▽▷△超短編!大どんでん返し▼▶︎▲ 西澤保彦「ちゃんと聞いてる?」

第17話
西澤保彦
「ちゃんと聞いてる?」

「ねえ、あなた。あなたってば。ちょっと。聞いてる? ちゃんと聞いてちょうだい」

「ああ。うん。聞いてるよ。なんだっけ」

 受話器を持ちなおすおれの股間をアンジーが鉤鼻をひくつかせ、覗き込んできた。両掌に受けた唾液を屹立したおれにまぶし、にちゃにちゃ、ずりずりしごきたてる。あまりにも盛大に音をたてるものだから電話の向こうにまで届きやしないかと、ひやひやする。

「だから、この前のあれ。凌くんったらね、やっぱりお母さんの言いなりなんだって。典型的なマザコンなのよ。あれじゃあ里佐が可哀相だわ。ね、あなた。いまからでも遅くないから、考えなおしてみるのもありかも」

「おいおいおい。とっくに結納も終わっているっていうのに、いまさらなにを馬鹿な」

「ん。あれ。そういえば、あなた」

「なんだ」

「どこにいるの、いま?」

「どこ、ってホテルだよ。宿泊先の」

 エメラルドグリーンの瞳でアンジーが上眼遣いにこちらを窺う。そのディズニー映画に登場する魔女さながらの眼光が、おれの小心ぶりを嘲笑っているかのようだ。

「ホテルに? ひとりで?」

「部下の河崎くんと。そう言っただろ」

「あ。そうそう。部下といえば、あなた、小柴武司さんってひと、知ってる?」

 ぎくッと全裸の身体が硬直した拍子に、受話器を取り落としそうになった。アンジーはそれにかまわず、四つん這いでおれの股間に顔を埋めたまま、電柱に向かって用を足す犬のようなポーズでパンティを蹴り脱いだ。

「以前あなたと同じ部署だったんですって。凌くんとも知り合いだ、って言ってた」

「小柴くん。知ってるよ。彼がどうした」

「うちへ来てた。今日」

「え。え? どうして。なんの用で」

「あなたにお話があるんですってよ。なんでも昔、付き合っていた方のことで、ね」

「付き合っていた? 誰のことだろう」

「知るもんですか。主人はいま出張中ですけど、って言ったら、帰っていったわ。部長によろしくお伝えください、ですって」

 内心焦っているおれをアンジーは押し倒し、馬乗りになってきた。ベッドに縫い付けんばかりの勢いで両手でおれの肩を押さえつけ、激しく腰を振りたくる。結合部分がちぎれそうになり、慌てて呻き声を圧し殺した。

「どうしたの。風邪でもひいた?」

「花粉症かな。小柴くんがどういうつもりでうちまで訪ねてきたのか、よく判らんが。まあ、だいじな用件なら、また来るだろう」

 ピンポン、ピンポン、ピンポン。ドアチャイムとおぼしき音が鳴り響いた。

「ん。なんだろ。ちょっと待ってて。よいしょ、と。あ。いらっしゃい。早かったのね。これ? いま主人と、ちょっと。うん。そうそう。もしもし? あなた?」

「誰か来たのか、こんな時間に」

「凌くん。あ。順次くんもいっしょね」

「あ。どーもお、お義父さん」「どうもどうも。こんな電話越しで、失礼します」「お元気ですかあ?」と此嶋凌と無良順次が立て続けに、屈託のなさそうな声を上げる。

「あたしたち、今日はこれからみんなで〈クロースヘヴン〉へお出かけなのよ」

「そうか。それはいい。じゃあおれ抜きで、家族みんなでフルコースを楽しんでくれ。里佐と直美にもよろしく言っといて」

「はあい、判った。おやすみなさい」

 電話は切れた。疲れた。ほんとうに、どっと疲れが襲ってきた。なんでわざわざこんなときに、こんな趣味の悪い、こんなにも心臓に悪いゲームに興じなきゃいけないんだよ。度胸試しが好きなのは、アメリカ海兵隊の軍人だったとかいう父親の遺伝か? どうでもいいけど、ひとを巻き込まないで欲しい。

 忌まいましい気持ちで受話器をブロンドヘアに隠れたアンジーの耳から放したおれは、ぐったり仰向けにベッドに倒れ込んだ。

「あ、言い忘れてたけど」アンジーはおれの手から受話器をもぎ取り、つーッ、つーッという単調な待機音に向かって、血のように赤い口角を吊り上げた。「里佐と直美は今夜は帰ってこないわ。それぞれお友だちといっしょにスキー旅行中。んふふ。じゃあねえ」

 アンジーは受話器を順次に手渡した。すでに上着を脱いでいる彼はズボンのベルトを外しながら受話器を固定電話機へと戻す。

「武司くうん」とアンジーはおれに覆い被さってくる。「どうしたのよ。ほら。もっと動いて」長い舌でおれの顔を舐め回す。「まさか、もうイッちゃったんじゃないでしょうね。まだまだ、夜はこれからよ。ヘイ、ボーイズ! レッツ、スクルウ! ファック、マイマウス、アン、カム、インマイ、アス!」

 全裸になった凌と順次は前から後ろからアンジーにのしかかり、人妻と三人の男の肉弾戦という狂乱の夜がこうして更けてゆく。

西澤保彦(にしざわ・やすひこ)

一九六〇年高知県生まれ。米エカード大学創作法専修卒業後、高知大学助手などを経て執筆活動に入る。九五年、本格ミステリ『解体諸因』でデビュー。近著に『下戸は勘定に入れません』『さよならは明日の約束』『回想のぬいぐるみ警部』『帰ってきた腕貫探偵』『悪魔を憐れむ』『幽霊たち』など。