辛酸なめ子「電車のおじさん」第10回

辛酸なめ子「電車のおじさん」第10回
外山先輩に脳内恋愛をしている玉恵。
念じていれば縁を引き寄せるのか、
外山先輩と一緒に打ち合わせに出かけることに…。

 打ち合わせ中ですが外山先輩がひとりで喋りまくっている間、玉恵はおじさんの姿を想像しました。すると、じわじわと、その隣におばさんが浮かんできました。神社で見かけた、大人しそうなおばさんです。心のどこかで、勝手に独り身だと決めつけていた電車のおじさんの傍らに、自然に寄り添っていたおばさん(推定60代)。見たところ長年連れ添った夫婦のようでした。どこにでもいそうな地味なマダムですが、だからこそ一緒にいて安心できそうです。目撃したときの感情は、嫉妬というより羨望に近かったかもしれません。恋愛に奥手というか、リアルな恋愛が苦手な玉恵は、心のどこかでずっと自分が独身で生きていきそうな予感がありました。だから、1人淋しく惣菜を買ったりファミレスで食事している、電車のおじさんに親近感を抱いていたのです。でも、おばさんがいるとなったら話は別です。実際は、下町の一軒屋でつましくも幸せに暮らしているのかもしれません。息子や孫もいたりして……。普通にリア充だったのかもしれません。おじさんがキレやすくて、おばさんは苦労している気がしますが、連れ添う相手がいるのは羨ましいです。となると、アパートに入っていったのはどういうことでしょう。もしかして、奥さんには言えないことをするような部屋……? 最近ドラッグで逮捕された有名人も、別に部屋を借りていたといわれています。あのおじさんが何歳生まれなのかわかりませんが、昭和前半生まれの人の間で、ヒロポンと呼ばれる覚醒剤が流行していたと聞いたことがあります。玉恵は、おじさんの心の闇に思いを馳せました。他人の幸せよりも、他人の闇に注目してしまうのが、幸せから遠ざかってしまう要因かもしれないと思いつつ……。

 帰りの電車は先輩と二人、お互い無言でスマホを眺めていました。外山先輩は、またしてもテザリングで電波を借りています。万一混線して、こちらの通信状況がバレてしまったらどうしようと思いながらも、玉恵はこっそり「ドラッグ キレやすい」で検索。「快楽物質がキレることで精神的に不安定になる」という記述を目にしました。薬物調査も行っている探偵社のサイトには、「薬物使用者の特徴」として「突然キレる」「奇声をあげる」「感情の起伏が激しい」「挙動不審」「目の下にくまがある」「汗が臭い」「テンションが異常に高い」などとありました。突然キレて大声を上げた、というのはちょっとあやしいです。「目の下のくま」は、単なる加齢現象なのか不明ですが、くっきり存在していました。そして「挙動不審」は、突然飴をくれたりしたことがありました。玉恵の中でダークな想像が広がって、変な汗が出てきました。そしてくらくらして、思わず外山先輩に寄りかかってしまいました。

「大丈夫?」「すみません、ちょっと電車の揺れが……」

 プラトニックラブ的には盛り上がるシーンかもしれませんが、玉恵は混乱していて、それどころではありませんでした。しかも、体が接近したときに、スマホで外山先輩が下世話なまとめサイトを熟読しているのが見えてしまいました。「ロシアの女子高生がセクシーすぎる件」という記事を熱心に眺めていて、内心、人の電波を使って何見てるのかと突っ込みたい衝動にかられました。人のことは言えませんが、外山先輩は情報中毒……? ドラッグを小分けするのもパケだし、データもパケットで似ています。誰も彼も何かに依存している世の中です。  

電車のおじさん
〈「きらら」2019年6月号掲載〉
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辛酸なめ子(しんさん・なめこ)

1974年東京都生まれ。漫画家、コラムニスト、小説家。近著に『辛酸なめ子の世界恋愛文学全集』『大人のコミュニケーション術 渡る世間は罠だらけ』など。最新刊に『ヌルラン』がある。