胴体をフランケンシュタインみたいにくっつける研究だな。難病治療にもつながる立派な仕事だが、臨床試験を受けたがる人間が見つからないのが悩みらしい。一年前の移植実験では、検体に五億ドルを払ったそうだ」

「ごおく?」アンドルーがノド仏を上下させた。やはりバカを騙すのに大事なのはゼロの数だ。

「人間のドタマにはそれだけの価値があるってことだ。娘に男優の尻を舐めさせなくても、おれを引き渡せば借金が返せるぜ」

「お前は日本人とくっつけられてヨコヅナみたいになるわけか。傑作だな」

 アンドルーは下卑た笑みを浮かべると、パーシーの作業着からスマートフォンを取り出した。

「マーガレット・スズキ。こいつか」

 アンドルーが画面をタップする。パーシーは有り金をすべて馬券に突っ込んだような気分で、倉庫棟に響く発信音を聞いた。

「お」アンドルーが目を丸くする。「もしもし、スズキさんですか。甥っ子がぜひあんたの手術の実験台になりたいと言ってます。ひとつ日本人とくっつけてみませんか。──え? 四歳のとき、母親に頼まれた?」

 アンドルーは肩を竦めて、パーシーの首を見上げた。

「二回目はできない決まりらしい」

 思わず舌打ちした拍子に、頭がごろんと床へ落ちた。

白井智之(しらい・ともゆき)

一九九〇年千葉県生まれ。東北大学卒業。二〇一四年、第三四回横溝正史ミステリ大賞の最終候補作『人間の顔は食べづらい』でデビュー。『東京結合人間』で第六九回日本推理作家協会賞候補、『おやすみ人面瘡』で第一七回本格ミステリ大賞候補に選出。近著に『お前の彼女は二階で茹で死に』など。