佐藤 優「危機の読書」〈第1回〉西郷隆盛が貫いた「自己愛」の否定

佐藤 優「危機の読書」〈第1回〉西郷隆盛が貫いた「自己愛」の否定

『代表的日本人』  (内村鑑三/著)  前編


危機の読書『代表的日本人』

 現下の世界は新型コロナウイルスによる危機に直面している。ここで重要なのは、危機をリスク(risk)とクライシス(crisis)に区別して考えることだ。リスクとは、予見可能な不利益や危険を意味する。これに対して、クライシスは予見が難しい、生きるか死ぬかに関わる危機をいう。去年12月、中国の武漢で新型コロナウイルスによる肺炎が流行したとき、この病原体がパンデミックになると予測していた人はほとんどいなかったと思う。

 もっとも、新型コロナウイルス禍がクライシスかというと、そうとは言えない。この点に関して、世界的ベストセラーになった『サピエンス全史』『ホモ・デウス』の著者であるイスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏の以下の考察が鋭い。

〈私たちは速やかに断固たる行動をとらなくてはならない。選択を下す際には、目の前の脅威をどう乗り越えるかだけでなく、この嵐が去ればどんな世界に住むことになるかも自問すべきだ。新型コロナの嵐はやがて去り、人類は存続し、私たちの大部分もなお生きているだろう。だが、私たちはこれまでとは違う世界に暮らすことになる。/今回とった多くの短期的な緊急措置は、嵐が去った後も消えることはないだろう。緊急事態とはそういうものだ。緊急時には歴史的な決断でもあっという間に決まる。平時には何年もかけて検討するような決断がほんの数時間で下される。/何もしないリスクの方が高いため、未熟で危険さえ伴う技術の利用を迫られる。多くの国で、国全体が大規模な社会実験のモルモットになるということだ。全ての人が在宅で勤務し、互いに離れた距離からしかコミュニケーションをとらないようになるとどうなるのか。学校や大学が全てをオンライン化したらどうなるのか。いかなる政府も企業も教育委員会も、平時にこうした実験には決して同意しないだろう。だが、今は平時ではない〉(「日経新聞電子版」3月30日)

 新型コロナウイルスの嵐が去った後も、人類は存続し、日本人も生き残る。その見通しは確実なので、現下の情勢はクライシスではない。もちろん、リスクの閾値は超えている。リスクとクライシスの中間くらいの状況にわれわれは置かれている。いずれにせよ、今回とられる緊急措置の結果、世界も日本も構造的に大きく変化することは間違いない。この変化について明確な見通しを語れる人はいないと思う。

 こういうときに重要なのは、歴史に学ぶことだ。日本は過去に何度か存亡の危機に直面した。このときわれわれの先人が危機から脱することを試み、それに成功した。この事実から学ぶのだ。

鎖国の正統性と開国の必然性

 連載初回は、内村鑑三(1861~1930年)が1908(明治41)年に英語で上梓した『代表的日本人』(Representative Men of Japan)を採り上げる。帝国主義クラブの後発メンバーとなった日本が熾烈な国際競争の中で生き残っていくための知恵を先人に学ぶという問題意識で書かれたのが本書だ。扱われているのは、西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮聖人の5人だ。

 本書は、内村が1894(明治27)年に英語で刊行した『日本及び日本人』(Japan and the Japanese)の改定版だ。この連載では、西郷隆盛と日蓮に対する内村の解釈を通して、われわれが生き残るためのヒントについて考えたい。

 西郷について論じる前に内村は鎖国の正当性を強調する。

〈日本が、「天」の命をうけ、はじめて青海原より姿を現したとき、「日の本よ、なんじの門のうちにとどまれ、召し出すまでは世界と交わるな」との「天」の指図がありました。日本は二千余年にわたり、これを守ってまいりました。それにより日本の海には諸国の艦隊が乗り入れることなく、その海岸を侵されることもありませんでした〉(内村鑑三[鈴木範久訳]『代表的日本人』岩波文庫、1995年、13頁)

 日本は閉ざされた空間だった。内村は、それが天意によるものだったと考える。内村は、米国留学を通じて、欧米列強がアジアを植民地化しようとする野心を持っていることを皮膚感覚で理解した。

 17世紀半ばにポルトガルが日本に進出してきた。そこにはカトリック教会の布教を通じて日本を植民地化しようとする意図があった。当時の日本の為政者は、そのことに気付いたので、キリスト教を禁止し、さらに鎖国したのである。

 日本の植民地化を避けるためには鎖国が不可欠だったという内村の認識が以下の文書からうかがわれる。

〈長くつづいた日本の鎖国を非難することは、まことに浅薄な考えであります。日本に鎖国を命じたのは最高の智者であり、日本は、さいわいにも、その命にしたがいました。それは、世界にとっても良いことでした。今も変わらず良いことであります。世界から隔絶していることは、必ずしもその国にとって不幸ではありません。/やさしい父親ならだれでも、自分の子がまだ幼いのに、「文明開化」に浴させようとして、世の中にほうり出すような目にはあわせないはずです。世界との交通が比較的開けていたインドは、やすやすとヨーロッパの欲望の餌食にされました。インカ帝国とモンテスマの平和な国が、世界からどんな目にあわされたか、おわかりでしょう。私どもの鎖国が非難されていますが、もし門を開けたなら、大勢のクライヴとコルテスが、勝手に押し寄せてくるでしょう。凶器を持った強盗どもは、戸締まり厳重な家に押し入ろうとしたときには同じ非難をするに違いありません〉(前掲書13~14頁)。

 同時に、内村は、19世紀半ばの時点では、開国が必然的であったことを認識している。それは、日本が鎖国を維持しようとしても、武力を背景に開国を強要する力が欧米列強に備わってきたからだ。鎖国を継続することの方が開国よりも日本の安全保障にとって危険だったのである。日本は開国し、東洋の国でいち早く近代化に成功した。その日本には特別の歴史的使命があると考える。

〈一八六八年の日本の維新革命は、二つの明らかに異なる文明を代表する二つの民族が、たがいに立派な交際に入る、世界史上の一大転機を意味するものであります。「進歩的な西洋」は無秩序な進歩を抑制され、「保守的な東洋」は安逸な眠りから覚まされたときであったと思います。そのときから、もはや西洋人も東洋人もなく、同じ人道と正義のもとに存在する人間になりました。/日本が目覚める前には、世界の一部には、たがいに背を向けあっている地域がありました。それが、日本により、日本をとおして、両者が顔を向かい合わせるようになりました。ヨーロッパとアジアとの好ましい関係をつくりだすことは、日本の使命であります。今日の日本は、その課せられた仕事に努めているところです〉(14~15頁)。

 危機から脱するには、鎖国という守りの姿勢ではなく、開国し、欧米の文明を吸収するという攻めの姿勢が不可欠だ。さらにそこから一歩進み、欧米とアジアの懸け橋となることが、日本の使命であると考えた。

 現実に日本が歩んだ道は、内村が望んだ懸け橋ではなく、帝国主義的な植民地政策だった。しかし、日本が欧米列強に対抗する力を持ったことが、中東やアジア諸国の民族解放運動を鼓舞したことも事実だ。

天をうやまい、人を愛する

 危機から抜け出すためには、使命感を持つことが重要と内村は考える。西郷の場合、その使命感は、「敬天愛人」という言葉に集約されている。

〈【敬天愛人】天をうやまい、人を愛すること。座右の銘として引かれることが多い。明治元年(一八六八)に中村正直が「敬天愛人説」を著わしている〉(『日本国語大辞典』小学館、 JapanKnowledge版)。

 内村は、西郷の「天」に関する認識が、キリスト教の神と親和的な超越的性格を帯びていると考える。

〈「天」には真心をこめて接しなければならず、さもなければ、その道について知ることはできません。西郷は人間の知恵を嫌い、すべての知恵は、人の心と志の誠によって得られるとみました。心が清く志が高ければ、たとえ議場でも戦場でも、必要に応じて道は手近に得られるのです。常に策動をはかるものは、危機が迫るとき無策です。/「誠の世界は密室である。そのなかで強い人は、どこにあっても強い」/不誠実とその肥大児である利己心は、人生の失敗の大きな理由であります。西郷は語ります。/「人の成功は自分に克つにあり、失敗は自分を愛するにある。八分どおり成功していながら、残り二分のところで失敗する人が多いのはなぜか。それは成功がみえるとともに自己愛が生じ、つつしみが消え、楽を望み、仕事を厭うから、失敗するのである」/それゆえ私どもは、命懸けで人生のあらゆる危機に臨まなくてはなりません〉(前掲書40~41頁)。

 危機から脱するため人に要求されるのは、モラル(道徳)とモラール(士気)だ。士気が高くても、道徳が欠如している人は、自己愛の罠にとらわれる。西郷は、自己愛を徹底的に否定した結果、大義のために命を捧げることに至上の価値を置いた。

〈西郷は、責任のある地位につき、なにかの行動を申し出るときには「わが命を捧げる」ということを何度も語りました。完全な自己否定が西郷の勇気の秘密であったことは、次の注目すべき言葉から明らかです。/「命も要らず、名も要らず、位も要らず、金も要らず、という人こそもっとも扱いにくい人である。だが、このような人こそ、人生の困難を共にすることのできる人物である。またこのような人こそ、国家に偉大な貢献をすることのできる人物である」/「天」と、その法と、その機会とを信じた西郷は、また自己自身をも信じる人でありました。「天」を信じることは、常に自己自身を信じることをも意味するからです〉(前掲書41頁)。

 西郷の「命も要らず、名も要らず、位も要らず、金も要らず、という人こそもっとも扱いにくい人である。(中略)このような人こそ、国家に偉大な貢献をすることのできる人物である」という言説に共感する人は多い。しかし、そこには大きな落とし穴がある。自分の命を大義に捧げる覚悟をした人は、その大義のために他者の命を奪うことに躊躇しなくなる可能性が高くなることだ。

「天」とその法を信じる人は、自分の命も他者の命も尊重しなくてはならない。大義のために命を軽視するような思想は、日本人が現在直面する新型コロナウイルスの危機に対処できないと筆者は考える。

(2020年4月28日脱稿)
佐藤 優(さとう・まさる)

1960年東京都生まれ。作家、元外務省主任分析官。同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省。在ソ連日本国大使館でソ連崩壊を目撃。『自壊する帝国』にて大宅賞、新潮ドキュメント賞受賞。『国家の罠』『獄中記』『十五の夏』など。  

〈「STORY BOX」2020年6月号掲載〉
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