佐藤 優「危機の読書」〈第4回〉歴史はそのままの形では繰り返さない

佐藤 優「危機の読書」〈第4回〉歴史はそのままの形では繰り返さない

『なぜ私は生きているか』(ヨゼフ・ルクル・ フロマートカ/著 佐藤優/訳) 後編


危機の読書

 コロナ禍の危機を深い位相で理解するためにプロテスタント神学者のヨゼフ・ルクル・フロマートカ(1889~1969年)の思想が役に立つ。

 それは、フロマートカが、民族独立運動、反ファッショ運動、第二次世界大戦、共産主義体制との共存など、さまざまな経験を通じて危機を克服した経験があるからだ。コロナ禍でわれわれが経験している事柄のほとんどは、過去の出来事の繰り返しだ。

 ただし、歴史がそのままの形で繰り返すことはない。現象としては異なっているが、構造が類似していることをつかむことを、神学を学ぶ者は若い頃から訓練される。その結果、物事を類比的に見る力がつく。危機の時代においては、類比をとらえる技法が重要だ。フロマートカにとって、自分が生まれた場所が特別の意味を持つ。

〈私の出身地域の住民は地理的にポーランドと同様にスロヴァキアにも近接している。私の村から、ポーランド的な風景への変化が現われ始め、また、ポーランドとチェコの明確な国境線が引かれるずっと以前から、シレジアのチェシンの人々には民族的自覚が存在していた。言語の変化は漸進的で、どこでチェコ語が終わり、どこからポーランド語が始まるかを厳密に定義することは不可能である〉(ヨゼフ・ルクル・フロマートカ[佐藤優訳]『なぜ私は生きているか──J・L・フロマートカ自伝』新教出版社、1997年、3頁)

生まれ故郷を訪ねて

 フロマートカは、チェコの北東部、北モラビアのホドスラビッツエ村出身だ。筆者はこの村を5回訪ねたことがある。丘陵地帯にある農村だ。小さな村だが、大きな教会が2つある。1つがカトリック、もう1つがプロテスタントだ。住民もカトリック教徒とプロテスタント教徒がほぼ半々だ。

 筆者がこの村を初めて訪れたのはチェコスロバキアが社会主義体制下にあった1988年3月のことだった。日曜日にプロテスタント教会をいきなり訪ね、そこから筆者のチェコ人脈が広がった。科学的無神論を国是に掲げる社会主義国家だったが、教会が村人の生活に強い影響を与えているのを目の当たりにして驚いた。この教会のヤン・ノハビッツア牧師の案内で、ポーランドとの国境地帯をドライブした。国境の向こうとこちらで風景はあまり変わらなかった。プラハ郊外の農村と較べるとこの村はポーランド的だった。村の人々が話すチェコ語にはポーランドなまりがある。境界の村で生まれたことは、フロマートカのアイデンティティにも影響を与えた。

〈少年時代を振り返って見た時、自分の考えかたはチェコ人というよりもスラヴ人であった。ポーランド人・スロヴァキア人・チェコ人、これらすべてが一つに融合していた〉(前掲書3~4頁)

 幼年時代にはスラブ人という曖昧な自己意識しか持っていないフロマートカが10代後半にはチェコ人という確固たるアイデンティティを持つようになった。フロマートカはチェコの愛国者で、ナチスに対して命懸けで闘った。また、1968年8月にソ連軍を中心とするワルシャワ条約5カ国軍が民主化運動「プラハの春」を潰すためにチェコスロバキア全土を占領したときも、フロマートカは抵抗運動を展開した。

 フロマートカが、チェコ民族のために自らの命を捧げる気構えができていたことは間違いない。同時に、彼は民族という概念が近代的で、変化するものであることを皮膚感覚で理解している。だからフロマートカは偏狭な民族主義に足を掬われることがなかった。

 民族的自己意識は、他者との関係において明確になる。フロマートカにとっての他者とは、ドイツ人であった。

〈私の生まれた村ホドスラヴィッツェは諸民族の境界線上に位置している。隣村はもうドイツ人のものであり、われわれの地域の主要都市ノーヴィー・イチーンは住民の大部分が汎ゲルマン主義思想の影響を受けており、チェコ的なものすべてに反感を持っている町であった。われわれの国がまだオーストリア帝国の統治下にあった時でさえ、十人のウィーン出身者に一人を加えても、ノーヴィー・イチーンから来た一人にはかなわないと一般に言われていた。ドイツ人側のこのような侵略的ナショナリズムは、チェコの隣人に非常に強力な愛国心をよびおこした。今日、青年時代を振り返った際に、オーストリアをドイツの利益のために、すなわちドイツ皇帝とホーエンツォレルン派の側につけようとしたドイツ系住民よりも、われわれモラヴィアのチェコ人のほうがおそらくずっと旧オーストリア帝国に対して忠実であったのではないかとの疑問を投げかけずにはいられない。さらに、青年時代に私は自己をスラヴ人と考えることからチェコ人であると考えるように変わっていった〉(前掲書5~6頁)

 筆者はホドスラビッツエ村を訪ねるときは、この村から北10キロメートルに位置するノビー・イチーン市のホテルに泊まった。ホドスラビッツエ村には宿泊施設がないからだ。ノビー・イチーンは、ドイツの地方都市によく似ている。チェコスロバキアのドイツ人はナチス・ドイツに積極的に協力した。そのため第二次世界大戦後、チェコスロバキア政府は、ドイツ人を強制追放した。そして、ドイツ人から接収した住宅にチェコ人が住むようになった。

秘密警察の事情聴取

 筆者は、ノビー・イチーンでは「カラチ」というホテルに泊まっていた。カラチとは、ロシアのボルゴグラード州にある都市カラチ・ナ・ダヌーに由来する。ノビー・イチーン市とカラチ市が姉妹都市にあることからつけられた名前だ。このホテルにはソ連の代表団がよく訪れたので、従業員がロシア語を話す。チェコ語やドイツ語よりはロシア語が得意な筆者には便利なホテルだった。このホテルのレストランは、ビールと料理がおいしく、いつも混んでいた。特にハム、じゃがいも、パプリカなどを入れた「ベシュキード風オムレツ」が人気メニューだった。

 ベシュキードとは、この地方にある山の名前だ。かつて禁止されていたプロテスタント教徒は、この山に隠れて住んでいた。初めてこのホテルに泊まったときのことだった。レストランでオムレツをつまみにビールを飲んでいると、執拗に話しかけてくる中年の男性がいる。だいぶ酔いが回ったところで、こう言われた。

「あなたはチェコ人が良い人たちだというけれど、その見方は一面的だよ。チェコ人は普段は温和しいが感情的になると見境がつかなくなることがある。僕はドイツ人だ。ほとんどのドイツ人が戦後、強制追放されたが、僕の家族はここに残ることができた。名前からだとチェコ人かドイツ人かはよくわからない。しかし、僕たちドイツ人は、ここでは息を殺して生きていかないとならない。とても窮屈だ。この国は決して良い国じゃないよ」

 筆者は「そういうこともあるのか」と思って男性の話を聞いていた。驚いたのはその翌日のことだ。夕食を取りにくると、その男性が私を待っていた。私がベンチシートに座るとその男性が隣に来て、「昨日はほんとうに済まなかった。酔ってしまった。頼むから僕が話したことを誰にも言わないでほしい」と囁いた。筆者はよく意味がわからないので、「何かまずい話があっただろうか」と尋ねた。男性は「僕がドイツ人だということと、この国は良い国じゃないと言ったことだ」と答えた。筆者が「わかった」と答えると、男性は食事を取らずに去って行った。

 2カ月後、1988年5月にホドスラビッツエ村を訪れたときに、ドイツ人の中年男性が怯えていた理由がわかった。ノハビッツア牧師から、筆者がこの村を訪れた後、筆者と会話したすべての人のところにノビー・イチーンから秘密警察職員がやってきて、事情を聴取したという事実を知った。ノハビッツア牧師は「資本主義国の外交官が訪ねてくるのは珍しいので、秘密警察が関心を持つのは当たり前だ。佐藤さんは外交官だけれども、プロテスタント神学者でフロマートカを研究しているのでこの村を訪れたと説明したら、職員も納得していたよ」と説明した。

 恐らく秘密警察から、事情聴取について筆者には伝えるなと言われていたはずだ。しかし、キリスト教徒は目に見えなくても同じ教会に所属しているという意識がある。だからノハビッツア牧師はリスクを冒して事実を伝えてくれたのだと思う。レストランで偶然会ったドイツ人のところにも秘密警察の職員が訪ねてきたのだろう。それでこの男性は慌てて、翌日筆者をつかまえて口止めをしたのだと思う。

 フロマートカが、チェコ人としての意識を確立する上で重要な意味を持ったのが第一次世界大戦だった。

〈一九一四年八月に第一次世界大戦が勃発したとき、旧世界は木端微塵に粉砕された。全体としてチェコ人、特にプロテスタント教徒は、いわゆる中央権力、皇帝のドイツとオーストリア・ハンガリー皇帝に反対して闘う国の側を支持した。われわれの行動が、われわれが無限の信頼を寄せるT・G・マサリクによって指導されていたということはまさしく事実であった。もちろん、オーストリア・ハンガリー帝国の崩壊とドイツ帝国の強力な軍事的敗北の後に、どのようなヨーロッパが出現するかについては、誰も何の考えも持っていなかった。戦争の恐ろしい側面について、神学的、歴史哲学的観点からわれわれは全く準備ができていなかった。終わることのない世界的規模の革命的激動の上にわれわれが立っているということさえほとんど気づかなかった。変革が国際政治に起こりつつあるというのがわれわれの理解可能なすべてであった〉(前掲書30~31頁)

 トーマシュ・ガリッグ・マサリク(1850~1937年)は、チェコの社会学者、哲学者、政治家で、チェコスロバキア共和国初代大統領になった。父親はスロバキア人で母親はチェコ人だ。マサリク自身はチェコ人とスロバキア人の複合アイデンティティを持っていた。あえてどちらか1つを選べと言われたならば、マサリクはチェコ人を選んだであろう。

 歴史的、宗教的、文化的にチェコ人とスロバキア人は背景を異にする。この2つの民族が単一の国家を形成することによって、マサリクは複合アイデンティティの問題に悩まされずに済むようになった。

(2020年7月20日脱稿)
佐藤 優(さとう・まさる)

1960年東京都生まれ。作家、元外務省主任分析官。同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省。在ソ連日本国大使館でソ連崩壊を目撃。『自壊する帝国』にて大宅賞、新潮ドキュメント賞受賞。『国家の罠』『獄中記』『十五の夏』など。  

〈「STORY BOX」2020年9月号掲載〉
辛酸なめ子「電車のおじさん」第19回
今月のイチオシ本 【ミステリー小説】