辛酸なめ子「電車のおじさん」第10回

辛酸なめ子「電車のおじさん」第10回
外山先輩に脳内恋愛をしている玉恵。
念じていれば縁を引き寄せるのか、
外山先輩と一緒に打ち合わせに出かけることに…。

「良かったら、私のスマホでテザリングしてください。今までやったことないですが、つながるはずです」

「本当? 助かるよ」

 駅を出て、ホームのベンチに座り、玉恵はネットで調べながらテザリングで外山先輩のスマホをつなげる手順を行いました。「インターネット共有」をオンにして、ついに先輩のスマホがネットにつながりました。

「これでダウンロードできる。ありがとう!」

「お役に立ててよかったです」

 嬉しそうな先輩の横顔をチラ見しながら、玉恵は自分の通信データと先輩のデータが空中で混ざり合っているのを想像しました。別々に飛び交っているお互いのデータが、テザリングによって一体化し、文字列が絡み合い、混ざり合って流れていきます。目には見えないけれど、どこか官能的なものを感じました。同じWi‐Fiにつないだり、テザリングでつながったりするのは、コップや缶ジュースを共有する間接キスまではいきませんが、デジタル的に関係が少し進んだ感があります。玉恵は軽く目を閉じ、流れていくデータの川の奔流に身を任せました。運命の赤い糸ならぬ、運命の無線の糸です。

「ここまできたら充電もどうですか? まだ使っていないのでたくさんチャージできますよ」と玉恵はバッテリーを差し出しました。

「ありがたく使わせてもらうよ」と、素直に受け取った外山先輩のスマホに、玉恵のライトニングケーブルがカチッと差し込まれました。スマホを餌付けしているようで、また玉恵の妄想が広がりました。

 データがつながったおかげで、印刷会社のスタッフにデータを転送でき、打ち合わせも順調に終わりました。罫線の幅について熱く語る外山先輩。さきほどの焦燥を全く感じさせません。現代人が安心し、精神が安定するのは、電源と通信が確保された状況です。でもそれはデジタルに依存している世代ならではで、シニアの方々はネットがつながらなくても落ち着いていられるのかもしれません。あのおじさんは、ときどきスマホをチェックしていたけれど、若い世代のように頻繁に見ている感じではなかったことを、玉恵は思い出しました。おじさんは何に依存しているのでしょう。家で盆栽を育てたり、植物画を描いたりしているのでしょうか。よく庭園や植物園で見かけるおじさんのように、花弁ばかり一眼レフで撮っていたり……?

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辛酸なめ子(しんさん・なめこ)

1974年東京都生まれ。漫画家、コラムニスト、小説家。近著に『辛酸なめ子の世界恋愛文学全集』『大人のコミュニケーション術 渡る世間は罠だらけ』など。最新刊に『ヌルラン』がある。