ロスねこ日記 ◈ 北大路公子

第17回 本質は土の中(後篇)

●七月二十二日

 朝、宿のテレビで、はぐたんの安否を確認する。はぐたんは、アニメ『HUGっと!プリキュア』に登場する赤ちゃんである。三ヶ月ほど前、たまたまK嬢とラインをしている最中にテレビで流れていたのがきっかけで、それ以来、毎週プリキュアを一緒に見ているのだ。まあ、一緒に見ているといっても、ラインで、

「はぐたん、元気だ!」

「はぐたん、ご機嫌!」

「はぐたん、喋った!」

「はぐたーん!」

「はっぎゅううう!」

 などと言い合っているだけである。引かないでください。

 が、実ははぐたんが何者であるかは、私もK嬢もわかってはいない。誰の子かも知らないし、なぜプリキュアが子育てしているのかも謎である。ただ、たまたま最初に見た回で、はぐたんが悪の組織的な何かのあれをそれしようとして意識不明になっていたのを目撃したのだ。赤ちゃんが倒れたまま「つづく」となったため、K嬢と二人でおろおろし、

「な、なんだかよくわからないけど、あの子の無事を確かめないと……」

「ですね……」

 と次週での安否確認を決意した。以来、はぐたんの無事の成長を見守るためだけに、プリキュアを見ている。今週もはぐたんは、プリキュアの人たちと夏祭りに出かけるなどして元気そうであった。なによりである。

 それにしてもプリキュア、もうかなりの回数を見ているはずなのに、ストーリーも設定も一向に頭に入ってこない。理解しようにも難解すぎるのだ。はぐたんをいつも抱っこしているイクメンお兄さんが父親かと思っていたら、今日、彼はネズミだということが判明した。ネズミ。いや、ネズミでもないのかもしれないが、とにかく見た目は齧歯類である。しかも巨大化かつ凶暴化していた。そのくせ日頃は人間として子育てしているのだ。

 わけ! わからん!

 そもそもプリキュアが総勢何人で、敵は誰で、何のために闘っているのかも私は把握していない。ウィキペディアで謎の解明を試みたことがあったが、熱気あふれる膨大な文章量に圧倒されて、読みきれなかった。最近では、設定などどうでもいい、このままはぐたんの成長だけを遠くから見届けたいと、田舎のおばあちゃんのような心境である。なんならプリキュアも闘わなくてもいい。そもそも彼女たちの区別が全然つかないのだ。そのかわり「はぐたんの一日」とかを放送してほしい。はぐたんが遊んだり、ご飯を食べたり、昼寝をしている平和な一日を流す……って私は一体何を言っているのか。

 飼い猫が死んでしまい、その心の穴を埋めるべくキノコやスプラウトを育て、ヒヤシンスをアイドルデビューさせ、そしてついにプリキュアの赤ちゃんの人にまで行き着いた。ずいぶん遠くへ来てしまったものである。

●七月二十三日

 朝、突然父が「歩けなくなった」と言い出し、慌てて近くの整形外科へ。本来は別の病院への通院日だったのだが、そちらはキャンセルせざるを得ない。介護タクシーを手配し、介助の人を頼み、徒歩十分の病院へ物々しい雰囲気で乗り込む。請求されたタクシー料金もなかなか物々しい。その後、検査や入院の準備やあちこちへの連絡で家と病院を往復。ばたばたしている最中に、母が、

「そういえば生姜の芽が出てるよ」

 と声をかけてきた。

「ほ、本当ですか!」

 驚きのあまりの丁寧語である。見ると、確かに黒い土の中から、小さな緑の芽がひょっこり顔を出している。一見したところ、笹タケノコの先っぽのような形で、とてもかわいらしい。ジンジャーは一センチほど、エールはだいたいその半分の身長だ。母によると、昨日の昼間にジンジャーが発芽し、今朝になってエールも芽を出していることに気づいたそうだ。昨日、私が帰ってきた時は既に夜。当然二人の様子は見えず、今朝は今朝でそれどころではなかった。もっと気にかけてやればよかったと思う。

「こんにちは」

 ちびジンジャーとエールに声をかける。嬉しい半面、少し寂しい。本心をいえば、私が最初に見つけたかった。今までせっせと水をやり、温度を計算し、日記を書いてきたのは私なのだ。それが記念すべき発芽スクープを母に抜かれてしまったのである。ずっと一人で子育てしてきたシングルマザーが、初めて二時間だけシッターさんを頼んだその間に、子供が「人生初のあんよ」を披露したようなものである。「とっても上手なあんよでした! 手を広げて一所懸命私に向かって歩く姿がとってもかわいらしかったです!」と書かれた連絡ノートを目にした彼女の悲しみが胸に迫る。

 せめて、じょうろでたっぷり水をやる。湿っていく土を見ながら思うのは、ジンジャーとエールがひよこじゃなくてよかったということである。もし彼らがひよこなら、今頃私ではなく母のことを自分たちのお母さんだと思い込んでいただろう。私がいくら水をやっても、「お母さんじゃなきゃ嫌だ!」と枯れてしまうかもしれない。本当に生姜でよかった。

ロスねこ日記
お母さんの思いと、積算温度と累積温度に応えた芽、見えるでしょうか

●七月二十四日

 たった一日しか経っていないのに、二人ともずいぶん背が伸びた。いつも驚くが、植物というのはいったん顔を出すと、目に見えて大きくなる。特にジンジャーは、既に茎の先から小さな葉っぱが顔を出し始めており、ますます笹タケノコにそっくりになってきた。色といい形といい、他人の空似というレベルを超えている。大きくなって「僕の本当のお父さんは誰? 笹タケノコじゃないの?」と問い詰められるのではと心配になるくらいだ。もちろん私は真摯に答える。

「表面だけを見ちゃだめよ。本質はもっと深いところにあるものなの。そう、土の中。土の中でごろごろしている部分を見てご覧なさい。それが本当のあなたなのよ」

 午後、父の病院に呼び出される。以前手術したヘルニアが再発したらしいが、再手術という歳でもないので、退院か転院をしなければならないらしい。我が家の構造上の問題もあり、とりあえずはかかりつけの病院へ移り、そこで別の持病の治療をしつつ回復を待つことに。慌ただしい夏である。

(つづく)
〈「STORY BOX」2019年5月号掲載〉
 

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