佐藤 優「危機の読書」〈第21回〉日本のマルクス主義の伝統

危機の読書

今月の一冊
斎藤幸平『人新世の「資本論」』(集英社新書、2020年)

人新世の「資本論」
マルクスが理論的に格闘していた箇所ほど、その事実が見えなくなっている。
―『人新世の「資本論」』

 日本のマルクス主義を語る際にもう一つ外すことができないのが宇野学派だ。宇野弘蔵氏(1897〜1977年)は、戦前は東北帝国大学、その人民戦線事件に連座して大学を辞し(治安維持法違反で逮捕起訴されたが公判で無罪が確定)、戦後は東京大学、法政大学、立正大学で教壇に立ったユニークなマルクス経済学者だ。人脈的には労農派に属するが、講座派(共産党系)とも労農派(非共産党系)とも異なる『資本論』の解釈をした。

 評者なりに整理すると、宇野氏はマルクスに資本主義を打倒して共産主義社会を建設しようとする革命家の魂と資本主義の内在的論理をつかもうとする社会科学者の魂があるとする。そして革命家の魂(イデオロギー)は一旦、括弧の中に入れ、『資本論』を論理整合的に再編することに一生を費やした。これは新カント派の枠組みを用いて『資本論』を解釈したことになる。理論と実践は分離される。すなわち資本主義の内在的論理をつかむことは資本家でも労働者でも誰でも可能であるが、その上で資本主義にどう向き合うかは人それぞれということになる。

 宇野経済学は労農派マルクス主義者の理論集団であり、社会党左派の支柱になった社会主義協会の一部と新左翼に強い影響を与えた。宇野経済学を用いると実践に関する倫理が外挿的になるので、社会主義協会は平和革命、新左翼は暴力革命と接ぎ木した。また瀧澤克己氏のような哲学者はキリスト教(カール・バルトの神学)と宇野経済学を融合しようとした。なお、日本共産党は宇野経済学を蛇蝎の如く嫌っている。

 斎藤幸平氏の『資本論』解釈は、講座派、労農派、宇野派のいずれとも異なるユニークなものだ。講座派、労農派は、いずれも生産力の向上によって歴史は原始共産制―奴隷制―封建制―資本主義―社会主義―共産主義という発展を遂げるという唯物史観をとる。これは生産力至上主義と言い換えることができる。宇野経済学の場合、生産力至上主義はとらず、唯物史観を柔軟に解釈する。そして人間の属性である労働が、商品化して労働力となり売買可能になったことで資本主義が生まれたと考える。

 裏返して言うならば、労働力商品化を止揚するならば、資本主義は終焉する。斎藤氏は唯物史観も労働力商品化も重視しない。斎藤氏にとって最重要なのは地球という環境である。そして、マルクスの環境理解を最晩年のマルクスの思想から掬い出そうとする。

〈もちろん、研究者たちは『資本論』もしっかりと研究してきた。ところが、事態をややこしくするのは、マルクスが自らの最終的な認識を『資本論』においてさえ十分に展開できなかったという事情である。/というのは、『資本論』第一巻は本人の筆によって完成し、一八六七年に刊行されたものの、第二巻、第三巻の原稿執筆は未完で終わってしまったからだ。現在読まれている『資本論』の第二巻、第三巻は、盟友エンゲルスがマルクスの没後に遺稿を編集し、出版したものにすぎない。そのため、マルクスとエンゲルスの見解の相違から、編集過程で、晩年のマルクスの考えていたことが歪められ、見えにくくなっている箇所も少なくない。/なぜなら、マルクスの資本主義批判は、第一巻刊行後の一八六八年以降に、続巻を完成させようとする苦闘のなかで、さらに深まっていったからである。いや、それどころか、理論的な大転換を遂げていったのである。/そして、私たちが「人新世」の環境危機を生き延びるためには、まさに、この晩期マルクスの思索からこそ学ぶべきものがあるのだ。/しかし、この大転換は、現行の『資本論』からは読み取ることができない。エンゲルスは『資本論』の体系性を強調しようとするあまり、『資本論』の未完の部分がどこにあるのかを隠蔽してしまったのだ。つまり、マルクスが理論的に格闘していた箇所ほど、その事実が見えなくなっている〉

スターリン主義党

 斎藤氏は、堪能なドイツ語力、英語力、フランス語力を駆使し、マルクスが晩年に書いたノートやメモを徹底的に読み込む。そして、生産力史観を克服したマルクスの姿を見出したのである。

〈結果的に、晩期マルクスの本当の姿は依然として、ノートの研究を行うごく一握りの専門家にしか知られていない。そのため研究者やマルクス主義者たちのあいだでさえ、依然としてマルクスは大きく誤解されたままである。/そしてこの誤解こそ、マルクスの思想を大きく歪め、スターリン主義という怪物を生み出し、人類をここまで酷い環境危機に直面させることになった原因といっても過言ではない。今こそ、この誤解を解かなければならないのだ〉

 斎藤氏はスターリン主義の最大の問題が生産力至上主義にあると見る。評者もこの見解に賛成だ。重要なのはスターリン主義が現在も生きていて日本の政治に影響を与えていることだ。日本共産党第28回大会(2020年1月)に規定された同党の綱領にはこう記されている。

〈日本の社会発展の次の段階では、資本主義を乗り越え、社会主義・共産主義の社会への前進をはかる社会主義的変革が、課題となる。/社会主義的変革の中心は、主要な生産手段の所有・管理・運営を社会の手に移す生産手段の社会化である。社会化の対象となるのは生産手段だけで、生活手段については、この社会の発展のあらゆる段階を通じて、私有財産が保障される。/生産手段の社会化は、人間による人間の搾取を廃止し、すべての人間の生活を向上させ、社会から貧困をなくすとともに、労働時間の抜本的な短縮を可能にし、社会のすべての構成員の人間的発達を保障する土台をつくりだす。/生産手段の社会化は、生産と経済の推進力を資本の利潤追求から社会および社会の構成員の物質的精神的な生活の発展に移し、経済の計画的な運営によって、くりかえしの不況を取り除き、環境破壊や社会的格差の拡大などへの有効な規制を可能にする。/生産手段の社会化は、経済を利潤第一主義の狭い枠組みから解放することによって、人間社会を支える物質的生産力の新たな飛躍的な発展の条件をつくりだす。〉

 日本共産党によれば、社会主義・共産主義革命によって「人間社会を支える物質的生産力の新たな飛躍的な発展の条件をつくりだす」のである。ここにいくら化粧直しを繰り返しても日本共産党の本質がスターリン主義党であることが表れている。

 斎藤氏は、スターリン主義だけでなく、西欧の人間主義的マルクス主義(ルカーチ、ブロッホら)や構造主義的マルクス主義(アルチュセール)にも生産力至上主義とともにヨーロッパ中心主義があると考えているようだ。

 このモデルだと生産力の発展が近代化である。生産力が発展することによって貧困、環境などの問題も全て解決されることになる。世界史的に見ると、これは単線的歴史観で、西ヨーロッパのモデルを東ヨーロッパ、ロシア、アジア、中東、アフリカなどが追いかけてくるという認識になる。斎藤氏はこのような通俗的マルクス解釈に対して異議を唱える。

〈しかし、そんなはずはない。マルクスが資本と環境の関係を深く鋭く分析していたことを本書の読者はすでに知っている。『資本論』でも、地球を〈コモン〉として管理することを目指していた。/では、いつ生産力至上主義から脱却して、変貌を遂げたのか。マルクスの理論的転換に大きな役割を果たしたのは、(略)リービッヒだ。リービッヒの『農芸化学』第七版(一八六二年)で展開された「掠奪農業」批判に、マルクスは感銘を受けた。一八六五年から翌年にかけてのことだ。そして、それをすぐに『資本論』第一巻(一八六七年)に取り込んだのだった。『共産党宣言』からは、二○年近い月日が流れている。/ここで鍵となるのが、リービッヒからヒントを得て、マルクスが『資本論』で展開するようになった物質代謝論である。/人間は絶えず自然に働きかけ、さまざまなものを生産し、消費し、廃棄しながら、この惑星上での生を営んでいる。この自然との循環的な相互作用を、マルクスは「人間と自然の物質代謝」と呼んだ〉

マルクスを再構築

 マルクス主義を生産力至上主義から解き放し、もっと巨視的に「人間と自然の物質代謝」の視座から再編することを斎藤氏は考えている。これは、生産力が歴史を突き動かしているというイデオロギーを脱構築し、唯物論の立場から徹底的にマルクスを再解釈するということだ。

〈もちろん、人間から独立したところでも、自然にはさまざまな循環過程が存在している。光合成であったり、食物連鎖であったり、土壌養分の循環もそうだ。/例えば、鮭は川を上り、産卵をする。産卵後の鮭の死骸は分解され、海洋由来の栄養分を運ぶことで、上流や陸地の栄養分となる。あるいは、産卵前に熊やキツネ、鷲に食べられてしまうかもしれない。動物に食べられた鮭も、排泄を通じて、森のなかで木々の養分となる。その木々の落ち葉は大地を育み、一部は川に流れ、水生昆虫やエビといった小さな生き物の餌になり、あるいは、隠れ家として小魚たちを育む。鮭を媒介として、物質代謝・循環が営まれているのである。/このような自然の循環過程を、マルクスは「自然的物質代謝」と呼んだのだった。/そして、人間もまた、自然の一部として、外界との物質代謝を営んでいる。呼吸もそうだし、飲食も排泄もそうである。人間は、自然に働きかけ、さまざまなものを摂取し、排出するという絶えざる循環の過程のなかでしか、この地球上で生きていくことができない。これは生物学的に規定された歴史貫通的な生存条件なのである〉

 問題は、人類が地球生態系を破壊することができる破壊的な技術力を身に付けてしまったことだ。その破壊性は資本家階級、地主階級、労働者階級の中にも内在している。だから表面的には地球生態系の危機のように見える。

 しかし、その本質は資本家による環境(地球)に対する収奪から生じているのである。低成長経済によってこの構造を転換し、人類と地球生態系を救い出すというのが斎藤氏の戦略だ。

(2021年12月20日脱稿)


「危機の読書」アーカイヴ

佐藤 優(さとう・まさる)
1960年東京都生まれ。作家、元外務省主任分析官。同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省。在ソ連日本国大使館でソ連崩壊を目撃。『自壊する帝国』にて大宅賞、新潮ドキュメント賞受賞。『国家の罠』『獄中記』『十五の夏』など。

〈「STORY BOX」2022年2月号掲載〉

◎編集者コラム◎ 『跳べ、栄光のクワド』碧野 圭
思い出の味 ◈ 小川紗良