佐藤 優「危機の読書」〈第20回〉日本のマルクス主義の伝統

危機の読書

今月の一冊
斎藤幸平『人新世の「資本論」』(集英社新書、2020年)

人新世の「資本論」

日本の保守派知識人の大多数が斎藤氏の問題提起を真剣に受け止めず(略)印象批判を繰り返していることは、知的に不誠実であるのを通り越し、滑稽である

―本稿より


 複数の読者から、斎藤幸平氏の独自性について語る前に、マルクス主義について簡潔に説明して欲しいという要請があった。確かに斎藤氏が21世紀に疎外論を甦らせようとしているという筆者の見方を示しても、疎外論などマルクス主義の基本概念について共通の理解がなくては議論が空中戦になってしまう。

 そもそもマルクス主義、キリスト教は、その言葉で包摂される思想や政治運動が幅広くあるので定義が不可能だ。キリスト教でも、「イスラム国」(IS)のような過激派をテロリストと規定し、武力による徹底的鎮圧を主張するアメリカのキリスト教(プロテスタント系)右派がいる。他方、攻撃された場合の抵抗権すら否定するメノナイト派のような絶対平和主義者もいる。

 マルクス主義でも北朝鮮の主体思想も一応、マルクス・レーニン主義の系譜に属する。また、ドイツのフランクフルト学派のような知的に洗練された社会学者たちの思想もマルクス主義に含むことができる。これら幅広い思想や運動を簡潔な定義によって包摂することはできない。

 ただ何の定義もしないと議論が拡散してしまうので、マルクスの影響を受けている思想をマルクス主義とすると大雑把に括っておく。

 また政治的マルクス主義と学術的マルクス主義は、部分的に重なるに過ぎない。

 政治的マルクス主義に関しては、現在は日本共産党が圧倒的比重を占めている。ただし、日本のマルクス主義の特徴は、戦前は労農派、戦後は日本社会党左派と新左翼(警察の分類では極左暴力集団)という非共産党マルクス主義者が無視できない影響力を持っていたことだ。さらに新左翼は多くの党派(セクト)に分かれていたが、これらの勢力は社会党の傘の下で発展してきた。

 俯瞰して見ると1989年のベルリンの壁崩壊に象徴される中東欧諸国の社会主義体制から資本主義体制への移行、1991年のソ連崩壊によって社会党左派と新左翼は影響を失った。その結果として、共産党が政治運動に関しても大学や学会においても、ほぼ唯一のマルクス主義勢力となった。そのような状況で、共産党や旧社会党、新左翼の政治的影響を受けないところでマルクス主義を現代に活かそうとする斎藤幸平氏が登場したのである。

 斎藤氏は、アメリカとドイツでソ連・東欧型のスターリン主義(ロシア共産主義)とは別の西欧マルクス主義の知的伝統を十分に吸収して、人間と自然の循環という巨視的観点でマルクスを扱い、日本と世界を危機から脱出させ、格差を解消し、人間の自由を実現しようとしている。日本の保守派知識人の大多数が斎藤氏の問題提起を真剣に受け止めず「共産党の亜流だろう」「過激派崩れじゃないか」「今更マルクスなんて古い」といった印象批判を繰り返していることは、知的に不誠実であるのを通り越し、滑稽である。

 また共産党も斎藤氏の取り扱いには頭を悩ましている。共産党は、マルクス主義の正しい解釈をできるのは共産党だけだという強い自負を持っている。従って、斎藤氏のような共産党綱領の枠組に収まらないようなマルクス解釈については、触らないでおくという姿勢を取っている。

日本共産党と社会党左派

 日本における学術的マルクス主義に関して、もう少し深掘りしたい。

 共産党系の講座派と非共産党系の労農派の間で1930年代に展開された日本資本主義論争が重要だ。講座派は、主に岩波書店から刊行された『日本資本主義発達史講座』の寄稿者から構成されていたのでこの名称がついた。

 労農派は、山川均、向坂逸郎らが編集する雑誌『労農』への寄稿者が中心となっていたのでこういう名称になった。日本資本主義論争は日本資本主義の現状分析について、歴史、政治、経済など広範な分野で行われた。一言でまとめると、講座派は、日本は天皇と地主を中心に封建的性格が強い絶対主義体制であるという見方だ。

 明治維新はブルジョア革命(市民革命)ではなく、その前段階の絶対主義体制の確立だったと見る。対して労農派は、日本は一部に封建的残滓を残しているが、高度に発達した帝国主義国家と見る。明治維新は基本的にブルジョア革命であるという見方になる。この講座派と労農派の対立は、共産党と労農派の戦略の差として現れた。戦後、労農派の主流派は社会主義協会を結成し、社会党左派を支えることになった。

 社会主義協会によれば、共産党(講座派)と労農派の革命戦略の違いは次のようになる。

〈共産党──日本を支配しているのは天皇制というかたちでの絶対主義であって、日本は絶対主義国家である。それ故にプロレタリアートの政治闘争の目標は天皇制の打倒であり、プロレタリアートの戦略目標はブルジョア・デモクラシーの革命である。ブルジョア・デモクラシーの革命が達成されたとき、はじめて社会主義革命がプロレタリアートの戦略目標となる。(この点、ロシアの三月革命と一一月革命の関係と同じである。わが国の革命の展望にたいするこのような見解が、当時、二段革命論とよばれた。)

 労農派──われわれの政治闘争の対象は金融資本・独占資本を中心として結集された帝国主義的ブルジョアジーの政治勢力である。わが国はブルジョアジーの政権がすでに確立されているブルジョア国家(資本主義国家)である。ブルジョアジーの民主主義革命が徹底的に行なわれなかったわが国には、天皇制を初め多くの封建的な遺物や遺制が残ってはいるが、それらは(天皇制そのものも)もはや独立した政治勢力ではなくて、ブルジョアジーの政治勢力のなかに吸収または同化されて、その一部をなすものとなり、またはその支配力をつよめる道具になっている。地主階級もある程度にブルジョア化し、ブルジョアジーの政治勢力に対立するものとしての絶対主義の社会的基礎をなすものではなくなっている。それ故に、このつぎに展望される革命(政権の階級的移転を意味する革命)は、ブルジョアジーへの政権の移転であるブルジョア・デモクラシーの革命ではなくて、ブルジョアジーにかわってプロレタリアートが政権をにぎる社会主義革命のみであり、それ以外の革命はありえない。〉(『社会主義協会テーゼ』社会主義協会、1971年)

 また、政党の形態についても両者には大きな違いがあった。

〈共産党──結合する前にまず分離せよ。マルクス主義者(このばあいはボリシェビズム[引用者註*ソ連共産党の主張を指す]の信奉者)はボリシェビズム以外の理論をとる人びとからきれいに分離して、ロシアのボリシェビキ型の職業革命家の党を組織しなければならない。

 労農派──一般大衆にとっては、資本主義か社会主義かの二者択一はまだ当面の現実の問題になっていない。それ故に現実にブルジョアジーの利害に対立した利害をもっているすべての社会層を、反ブルジョア戦線に結集する大衆的な政党を組織しなければならない。大衆的、革命的な政治運動の伝統と訓練のないわが国では、とくにこのことが必要である。かかる性質をもつためには、この政党は、合法的に存在する政党でなければならない。われわれは合法的な舞台から逃避するのではなしに、合法的な行動領域を実力によって拡大して行かなければならない。現在(当時)の段階におけるマルクス主義者が第一に果たすべき任務は、このような政党の組織──すなわち反ブルジョア政治勢力の結集──と成長とに積極的な役割を果たし、この政党の闘争のなかで、大衆に密着しつつ、その指導力を拡大することである。〉(同)

ソ連崩壊とともに

 労農派の見解を紹介するだけでは一方的で客観性が担保されないので共産党の公式党史から労農派の評価が端的に現れている箇所を紹介する。

〈「二七年テーゼ」(引用者註*モスクワのコミンテルン[共産主義インターナショナル、国際共産党]が、日本支部=日本共産党に宛てた指令書)にもとづいて、日本共産党が、大衆とかたくむすびついて革命運動を前進させる真の大衆的前衛党への一步をふみだそうとしたとき、山川均、堺利彦、猪俣津南雄、荒畑寒村らの「合法マルクス主義者」は、一九二七年十二月に雑誌『労農』を発刊して、反党分派「労農派」をつくり、天皇制とのたたかいをさけて、ブルジョアジーとの闘争だけを問題にする「社会主義革命」論の立場から、日本共産党の政治方針への攻撃をはじめた。党は、一九二八年二月、山川らの除名を決定するとともに、かれらを理論的に粉砕し、天皇制の廃止と日本国家の民主主義化、農業革命の実行を主内容とする民主的変革と、その社会主義革命への転化の路線こそ、日本人民の解放の道、日本における社会主義への道であることをあきらかにする活動をつづけた。この論争は、一般の雑誌のうえでも長くつづけられたが、今日では歴史の判定はすでに明白である。〉(『日本共産党の六十年』日本共産党中央委員会出版局、1982年)

 講座派も労農派も、歴史は原始共産制―奴隷制―封建制―絶対主義―資本主義―社会主義―共産主義に単線的に発展するというエンゲルス・スターリン流の唯物史観に基づいて議論を展開していたので、日本資本主義がどの段階にあるかということが革命理論と直結したのである。

 太平洋戦争後、共産党はアメリカ帝国主義の従属状態から日本を解放する民族独立民主革命を当面の課題に定めた。そして民主革命が完成した後、社会主義革命を行うという二段階革命論を取るようになった。対して、社会党と新左翼は、日本帝国主義は十分に復活し、自立しているので、社会主義革命の一段階革命論を主張した。

 戦前の講座派と労農派の対立図式が少し形を変えて、戦後も続いたのである。ただし講座派に関しては、理論的枠組としては講座派であるが共産党とは距離を置く新講座派と呼ばれる学者も増えた。

 1991年のソ連崩壊からしばらくして労農派、新左翼の系譜の大学教授が退職すると、大学や学会には共産党と新講座派の知識人だけが残った。

(2021年11月26日脱稿)


「危機の読書」アーカイヴ

佐藤 優(さとう・まさる)
1960年東京都生まれ。作家、元外務省主任分析官。同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省。在ソ連日本国大使館でソ連崩壊を目撃。『自壊する帝国』にて大宅賞、新潮ドキュメント賞受賞。『国家の罠』『獄中記』『十五の夏』など。

〈「STORY BOX」2022年1月号掲載〉

◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第174回
思い出の味 ◈ 吉森大祐