佐藤 優「危機の読書」〈第5回〉第一次世界大戦が露にした西欧民主主義の欠陥

 


今月の一冊
『なぜ私は生きているか』(ヨゼフ・ルクル・ フロマートカ/著 佐藤優/訳)


危機の読書

 英国の歴史学者エリック・ホブズボーム(1917〜2012年)は、意味の上での19世紀は、100年よりも長いと主張する。1789年フランス革命によって始まり、1914年の第1次世界大戦勃発直前に終わるという。他方、20世紀は100年よりも短い。1914年の第1次世界大戦勃発によって始まり、1991年のソ連崩壊によって終焉する。

 ホブズボームは、第1次と第2次の世界大戦を一体のものとして理解すべきと主張し「20世紀の31年戦争」と名付ける。確かに第1次世界大戦後、戦勝国が過酷な賠償と制裁をドイツ、オーストリア、ハンガリーなどに科した結果、これら諸国の経済が破綻し、中産階級が没落し、社会が不安定になった。その状況でオーストリア出身のドイツ人アドルフ・ヒトラー(1889〜1945年)が、ポピュリズムと人種主義に訴えて権力を掌握し、第2次世界大戦への道ぞなえをした。

「長い19世紀」の特徴は、人々が人間の理性を信頼したことだ。理性に基づき、科学技術を発展させ、それを利用することで理想的社会を建設することが可能と多くの人々が考えた。しかし、人間の合理性が信頼に足るものでないことが第1次世界大戦によって可視化された。科学技術の発展によって、毒ガス、戦車、戦闘機、潜水艦が生まれた。これらの兵器を用いて大量殺戮と大量破壊が可能になった。

 政治的には大きな変化がマルクス主義陣営に生じた。マルクスは「プロレタリアート(労働者階級)に祖国はない」と主張した。当然、祖国防衛戦争に反対することになる。日露戦争中、ロシアのマルクス主義者のゲオルギー・プレハーノフと日本のマルクス主義者の片山潜が、オランダのアムステルダムで開催された第2インターナショナル第6回大会に出席した。1904年8月14日、2人は壇上で握手して、共に反戦を訴えた。しかし、第1次世界大戦が勃発すると各国社会民主党の多数派は、自国の戦争政策を支持する。このとき戦争に反対したマルクス主義者は、後に社会民主党から共産党に結集するようになった。

 第1次世界大戦で敗北したドイツ人にとって、戦争は破滅だった。そこからドイツの神学者や哲学者は、近代的理性自体に強い疑念を抱くようになった。もっともプロテスタント神学の場合、時代の危機を敏感に察知したのは、永世中立国スイスの牧師だったカール・バルト(1886〜1968年)だ。バルトは、人間が神について語ることを止め、神が語ることに人間が虚心坦懐に耳を傾けるべきであると主張した。バルトは、神と人間は質的にまったく異なると考えた。従って、人間が神について語ることは原理的に不可能である。しかし、説教壇に立つ牧師は、神の言葉を語らなくてはならない。

 このような「不可能の可能性」に挑むことが神学の課題であるとバルトは主張した。第1次世界大戦前ならば、バルトのような主張は非合理主義、もしくは独断論として、神学界で相手にされなかったと思う。しかし、第1次世界大戦後の危機の中で、バルトの言説には「危機の神学」という名称が与えられた。そして危機の神学は、哲学、文学、歴史学などに強い影響を与えた。日本では京都学派の西田幾多郎や田辺元がバルトの影響を受けている。

キリスト教文明の限界

 フロマートカは、プロテスタント神学者としては、バルトと時代の危機を共有していた。他方、フロマートカはチェコ人だ。第1次世界大戦でハプスブルク帝国(オーストリア・ハンガリー帝国)が敗北したことにより、チェコ人は、チェコスロバキア共和国という独立国家を持つことができた。従って、バルトと比較するとフロマートカの第1次世界大戦への評価は肯定的だ。

〈反ドイツ連合の勝利は祖国により偉大な民主主義をもたらし、それまで中央ヨーロッパの権力に従属していた人民を解放するとわれわれは信じていた。いたる所で社会民主党は自国政府を支持していた。このことは、政治的民主主義と民族自決の領域における変革が何よりも必要であるというわれわれの感情を刺激した。しかし、崩壊したのは、中世から現代の社会・政治形態までの発展をとげたヨーロッパ文明の構造自体であった〉(ヨゼフ・ルクル・フロマートカ[佐藤優訳]『なぜ私は生きているか──J・L・フロマートカ自伝』新教出版社、1997年、31頁)

 ここで引用した文章は、フロマートカの自己批判でもある。当初、フロマートカは、ドイツやオーストリアの封建的な軍国主義体制が崩壊し、民主主義と民族自決の原則によって、安定的な世界秩序が構築されると考えていた。しかし、それは幻想だった。第1次世界大戦で機能不全を示したのは、軍国主義体制に留まらず、長年にわたって国家とキリスト教が結びついて形成されたシステムの危機だったのである。

 もっともフロマートカの場合、他のプロテスタント神学者と異なり1917年のロシア社会主義革命を肯定的にとらえていた。ロシア革命を通じていわゆるキリスト教文明の限界にフロマートカは気づいた。

〈一九一七年の革命はヨーロッパ文化の根源と構造をより良く、さらにより深く理解することを可能にした。その時私は既に(1917年の三月)救済教会の牧師としてプラハに着任していた。当初、われわれは1917年十一月のロシア革命に共感した。その当時、レーニンとボルシェヴィキの目標は、中央政府に対する闘争を弱体化する危険な脅威であるとみなされていた。私自身は何が起こっているのか全くわからなかった。ロシア革命に関する文献とマサリクの著作『ロシアとヨーロッパ』〔ロシア思想史─訳者〕を集中的に研究することを通じて、私は徐々に、不鮮明ではあったが、西欧諸国の勝利は第一次世界大戦の終結ではないと自覚し始めた。一九一七年を境に、ヨーロッパにとっての根本問題は、戦争中に明確になった西欧諸国間の相違を超えたものとなった。われわれはより深く世界をゆるがす革命の入口に立っていたのである〉(前掲書31〜32頁)。

 マサリクは、中東欧近現代史を理解する上で、重要な人物だ。百科事典から略歴を見ておこう。

〈Tomáš Garrigue Masaryk[1850─1937]
 マサリク(Tomáš Garrigue Masaryk)
 チェコスロバキアの哲学者、社会学者、政治家。初代大統領。スロバキアの境界に近いモラビアの農村に生まれる。父はスロバキア人、母はモラビア生まれである。苦学ののち、1876年にウィーン大学で哲学を修めた。82年にプラハのカレル大学に哲学教授として迎えられる。学者としては、ロシア思想研究やまだ新しい学問であった社会学で貢献した。教鞭をとるかたわらジャーナリズムでも活躍し、90年には青年チェコ党からオーストリア帝国議会の議員となった。のち独自の小政党(現実党)を設立。マサリクは帝国の民主的、連邦的な改革を主張していたが、第一次世界大戦が勃発すると西欧に亡命し、E・ベネシュ、R・M・シュチェファーニクらとともにチェコスロバキア民族会議を設立、独立運動を展開した。1918年チェコスロバキア共和国が独立すると、その初代大統領に選出され、新国家の象徴的な存在となった。35年に引退するまで、国民的な人気を背景に、内外政に大きな影響力をもった。とくに議会の中道的な諸勢力の連立を支持し、漸進的な社会改革を唱え、チェコスロバキアの議会制民主主義を擁護した。また国内の民族対立の解決にも努力した。外交面では、ベネシュ外相の対外政策を一貫して支持し、それを内政面から支えた。[林 忠行]〉(『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館、ジャパンナレッジ版)

 ちなみに筆者が大学生や高校生に授業をする際にインターネット空間でウィキペディアを参照するのは、当該分野について指導できる専門家がいるときに限定すべきと強調している。ウィキペディアには、誰でも自由に書き込むことが出来るので、不正確な記述や間違いとまでは言えないが極端な見解が散見されるからだ。

 インターネット空間では、有料になるが小学館が運営するジャパンナレッジが、複数の百科事典、歴史事典、人名辞典などを収録している。執筆者はいずれも当該分野で専門家と認知されている人々で、しかも最新の情報に更新されている。

 同志社大学の場合、法人としてジャパンナレッジを契約しているので、学生は無料で利用することができる。日常的にジャパンナレッジを用いている学生は、そうでない学生と比べて成績がよい。日常的にどの辞書や事典を参照するかによって教養のレベルが異なってくるのである。

西欧の民主主義は弱い

 話を元に戻す。フロマートカは、第1次世界大戦後についてこう総括する。

〈今日、一九一八年以降の年月を振り返ってみると、戦間期は単なる休戦に過ぎず、ドイツの軍事的敗北は内政と文化構造に本質的変化をもたらさず、西側の民主主義はナチスの下でグロテスクで異常な形態をとったドイツ国家主義を制御するにはあまりに弱いものであるということをわれわれははっきりと理解している。ベルリンとウィーンは一九一八年に没落した。ロンドンとパリが戦間期に国際政治を支配した。その後一九三九年から一九四五年までの数年間、ヒトラーのベルリンのナチスとファシストのローマがヨーロッパの支配者となった。二度目の軍事的荒廃は、西側の指導的政治家がソヴィエト・ロシアに対する恐怖に麻痺してしまったために起こった。西側政治家は1917年のロシア革命で新たな社会、政治形態をとった歴史的事件の本質を、政治的、社会的に、(あるいは歴史哲学の視点で)理解することができなかった。第二次大戦でロンドンとパリは二流国に転落した。ワシントンとモスクワが新たな国際情勢を代表するようになった。ちょっと先走ることになるかもしれないが、現在ではこの二都市のみならず北京も考慮に入れる必要があることを私は付け加えておく。これからは、世界の発展はこの三つの国際政治の中心が人類の使命と現代人の状況をいかに理解するかに依存する〉(前掲書32頁)。

 米国、ロシア、中国は21世紀の現在においても国際政治における主要なプレイヤーだ。

(8月30日脱稿)


「危機の読書」アーカイヴ

 

佐藤 優(さとう・まさる)

1960年東京都生まれ。作家、元外務省主任分析官。同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省。在ソ連日本国大使館でソ連崩壊を目撃。『自壊する帝国』にて大宅賞、新潮ドキュメント賞受賞。『国家の罠』『獄中記』『十五の夏』など。

〈「STORY BOX」2020年10月号掲載〉

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