▽▷△超短編!大どんでん返し▼▶︎▲ 井上真偽「或るおとぎばなし」

第8話
井上真偽
「或るおとぎばなし」

「──覚えていませんか?」

 開けたドアの向こうに立っていたのは、目の覚めるような美少女だった。 流れる黒髪。くりりとした眼。それは単に顔立ちが整っているというだけでなく、穢れのない──清い水と空気の中で育ったような、世間の垢に染まらない純朴な美しさがあった。

 呼び鈴についネットショッピングの宅配が届いたものと思い込み、確認もせずにドアを開けてしまった僕は、予想外に神々しい存在を目にして硬直した。少女は頭を下げ、夜分の訪問を詫びてきたが、その容姿に気を取られるあまり言葉がろくに耳に入らない。

「覚えて、いませんか?」

 そんな僕の反応に焦れたのか、少し間を置き美少女が訊ねてきた。僕はその意味を咀嚼するまでやや時間がかかった。覚えていないか──ということは、この彼女と面識が? いや、こんな美少女、一目見たら嫌でも記憶に刻まれるはずだが。

 つい警戒の言葉が口をついて出た。

「すみません。もし宗教の勧誘なら……」

「しゅうきょう?」

 美少女はきょとんとした顔を見せた。が、やがてニッコリ笑う。

「何か勘違いされていますね。ご説明したいので、ひとまず中に入れて貰えませんか?」

 

 流されるままに部屋に上げると、少女は物珍しそうに部屋をキョロキョロ見回した。

「広いおうちですね」

「え? そうですか。普通の1Kですよ」

「いいえ。広いです。だって部屋が二つも」

 二つ? 今度は僕が首を傾げる番だった。いや、至って普通の1Kだが──もしかしてユニットバスも一部屋と数えているのか?

  戸惑う僕を尻目に、彼女は質問を続ける。

「お仕事は、何をなさっているんですか?」

「いえ、学生です。大学に通っています」

「だいがく……。そういえば私の住処の近くに、子供が多く通う建物があります。この町の南にある、山の上の神社のそばです。あそこに通われているのですか?」

「いえ、あそこは……小学校ですね」

「しょうがっこう……それは、だいがくと違うのですか?」

「違い……ますね」

 なんだ? 揶揄われているのか?

 世間知らずというにもほどがある。しかし小学校近くの神社と聞いて、ふと僕には思い出したことがあった。あれは一か月程前のこと。コンビニのバイト帰り、気分転換に神社に寄った僕は、そこで一匹の野兎が野犬に襲われているところに遭遇したのだ。

 野生の兎を見たという物珍しさも手伝い、僕は反射的に石を投げて野犬を追っ払っていた。まさかその兎が恩返しに──なんて荒唐無稽な話は、さすがにないだろうが。

「──夕ご飯、まだでしたか? なんなら私、何か作りましょうか?」

 彼女はそう言って立ち上がる。僕は肯定も否定もせずただ成り行きを見守った。当然警戒心はあったが、夜中に知らない美少女が訪ねてきて、食事を作ってくれる──男なら誰もが憧れるシチュエーションだ。

「熱っ!」

 するとキッチンから悲鳴が上がった。見ると、彼女が両手で頭を押さえている。

「どうしました?」

「すみません。この手の道具に慣れていないもので、つい火傷を……」

「火傷って……頭を?」

「いえ、指を……。火傷をしたとき、耳たぶを押さえるとよいと聞きましたので……」

 耳たぶを? 僕は再度彼女を見るが、押さえているのはどう見ても頭だ。やがて彼女も僕の怪訝な視線に気付くと、はっと手を離す。

「冗談です」

 そして何事もなかったかのように包丁で野菜を刻み始めた。ただ僕は、今のある意味あざとすぎる行動で、逆に真相に気付き始める。そもそもあれを野兎と考えたのが間違いで、実は逃げた飼い兎だったとしたら。そしてその飼い主があの瞬間を目撃し、その恩返しを兼ねて遊び心で演じているのだとしたら──。

 しかしそこで、僕の目が丸くなった。

 まな板に向かう彼女のスカートの尻が、急にもりもりと盛り上がったのだ。

 やがて少女もそれに気付き、「きゃっ!」と尻を押さえる。そして上目遣いで僕を見た。

「見……ましたか?」

 僕の目が、スカートの下の白い尻尾に釘付けになった。これも何かのトリック? いや、あの動く尾はどう見ても作り物では──。

「君は……まさか本当に、あのときの……」

「はい」

 少女は静かに微笑む。そして急に氷のような表情で、包丁の切っ先を僕に向けてきた。

「私はあの日、石をぶつけられて怪我をした犬の娘です。母はそのときの傷がもとで、死にました」

井上真偽(いのうえ・まぎ)

神奈川県出身、東京大学卒。二〇一四年『恋と禁忌の述語論理』でメフィスト賞を受賞しデビュー。一七年『聖女の毒杯 その可能性はすでに考えた』で「本格ミステリ・ベスト10」第一位を獲得。現在『探偵が早すぎる』がテレビドラマ化され放送中。