ロスねこ日記 ◈ 北大路公子

第6回 アイドル誕生前夜(前篇)

○十一月二十五日

 人はどんなことにも慣れる動物だという。たしかに当初、驚きと意外性に満ちていた椎茸の「けめたけ」との生活も、今ではすっかり日常となってしまった。本日、二度目の水没の儀を終えたが、初回に比べると、実に手慣れたものであった。

 ざぶんと水に浸け、上からがばりと皿をかぶせ、その上に漬け物石をどーんと置いて、そのまま丸二日以上の放置。途中で様子伺いすることもほとんどなく、たっぷり水を吸った頃合いを見計らって水から揚げる。自分で言うのもなんだが、二度目にして既にベテランの風格である。

 水から揚げた椎茸の素を、栽培容器に移す。容器は縦横ともに三十センチを超えるサイズで、それなりの存在感があるはずだが、部屋に置いてもほとんど気にならないのは、おそらく見慣れたせいだろう。私の中で椎茸の素は、既に風景の一部と化したのだ。

 思えば猫もそうだった。というか、猫にとって我々人間がそうだった。家に来た直後こそ見知らぬ環境に警戒していたが、やがて人を「ご飯をくれる便利なインテリア」かなにかと認識したらしく、私の背中をジャンプ台に壁を駆け上ったり、寝そべっている腹を踏んで歩いたりしはじめた。思わず「いてっ!」と叫び声を上げると、

「え……絨毯が喋った……?」

 と心底驚いたような顔で振り向いたものである。これが猫じゃなければ一触即発、抗争の一つも起きて不思議ではない事態だが、恐ろしいことに猫というのはすべてが赦される生き物である。どれくらい赦されるかというと、自分を踏んづけて振り向いた猫に向かって、「上手に踏めまちたねー」と褒めてしまうくらい赦される。我ながらどうかしていると思うが、しかし「猫かわいがり」という言葉があることからもわかるように、猫を前にするとまともな判断力が働かなくなるタイプの人が昔から多く存在するのだ。

 さすがにけめたけに関してはここまでではないが、存在が気にならないほど我が家に馴染んだという点では同じであろう。けめたけもようやく家族の一員になったのかもしれない。

○十一月二十八日

 家族の一員になったのかもしれない、などと調子のいいことを書いたが、皆様お気づきのように、もちろん言い過ぎである。よく考えてもらいたい。椎茸である。椎茸はそう簡単には家族にはならない。

 それでも、かれこれ二ヶ月のつきあいであるから、ある種の情は湧いている。今日も、椎茸の素の表面に残る収穫痕を見ながら、「よく頑張ったね」と労いの言葉をかけてしまった。相手に気持ちが通じている実感はまったくないが、通じたら通じたで薄気味悪いのでそれはいい。寂しいのは、明らかに元気がないことだ。全身のサイズもなんとなく縮んでしまった。次が最後の収穫になると、謎の「ドクターモリ」が説明書で言っていたが、おそらくそのとおりなのだろう。 実際、新たに発生したけめたけは、今までと比べて圧倒的に数が少ない。その少ないけめたけに、丁寧に水を吹きかけた。

○十二月三日

 水没の儀から一週間余り、やはり勢いの衰えは隠せない。二回目の収穫時には、押しくらまんじゅうのようにぎゅうぎゅうに生えてきていたけめたけが、今回はわずか数個のみの発生となってしまった。それでも発疹期、フジツボ期、きのこの山期を経て椎茸へ、という進化の過程に変わりはない。数は少ないものの、順調に傘が大きくなっていて、頼もしいような健気なような、不思議な心持ちがする。

○十二月六日

 今日を最後の収穫日と決める。全部で七個。今までと同じように、果物ナイフで根元から慎重に刈り取る。この時、椎茸の素を傷つけないようにそっとやらねばならないのだが、これで終わりという気の緩みが出たのか、一箇所、抉るように削ってしまった。今までドクターモリの教えを忠実に守り、慎重に慎重を重ねて収穫してきたというのに、最後の最後にこれである。こういった詰めの甘さに私の人生をぱっとしないものにしている元凶があり、それをけめたけが身をもって私に教えてくれたのかもしれない。

 この傷はけめたけの遺言。

 そう思うと、ありがたさと切なさで胸が詰まる。そこまで私のことを考えていてくれたとは。せめてもの感謝の気持ちを込めて、今夜は最後のけめたけを美味しく食べよう……と決意したところまでは覚えているが、実はどう料理したのか記憶がない。これを書いているのは翌年の五月なので、そんな昔のことは忘れてしまったのだ。けめたけメモには「七個」と記されているだけで、もっとましなことを書けよ仕事だぞ、と怒りすら湧く。しかし特別な記述がないということは、美味しかったのだ。当たり前である。美味しくないはずがない。けめたけはいつだって美味しい。そして食べられてなお、私の詰めの甘さを浮き彫りにしてくれる大切な存在なのである。まあ、家族ではないけれど。

○十二月十二日

 燃やせるゴミの日。役目を終え、すかすかになった椎茸の素を、ゴミに出すことにする。食べて終了のスプラウトと違って、けめたけには自分の手で始末をつけなければならない切なさがある。しかし、このまま切り株のミイラみたいな椎茸の素を、ぼんやり部屋に置いておくわけにもいくまい。

 細かく崩して土に混ぜると肥料になるらしいが、我が家の荒れ地のような貧相な花壇には何の意味もないように思える。というか、既に地面は雪に覆われている。おそらくこのまま根雪になるはずだ。憂鬱すぎる。何のつもりだ。もう花壇とかどうでもいい。

○十二月二十二日

 長く暗く寒く救いようのない冬を少しでも明るく過ごすためだろうか、K嬢からヒヤシンスの球根が三つ届いた。水栽培用のポットと説明書付きである。

 説明書は二種類。ウェブページを印刷したものと、K嬢の手書きのものである。K嬢は何度かヒヤシンスを育てたことがあるらしく、その経験を踏まえて、わざわざオリジナルの説明書を作成してくれたのだ。目を通すと、水の量、置き場所、気温、日向へ出すタイミングなど、椎茸やスプラウトより注意点が多いことがわかった。ヒヤシンスは思った以上に繊細なようだ。なかでも気をつけるべきは根腐れらしく、何度か「腐る」「傷む」などの単語が出てきて、そのたびにヒヤシンス初心者の私の不安は募る。

 ウェブページの説明文はあっさりしており、正直さほど役には立たない。頼みの綱はK嬢手書きの説明書「K嬢文書」だけだ。言いつけを愚直に守り、根腐れを防ぐしか道はない。

 そのK嬢文書によると、人によっては根腐れ防止剤を入れることもあるらしいが、K嬢は使ったことがないと言う。K嬢がそう言うなら、私も使わない。さらに「ポットを洗ったり、水の量を加減したり」もすると言う。もちろん私もポットを洗ったり、水の量を加減したりしよう。あとはどんな工夫が必要なのかと読み進むと、

「そして、いろいろ気を使って育てた昨年のヒヤシンスは、一つは球根が傷み、一つはきれいに咲きました」

「四年くらい前、適当に育てたときのほうが元気だったかもしれません」

「かわいく元気に育ちますように」

 と、唐突に終わってしまった。

 大昔に読んだ雑誌か何かのダイエット特集の最後に、「まあでも結局は体質かもね!(大意)」みたいなことが書いてあった時のことを思い出す終わり方であったが、世の中全てが教科書どおりにいくとは限らないということだろう。私は私のヒヤシンスを、かわいく元気に育てなければならないのだ。

 ちなみにウェブページのほうには、ターゲティング広告と思しきものも一緒にプリントされており、そこには「ボイルたらば脚 超特大2肩2kg 送料無料」の文字が読み取れた。ということは、K嬢はカニについて調べていたのだろうか。そして買ったのだろうか。二キロのカニを。超特大を。送料無料を。ということも気になるのだった。買ったのか?

 

(つづく)
〈「STORY BOX」2018年6月号掲載〉