佐藤 優「危機の読書」〈最終回〉コミュニズムの復活に向けて

危機の読書

今月の一冊
斎藤幸平『人新世の「資本論」』(集英社新書、2020年)

人新世の「資本論」
中途半端な解決策で、
対策を先延ばしにする猶予はもうないのだ。
―『人新世の「資本論」』

 斎藤幸平氏は、資本主義の枠内で脱成長を実現することは不可能であると指摘する。

〈資本の定義からして、「資本主義」と「脱成長」のペアは両立不可能だからである。/資本とは、価値を絶えず増やしていく終わりなき運動である。繰り返し、繰り返し投資して、財やサービスの生産によって新たな価値を生み出し、利益を上げ、さらに拡大していく。目標実現のためには、世界中の労働力や資源を利用して、新しい市場を開拓し、わずかなビジネスチャンスも見逃してはならない。/ところが、資本主義が世界中を覆った結果、人々の生活や自然環境が破壊されてしまった。だから、脱成長は、この行きすぎた資本の運動にブレーキをかけ、減速しようとするのである〉

 評者も斎藤氏の見解を支持する。資本主義の特徴は、人間の労働能力を商品にしてしまうことだ。この労働力商品を搾取することで価値を増大させることが資本家の職業的良心なのである。脱成長は資本家の良心に反する行為なのだ。

 もちろん現象として脱成長に見える資本主義の停滞がある。このような停滞した資本主義は、勤労大衆に禍であると斎藤氏は強調する。〈日本社会を例にして、なぜ資本主義の内部で脱成長が不可能かについて、もう少し詳しく考えてみよう。/そもそも、本来成長を目指す資本主義を維持したままの脱成長とは、「失われた三○年」の日本のような状態を指す。(中略)/だが、資本主義にとって、成長できない状態ほど最悪なものはない。資本主義のもとで成長が止まった場合、企業はより一層必死になって利益を上げようとする。ゼロサム・ゲームのなかでは、労働者の賃金を下げたり、リストラ・非正規雇用化を進めて経費削減を断行したりする。国内では階級的分断が拡張するだろうし、グローバル・サウスからの掠奪も激しさを増していく。/実際、日本社会では、労働分配率は低下し、貧富の格差はますます広がっている。ブラック企業のような労働問題も深刻化している。/そして、パイが小さくなり、安定した仕事も減っていくなかで、人々はなんとか自分だけは生き残ろうと競争を激化させていく。「上級国民・下級国民」という言葉が流行語になったことからもわかるように、社会的な分断が人々の心を傷つけている〉

 資本主義の停滞がゼロサム・ゲームによる競争の激化を資本家だけでなく、労働者にももたらすとの斎藤氏の分析は事柄の本質を突いている。人間は群れを作る動物であるが、このように競争が激化する環境下では、一人ひとりが分断されてしまい、肉体的にも精神的にも疲れ切ってしまう。

資本主義の欠陥

 斎藤氏は、ここで脱成長の本来の目的を再定義する。

〈この日本社会の惨状から、重要なことがわかる。日本の「長期停滞」やコロナ禍の「景気後退(リセッション)」を、「定常状態」や「脱成長」と混同してはならないのだ。/よく誤解されるが、脱成長の主要目的は、GDPを減らすことではない。それでは結局、GDPの数値しか見ない議論になってしまう。/資本主義は経済成長が人々の繁栄をもたらすとして、私たちの社会はGDPの増大を目指してきた。だが、万人にとっての繁栄はいまだ訪れていない。/だから、アンチテーゼとしての脱成長は、GDPに必ずしも反映されない。人々の繁栄や生活の質に重きを置く。量(成長)から質(発展)への転換だ。プラネタリー・バウンダリーに注意を払いつつ、経済格差の収縮、社会保障の拡充、余暇の増大を重視する経済モデルに転換しようという一大計画なのである〉

 GDPを増大させずに人々の生活水準を向上させることは、資本主義の枠内でも十分可能だ。カーシェアリングやメルカリのようなサイトでリサイクル品を利用してもGDPは増大しない。しかし、人々の効用を満たすことはできる。

 しかし、このようなシェアリングエコノミーが資本主義システムの主流になることはない。なぜなら資本主義というシステムの文法が、労働力を商品化し、利潤の極大化を追求していくことだからだ。資本の価値増殖に貢献しないシェアリングエコノミーは、資本主義の文法に反するので、経済活動の極一部の領域を占めることしかできないのである。

 資本主義体制下で脱成長を志向することは、このシステムを成り立たせる文法に反するので実現不可能なのである。神学ならばカール・バルトの弁証法神学のように「不可能の可能性」に挑むことに意味がある。しかし、経済活動に関しては、あくまでも実現可能な制約条件の中で考えなくてはならない。資本主義システムをそのままにして、主観的に脱成長を目指しても、そこから生じるのは長期停滞に過ぎず、それは競争の激化と貧困の拡大をもたらすことになると斎藤氏は喝破する。

〈「脱成長」は平等と持続可能性を目指す。それに対して、資本主義の「長期停滞」は、不平等と貧困をもたらす。そして、個人間の競争を激化させる。/絶えず競争に晒される現代日本社会では、誰も弱者に手を差し伸べる余裕はない。ホームレスになれば、台風のときに避難所に入ることすら断られる。貨幣を持っていなければ人権さえも剥奪され、命が脅かされる競争社会で、相互扶助は困難である。/したがって、相互扶助や平等を本気で目指すなら、階級や貨幣、市場といった問題に、もっと深く切り込まなくてはならない。資本主義の本質的特徴を維持したまま、再分配や持続可能性を重視した法律や政策によって、「脱成長」・「定常型経済」へ移行することはできないのである〉

宇野経済学との親和性

 斎藤氏はあまり強調しないが、資本主義の本質は労働力の商品化にある。この点を強調したのが、独自の『資本論』解釈を展開した宇野弘蔵(1897〜1977年)だ。

 宇野は本来、商品になることができない人間の属性である労働が、労働力という商品になってしまうところに資本主義の特徴があると考えた。労働力商品の使用価値は労働そのものだ。労働力商品の価値は、1カ月単位で考えると、その間に労働者が食べ、服を着て、住み、ちょっとしたレジャーをして働く力を回復するのに必要な財やサービスを商品として購入する価格の総計だ。

 正確に言うとこれに家族を養う費用と、技術革新に応じて労働者が学習するための費用が含まれる。働く力を回復するための費用、家族を養うための費用、自己教育のための費用で賃金は構成される。資本家が労働者を雇用して得られる価値は、労働者に支払う賃金と機械や道具に支出する費用の合計よりも大きい。これが剰余価値だ。資本家は剰余価値を増大させるために生産を行う。労働者から見れば、自分の労働によって形成した価値の一部を資本家によって搾取されていることになる。

 もっとも資本家と労働者は自由で平等な環境で、労働力と賃金を交換しているのだからそこには不正はない。自由と平等という外皮の下に階級関係が隠蔽されているのが資本主義システムの特徴だ。労働力の商品化という、人類の長い歴史から見れば異常な状態を止揚するのが共産主義革命の目的であると宇野は考えた。斎藤氏の経済哲学は宇野との親和性が高い。斎藤氏はこう指摘する。

〈低成長の時代に待っているのは、帝国的生活様式にしがみつくための生態学的帝国主義や気候ファシズムの激化のはずだ。/それは、気候危機から生じる混乱に乗じた惨事便乗型資本主義とともにやってくる。だが、そのまま突き進めば、地球環境はますます悪化し、ついには人間には制御できなくなり、社会は野蛮状態へ退行する。低成長時代の「ハード・ランディング」である。もちろん、これこそ、最も避けたい事態にほかならない。/「人新世」の時代のハード・ランディングを避けるためには、資本主義を明確に批判し、脱成長社会への自発的移行を明示的に要求する、理論と実践が求められている。中途半端な解決策で、対策を先延ばしにする猶予はもうないのだ。それゆえ、新世代の脱成長論は、もっとラディカルな資本主義批判を摂取する必要がある。そう、「コミュニズム」だ。/こうして、ついにカール・マルクスと脱成長を統合する必然性が浮かび上がってきた〉

 斎藤氏は、手垢のついた共産主義という日本語を避け「コモン」(共同管理)に基づく社会を作るという意味で「コミュニズム」という片仮名を用いる。

 人間は群れを作る動物である。誰一人として孤立して生きていくことはできない。その意味で「コモン」こそが人間社会の本来のあり方だと思う。

 ここで重要なのは国家と社会が起源を異にする存在だということだ。英国の社会人類学者アーネスト・ゲルナーは、人間社会の発展は、狩猟・採集社会、農業社会、産業社会の3段階で発展してきたと説く。その上で、社会と国家の関係について次のように整理する。狩猟・採集社会においては国家はなかった。農業社会においては、中世ヨーロッパや戦国時代の日本のように村単位での自給自足経済が成り立っていて国家を必要としない場合もあれば、古代エジプトや古代中国のように巨大帝国を生みだしたこともある。それが産業社会になると国家が必ず必要になる。産業社会では、工場のマニュアルを理解するために識字能力が必要となり、また経済運営のために計算が必要になる。この能力を付けるための普通教育には莫大な費用とエネルギーがかかる。これを担保することができるのは、国家のみというのがゲルナーの見方だ。しかもこの産業社会は資本主義と相性がいい。

 資本は利潤の獲得のために自己増殖する。その結果、産業社会の基盤を崩す状況に至っているというのが斎藤氏の現状認識だ。この現状認識は正しい。産業社会を持続的に維持するために人間社会の「コモン」を回復するのだという発想は、疎外論である。疎外論では、人間の本来のあり方を想定する作業が不可欠になる。この点については、経済学の範疇を超える哲学(あるいは神学)からのアプローチも必要になると思う。

 斎藤氏のように根源的に考える知識人が出現したことを評者は歓迎する。

(2022年1月30日脱稿)

*本連載は今年夏頃に書籍化する予定です。
ご愛読ありがとうございました。


「危機の読書」アーカイヴ

佐藤 優(さとう・まさる)
1960年東京都生まれ。作家、元外務省主任分析官。同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省。在ソ連日本国大使館でソ連崩壊を目撃。『自壊する帝国』にて大宅賞、新潮ドキュメント賞受賞。『国家の罠』『獄中記』『十五の夏』など。

〈「STORY BOX」2022年3月号掲載〉

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