佐藤 優「危機の読書」〈第13回〉黄禍論が蘇りつつある

危機の読書

今月の一冊
アーネスト・ゲルナー/加藤節監訳『民族とナショナリズム』(岩波書店、2000年)


民族とナショナリズム
産業社会は、その初期の段階で、きわめて厳しい、苦痛に満ちた、きわだった不平等を生じさせる。
―『民族とナショナリズム』より

 米国では、人種差別が依然、深刻な問題だ。米中西部ミネソタ州ミネアポリスで2020年5月に黒人男性ジョージ・フロイド氏が白人警官の暴行によって死亡した。本件に関する裁判で白人元警官に対して21年4月20日、陪審団は第2級殺人罪など問われていた全ての罪で有罪評決を言い渡した。

 量刑は裁判官がこれから決定するが、第2級殺人(計画的でない殺人)の最高刑は、禁錮40年だ。本件は米国において、深刻な政治問題でもある。〈バイデン大統領とハリス副大統領は評決後、ジョージ・フロイドさんの遺族に電話でメッセージを伝えた。バイデン氏は「全てがただちに解決するわけではないが、少なくとも今ここには正義がある」と語った。ハリス氏は「この悲劇から何か良いものを生み出すつもりだ」と述べた。オバマ元大統領は「多くの人々が拒まれてきた正義を、全ての米国人に保証しようとする人々と心を共にする」との声明を発表した〉(4月21日「日本経済新聞」電子版)。

 米国の民主党はマイノリティーの人権を重視する。だが、米国社会においては、黒人への差別意識が根強く組み込まれている。〈米国では警官が関与した殺人は年間約1000に上る。ただ、警官が職務中に人を殺しても、殺人罪や過失致死罪で起訴されることはまれだ。ボウリング・グリーン州立大学(オハイオ州)の警察犯罪に関するデータベースによると、05~15年の間に殺人または過失致死で起訴された警官は200人にとどまった〉(同)。

 コロナ禍によって米国ではアジア系の人々に対する差別も顕在化している。

〈米国で、アジア系市民に対するヘイトクライム(憎悪犯罪)が深刻な問題になっている。ニューヨーク(NY)では、3月29日、65歳の女性が差別発言と激しい暴行を受ける事件が発生。バイデン政権は対策に本腰を入れ始め、司法省は3月30日、今後30日で現状を把握しつつ、対策を強化する方針を決めた。/路上を歩く女性の胸付近を男が蹴って倒す。男はさらに3発、蹴りを入れる。建物内から見ていた男性3人は助けもせず、開いていたドアを閉める──。NY市警は30日、前日の昼に起きた事件の動画と容疑者の写真を公開した。米メディアによると、女性はフィリピン系の移民で、「ここはお前の居場所じゃない」と差別発言を受けたという。市警は31日、容疑者の男を逮捕したことを明らかにした。/市警によると、NYでは今年は3月25日時点で、暴行を伴うアジア系へのヘイトクライムが12件確認された。昨年同期は0件だった。増加傾向はNYだけでなく全米で見られる。新型コロナの感染拡大で、中国への視線が厳しくなったことが理由の一つとみられる〉(4月1日「朝日新聞デジタル」)

 米国だけでなく、ヨーロッパでも人種、民族差別は深刻だ。人間が差別を起こす構造についてもアーネスト・ゲルナーは深く切り込む。ここでゲルナーは、熱力学で用いるエントロピー概念からヒントを得て、「耐エントロピー(entropy resistant)」という切り口で解明を試みる。この言葉は、「平準化に抗う力」と理解してもらえばよい。

〈しかし、人々はあらゆる仕方で相違を持ち続ける。人々は、背が高いか低いかによって、肥っているか痩せているかによって、色が濃いか薄いかによって、またその他多くの仕方によって類別されるからである。言うまでもなく、人々を分類する仕方の数には実際際限がない。それらのほとんどは、何らの重大性も持たないであろう。しかし、その一部は社会的・政治的にきわめて重要となる。私は、それらを耐エントロピーとでも呼びたい。もしある分類が、産業社会が最初に確立されてからしばらく経った後でも、社会全体の中に均等に分散しようとしない顕著な傾向をもつ属性に基づくものであるならば、それは耐エントロピーである。そのような耐エントロピーの場合には、問題となる特性によって特徴づけられる諸個人は、社会全体の中のどこか特定の部分に集中するであろう〉(『民族とナショナリズム』)

肌色が差別を作り出す社会

 ここでゲルナーは青色人というモデルを用いる。

〈例えば、ある社会が、遺伝的偶然によって色素の青い人を一定数含んでいると仮定してみよう。さらに、新しい経済の最初の確立から数世代が経過し、政府が「すべての才能に開かれた機会」の政策を公布し施行しているにもかかわらず、たいていの青色人が当該社会の頂点か底辺かのどちらかの場所を執拗に占有し続けている、言い換えれば、彼らがこの社会で利用しうる便益のうちあまりにも多くのものを得るか、あるいはあまりにもわずかのものしか得られない傾向にあると仮定してみよう。この場合には、青色は、ここで意図されている意味での社会的耐エントロピーの特性を持つものとなるであろう。/ところで、いつの時点でも耐エントロピーであるような特性を作り出すことは、常に可能であるという点に注意する必要がある。あれこれの種類の人々にだけ適用しうる概念を作り出すことは常に可能である〉(同)

 現実に青色の皮膚をした人々は存在しない。ただし、ここでゲルナーが皮膚の色による差別を念頭に置いていることは間違いない。皮膚の色は遺伝的に決まるのであって、本人の努力によって変化させることはできない。ゲルナーが、「いつの時点でも耐エントロピーであるような特性を作り出すことは、常に可能である」と指摘していることが重要だ。皮膚の色を理由に差別を作り出す社会構造が問題なのである。

 ゲルナーは、青色人が社会の底辺に集中する耐エントロピー構造を持っている場合について考察する。

〈青色人は底辺に集中させられ、しかも、彼らが行うことは、平均的にみて、より無作為に分布している集団のそれよりも劣るかもしれない。それが遺伝的な差によるのか社会的要因によるのかどうかは、誰にも分からない。しかし、一つのことだけは確かである。すなわち、青色人人口の中には、全人口中の非常に多くの非青色人人口のメンバーよりも、今日妥当なものとして用いられているどのような能力基準からみても、はるかに有能で適した者が大勢いるかもしれないということである。/このように描かれ定義された状況の下では、さて何が起きるであろうか。青と言えば低い地位を連想することから、青色人に対する偏見が生まれるであろう。底辺にいる人々が、膚の色によって、あるいは、どんな選び方をしても人口中の無作為な抽出例であるような場合には、彼らに対する偏見は他の何らかの特徴にまで及ばない。この場合、仮説上、最底辺の地位を占めていることは他のいかなる特性とも強く結びついてはいないからである。けれども、もし底辺にいる人々のうちきわめて多くの者の膚の色が青ければ、底辺よりほんの少し上にいる人が、下の方に押しやられる恐れから、彼らより低い人々に対して抱く偏見は、不可避的に青色に向けられる。実際、社会階梯の下層に属する非青色人人口は、反青色人感情にとりわけ陥りやすいであろう。彼らには他に自慢できることがほとんどなく、それ故、非青色人であるという彼らのたった一つの哀れな卓越性に、激しい憎悪の念をもって固執するからである〉(同)

 底辺にいる青色人に対して偏見を抱くのは、それよりも少し上にいる底辺の人々なのである。このようにして底辺の人々が互いにいがみ合っている状況は支配層にとって都合がいい。

 ところで近代の産業社会の特徴は流動性にある。青色人であっても高度な教育を受け、技能を身につければ、社会的な地位が上昇する。もっとも他の皮膚の色の人々と比べて、このような上昇を遂げるために青色人は追加的な努力を必要とされるであろう。

〈青色人のかなり多くは、彼らに対する偏見にもかかわらず、社会的に上昇していくであろう。底辺への青色人の集中は単に統計的な事実にすぎず、多くの青色人は(たとえ彼ら自身は、青色人という下位人口の中では少数派にすぎなくても)、勤勉や能力や幸運によって上昇し、より高い地位を獲得するであろう。その時、彼らに何が起きるであろうか。/ここでは、青色は、あれやこれやの理由で消せないと仮定した。それ故、上昇する青色人の状況は辛く、緊張を孕んだものとなるであろう。彼らの個人的な長所が何であれ、彼らと無作為に知り合ったり出会ったりした非青色人(非常に多くの人的接触が無作為で束の間のものであるが、それにもかかわらず重要な意味を持つということが、流動的で複雑な産業社会に特徴的なことである)にとっては、彼らは未だに汚く怠惰で貧しい無知な青色人であるであろう。こうした、あるいはそれに類する特徴は、社会等級の低い地位を占有していることを連想させるからである〉(同)

民族に刻印された識別マーク

 個人の能力としては、他の人々と変わらないにもかかわらず、青色人は依然として偏見にさらされ続ける。産業社会は、流動的で文化的に同質的なはずだ。農耕社会のような身分制や差別は産業社会に馴染まない。しかし、人種偏見を含む人間集団の文化は、必ず耐エントロピー構造を持つ。産業化の過程で底辺に置かれていた事実がある人種や民族に関しては、その記憶が刻印のごとく焼き付けられることがある。ゲルナーはこう指摘する。〈産業社会は、その初期の段階で、きわめて厳しい、苦痛に満ちた、きわだった不平等を生じさせる。しかも、この不平等は、大きな社会不安を伴うが故に、そして、産業化の初期の段階では、不利な立場に置かれた人々が相対的のみならず絶対的な苦難を蒙りがちであるが故に、一層苦痛に満ちたものとなる。そのような状況──平等主義的期待、不平等主義的現実、苦難、そして願望されてはいるが未だ実現されていない文化的同質性──では、潜在的な政治的緊張が深刻なものとなり、この緊張が支配者と被支配者、特権的な人々と非特権的な人々とを分ける適当な象徴や識別マークをつかむことができれば、それは現実化してしまうのである〉(同)。

 米国の黒人は、識別マークをつけられ続けているのだ。コロナ禍が中国から発生したという印象を多くの米国人が持っているために、東アジア系という人種的特徴も識別マークとなりつつある。19世紀末から20世紀初頭の黄禍論が蘇りつつある危機に日本人も直面しているのだ。

(4月26日脱稿)


「危機の読書」アーカイヴ

佐藤 優(さとう・まさる)
1960年東京都生まれ。作家、元外務省主任分析官。同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省。在ソ連日本国大使館でソ連崩壊を目撃。『自壊する帝国』にて大宅賞、新潮ドキュメント賞受賞。『国家の罠』『獄中記』『十五の夏』など。

〈「STORY BOX」2021年6月号掲載〉

◎編集者コラム◎ 『まぎわのごはん』藤ノ木 優
◎編集者コラム◎ 『今読みたい太宰治私小説集』太宰 治