ロスねこ日記 ◈ 北大路公子

第10回 ステージへ(後篇)

○二月十六日

 予想どおりピリリが開花した。しかも一日で十以上の花が開いた。まったくもって「ヒヤシンス一日(略)」である。蕾の段階から察しはついていたが、花弁は清楚な紫色である。控えめで努力家のピリリにふさわしい落ち着いた色合いだ。

 咲き方もユメメとは少し違うようだ。頭のてっぺんから華やかに咲いたユメメとは逆に、茎の下側の花の方がよく開いている。ラッパ型というかベル型のかわいらしい花びらである。

 ちなみに、紫色のヒヤシンスの花言葉は「悲しみ」「悲哀」「初恋のひたむきさ」。全体的に憂いを帯びていて、要らぬ苦労を背負い込みそうな気配である。中学生の時、ちょっと不良っぽい同級生に恋をしたピリリが十年後、その彼に偶然再会した時には、相手は立派なギャンブル好きのヒモ男になっているのだ。でも純情なピリリには、男の本性など見抜けない。

「懐かしいなあ。俺のこと覚えてる?」

 そう笑顔で言われ、あっという間に恋に落ちてしまう。もちろんそれは恋などではないのだが、ピリリにわかろうはずがない。そのままずるずると不幸への道を歩み、気がついた時には抜き差しならなくなっているのだ。別れようと何度も思うが、しかしそのたびに昔のままの笑顔を見せる彼をどうしても嫌いになれないのだ……。

 あまりにも不憫なので、「ピリリは紫ではなく青かもしれない」とおのれの心をごまかして、青いヒヤシンスの花言葉を調べると、「変わらぬ愛」であった。どうしてもヒモ男とは別れられないらしい。

○二月十七日

 カーたんの蕾がようやく膨らみ始めた。開いた葉の間から、ユメメやピリリの時にも負けないようなしっかりとした蕾が見える。ただ、蕾の成長に伴って球根が割れてきているのが少し気がかりだ。怪我の治療のためにべろべろ剥いた箇所だろうと思う。ユメメもピリリも未だ薄紫の薄皮に守られているというのに、小さなカーたんだけが正真正銘の剥き身で、この厳しい芸能界を渡っていかねばならないのだ。胸が痛む。

○二月十九日

 ピリリの様子が何かおかしい。花の数は順調に増えているが、昨日まで美しく伸びていた背筋が今日は大きく曲がり、まるで二百歳のお婆さんのようになってしまった。必然的に花を咲かせた頭もうつむきがちになり、全体的に歪んで見える。

 具合でも悪いのだろうか。心配になって葉の中を覗き込むと、なんと茎の横から小さな蕾が顔を出しているではないか。それが茎を圧迫し、脇にぐにゃりと押しやっているのだ。

「一体何があったの?」

 予想外の出来事に声をかけるも、ピリリは答えない。ピリリ自身も驚いているのかもしれない。いや、驚いてはいないかもしれない。ひょっとして、ピリリには心当たりがあるのではないか。改めて尋ねてみる。

「もしや、あのヒモ男の子供……?」

 ポーカーフェイスのピリリの表情が一瞬変わった。ということはなかったが、やはり無言を貫いたままだ。真実は自分一人の胸にしまって墓まで持っていこうというのだ。ピリリらしいといえばピリリらしい覚悟である。

 それにしてもどうすべきか。この時期での妊娠発覚など、デビューのとりやめも考えられる事態だ。だが、今まで頑張ってきたピリリをメンバーから外すことなど、私はもちろんユメメやカーたんも考えてはいない。ユメメやカーたんに意志を確認したわけではないが、顔を見ればわかる。長い時間を一緒に過ごしてきたのだ。

 ただ、正直いって私だけでは今後のことは決められないのも事実である。私は芸能界にも植物界にも疎く、知識も力もない。そこで、これからのことについて最高顧問であるグーグル先生にお伺いを立ててみると、二番花(というらしい)が出てきた時は、最初の花を早めに切ってやることが大切だと教えてくれた。そうしなければ二番花が育たないまま死んでしまうそうだ。

 やっと咲いたピリリを切ってしまうのは忍びないが、それがピリリのためでもあるという。引退ではない。花瓶の中へと立ち位置を変えて、これからもキタシンスの一員として頑張ってもらうだけである。

「一緒にこの子を育てていこうね」

 そう声をかけて鋏を入れる。急なことだったので、ちょうどいい大きさの花瓶が用意できず、ピリリ自慢のすらりとした茎がすべて隠れてしまうというミスもあったが、黒い花瓶がピリリの静かな佇まいによく似合った。

 ユメメ、カーたん、子ピリリと並んだ姿を花瓶ピリリが優しく眺める。こんな日が来るとは思わなかった。
 

ロスねこ日記
(中央奥から時計まわりに)ユメメ、子ピリリ、親ピリリ、カーたん。


○二月二十日

 花瓶に移ったピリリはますます美しく咲き誇っている。若い頃は華やかなユメメと小さな末っ子カーたんの陰に隠れていたピリリだが、大人になってみると、一番茎が太く花びらも大きい。ユメメは成長のスピードの割には線が細く、カーたんは言うまでもなくちびっこだ。やはり球根時代の根っこの負傷問題が関係しているのだろうか。

 それでもしみじみ思うのは、三人が可憐な姿を見せてくれて本当によかったということである。今まで伏せていたが、実はヒヤシンスを育てるに当たって心配していたことが一つあった。臓物化である。ヒヤシンス、特にガラス容器での水栽培では、ポットの中でうねうねと渦巻く根っこが内臓を、密度濃くみっしりと咲く花びらの集まりが脳みそを思わせて、率直に述べて苦手だったのだ。「解体新書かよ」と心の中で呟いたことが何度あったかわからない。もちろんキタシンスが臓物化しても愛情が変わらない自信はある。でもまあ、しないならしないに越したことはないのだ。

 今日、カーたんの花が開き始めた。背があまり伸びず、葉の間に埋まるようにしての開花である。色は純白。花言葉は「控えめな愛らしさ」「心静かな愛」。大きな怪我を我慢強く乗り越えたカーたんにぴったりだ。

○二月二十一日

 子ピリリが早くも花を咲かせた。二番花はあまり大きくならないとグーグル最高顧問が言っていたが、確かに親ピリリと比べて花の数も少なく花弁も小さめだ。でも負けないくらいかわいらしい。

○二月二十二日

 今日は記念すべき日である。ユメメ、子ピリリ、カーたん、親ピリリ。四人の花が咲き揃い、キタシンスのデビューとなったのだ。カーたんは上の方が開き切っておらず、ユメメは逆に上部が萎みかけてきて、ステージで激しいダンスを踊ったりすると息切れしそうな雰囲気が出てきたが、だからこそ今日がデビューにふさわしい。

 窓辺で冬の陽をきらきら浴びながら並ぶ四人。『キタシンス』初めてのステージである。デビュー曲は、『ヒヤシンス全般の花言葉「スポーツ」「ゲーム」「遊び」「悲しみを超えた愛」って仲間外れが一つあるよね』。

 ぜひ応援してください。

(つづく)
〈「STORY BOX」2018年10月号掲載〉