▽▷△超短編!大どんでん返し▼▶︎▲ 東川篤哉「早業殺人に必要なもの」

第9話
東川篤哉
「早業殺人に必要なもの」

 資産家の叔父を殺せば膨大な遺産が転がり込む。貧乏な俺も左団扇で暮らせるじゃないか。快適な部屋に引っ越せるし、車だって買えるだろう。お洒落な服も着放題。ダサい眼鏡なんかやめて、使い捨てのコンタクトにすることだってできるのだ。そんな素敵なアイデアが脳裏に浮かんだのは、目も眩むような夏の猛暑のせいだったのかもしれない。だが爽やかな秋の訪れとともに、熱くなった頭も多少はクールになる。単純に殺しただけでは駄目だ。それだと唯一の相続人である俺に疑惑の視線が向けられるに違いない。ならば警察の目を欺くトリックが必要だ。そう考えた俺は、理想的な殺害手段を求めて頭を悩ませること数ヶ月。ついに犯行を決意したときには、あたりはもう極寒の冬だった。季節を跨いでまで考え抜いた俺の完全犯罪計画。それはいわゆる《早業殺人》というやつだ。

 ──おやおや、随分と古典的なトリックだね。最近のミステリでは滅多に見かけないよ。

 外野から罵声と嘲笑が聞こえてきそうだが、それはあくまで小説世界における《早業殺人》が、手垢が付きすぎて面白みが薄れたというだけのこと。現実世界においては《手垢が付いた》どころか、ほとんど誰も手を付けたことのない犯行手段に違いない。そう信じる俺は、その日の夜、職を紹介して欲しいという友人を連れて、叔父の屋敷を訪れた。

《早業殺人》において、最も重要な点。それは、まだ実行されていない犯罪がすでに実行済みであるという、誤った思い込みを善意の第三者に植え付けること。これに尽きるだろう。この無職の友人は、そのために用意された目撃者だ。根は善人で正直者だが頭はさほど切れない男だから、この役割に相応しい。何より彼は冬の間、常に重たそうなブーツを履いて暮らしている変わり者で、その点でも今回の計画にうってつけの人物といえた。

 屋敷の門をくぐるなり、俺は「ん、いま何か妙な音がしなかったか?」と眉をひそめて、鼻先の眼鏡を押し上げる。すると他人に影響されやすい友人は、「そういや、何か聞こえたかも」と俺に話を合わせた。素晴らしい。主体性のなさは、こちらの期待以上だ。俺は玄関に歩み寄り、手袋を嵌めた手で呼び鈴を鳴らす仕草。実際にはボタンを押すフリをしただけで、呼び鈴は鳴らしていない。なぜなら友人と合流する直前、俺はひとりでこの屋敷を訪れて、叔父の後頭部を殴打。リビングに彼を昏倒させているのだ。せっかく気を失っている叔父が、呼び鈴の音で目覚めてしまったら、今夜の計画は台無しになってしまう。

 そこで俺はボタンから指を離して「おかしいな」と怪訝そうな表情。「ちょっと窓から覗いてみよう」といって友人をリビングの窓へと誘導した。カーテンの隙間から中を覗く。直後に俺は「あッ、叔父貴!」と用意していた台詞を発した。煌々とした明かりに照らされたリビング。湯気の立つやかんの乗ったストーブの傍に、ガウン姿の叔父が横たわっている。背中を向けているので、窓越しにその表情は窺えない。絨毯の上には赤い絵の具の付いたナイフが一本、これ見よがしに転がっている。「あ、あれは、血の付いたナイフ……」と、これも予定していた台詞。そんな俺を押し退けるようにして、今度は友人が窓から中を覗き込む。次の瞬間、友人は何の疑いもなく「大変だ。君の叔父さんがナイフで刺されて死んでいる!」と期待通りの勘違い。俺は歓喜の思いをぐっと抑えながら、「いや、決め付けるのは早い。まだ息があるかもしれないぞ」と慎重な態度を示した。

 実際、まだ息はあるのだ。この俺が叔父の息の根を止めるまでは。──さあ、ここからが《早業殺人》のクライマックスだ! 俺は玄関に駆け戻って扉を開けると、素早く靴を脱いで上がりこんだ。だがブーツを履く友人は、そう簡単にはいかない。玄関でもたつく友人を尻目に、俺は手袋をした手でポケットの中から真新しいナイフを取り出しながら、ひと足早くリビングの扉にたどり着く。あとはもう、このナイフで昏倒している叔父の急所を一突き。そして赤い絵の具の付いたナイフと、本物の凶器をすりかえれば《早業殺人》は完成だ。善意の第三者である友人は、俺たちがこの屋敷を訪れたとき、すでに叔父が何者かの手で刺されて死んでいたことを堂々と証言してくれるだろう。まさか自分がブーツを脱ぐのに手間どっている隙に、この俺が叔父を刺殺したなどとは、夢にも思うまい。

 ──どうやら俺の勝ちだ。悪いが死んでもらうぜ、叔父貴!

 心の中で悪党らしい台詞を叫んで、俺はリビングの扉を開け放つ。

 だが次の瞬間!

「…………」俺は自らの重大な失策に気付いて愕然となった。

 ストーブの炎で暖められたリビングは暑いほどの温度。やかんから立つ湯気が、そこに適度な湿り気を与えている。

 ということは、必然的に俺の眼鏡のレンズは一瞬で曇って──「くそ、何も見えん!」

 こうして俺は《冬の早業殺人にはコンタクトレンズが必須》という教訓を得たのだった。

東川篤哉(ひがしがわ・とくや)

一九六八年広島県尾道市生まれ。岡山大学法学部卒。二〇〇二年『密室の鍵貸します』でデビュー。一一年『謎解きはディナーのあとで』で第八回本屋大賞を受賞し、大ヒットシリーズに。『学ばない探偵たちの学園』『交換殺人に向かない夜』『館島』『もう誘拐なんてしない』『探偵さえいなければ』など著書多数。