佐藤 優「危機の読書」〈第14回〉コロナ後の民族とナショナリズム

危機の読書

今月の一冊
アーネスト・ゲルナー/加藤節監訳『民族とナショナリズム』(岩波書店、2000年)


民族とナショナリズム
個人の主要な忠誠心は、
われわれの読み書き能力の媒体に、
そしてその政治的保護者に向けられる
―『民族とナショナリズム』より

 英国の社会人類学者アーネスト・ゲルナー(1925〜95年)のナショナリズム論に関する古典的名著『民族とナショナリズム』の読み解きも、今回が最後になる。

 ゲルナーの思考の特徴は、否定神学の手法を用いることだ。否定神学とは、ビザンチン(東ローマ帝国)の正教神学で多用された。現在もロシア正教、ルーマニア正教、ギリシア正教などの正教神学者は否定神学を用いる。

 これに対して、「神は全能である」「神は善である」と積極的に定義していくのが肯定神学だ。カトリック教会やプロテスタント教会などの西方神学で用いられる。否定神学では、「神は悪ではない」「神は被造物ではない」というように否定的な命題を立てて、その残余で神を定義していく。

 この方法をゲルナーは民族に関して適用している。

〈ナショナリズムに関する誤った理論について、短い、そしてもちろん不完全な以下のようなリストを提示しておく価値はあるかもしれない。/①それは自然で自明で、自己発生的である。もし存在しないとすれば、それは強制的に抑圧されているからにちがいない。/②それは公式化される必要のなかった観念の人為的な帰結であり、悔やむべき不測の出来事によって出現したものである。産業社会においてすら、政治生活はそれなしですますことができる〉(『民族とナショナリズム』)

 ①は、ナショナリストの見解だ。民族を人間の属性と考えている。しかし、民族は近代的現象で、近代より前の人間共同体は民族という意識を持っていなかったことは学術的には定説となっている。

 ②は、道具主義者の見解で、民族はエリート集団によって創り出されたものであるという見方だ。しかし、エリート集団が民族を創り出そうとしても必ずしもうまくいくわけではない。現在の中国共産党指導部は、漢人だけでなく、ウイグル人、チベット人、モンゴル人などを包摂した中華民族を形成しようとしているが、うまくいっていない。道具主義によって民族を説明することはできない。

〈③マルクス主義の好む「宛先違い」の理論。つまり、シーア派ムスリムの過激派が、大天使ガブリエルは間違いを犯して、アリーに届けられるはずの神のメッセージをムハンマドに届けてしまったと主張するように、マルクス主義者たちは、基本的に、歴史の精神あるいは人間の意識はひどいへまをやらかしたと考えがちである。目覚めよというメッセージは、階級﹅﹅に届けられるはずであったのに、ひどい郵便の誤配のために、民族﹅﹅に配達されてしまった。その結果、革命的な運動家たちは、不正な受取人を説得し、そのメッセージとそれが生み出す熱狂とを、本来意図されていた正しい受取人に譲り渡すよう説得しなければならなくなったのである。正当な受取人と、横領した受取人との両方が、この要求に従おうとしないことが、活動家たちに大きな苛立ちを与えている〉(前掲書)

 一部、マルクス・レーニン主義(科学的社会主義)のイデオロギーでよく訓練された人は、共産主義社会実現のために命を捧げる覚悟を持っている。ただし、そのような人たちは少数派にとどまる。

 マルクス主義者は、人民の意識が向上すれば、ナショナリズムは克服され、プロレタリア(賃金労働者)階級という意識が人々の生き死にの原理になるはずだと考えたが、そうはならなかった。ソ連、中東欧の社会主義諸国が崩壊したのもナショナリズムによる社会主義体制への異議申し立てを抑え込むことができなかったからだ。

特殊な時代の愛国主義

〈④暗い神々。ナショナリズムは、先祖の血や土の力が再出現したものである。これは、ナショナリズムを愛する者と嫌悪する者との両方がしばしば共有する見方である。前者は、こういった暗い力を生命を躍動させるものと考え、後者は、それを野蛮だと考える。実際には、ナショナリズムの時代に生きる人間が、他の時代の人間に比べてより好ましい、あるいはより不快だなどという事実はない。おそらくより好ましいであろうという若干の証拠はある。彼の犯罪は、他の時代の犯罪と同等である。それらの犯罪が目立って見えるのは、まさに、犯罪がより衝撃的なものとなり、より強力な技術的手段によって実行されるからにすぎない〉(前掲書)

 ナショナリズムは、血と土の神話から生まれるという言説だ。ナチスがこのような人種論に基づく民族観を持っていた。

 ゲルナーはナチスによるユダヤ人虐殺や米国による広島、長崎への原爆投下などのナショナリズムの犯罪が、過去と比べてとりわけ悪質であるとは考えない。技術的手段が向上したために大量殺戮と大量破壊が可能になったという量の問題として認識する。

 ゲルナーは、これら4つの言説について、〈これらの理論のうち、わずかばかりでも有効性を認められるものは一つもない〉(前掲書)と全面的に否定する。

 これら否定された見解の残余に、ナショナリズムの積極的要因があることになる。この点に関してゲルナーは愛国主義(パトリオティズム)に着目する。

〈人類がいつの時代でも集団の中で生活してきたということを否定することは、決して私の目的ではない。そうではなく、人は常に集団の中で生活してきたのである。通常は、これらの集団は時代を越えて存続した。これらが存続した一つの重要な要因は、人間がこれらの集団に対して感じた忠誠心であり、彼らが集団に一体感を抱いたという事実であった。人間生活におけるこの要素はある特殊な経済の出現を待つ必要はなかった。それは、言うまでもなく、これらの集団を恒久的なものとする手助けをした唯一の要因ではなく、多くの要因中の一つであった。もしこの要因を総称して「愛国主義」と呼ぶとすれば、そうした愛国主義の幾分かが実際人間生活の永遠の部分であることを否定することは、断じて私の意図するところではない(それが他の要因と比べてどのくらい強いかを、ここで決定しようと試みる必要はない)。/本書で主張されていることは、ナショナリズムがきわめて特殊な種類の愛国主義であり、実際のところ近代世界でしか優勢とならない特定の社会条件の下でのみ普及し支配的となる愛国主義だということである〉(前掲書)

 人間が群れを作る動物で、定住する傾向を持つが故にパトリオティズム(愛国主義、あるいは国家形成以前の愛郷主義)は常に存在する。

 識字と計算という高い文化的能力が人々の標準装備となっている産業社会という特殊な時代における愛国主義がナショナリズムになるというのがゲルナーの仮説だ。

〈ナショナリズムは、いくつかの非常に重要な特徴によって識別される種類の愛国主義である。その特徴とは、この種の愛国主義、すなわちナショナリズムが忠誠心を捧げる単位は、文化的に同質的で、(読み書き能力を基礎とする)高文化であろうと努力する文化に基礎づけられていること、この単位は読み書き能力に基礎を置く文化を存続可能にする教育システムを維持しようとする希望に耐えるに十分なほど大きな単位であること、この単位はその中に強固な下位集団をほとんど持たないこと、この単位の住民は匿名的、流動的、動態的であり、直接的に結びつけられていること、すなわち、各人は、入れ子式に重ねられた下位集団への帰属によってではなく、彼の文化様式によって直接この単位に所属しているということである。要するに、同質性、読み書き能力、匿名性が鍵となる特性なのである〉(前掲書)

読み書き能力の平等化

 ナショナリズムの時代においては、文化が政治に包み込まれていくのである。

〈それ故、産業社会の文化は、信仰の運び人あるいは信仰のほとんど認知されない付属物としてではなく、文化として﹅﹅﹅維持されることを求める。(略)農耕社会の高文化から産業社会のそれへの移行は、外見的にはナショナリズムの到来として見える。しかし、この複雑で重大な問題の真実が何であれ、産業世界の出現は、新たに登場しつつある世界を特徴づけることになった重要な特性のいくつかをたまたま所有し、同時にナショナリズムを出現させたプロテスタンティズムのような宗教となぜか密接に結びついていた。読み書き能力と聖書中心主義との強調、聖なるものの独占を廃した司祭なき一神教、各人を自分自身の司祭かつ良心とさせ他人による儀式的礼拝に依存することを許さない個人主義、これらすべては匿名的で個人主義的できわめて流動的な大衆社会を先取りするものであった。この社会の中では、共有文化への相対的に平等なアクセスが広く普及し、文化は、その規範を、特権的専門家の維持にではなく、公的にアクセス可能な書字に置いている。聖書中心主義的な神への平等なアクセスは、高文化への平等なアクセスに至る道を敷いたのである。読み書き能力はもはや専門的能力ではなくなり、誰もが専門家であるような社会でのあらゆる専門の前提条件にすぎない。そのような社会では、個人の主要な忠誠心は、われわれの読み書き能力の媒体に、そしてその政治的保護者に向けられる。神に対する信者の平等なアクセスが、結局、教育と文化とへの不信仰者の平等なアクセスとなるのである〉(前掲書)

 同質性、読み書き能力、匿名性については、インターネット社会とも親和性が高い。加えて、移動の自由化が、21世紀の「民族とナショナリズム」を考える上で、重要な要素であった。

 しかし、コロナ禍で、グローバリゼーションに歯止めがかかった。人々が国境を越えて動くことが難しくなった。また、感染防止のために各国政府は、国内でも移動を制限している。このような状況で、人々の意識は、自分が住んでいる地域の文化に対する拘束を無意識のうちに強める。家にとどまり、自国語で本を読み、自国語で話をするということの積み重ねが、自らの民族に対する帰属意識を強める。

 コロナ後の世界では、民族による分節化を基準とする新たな危機が生じる可能性がある。

(2021年5月27日脱稿)


「危機の読書」アーカイヴ

佐藤 優(さとう・まさる)
1960年東京都生まれ。作家、元外務省主任分析官。同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省。在ソ連日本国大使館でソ連崩壊を目撃。『自壊する帝国』にて大宅賞、新潮ドキュメント賞受賞。『国家の罠』『獄中記』『十五の夏』など。

〈「STORY BOX」2021年7月号掲載〉

◎編集者コラム◎ 『死にたい、ですか』村上しいこ
◇長編小説◇白石一文「道」連載第4回